#013 「図書館前──交差の瞬間」
人工春の光が、ゆっくりと街を包みはじめていた。
久遠野の空気はどこまでも整っていて、風向きさえ“制御された優しさ”を含んでいる。
《灯のアーカイブ》──
街の中心にありながら、ほかとは違う静けさをもつ場所。
そこへ、四人は別々の道から、しかし同じように導かれるように歩いてきた。
はるなと想太、二人が外に出てきたときに先に声をかけたのは隼人だった。
「よ……よ、よう」
やけに照れたような笑みを浮かべて、手を上げる。
(おまえ誰だよ……!?)
想太はあまりにも異質な挨拶に、心の中でツッコミを入れた。
ただ、彼が“空気を読もうとした”ことだけは珍しい出来事だった。
「おまえら……急になんなんだよ……今日の隼人どうした?誰かにアップデートされたか?」
想太が目を細めてツッコミを入れた。
本来なら自分も“あちら側”の人間のはずなのに、この瞬間ばかりはどこか客観的な観察者になっていた。
その空気を破ったのは美弥だった。
「そ、そうた君の……クラスメイトで、久遠美弥と申しますっ!」
びしっ、とした姿勢で、勢いよく名乗る。
(いや、丁寧すぎるだろ……面接か?)
ここでも想太は口に出さず、手の甲でツッコミを入れるがごとくツッコミを入れる。
逆に美弥は大テンパり中だ。
(……え? わたし……なんで“はるな”さんに自己紹介してるの……?)
脳内に鳴り響く、ギャアギャアギャアギャアというカラスの大合唱。
普段の冷静さなど微塵もない。理性という文字は辞書から削除された。
いや、そうじゃない。違わない。わたしの目的ははるなさんだった。
「そうた君の知り合いです」なんて、ただの通行証だったのに。
(やだ……顔、見られてる……しかも、きれいすぎる……)
もはや自分でも何を言っているのかわからないが、とりあえず笑顔は貼り付けておく。
「……あ、どうも」
はるなが、小さく答える。その目が一瞬だけ泳いだのは気のせいではなかった。
彼女にしてみれば、完全に想定外の“距離感”である。
それを見たお付きの二人が、後方で目を見合わせていた。
何が起きているのか、まったく理解できていない。
普段の“お嬢様”はこんなテンパった声を出すことは決してない。
「よしっ、じゃあ決定〜〜!昼、行こーぜ!!」
隼人が突然空気をぶち壊した。ポンと手を叩き、全体のテンションを半ば強引に操作する。
「えっ……一緒に……!? 行きますっ!!」
乗った。即答で。満面の笑みで。明らかに“テンションのバグ”が発生している。
(反応速度0.1秒……体育会系か?)
想太が心の中でツッコミを入れ、ため息をひとつ。
「おまえら……いきなりなんだよ。」
はるなが、少しだけ目を細める。そしてぽつりと、呟いた。
「……いいよ。どうせ、午後はひまだから」
彼女の声は、陽射しの中に溶けて消えた。
けれど、微かに笑っていた耳は──誰よりも“楽しみにしている”ように見えた。
《灯のアーカイブ》の前を離れ、四人はゆるやかに歩き出した。
季節は春。だが、この街にあるのは制御された“快適な春”だ。
道路脇の樹木はすべて均整が取れていて、花の開花タイミングもぴたりと合っている。
街路樹の葉が散るタイミングまでが調整されていると聞いたとき、想太は思わず笑ってしまった。
「なんかさ……きれいすぎるっていうか、整いすぎてるっていうか……」
そう呟いた彼に、誰も返事をしなかった。
代わりに、足音とホログラム交差点の注意音声だけが、穏やかに流れていた。
ピン、と高音が鳴る。
「横断歩道を生成します。歩行者優先。ご通行ください」
足元にホログラムの道が展開されると、それに合わせて車が静かに停止する。
まるで人の流れを“導く”ように、街が自動で順応している。
「……やっぱ、こえーわこの街」
隼人がポケットに手を突っ込んだまま、ぽつりとこぼした。
「俺の地元じゃ、信号が点いててもバイク突っ込んできたけどな」
「いや、おまえの地元より安全だろ絶対」
想太が冷静に突っ込みを入れる。そのやりとりに、ほんの少し空気が緩んだ。
「ね、ねえ、はるなさん……!」
少し前を歩く女子二人のあいだで、美弥が突然声を弾ませる。
彼女は、というより──彼女のテンションだけが、今にも浮かび上がりそうだった。
「お昼……何が好き? 和食派?それともパンとかパスタとか……!」
(わたし何言ってんの!?急に距離詰めすぎじゃない!?)
脳内では再びカラスが「ギャアギャアギャアギャア」鳴いていた。
はるなは、ちらりと美弥を見て──一瞬、目をそらした。
それは、拒絶でも戸惑いでもなく、ただどう反応すればいいかわからないときの癖のようなもの。
「……別に、なんでも。お腹空いてるわけじゃないし」
「そ、そっか! そっかそっか、えへへ、じゃあ軽く何かね!」
その様子を、はるなは横目でちらりと見て──ほんの少しだけ、口元を緩めた。
気づいた者はいなかったが、彼女の歩幅がほんの半歩だけ、美弥に寄っていた。
その後ろでは、お付きの二人が完全に固まっていた。
何が起きているのか、全く理解できない。
普段の「久遠のお嬢様」からは考えられない、異常な接近戦。
だが、誰よりも楽しそうなのも、また彼女だった。
昼どきのコアシティは、さすがに活気づいていた。
駅からつながるプロムナードには、制服姿の学生やスーツ姿の会社員、それにベビーカーを押す家族連れまで、多種多様な人々が行き交っていた。
人が多い──けれど、そのざわめきの中に“生”があまり感じられない。
みんな整った歩幅で、整った感情で、整った場所へ向かっている。
まるで全員が同じシナリオを手渡され、それをなぞって生きているようだった。
「……俺、あんな“お嬢様”初めて見たよ」
後方で、お付きの男がこっそり呟く。
「しかも……嬉しそうに笑ってたよな」
「誰だよあの黒髪の子。アイドルか?」
「黙れバカ、声がでかい」
ふたりは顔を見合わせて、苦笑いを交わす。
久遠美弥が“人間らしく笑っている”ことは、それだけで事件だった。
前方、交差点の中央エリアにさしかかると、目の前の空間に淡く輝くホログラムが広がった。
ピン、と静かな起動音。
「ようこそ――久遠野市コアシティ・カルチャーゾーンへ」
「現在時刻、12時04分。市の中心区域は混雑しています。通行・滞在には十分ご注意ください」
ふわりと拡がる女性型ホログラムの影が、ひとりずつ視線を交わすように顔を向けていく。
それは歓迎のように見えながらも、明らかに監視の意図を含んでいた。
「……今、“こっち見てる感”やばいな」
隼人がつぶやき、軽く首をすくめた。
「無害アピール。笑顔だ、笑顔」
想太が冗談交じりに返す。だが実際に、それは正しい対処法でもあった。
通過後、建物の影に入ったとき、はるなが、ふと足を止めた。
彼女の視線の先には、大型モニターが設置されていた。
映っているのは、人工的に生成された自然風景の映像。
風の音、木々のざわめき、川のせせらぎ……すべてがAIによる演出だ。
そのとき。
「ふふっ……」
どこからともなく、誰にも聞こえないはずの“声”が、はるなの耳元に届いた。
彼女は、ごく自然にその言葉へ反応する。
「……うん。わかってる」
その表情は、少しだけ、微笑みに近づいていた。
想太が、一歩だけ近づいて尋ねた。
「え、どうかした?」
はるなは、ゆっくりと彼を見て、そして、また前を向いた。
「うん。別に。……きっと、気のせいだから」
声のトーンは変わらずに、けれど、どこか“なにかを隠している”ようにも聞こえた。
だが想太は、それ以上何も言わなかった。それでいい。いまは、まだ。
数分歩くと、コアシティの中心部にあるフードゾーンが見えてきた。
未来的なビル群のあいだに、自然と融合するように設けられた屋外カフェテラス。
AIオーダー制の各種フードブースが並び、中央には木漏れ日の降り注ぐテーブル席。
「ここ、空いてるな。……ちょうどいいかも」
想太が視線を走らせ、中央付近の四人席を見つける。
それぞれに昼食を手に取り、自然とそのテーブルに向かった。
トレイを置いて、誰よりも先に口を開いたのは──やはり美弥だった。
「はるなさん、隣……いいですよねっ?えへへっ」
顔は真っ赤。語尾はもはや壊れていた。
(こっちの距離詰め速度もバグってる……)
想太はまたもや心の中でツッコんだ。今日はいつもにも増して脳内ツッコミが多い。
その異常なテンションに、隣にいた隼人が苦笑する。
「おーいお嬢さん、落ち着いて食えそうか?」
「う、うるさいですっ!……ぜ、全然大丈夫ですからっ!!」
はるなはと言えば、若干引きつった笑みを浮かべながらも、
「……どうぞ」
と、静かに隣の席を空けた。その声に、ほんのわずか──微笑の成分が混じっていた。
「ふたりとも、いい雰囲気だなぁ」
想太がぼそっと呟く。聞こえたのか聞こえてないのか、美弥は嬉しそうに席についた。
四人で食卓を囲むのは、これが初めてだった。
カフェテラスには、さわやかなBGMと控えめな人のざわめき。
それは久遠野の人工的な“快適さ”に満ちた空間であり、どこか懐かしいような安心感があった。
「ねぇ、午後ってみんなどうするの?」
美弥がはるなに問いかける。
その声に自然に応じるように、それぞれが「午後のこと」を考えはじめる。
まだ、何も決まっていない。でも、不思議とそれが“悪くない”ように思えた。
そしてこの昼食が、この四人の“最初の記憶”として──確かに刻まれていった。
ただ想太だけが一人最後までツッコミを入れていた。
(……なんだこのメンバー。大丈夫か今日)




