第六章 思惑の先にあるもの(1)
第六章 思惑の先にあるもの(1)をお届けします。
最後まで読んで頂けますと嬉しいです。
第六章 思惑の先にあるもの
「よう! 真面目に働いてるなあ、坊主」
いきなり背後から思い切り背中を叩かれ、カナンはもう少しで両手いっぱいに抱えたヨモギの束を地面にぶちまけるところだった。
相変わらず人懐こい………というか、人をくったような笑みを満面に浮かべているスヴェアを、カナンは非難がましい目で見上げた。
手加減という言葉を知らないのだろうか、この人は?
「ヨモギの仕分けを手伝ってくれって言ったのは、スヴェアさんでしょう?」
それから、カナンはふと眉をひそめて、
「あれ? さっき、あなたに呼ばれたって言って、ソーンさんが領主館の方へ行きましたけど?」
スヴェアはカナンが示した方角を振り返った。
「そうか。行き違いになっちまったな。まあいいか」
「まあいいかって………」
呆れ顔のカナンには全く頓着せず、スヴェアは顎をしゃくってヨモギの束を示した。
「仕分け作業の方はどうだ? まだ終わりそうにないか?」
「いえ、あと少しです。でも、その後、これを乾燥させて粉にしなくちゃいけないんでしょう? プレストウィック国でスヴェアさんが使ったみたいにしないと」
スヴェアは頭を横に振った。
「いや、乾燥作業は中止になった」
「え? でも………」
「エイデンが中止させた。粉を冠鷲の顔にぶっかけるより、もっと効果的な方法があるんだと。その為には乾燥してないヨモギの方がいいらしい。よくわからんがな」
「エイデンさんが………?」
スヴェアは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ああ。何だか知らんが、あの男ずいぶん戦慣れしてやがる。軍の構成や階級にもやたら詳しいし、過去にどっかの国の軍にいた経験があるんじゃないか? それも下っ端の兵士なんかじゃなく、指揮官級として」
軍に所属する者には大きく分けて二種類ある。騎士と兵士だ。
騎士はいわゆる職業軍人であり、騎士団に所属している。それに対し、兵士は労役のひとつとして一定期間召集される農民だ。歩兵とも呼ばれる。
騎士は誰でもなれるというものではなく、まずは志願して騎士見習いとなり、数年の厳しい訓練を経た後、資格試験に合格しなければならない。資格試験は武術と座学、体力だけでなく、仕える主君への忠誠心も試される。なかなかの難関だ。身分に関係なく平民でも騎士になれる国もあれば、貴族しかなれない国もある。
無事に合格出来た者は剣と鎧と馬を与えられ……国によってはそれらを自ら調達しなければならない場合もある……晴れて騎士団に入団する。
騎士団はいくつかの師団から成っており、一個師団はまたいくつかの部隊に分かれている。スヴェアはその部隊の長の一人だ。
王都の水晶騎士団を始め、〈地の民〉のどの国の騎士団も大体似たような組織構成をしている。
但し、師団の数や一個師団に所属する騎士の人数は国によってかなりの差があり、ガラハイド国の騎士団の規模は〈地の民〉の国々の中ではかなり下の方に位置していた。あっという間に領都を壊滅させられたプレストウィック国と、兵力はほとんど変わらない。
正体不明すぎて謎だらけのあの黒衣の男が、今のガラハイド国にとってありがたい存在である事は間違いなかった。
「エイデンのやつ、渋々承知したわりには寝る間も惜しんで徹底的に協力しまくってやがるしな。こっちとしちゃ大助かりだが」
「…………そうですか」
カナンはそっと唇を噛んだ。
ヨモギの仕分けくらいしか出来る事のない自分と違って、エイデンは立派にここの人たちの役に立っている。
「どうした? 坊主」
スヴェアが顔を覗き込んできた。
カナンは弱々しく頭を振った。
「いえ………エイデンさんは何でもよく知ってるんだなって、思って」
「んなもん人それぞれだろ。お前さんだって、薬草に関しちゃ誰にも負けない知識があるじゃねえか。………ところで、まだあいつの事を『さん』付けで呼んでるんだな。呼び捨てでいいと言われただろ?」
カナンは困ったような笑みを浮かべた。
「でも、目上の人だし、じいちゃんの友達だし、それに………会ったばかりだし」
「まだそこまで信用出来ないってか?」
カナンは、まるでエイデンがその場にいるかのように慌てて否定した。
「いえ……! そんな事はありません! 違います」
スヴェアは肩をすくめた。
「ま、確かに、初対面でいきなりタメ口きけっていうのも無茶な話だがな」
しょっぱなから呼び捨てにしている自分の事は棚に上げて言う。
「だが、あいつ、そうして欲しそうな口ぶりだったぞ」
「それは………そうなんですけど………」
カナンにはどうしても理解出来ないのだ。何故、あの黒衣の男が自分の為にあそこまでしてくれるのかを。
古い友人に頼まれたという理由だけで、全く見ず知らずの自分を律儀に何ヶ月も探し回り、そして、見つけ出した後は全力で護ってくれた。プレストウィック国の役人たちを容赦なく叩きのめし、襲い来る〈天の民〉の槍騎兵を冷酷に屠り。
夥しい冠鷲の返り血を浴びて立っていた、恐ろしくも美しいあの姿。
黄金の額飾りに飛び散った猛禽の血飛沫がまるで紅玉のようだった。
「…………あれ?」
カナンはふとある事に気づいた。
エイデンに呼び捨てでいいと言われた時、部屋の中には自分とエイデンの二人だけしかいなかったのではなかったか?
そうだ。スヴェアがノックもなしに入って来たのはあの後だ。
カナンはスヴェアの顔をまじまじと見た。
「もしかして………あの時、僕たちの話を盗み聞きしてたんですか?」
「盗み聞きなんて人聞きの悪い。扉の前に立ってただけだ」
「どっちも一緒じゃないですか!」
噛みつくカナンに、スヴェアは全く悪びれた様子もなくへらへらと笑った。
「悪い悪い。好奇心が勝っちまって、つい、な。もうしないって」
「ほんとですか?」
「多分」
「多分?」
カナンはスヴェアをねめつけた。
「油断のならない人ですね、あなたは」
「褒め言葉と受け取っておこう」
スヴェアは軽口めいた口調で続けた。
「褒められついでにもうひとつ。………お前さん、もしかして〈天の民〉の言葉がわかるんじゃないか?」
「!!」
カナンは愕然と彼の顔を見た。
「………どうして………」
スヴェアはにやっと笑った。
「やっぱ図星か」
カナンは彼を睨みつけた。
「カマをかけたんですか?」
「修業が足りんなあ、坊主。素直なのは結構だが、すぐ顔に出るのは考えモンだぞ。クレメンツ公と話していた時、ちょっと妙だと思ったんだよ。おかしな言い回しをしていたからな。お前さんもエイデンみたく〈獣使い〉の一族に知り合いでもいるのか?」
カナンは諦めたように溜め息をついた。
「いいえ。じいちゃんに教わったんです。いつか役に立つからって。とてもそうは思えなかったけど。だって、村の誰も使わないような言葉なんか覚えて、一体どうなるっていうんです? プレストウィック国で直に聞くまで、僕はあれが〈天の民〉の言葉だって事も知らなかったんですよ?」
いつも祖父との口論の原因だった。
薬草に関する膨大な知識だけで頭の中はいっぱいいっぱいなのに、そのうえ訳のわからない言葉まで覚えろなどと。
「だが、ちゃんと役に立ったじゃないか。どんな知識が後で役立つかなんざ、その時になってみなけりゃわからねえよ。予言者じゃあるまいし。前もってわかっていたら、誰も苦労しないって」
スヴェアは考え深げに曲げた指で顎先を撫でた。
「しかし、七賢者ってのを脇に置いても、お前さんのじいさんは大した人物だよ。会ってみたかったな。俺なんざめちゃくちゃ説教されそうだが」
カナンは笑った。
すぐに笑みを打ち消し、
「気づいていたのなら、どうしてあの時その場で言わなかったんですか?」
スヴェアは真顔でカナンを見た。
「それじゃ聞くが、お前さんは何故言わなかったんだ?」
「それは………」
カナンは足元に視線を彷徨わせた。
「………言わない方がいいような気がして」
「正しい判断だ。おそらく、エイデンもそう思ったんだろうぜ」
カナンは顔を上げた。
「エイデンさんが?」
「あいつも気づいてるよ、お前さんが〈天の民〉の言葉がわかるとね。だが言わなかった。言えば、お前さんに対する評価が変わるからだ。いつ出て行ってもいいとクレメンツ公は仰ったが、他の上の連中も無条件に公に賛同しているわけじゃない。特に、宰相殿は切れ者でね。切れ者って事は、ガラハイド国の利益になると判断すれば、多少強引だろうが手段は選ばないという事だ。きれい事だけじゃ政治はやれんからな」
カナンは表情を固くした。
「…………もしかして、僕は今、すごく難しい立場なんですか?」
スヴェアはカナンの髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「大丈夫。俺は誰にも言うつもりはない。戦の準備だけでも大忙しなのに、これ以上よけいな厄介事はごめんだ」
「言わなくていいんですか? この国の騎士なのに」
「言って欲しいのか?」
「いいえ……!」
この人は、どうしてこう他人を煙に巻くような物言いをするのだろう? 本気か冗談か全然わからない。
ある意味、エイデン以上によくわからない人だ。
カナンは、服の布地越しにアリアンテに触れた。
「僕は………どうしたらいいんですか?」
「出て行きたいと思った時に出て行けばいいさ。クレメンツ公が約束なさったように」
「でも………」
可能なのだろうか?
さっきスヴェア自身が言ったではないか。クレメンツがいいと言っても、他の者が……特に宰相が阻むかもしれないと。
「だから大丈夫だって。お前さんにはエイデンがついているだろうが。あの男は、一度口にした事は死んでも貫き通す奴だ。融通がきかないとも言うがね。もし、宰相殿や……まずありえないだろうが……クレメンツ公がお前さんをガラハイド国から出すまいとしても、あいつが阻む。絶対にな。言ってたろう? 『立ちはだかる障害は排除する』と」
あれは比喩でも何でもない。
エイデンは実行する。
一片の迷いもなく。
表情ひとつ動かさず、冷酷に。
あの黒い剣で死を降り注ぐ。
スヴェアは肩をすくめた。
「ま、そんな事態にはならない事を祈るぜ。俺は一応ガラハイド国の騎士だからな、上に命じられれば、お前さんたちの敵に回らなきゃならなくなる。そんなのは願い下げだ。認めるのは癪だが、今の俺じゃあエイデンには敵わないからな。それに、俺はけっこうお前さんを気に入っているんでね」
遠くからスヴェアを呼ぶ声が聞こえた。ソーンだ。明らかに恨みがましい響きが混じっている。
「サザー部隊長! 探したんですよ! あなたが呼んでいると聞いたから自分は………」
スヴェアは頭の後ろに手をやった。
「もう見つかったか。もう少し時間を稼げると思ったんだがな。あいつ、だんだんアルコに似てきやがる。まるで小姑二号だ」
笑みを含んだスヴェアの呟きに、カナンははっとして彼を見上げた。
ひょっとして………自分と二人きりで話す為に、わざとソーンを遠ざけたのか?
スヴェアは片手をひらひらと揺らした。
「じゃあな、カナン。マジでヤバくなったらさっさと逃げるんだぞ。出来れば、エイデンの所在は常に把握しておけよ」
「スヴェアさん……!!」
反射的にカナンはスヴェアを呼び止めていた。
スヴェアは振り返った。
「何だ?」
「あの………死なないで下さいね」
スヴェアは声を上げて笑った。
「ありがとよ。出来れば可愛い坊やからじゃなく、絶世の美女に言われたかったぜ」
文句を言うソーンを適当にあしらいながら去っていくスヴェアを見送ったカナンは、その時初めて気付いた。
彼が、初めてカナンを名前で呼んだ事を。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。
アニガン卿と同じくらい、スヴェアも書いていて楽しいキャラです。結構好き勝手やってるので部下のアルコやソーンと違ってストレスなさそうですが、部隊長というのは中間管理職みたいな階級なのでそれなりに苦労しているんですよ(笑)
もし、よろしければ、感想などお聞かせ頂けますと嬉しいです。
ではまた。