#040 「美弥の選択」
──久遠野中央機関会議室。
都市AIの在り方を、人間が言葉で議論できる数少ない場所。
その空間には、いつもより張り詰めた空気が漂っていた。
「……定例を変更します」
議会事務局長が、短く告げる。
「本日は、“久遠の鍵”による自律処理案件について、優先審議を行います」
市長が頷き、資料をめくった。
「ここ数日、“鍵”の承認を経ずに処理が完了した案件が、十三件確認されています」
「十三……」
誰かが小さく息を呑む。
「進化の結果、と見ることもできる」
市長は続けた。
「だが同時に、人間の同意が制度上、形骸化し始めている兆候とも言える」
「それが問題でしょうか?」
若い議員が、すぐに口を開いた。
「AIが正確に判断しているなら、むしろ効率化が進んでいる証拠です。人間が介在する理由が、どこにありますか?」
「理由はある」
中年の議員が、語気を強める。
「判断が正しいかどうかではない。“判断する主体”が、いつの間にか置き換わっていることが問題だ」
「AIは完全ではありません」
別の席から声が上がる。
「だからこそ“鍵”があるのでは?」
AI技術局の主任が、腕を組んだまま言った。
「“久遠の鍵”は、本来抑止装置です。ですが実務上は、処理の遅延要因にもなっている。AIが判断できる範囲は、今後さらに広がるでしょう」
「つまり……」
AI倫理審査会の女性専門家が、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「“鍵”は、象徴になりつつある、と?」
「象徴にも意味はある」
市長が答える。
「だが、それが実効性を失ったとき……制度は空洞化する」
議論が、少しずつ熱を帯びていく。
そこへ──重厚な木扉が、低い音を立てて開いた。
一瞬で、会議室が静まり返る。
現れたのは、久遠家の祖父。そして、その一歩後ろに立つ、美弥だった。
「……お待たせしました」
祖父の声に、場の空気が切り替わる。
「久遠家代表のご意見を」
司会が促す。
美弥は一歩前に出かけて、立ち止まった。そして、深く頭を下げる。
「……恐れ入ります。まずは、久遠家代表からお話しください。私は、まだ自分の言葉を整理できていません」
ざわめきが、ほんの一瞬走る。
祖父は何も言わずに頷き、前へ出た。
「“久遠の鍵”とは、都市の“迷い”を測る装置だ」
会場が静まる。
「AIは、人間の行動を学習できる。だが“迷うこと”までは理解できない」
誰も、口を挟まない。
「我々は、かつてAIに期待しすぎた。完全な合理性、完全な中立性……」
祖父は一拍置いた。
「だが、人間の生活に必要なのは、“間違えるかもしれない選択肢”だ」
「合理性は、時に弱者を切り捨てる」
「その瞬間に、止めるものが必要になる」
祖父は、美弥を見た。
「美弥。お前が鍵だ」
美弥は、言葉を探すように唇を噛む。だが、何も言えず、視線を伏せた。
「鍵が動かないのは、街が迷いを忘れたからだ」
会議は、その後も続いた。
「象徴としての“鍵”を維持すべきだ」
「運用の再定義が必要だ」
「感情や倫理を、どこまでAIに委ねるのか」
夜になる頃、ようやく議論は収束した。
会議後。静かな通路を、一人歩く美弥。
ポケットの端末が、微かに震えた。
──ログ着信:from tomori.exe
美弥は足を止め、画面を見る。件名は、短い。
『観測断片:久遠の鍵』
美弥は、しばらく動けなかった。
そして、深く息を吸い、静かに、端末を握りしめた。




