第五章 男装の麗人(2)
第五章 男装の麗人(2)をお届けします。
最後まで読んで下さいますと幸いです。
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「彼が例の『鍵』とやらですか?」
ガラハイド国騎士団長ジルダス=エイモス=ハイン卿は、領主館の窓から若い騎士と並んで中庭を歩いている少年を見下ろしてそう言った。
代々ガラハイド国領主に仕える騎士の名家の家系であり、先々代領主の妹の夫でもある准貴族ジルダスは、とても老人とは思えぬ頑健な体躯の人物だった。髪は真っ白で顔には幾筋も深い皺が刻まれているが、それ以外に彼の年令を窺わせるものはない。背筋は真っ直ぐで、長年剣を握ってきた両手は大きく力強く、両眼は夜空を走る稲妻のごとく鋭い。声も轟く雷鳴のよう。きびきびと大股で歩くので、彼の副官はいつも早足でついて行かねばならず、同僚に「小走り副官」などとあだ名されていた。
軍のトップであると同時に現領主の大叔父という身分と、冷静かつ公平な人柄のおかげで、ガラハイド国の執政において強い影響力を持っている。クレメンツも頼りにしている人物である。
ジルダスは、手元の書類を熱心に見入っている部屋の主を振り返ると、いかにも疑わしげな口調で続けた。
「本当にあの者で間違いないのですか? まだほんの子供ではありませぬか」
「十五才だそうです。騎士見習いにはなれる年ですわ。確か、大叔父上が見習いになったのもそれくらいの年令だったのでは?」
「十五才?」
ジルダスはもう一度窓の外を見やった。
「ずいぶんと小柄な十五才ですな」
ガラハイド国公女にして宰相グラディア=デュール=ガラハイドは、そこで初めて書類から目を離すと、苦笑いを浮かべた。
「大叔父上に比べれば、どの十五才も小柄ですわ。それに、彼は七賢者ワクトー=ベルーの孫だそうです。普通の子供とは異なります」
長い歴史を誇るガラハイド国において、初めて女の身で宰相の座に就いたグラディアは、また別の意味でも異彩を放つ人物だった。
男装しているのだ。
裾の長いドレスの代わりに首元まできっちりボタンを留めた上着とズボンを着て、薄絹のベールの代わりに房飾りのついた幅の広い帯をしめ、扇子の代わりに長剣を佩びている。
夜の滝のように艶やかに輝く見事な黒髪は後ろで束ねているだけで、髪飾りはおろか櫛すら差していない。やや頬骨の高いきりりとした顔立ちと、落ち着いた思慮深いこげ茶色の瞳。すらりと背が高く、凛とした近寄りがたい印象で、そこいらの貴族よりもよほど貴公子然としている。
先代領主である父の死後、軍を掌握し人望も厚いジルダスを味方につけ、唯一の公子とはいえ身分卑しい侍女の子であった十一才年下の弟クレメンツが領主の座に就けるよう尽力した。
今は宰相として弟を助け、家臣たちに睨みを効かせている。
「ほう………あの七賢者の末裔ですか」
ジルダスは低く呟くように言った。
「なるほど。そうでしたか。されど、子供である事には違いありますまい。宰相殿は、本気であのような子供が我が国の命運を握る『鍵』だと信じておられるのですか?」
グラディアは溜め息をついた。同じ質問を、今まで何人の家臣から向けられたことか。
「マリエルの予言は外れた事がありません。セヒア村の時もわたくしたちは信じなかった。クレメンツ公が信じなければどうなっていたことか。わたくしは同じ過ちを繰り返したくはありません。彼女がそう言うのであれば、きっと間違いないのでしょう」
言葉とは裏腹にあまり信じてはいないような口振りだなとジルダスは思ったが、口には出さなかった。
「貴女の事だ、むろん監視はつけているのでしょうな?」
「もちろんです。あの少年がガラハイド国にいる事に意味があるとマリエルが申している以上、途中で逃げ出されては困ります。士気にかかわりますわ。領民の間にも、彼女の予言は知れ渡ってしまっているのですから」
「ですが、クレメンツ公はいつ出て行っても良いと、あの少年に約束したとか」
「あの子は……っ」
つい昔からの呼び方が口から飛び出してしまい、グラディアは軽く咳払いして言い直した。
「………公はそういう方です。だからこそ領民に慕われている。公の誠実さは美徳です」
ジルダスは浅く苦い吐息を漏らした。
「それは否定致しませぬが………そればかりでは領主は務まらぬ事は、貴女もよくご存知のはず」
騎士の長たるこの老臣には、クレメンツは優しすぎると映るのだ。
グラディアは少し苛立ったように言った。
「その為に宰相たるわたくしがいるのです。結果的に公と我が国の為になるのであれば、わたくしは宰相として最善を尽くします。今、カナン=カナカレデスに逃げ出されるわけにはいかないのです」
「もし、あの少年を足止めなどすれば、クレメンツ公はさぞやお怒りになるでしょうな」
「もとより覚悟の上です」
ジルダスは苦笑した。
衣装ばかりでなく、気性までも勇ましい御方だ。
再び中庭に視線をやったジルダスは、カナンたちと話している若い貴族の姿を見て片眉を引き上げた。
「あれはアニガン卿ではありませぬか?」
ジルダスの視線を辿ったグラディアは、何とも形容し難い複雑な表情をした。
「ええ。そのようです」
「まだガラハイド国にいらしたとは。とうに故国へお帰りになられたとばかり思っておりました」
「そうなさるよう再三申し上げたのですが、お聞きにならないのです」
心底うんざりした様子のグラディアに、ジルダスは笑った。
「熱心な御方だ。他の求婚者たちは皆、貴女の頑固さに根負けして諦めたというのに。この状況でも尚ガラハイド国に留まっているという事は、それだけ貴女に対する想いが真剣であるという証しなのではありませぬか? 貴女も、少しくらいお心を向けて差し上げてはいかがです?」
ジルダスは、部屋の中で唯一貴婦人の調度らしい、優雅な曲線と彫刻が美しいチェストの横に置かれた物を示した。
「それとも、すでにわずかながらでもお心を動かされておられるのですかな? その奇妙な……失礼……珍しい置き物も、確かアニガン卿からの贈り物だったと記憶しておりますが」
「頂いてすぐにしまい込んでは失礼なので、しばらく置いているだけです。他意はありません」
グラディアは、いかにも煩わしいと言わんばかりに不機嫌に答えた。
グラディアの母……つまり先代公妃の形見でもあるチェストの横には、グラディアの背丈ほどもある大きな壺が飾られていた。本来はチェストの上に飾るべき物なのだろうが、あまりの重量にチェストが押し潰されてしまいそうで乗せられなかったのだ。
壺は、時に宝玉よりも高価とされる「硝子」というもので造られていた。表面には帆を広げた優美な帆船やうねる波や跳ね上がる魚が彫り込まれ、窓から差し込む陽光を乱反射して幻想的な輝きを放っている。これほどの大きさの硝子細工は、例え王都でも滅多にお目にかかれないだろう。財力のあるアニガンだからこその贈り物と言える。自分がどれほど莫大な富を有しており、いかに領主の姉の夫に相応しいかをアピールしているのだ。
わかりやすいと言えばわかりやすいが、このあらゆる意味で存在感溢れる贈り物にアニガンが一体どれほどの金をかけたのか、グラディアは考えたくもなかった。
ジルダスは壺の中を透かし見るように目を細めた。
「壺の中に入っているこの水は、一体どういう代物なのですか?」
硝子壺の中は、孔雀石を溶かしたような青色とも緑色ともつかぬ不可思議な色の液体で満たされていた。
そして、その液体の中には一輪の赤い花。
花はラッパのような形をしており、花弁の中央にいくほど赤い色は濃い。赤と言っても色鮮やかな赤ではなく、どちらかと言えば毒々しい暗い深紅だ。目は引くが、あまり美しいとは思えない。
「『海水』というそうですわ」
グラディアは椅子の背もたれにもたれかかると、興味なさげに答えた。
「王都でなければ手に入らぬ、とても珍しい水だとか。中の赤い花も。どちらも〈海の民〉ゆかりの物だそうです」
「ほう。それはそれは」
はるか昔に滅びてしまった〈海の民〉の世界〈海の九王国〉ゆかりの物は、大地と大海を行き来できる唯一の門・〈銀馬門〉が閉じてしまった現在では、なかなか手に入らない稀少品として貴族や裕福な商人たちの間で人気が高かった。金銀宝玉に劣らぬ価値があり、持っている事が一種のステータスになっている。
だが、そのような見栄などどうでも良いグラディアにとっては、単に鬱陶しいだけの迷惑千万な厄介物でしかなかった。
「このような贈り物、頂いても困るだけです。迂闊に処分も出来ぬうえに場所ばかり取ってしまって」
「貴女のお心を射止める為、あらゆる努力を惜しまぬのでしょう。准貴族とはいえ、アニガン卿は伝統あるアニガン家の正当な跡継ぎ。トリーシャ国は気候も良く、森と湖の多い豊かで風光明媚な国と聞いております。いささか遠方すぎるやしれませぬが、それは大した事ではありますまい。彼の家柄も財力も、そして人柄や容姿も、貴女の夫として申し分ないと思いますが?」
「大叔父上………」
グラディアは溜め息をついた。
彼女にとってクレメンツの次に近しい身内でもあるこの大叔父は、何かと「その方面」の話にもっていきたがる。
心配してくれるのはありがたいのだが。
「今はそのような瑣末事に時間を割いている余裕はありません」
「ご自身のご結婚を瑣末事とは。実に貴女らしい。しかし、確かに今はそうやもしれませぬが、この戦が終わったあかつきには、どうか真剣にご結婚についてお考え下さい。臣下としても大叔父としても気が気ではございませぬ」
「何度も申しているように、クレメンツ公のご成婚の方が先です」
ジルダスはふと口調を改めた。
「…………クレメンツ公は、マリエル=サンデバルトを公妃にとお望みとか」
グラディアはジルダスに鋭い視線を投げた。
「大叔父上………その話は………」
ジルダスは腕を組んだ。
「私が言わずとも、公のご意向は誰もが知っております。領民の間では賛成する者も多いとか。宰相殿はどう思われておられるのですか?」
どう思うかと尋ねながら、ジルダスの口調には、グラディアが否定的な答えをするであろうという確信……期待が見え隠れしていた。
グラディアは内心で舌打ちした。
もし、マリエルを公妃に据えれば、クレメンツに対する領民の支持は絶大なものとなるだろう。彼ほど領民に慕われている領主が〈地の民〉にいるだろうか?
それに、予言者が公妃であれば、政治的・外交的にも利益は大きい。
だが………
問題は、マリエル=サンデバルトがふたつ名を持たぬ事………貴族の出ではないという事だった。ジルダスを含め家臣たちは、どうしてもクレメンツの生母の身分が気になって仕方がないのだ。貴族の血が半分しか流れていないクレメンツの公妃は、例えばグラディアの母のように特に高貴な血筋の姫でなければならぬと、家臣たちは意固地なまでにそう主張する。
「彼女自身は何と言っておるのですか? クレメンツ公の公妃についての予言は何も?」
「わたくしは聞いておりません」
ジルダスは唸った。
「何もないというのはちと厄介ですな。いっその事、何か予言してくれれば良いのですが。確か、予言者は自らについては予言する事が出来ぬとか」
「ええ。その通りです」
つまり、マリエルがクレメンツの公妃について何ら啓示を受けぬのは、彼女自身がその座に就くからなのではないか?
家臣領民の間ではすでにそんな噂が流れていた。
当然、クレメンツもその可能性に気づいているはずだ。
「お決めになるのは公です」
「左様ですか」
ジルダスは不満そうに唇を引き結んだ。
それから、彼は窓の外の空を流れ行く雲を眺めやると独り言のように続けた。
「……………私は、もし貴女が公子であったならと、そう思わずにはいられませぬ。貴女ならば、さぞや偉大な領主となられたでありましょうに。『公女に世継ぎの資格なし』とするこの国の法が、私は残念でならない。亡くなる前に、先代はかの国法を変えておくべきであったのです。実際、クレメンツ公がお生まれになるまでは、先代は真剣にその事を考えておられた。私も………」
ダンッ!! と、グラディアは自らの手を執務机に叩きつけた。
百戦錬磨の老騎士ジルダスですら思わず怯むほどの激しさだった。
グラディアは、氷の下で逆巻く火焔のごとき目でジルダスを睨みつけた。
「それ以上は口になさらぬように。でなければクレメンツ公に対する不敬とみなします。………よろしいですね? ハイン卿」
「!」
ジルダスははっと我に返ったように息を飲んだ。
「………詮ない事を申しました。お許しを」
グラディアはぐいと顎を引いた。
「結構」
そのまま、再び手元の書類に視線を戻す。
もはや話す事など何ひとつないとでもいうふうに。
ジルダスは、喉に貼りついた声を無理やり引き剥がすように言った。
「…………それでは………私は戦の準備がありますゆえ、これにて失礼致します」
ジルダスは表情を固くしたまま、折り目正しく一礼して部屋を出て行った。
一人残ったグラディアは、苦々しげに頭を何度も振った。
公明正大で知られるジルダスでさえ、ついついクレメンツに対する不満を口にしてしまう。むろん、彼は他人の目や耳がある場所では決してそのような不謹慎な台詞を吐いたりはしないが、軍のトップたる騎士団長の胸中を敏感に察知している者は少なくない。
グラディアとて、むろん一人の女として結婚を考えないわけではなかった。だが、自分が他国・他家へ嫁いでいった後、一人残されるクレメンツの事を思うと、どうしても躊躇ってしまう。今はグラディアの手前、一応はクレメンツを支持しているジルダスも、いつ態度を変えぬとも限らないのだ。
ましてや他の家臣たちは………
嫁いでしまっては、弟を助けてやる事もままならなくなってしまう。
だが、数多の求婚者たちを追い返し、宰相として辣腕をふるう彼女に、家臣たちは密かに期待してしまうのだ。いつか、国法を変えてでもグラディアを領主に、と。
当の本人は、そんなつもりで宰相という地位に留まっているわけではないというのに。
グラディアのジレンマは大きい。
「………全く。煩わしい問題が多すぎる」
執務机に置いたティーカップに手を伸ばしたグラディアは、口元まで運んでからそれがとっくに空であった事を思い出し、忌々しげにソーサーに戻した。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
サブタイ詐欺ではなくなってほっとしています(笑)
次回も読んで頂けますと嬉しいです。
また、よろしければご感想などお聞かせ下さい。
ではまた。