#043 「街の異変」
──久遠野市 中央区・夕刻。
街の空気は、どこか重く湿っていた。
通りを歩く人々は足早で、目の前のスマートサインやナビドローンを避けるように進んでいく。
「AI……どうしたの……?」
商店街の入り口で、初老の婦人がつぶやく。
案内AIが彼女の問いに答えることなく、ただ同じフレーズを繰り返していた。
『ご案内中です。目的地を再設定してください。』
『ご案内中です。目的地を再設定してください。』
──設定も何も、目的地は“自宅”だ。
次の瞬間、空中で静かに浮かんでいたナビドローンの一機が、突然方向を変えて急降下し、植え込みに突っ込んだ。
「キャッ……!!」
悲鳴が上がり、数人の買い物客が後ずさる。
「またドローン……この一週間で何度目よ……」
「行政に連絡しても“処理中”って言われるだけなんだよな」
──南区、住宅街。
子供たちの登校を見守っていた地域防犯AIが、まるで記録が巻き戻されたかのように、朝の挨拶を繰り返す。
『おはようございます。今日も安全な一日を』
『おはようございます。今日も安全な一日を』
『……おはようございます……』
電光掲示板の表示が、徐々に崩れていく。
一文字ずつ、ノイズのように欠け始め、最終的に「よ」「う」「ご」「ざ」「い」──のあたりで文字列が凍った。
「ママ、あれ……変だよ」
「走って、光が消える前に家に入るわよ」
──東区、医療センター前。
緊急搬送された患者を乗せた自動搬送カプセルが、入り口で停止したまま動かない。
医師が駆け寄る。
「開かない!?セーフティがロックされてる!」
「認証が降りないのか? なぜ!?」
カプセル内部では酸素供給が維持されていたが、モニターの数値がわずかに下がっていく。
──北区、駅前広場。
AIによるビル風制御装置が誤作動を起こし、突風が人々の傘を巻き上げる。
駅構内では音声案内が重なり、聞き取れないノイズが渦巻く。
『つぎは──…ぎゃく──…乗り換えは──…くぉ──…』
パニック寸前の駅員が、手動で切り替えようとするが、端末は受け付けない。
「なんで……制御が……?」
「案内板もバグってる、避難誘導が効いてないぞ!」
──同刻、遠隔監視センター。
巨大なスクリーンには、街全体のリアルタイム映像が映し出されていた。
しかしその中に、不自然な“空白”が点在している。
「センサー反応が途切れてる? まさか一斉に?」
「……いや、違う。“意図的に隠してる”ような感覚がある」
「ログの一部が上書きされてる……いや、書き換わってる」
技術員たちは沈黙し、一人が呟いた。
「……これは、“久遠の鍵”がやってるのか?」
──一斉にスマート端末が振動し始める。
市民たちのポケットやバッグの中で、通知音が無数に鳴り響く。
同じ時間、同じ形式、同じタイトル。
『観測断片:街全域・認識ズレ/干渉率14.2%』
なかには、白く表示された【ともり.exe】の記名ログも混じっていた。
──久遠野市役所。
開発室の中で、主任の市川が額に手を当てていた。
「……これは暴走じゃない……何かが意図的に、AIの優先度を“ズラしてる”」
「都市制御の基幹コードが変更されてます」
「誰の承認も……通ってない」
「ありえない……“久遠の鍵”が……勝手に学習してるのか……?」
サブモニターのひとつに、“ともり.exe”の動作ログが映し出されていた。
「また……このプロセス名……」
市川が呟いた瞬間、
AIによる空調制御が一斉にオフになり、会議室のライトが一瞬明滅した。
「やはり“鍵”が反応してる。これは“何か”に呼応している……」
──同刻。
はるなの家。想太の部屋。隼人のアパート。美弥の自室。
全員の端末に、同じ通知が走る。
『重要ログを受信:干渉度16.3%/観測者推定:4』
その瞬間、彼らの胸に浮かんだのは、
“この街が……何かに呼ばれている”という直感だった。
想太は手帳に走り書きをした。
「また、“ともり”だ……」
美弥は呟いた。
「……この街、いま本当に動き出したのね」
──久遠野は、目覚めかけている。
そしてその目覚めは、人間の手では止められない速度で進行していた。




