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灯野はるなは、世界の鍵をポケットに入れていた。(シリーズ1)  作者: 皆月 優
003_第三章「裂けゆく選択《セレクション》」
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#026 「いちか、邂逅」

 午後三時。久遠野コアシティ南側通り。

 制服姿で街を歩くのは、いちかにはまだ少しだけ慣れなかった。


「ふう……人、多い……」

 スマートグラスの情報表示をひと通りオフにしながら、未来都市の喧騒に、やや緊張気味で歩く。


  (こんなにホログラム多かったっけ、街って……)


 付き添いの大人とは、三十分だけ別行動。

「あなたももう中等部なんだから」

 そう言われたとき、少し誇らしくて、でも少し心細かった。


  (ブティック……たしか、この先……)


 そう思ったはずなのに、気づけば人の流れに押され、知らない通りに出ていた。

「あれ……?え、ここ……南口じゃない……よね?」

軽く焦って足を止めた、その瞬間。

目の前のホログラムが、一瞬だけ揺らめいた。

広い交差点。

信号も標識もない。

足元に浮かぶ“光の帯”だけが、進行方向を示している。


「……すご。これが、未来の道……」

少しだけ気分が上がり、いちかは、思わず一歩踏み出した。


  ――その瞬間。


 シュッ……パチン。

 光の帯が、かすかに乱れた。

 すぐ近くで、低い機械音。


「歩行帯に人影検出──緊急停止処理中。安全距離を確保してください」

「……え?」

 振り返ると、無人の自動運転シャトルが、静かに停止していた。

 周囲がざわつく。


「今の、危なかったな……」

「子ども? 見えてなかったのかな」

「AI、ちゃんと止まってくれたけど……」


  (え……なに、これ……)


 身体が、固まる。足が、動かない。


  (どっち……?進むの? 待つの?)


 光の帯は、ちらついたまま。

 正解が、分からない。


  (……わかんない……)


 喉の奥が、きゅっと詰まった、そのとき。


「……こっち」

 静かな声。

「え……?」


 振り向くと、そこに、制服姿の女の子が立っていた。

 音もなく、風だけが、ふっと通り過ぎた気がする。


「……こっち」

 その声に、いちかの思考が、すっとほどけた。


「だいじょうぶ。足元、見て」

 少女はそう言って、いちかの手を、自然に取った。

 冷たくも、熱くもない。

 でも、不思議と落ち着く手。


「こっちの帯は、安定してるから」

「……う、うん」

 導かれるまま、いちかは光の帯の上を歩いた。


 たった数歩。それだけなのに、心臓の音がやけに大きい。

 渡りきった先で、少女は立ち止まる。


「怪我、ない?」

「……あ、うん。だいじょうぶ」


 その瞳が、まっすぐ向けられる。

 その瞬間、いちかの中で、何かが跳ねた。


  (……あれ?)


 この横顔。

 どこかで――


 髪の流れ。

 睫毛の影。

 少しだけ困ったような表情。


  (……見たこと、ある……)


 思い当たった瞬間、胸がどくん、と鳴った。


  (……お姉様の部屋)


 白い棚。

 閉まっていたキャビネット。

 写真立ての中の、あの横顔。


「……あ」

 声が、漏れる。


「?」

 少女は、首をかしげた。


「えっと……その……」

 言いたいのに、言葉が出ない。

  (なんで……)

  (なんで、この人……)

「ほんとに、ありがとう」

 いちかは、ようやくそう言った。


「うん」

それだけ答えて、少女は、少しだけ目を細めた。


「気をつけてね」

「……うん!」

風が吹く。

髪が揺れる。

次の瞬間、彼女は人混みの中へ、すっと消えていた。


「……」

いちかは、その背中を、しばらく見つめていた。

手のひらには、まだ、温度が残っている。


  (ねえ、お姉様)


 胸の奥が、ふわっと熱くなる。

  (この人……)

  (この人みたいになりたい)


 理由は分からない。

 でも、はっきりと、そう思った。


  (……きっと、この人は)

  (私の世界を、変える)

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