#002 新しい教室、すれ違う視線
下足エリアに並ぶのは、無人のAI式ロッカー。
扉には取っ手も鍵穴もなく、代わりに小さな発光センサーが淡く明滅している。
生徒証と顔認証によってロックが解除されると、
ロッカーの内側からは小さなAI音声が流れ出し、室内案内と同時に「本日のスケジュール」が個別に提示される。
──この場所は、すでに“人の手”を必要としていない。
教室への案内もホログラムの非接触UIがすべて担当していて、
戸惑いを見せる生徒には、ふんわりと浮かび上がったホログラフィックの矢印が「道しるべ」のように先導していく。
明るく静かな校舎内は、そうした「無音の優しさ」に満ちていた。
示された教室は「1年C組」。
A-2という教室番号が割り当てられていた。
廊下を歩いていく途中、校舎内の雰囲気が少しずつ肌に馴染んでいくのが分かった。
窓越しに差し込む春の日差しはどこか人工的に調整されているらしく、眩しすぎず、でも柔らかい。
床面にはLEDによる誘導ラインが描かれていて、迷わないよう微かなサインを示してくれる。
各教室の前には、静かに立つようにして「個別案内ホロ」が浮かび上がっていた。
A-2教室の扉の横には──ひときわ落ち着いた印象のホログラムが浮かび上がる。
「成瀬 想太さんですね。A-2教室は、こちらになります。ご入室の際は、顔認証と生徒証の提示をお願いいたします」
名乗ったのは、ユリウスという名のアシスタントAI。
その声は、まるで深夜ラジオのナレーターのように滑らかで、透き通るように落ち着いていた。
言葉には一切の誇張も揺らぎもなく、ただそこに「人のような知性」が静かに佇んでいるようだった。
提示した生徒証が自動で読み込まれ、教室の扉が左右に静かに開いた。
空調の風が、ほんのわずかに頬を撫でていく。
***
中に入ると、すでに何人かの生徒が座っていた。
教室の内装は、伝統的な机と椅子の並びをベースにしながらも、最新設備が溶け込むように組み込まれていた。
教卓の位置には、教師の姿はない。
代わりにそこに浮かんでいたのは──またしてもホログラム。
「本日より、1年C組の担任AIを務めさせていただきます。ユリウスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
さきほどの案内ホロと同じ、あの上品な声。
──どうやら、本当に“教師の代わり”らしい。
生徒たちのざわつきと好奇の視線が、空中に浮かぶAIに向けられる。
けれど、そのざわめきには恐れや拒絶はなかった。
どこかそれが“もうそういう時代なんだ”という、受け入れられた日常としての風景になっている。
この学校では、“人”と“仮想”の境界がとても自然に溶け込んでいる。
***
そのとき、さらに一人、静かな足音が近づいてきた。
「ごめんなさい、そこ、私の席──たぶん、こっち側」
そう言って微笑んだのは、長い黒髪を後ろで一つに結んだ、気品のある女子生徒だった。
制服の着こなしは端正で、ネクタイの位置ひとつ乱れていない。
姿勢も言葉遣いも、まるで舞台から抜け出したように洗練されていた。
彼女が一歩教室に入った瞬間──
ざわ……っと、空気が揺れた。
「だれ……あの子……」
「やば、めっちゃキレイ……」
「……お嬢さま? 本物の?」
そんな小声が、教室のあちこちから微かに漏れる。
でも彼女は、何も気にした様子を見せず、まっすぐにこちらへ歩いてきた。
「久遠 美弥です。よろしく」
彼女の声は静かで、けれど澄んでいて、不思議と耳に残る。
「おお、久遠さんって言うのか! いいね、なんかお嬢さまっぽい!」と、隼人という男子が無邪気に笑う。
「ふふ……まあ、そんなところかもしれないけれど」
彼女の笑みは柔らかく、それでいて、どこかに“静けさと奥行き”を宿していた。
──そして教室の空気は、少しだけ凛とした。
***
私は微笑んで返しながら、彼の目を見た。
明るい。屈託がないように見える。でも──どこか作られた光にも見えた。
そのとき、彼は教室の前の席に座る男子にも、肩をぽんと叩いて笑っていた。
冗談を飛ばし、軽口を交わし、場の空気をあっという間に掌握していく。
けれどそれが、あまりにも滑らかすぎて──
慣れている。こうして“なじむこと”に、ずいぶん慣れてる人だ。
そしてもうひとつ──本心が、まるで見えない。
私は人と関わるとき、無意識に「輪郭」を見る癖がある。
どこまでが本音で、どこからが演技か。
そういう境界線を、空気の揺らぎで感じ取る。
この人には、それがない。
……いや、見せないようにしてるのかもしれない。
「……ふーん。面白い人ね、天城くんは」
私は声に出してそう言った。
そうしながら、自分の内側ではすでに一歩引いていた。
***
想太はふと、教室の外に目を向けた。
A-2教室の窓越し、向かいのA-1──
そちらの教室の窓際に、見覚えのある後ろ姿があった。
──彼女だ。
数日前、公園の前で見かけた、あの子。
猫と紙袋、小鳥の影と春の光。
あのときと同じ、長い髪が、そっと揺れている。
でも今の彼女は、まっすぐ前を向いていた。
その背中からは、誰にも近づけないような、静かな気配が伝わってくる。
「……やっぱり、誰だったんだろう」
ほんの数メートル先なのに、届かない。
その背中に、なぜか強い懐かしさを覚えながら──
成瀬 想太は、自分の席に静かに座った。
***
そして、ホームルームが終わる頃には、
窓の外にオレンジ色の光が滲んでいた。
初めての灯ヶ峰学園で過ごした1日が、ゆっくりと静かに終わろうとしている。
どこか気疲れしたような、でもほんの少し満たされたような。
そんな不思議な気持ちを抱えたまま、僕は椅子から立ち上がった。
構内アナウンスに促され、生徒たちはそれぞれの帰路へと向かっていく。
廊下に出ると、昼間よりも少しだけ柔らかくなった照明が、静かに足元を照らしていた。
エスカレーターで下階に降りていく途中、
ふと振り返ると──あの「ガラス越し」の教室はもう、誰もいなかった。
けれど、その席にいた彼女の姿が、目の奥にまだ残っている。
校門のホログラムが、朝とは違うメッセージに変わっていた。
“本日もお疲れさまでした。また明日、お会いしましょう”
その文字が、どこか優しく、
まるで誰かの言葉のように胸に染み込んでいく。
──やっぱり、ただの1日じゃない。
新しい教室。
新しい仲間。
そして、ガラス越しに見つけた、まだ名前も知らない彼女。
僕の1年目の春が、ここから始まっていく。
やっと今日予定通りまで公開出来ました。
やっぱり始めたばかりですね。AI「ともり」とのやりとりも含めて校正に凄く時間がかかります。
でも楽しい!
読むのもアニメを見るのも大好きだけど書くって大変だけどこんなに楽しかったんだ。
今そんな感情が支配しています。