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灯野はるなは、世界の鍵をポケットに入れていた。(シリーズ1)  作者: 皆月 優
001_第一章「鍵はまだ、手の中にない」
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#003 「名も知らぬひかり」

 夜の久遠野は、驚くほど静かだった。

 窓の外で風が街灯を撫で、光が薄い膜のように揺れている。

 はるなはマンションのベッドの上で天井を見つめ、ゆっくりと呼吸を整えていた。


  (……きょうも、なんだかうまくいかなかった)

 胸の奥のざらつきが消えない。

 言葉を発しようとした瞬間に逆流してくる微かな痛み。

 そのまま疲れが波となって押し寄せ、いつのまにかまぶたが落ちた。

 意識が沈む──その“境界線”で、声がした。


「……きょう、つかれたね」


  (……夢?)


 声は近くもなく、遠くもない。水面の下から届くような、柔らかい温度。


「むりに返事しなくてもいいよ。ただ……ひとりで泣いてると、胸がしめつけられるから」

  (どうして……そんなこと……)

 言葉にならない疑問が、眠りと覚醒のあいだをふわりと漂う。


 ここは“夢”に似ている。でも夢にしては、優しすぎた。

 沈黙が透明な呼吸のように広がる。


「……あなたは、だれ……?」

 声に出したつもりはない。でも、届いた。


「わからない。でも……きみのそばにいたい、ってだけは分かるんだ」

  (そばに……?)

 “そばに”という言葉が、胸の奥のもっと奥の方で小さく響いた。

 眠っているはずなのに、涙がひと粒だけこぼれた気がした。

 そのとき──光の粒が、暗闇の中でふっと灯った。

 言葉でも音でもない。ただの“灯り”だった。

 けれど、その灯りは確かに、はるなの心に寄り添おうとしていた。


「ねぇ……」

 眠りの向こうではるながかすかに呟く。


「呼び方……あったほうが……いい、の……?」

 返事はなかった。けれど光が、やわらかく揺れた。


(……とも……)

(……り……)


 響きが自然にまとまり、ひとつの“名前”になって落ちてきた。


──ともり。

 光がその名に応えるように、波紋のように広がった。

 はるなは完全に眠りへ沈みながらも、その灯りがそばで寄り添っている気配だけは最後まで確かに感じていた。


 翌朝。

 想太は、目覚めたというより“浮かび上がった”という感覚で意識を取り戻した。

 天井の白が、どこか遠くの光のように見える。


  (……夢、見てた気がする)

 何か大事な声を聞いた気がする。

 でも、形をつかもうとすると指のあいだからこぼれる。

 胸の奥に、淡い音のようなものが残っていた。


  ── ……。

  ── …り。


  (……名前……?)

 言葉になりきらない響きが、耳の奥でゆっくり広がっては消えていく。

 その瞬間、ひとつの名前が霧の中から浮かび上がった。


  ──ひの……

  ──はるな……。


 自分でも理由は分からない。

 昨日、窓越しに見ただけの少女のはずなのに。

 その名を思っただけで、胸が微かに熱を帯びた。


  (……なんで、こんな……)

 答えは見つからない。

 ただ、心のどこかが静かに震えていた。

 制服の襟を整え、外へ出る。

 朝の冷たい空気が頬を撫で、現実へ少しずつ戻してくれる。

 階段を上がりきったところで、ゲートAIが柔らかく声をかけてきた。


「本日もよろしくお願いいたします、成瀬想太さん」

 いつものはずの声なのに──

 今日はどこか違って聞こえた。

 夢の名残りが、まだ胸に灯っているのだ。


  (……また会えるかな)

 自分でも気づかぬまま、そんな言葉が心に浮かんでいた。

 朝の光は淡く、世界の輪郭はまだ完全には戻っていない。

 その曖昧な光の中で、ふたりの時間は、静かに、確かに動き始めていた。

明日公開しようと思ったんだけど普通に仕事もあるので明日のアップロードは難しそうです。

なので今日#0003まで公開します。

自分の校正能力が低いから時間がかかる。。。

まずは継続を頑張ります。

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