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#010 「美弥の午前と偶然の視線」

 静寂の朝。

 久遠野台の高台に広がる屋敷街。

 その中でもひときわ広大な敷地を誇る一軒家が、久遠家の邸宅だった。


 京町家風の意匠(いしょう)を現代的に再構成したその家は、外観だけでなく、

 漂う空気にさえ“格式”があった。


 美弥は、いつものように自室で目を覚まし、自分の手で静かに身支度を整える。


  (今日も、まるで“舞台”みたいね)


 朝食はダイニングで。

 AIシェフが用意した和洋折衷の献立を、黙って口へ運ぶ。


 「甘やかされて育った」と思われがちな生活。

 けれど美弥は、必要なことは自分でこなしてきた。

 それは“久遠家の矜持(きょうじ)”ではなく、美弥自身の哲学だった。


 食後、控えていた“お付きの人”が静かに現れる。

 幼い頃からそばにいる存在で、外ではほとんど言葉を交わさない。

 だが、その目の奥には確かな忠誠と温もりが宿っていた。


 今日は、美弥にとって重要な予定があった。


 久遠野市行政局(K.G.A.)。

 都庁にも似た無機質な外観だが、AIホログラムが建物全体を包む。

 表情が刻々と変わる“生きた構造”だった。


 空中に浮かぶスローガンが、未来都市の顔として輝く。


 受付で名前を告げると、すぐ応接室へ案内された。

 若い官僚が丁寧に迎え入れ、言葉を並べる。


「久遠家のご令嬢が来られるとは、光栄です」

「何なりと私にご指示ください」

「よろしければ、一度お食事など……」


  (……また、この手の人)


 美弥はにこやかに微笑んだ。

 この街では、この“距離感”がもはや日常だった。


 ここで、官僚がさらに踏み込んだ。


「ご家族からのご意見も、ぜひ伺いたく……」

「久遠家の判断は、この市にとって大きな指針となりますから」


  (……やっぱり“私”じゃない。聞きたいのは“久遠家の影響力”ね)


 美弥は表情を崩さず、丁寧に返す。


「私の立場では、お伝えできることに限りがありますわ。ですが、久遠家としてこの街を大切に思っているのは事実です。それだけ伝われば充分でしょう?」


 官僚は一瞬だけ固まったが、すぐに笑顔を作った。


「……恐れ入ります。的確なお言葉です」


 外へ出ると、美弥は小さく息をつく。


  (ふう……息が詰まるわね。いつも通りだけれど)


 次に訪れたのはAI倫理評議会(E.A.I.C.)。

 透明建材で構成された建物が、朝光を受けて静かに輝く。


 誠実そうな評議会長が迎え、柔らかく言う。


「本来はこちらからご挨拶に伺うべきところを……」

「久遠家のような格式あるご一族にお力添えいただければ、これ以上の喜びはございません」


 声は穏やかだ。

 けれど、その言葉はやはり “美弥” ではなく “久遠家” を向いていた。


  (……わかってる。わかってるけれど……少しだけ疲れるわ)


 応接を終えると、美弥は街へ出た。

 お付きの人は数歩後ろを歩き、静かに背を守る。


 久遠野市中心部。

 AIスピーカーが断続的に音を発し、可視ホログラムの横断歩道が、人々の動きに合わせて生まれては消える。

 自動運転車がそれに従って静かに停止し、技術と人の歩みが滑らかに交差する都市。


 だが──


  (……こんなに、騒がしかったかしら)


 人々は整然としているのに、どこか“心音”が抜け落ちているようだった。

 効率的で、洗練されている。でも──温度がない。


 風がほしくなった。

 美弥は足を止め、頬に触れる空気を確かめるように歩き出した。

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