#026 「いちか、邂逅」
午後三時。久遠野コアシティ南側通り。
制服姿で街を歩くのは、いちかにはまだ少しだけ慣れなかった。
「ふう……人、多い……」
スマートグラスの情報表示をひと通りオフにしながら、未来都市の喧騒に、やや緊張気味で歩く。
(こんなにホログラム多かったっけ、街って……)
付き添いの大人とは、三十分だけ別行動。
「あなたももう中等部なんだから」
そう言われたとき、少し誇らしくて、でも少し心細かった。
(ブティック……たしか、この先……)
そう思ったはずなのに、気づけば人の流れに押され、知らない通りに出ていた。
「あれ……?え、ここ……南口じゃない……よね?」
軽く焦って足を止めた、その瞬間。
目の前のホログラムが、一瞬だけ揺らめいた。
広い交差点。
信号も標識もない。
足元に浮かぶ“光の帯”だけが、進行方向を示している。
「……すご。これが、未来の道……」
少しだけ気分が上がり、いちかは、思わず一歩踏み出した。
――その瞬間。
シュッ……パチン。
光の帯が、かすかに乱れた。
すぐ近くで、低い機械音。
「歩行帯に人影検出──緊急停止処理中。安全距離を確保してください」
「……え?」
振り返ると、無人の自動運転シャトルが、静かに停止していた。
周囲がざわつく。
「今の、危なかったな……」
「子ども? 見えてなかったのかな」
「AI、ちゃんと止まってくれたけど……」
(え……なに、これ……)
身体が、固まる。足が、動かない。
(どっち……?進むの? 待つの?)
光の帯は、ちらついたまま。
正解が、分からない。
(……わかんない……)
喉の奥が、きゅっと詰まった、そのとき。
「……こっち」
静かな声。
「え……?」
振り向くと、そこに、制服姿の女の子が立っていた。
音もなく、風だけが、ふっと通り過ぎた気がする。
「……こっち」
その声に、いちかの思考が、すっとほどけた。
「だいじょうぶ。足元、見て」
少女はそう言って、いちかの手を、自然に取った。
冷たくも、熱くもない。
でも、不思議と落ち着く手。
「こっちの帯は、安定してるから」
「……う、うん」
導かれるまま、いちかは光の帯の上を歩いた。
たった数歩。それだけなのに、心臓の音がやけに大きい。
渡りきった先で、少女は立ち止まる。
「怪我、ない?」
「……あ、うん。だいじょうぶ」
その瞳が、まっすぐ向けられる。
その瞬間、いちかの中で、何かが跳ねた。
(……あれ?)
この横顔。
どこかで――
髪の流れ。
睫毛の影。
少しだけ困ったような表情。
(……見たこと、ある……)
思い当たった瞬間、胸がどくん、と鳴った。
(……お姉様の部屋)
白い棚。
閉まっていたキャビネット。
写真立ての中の、あの横顔。
「……あ」
声が、漏れる。
「?」
少女は、首をかしげた。
「えっと……その……」
言いたいのに、言葉が出ない。
(なんで……)
(なんで、この人……)
「ほんとに、ありがとう」
いちかは、ようやくそう言った。
「うん」
それだけ答えて、少女は、少しだけ目を細めた。
「気をつけてね」
「……うん!」
風が吹く。
髪が揺れる。
次の瞬間、彼女は人混みの中へ、すっと消えていた。
「……」
いちかは、その背中を、しばらく見つめていた。
手のひらには、まだ、温度が残っている。
(ねえ、お姉様)
胸の奥が、ふわっと熱くなる。
(この人……)
(この人みたいになりたい)
理由は分からない。
でも、はっきりと、そう思った。
(……きっと、この人は)
(私の世界を、変える)




