#017 「街の共鳴──ユグドノア・ドーム」
午後の久遠野市は、人々の気配がゆっくりと増し始める時間帯だった。
午前の静かな空気がほどけていき、街路には弾む声とホログラムの音声が重なり合う。
コアシティ中央の広場には、今日の共通行動テーマが大きく映し出されていた。
『適応週間:市内文化施設を巡りましょう』
淡い誘導音声は、命令にも勧誘にも感じられない中間のトーンで響く。
けれど──この都市ではその柔らかさこそが“誘導”だった。
四人の視線が自然と一点に向かう。
隼人が遠くの巨大な半球体を指差した。
「ふむ。じゃあ、どこ行く? 見た目だけなら、あれが一番目立ってるけど」
白金に磨かれた外壁が、午後の光を受けてわずかに金色へと揺らぐ。
久遠野市の象徴──ユグドノア・ドーム。
その名を聞いた瞬間、はるなが小さく息を呑んだ。
「……ここ、来てみたかった」
普段は静かな声に、ほんの少しだけ熱が宿っていた。
隣にいた想太は、その微かな変化に気づいて目を瞬く。
「なんで? 有名な場所なの?」
「高等部に上がったら見学するって、中等部で聞かされてたんです。一般客も入れるって」
美弥が補足するように微笑む。
その手は、自然と“はるな”の腕に触れようとして──ギリギリのところで止まった。
(……そろそろ、誰か突っ込むべきなのか?)
隼人が心の中でつぶやいた、その時。
ふわり、と空中にホログラムが現れた。
AI案内の声は、さきほどよりもすこしだけ厳かな響きを帯びている。
『この先、久遠野ユグドノア・ドームです。ご見学の際は、静粛と敬意をお持ちください』
広場の空気がすっと整う。
行き交う人々が、まるで“ためらいのない同期”を始めるように歩みを揃えていく。
四人がドームへ近づくほどに──
空気は、わずかに甘く、乾いた香りを含み始めた。
「なんか……変な感じしない?」
想太の呟きは思わず漏れたものだった。
「……わかる。なんか、懐かしいっていうか」
はるなも小さく頷く。
その瞳は、どこか“奥にある記憶”を探すように揺れている。
そして──ほんの一瞬。
想太の視界の端に、光のフレームが走った。
街のホログラムの揺らぎの中に、“ともり”に似た輪郭を見た気がした。
(……今の……)
「……そうた君?」
はるなの声で、想太は小さく首を振る。
「あ、ごめん。なんか、ボーッとしてた」
(気のせい……だよな)
しかしその違和感は、ふたりの間で奇妙に一致していた。
四人は、誰ともなく歩みを揃え、ドームの大きなエントランスへと足を踏み入れる。
一歩入った瞬間、外の世界と空気が完全に切り替わった。
「……うわ」
想太の口から自然に言葉が漏れた。
内部の壁は半透明の膜で覆われ、そこに“記憶のような映像”が水の底のようにゆっくりと流れている。
景色とも記録ともつかない模様が、淡く、しかし確かに視界を揺らす。
天井には幾何学模様の光の網が広がり、その中心には金色の球体が、まるで呼吸するように淡い脈動を繰り返していた。
「……ここ、来てよかった」
はるなが胸に手を当て、静かに呟いた。
その声音は、彼女自身でも驚くほど素直だった。
その瞬間──
耳ではない場所から“声”が届いた。
『……そうた』
(え……?)
想太は肩を震わせて振り返るが、誰もいない。
ただ、光の粒がゆっくりと舞っているだけ。
同じ瞬間、はるなが息を呑んだ。
「……今、誰か……呼んだ?」
二人の視線が、静かに重なった。
確信ではない。けれど──“同じものを感じている”ことだけはわかった。
「すごいですね……ここ。呼吸まで整ってくるみたい……」
美弥が目を閉じ、胸の前で指を重ねるようにして深く息を吸う。
まるで、懐かしい場所に帰った人のような、柔らかい顔だった。
ただ、隼人だけは眉をひそめていた。
「んー……俺には合わねぇな、この空気」
その声は自分にしか聞こえないほど小さかったが、警戒の色は確かにその瞳に宿っていた。
(……きれいすぎて逆に落ち着かねぇ)
しかしその疑念でさえ、この場所の静謐さに溶けていくようで、言葉の続きは出なかった。
四人の視線はやがて、ドーム中央へと吸い寄せられる。
浮かぶ黄金の球体が、光の波紋を広げながら、静かにその言葉を放った。
『意思は、記憶を通して知恵となり──未来へと受け継がれる』
その詩のような声に、四人の心が同時に揺れた。
そして──想太の胸の奥に自然と浮かんだ名前。
(……ともり……?)
はるなの心にも、同じ名前がわずかに響いていた。
まだ言葉にはならない、記憶の底に眠る“輪郭”のようなもの。
──それが、未来と過去の境界線であることに。
四人はまだ気づいていなかった。
ただ、この場所が“始まりの扉”であることだけが、静かに確かに刻まれた。




