第四章 アリアンテを持つ者
第四章 アリアンテを持つ者をお届けします。
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第四章 アリアンテを持つ者
開戦から九ヶ月。
〈獣使い〉の一族に進軍を阻まれ、膠着したままの戦況に業を煮やした翼の王シファ=カンタベリスは、新たな戦略を打ち出した。〈獣使い〉の一族の勢力圏を大きく迂回し、ギズサ山脈を越えて、彼らを挟撃するという作戦である。
実は、この作戦案は、先の大戦の時のように〈獣使い〉の一族の徹底抗戦を予想した一部の将軍らによって、開戦前の軍議で提案されたものだった。苦戦を強いられるとわかりきっている相手とわざわざ真正面からぶつかる必要などない。いらぬ犠牲は出さぬにこした事はないのだから。
だが、大地の数ある山脈の中でも最も標高が高く、雲の上を飛べる渡り鳥ですら避けるほど天を貫きそびえ立つ天然の要害ギズサ山脈を越えるのは不可能として、この案は却下された。
ところが、遠い昔に〈黄金の鷺〉を追放された祖先の恨みつらみを未だに執念深く抱き続ける「堕ちた者」共の猛攻は、想像を絶した。傭兵稼業を生業としている戦のプロ集団と、七十年前に一度実戦経験があるきりの軍隊では無理からぬ事ではあったが。
そこで、亡き父グロフト王と同じ轍を踏む愚を忌み嫌ったシファによって、一度は却下されたこの作戦案が再び陽の目を見る事となったのである。
白羽の矢が立ったのは、この作戦の提案者の一人であり、先の大戦にも従軍した経験があるキシュベル=グエヒン将軍だった。彼が率いる槍騎兵部隊は機動性に優れ、軍でも一、二を争う精鋭である。
そして、彼らの動く拠点となる空中砦を制御する為に、ハランにしてキシュベルの妻でもあるアンヤ=グエヒンが戦列に加わった。
*
『………脆いな。脆すぎる』
上空に停止した空中砦から煙と炎が立ちのぼるプレストウィック国の領都を見下ろし、キシュベル=グエヒンはそう呟いた。
短く刈り込んだ暗い色の金髪に、常に周囲を睥睨しているかのような鋭い両眼。筋骨隆々とした逞しい体躯は軍人そのものだ。風に揺らめくしなやかな柳の枝のようにほっそりとした体躯の者が多い〈天の民〉の中にあって、彼の偉丈夫さは異端と言える。まるで軍人になる為に生まれて来たような男だ。天の水晶で造られた優美な鎧も、彼が身に着けると鋼鉄のそれに見えてしまう。
彼の後方に控えていた副官のベルギット=カトラが頷いた。
『まことに。こうも脆弱すぎる相手では、兵の訓練にすらなりませぬ。念の為にと用意した叫び鳥も、このままでは全く出番がありません』
キシュベルは喉の奥で笑った。
『槍騎兵たちは喜んでいよう。連中は冠鷲の方が好みだからな。叫び鳥はおとなしすぎて物足りぬといつもぼやいておる』
『はあ………』
ベルギットは複雑な表情をした。
うっかり給餌を失念してしまった鳥舎係を代わりに食ってしまうところだった獰猛な猛禽が好みとは。
実に粗暴………いや、勇猛な槍騎兵部隊らしい。
キシュベルたちがいる司令室は、空中砦の最上階に位置していた。壁面にも床にも細かい幾何学模様が刻まれ、黄金色に煌めく様は、戦の為だけに造られた砦だという事を忘れさせるほどに壮麗で美しい。巨木を模した重厚な柱が支えるドーム型の天井には、〈天の民〉と彼らが住まう空中都市の象徴である両翼を広げた鷺の姿が彫刻されており、羽毛のひとつひとつまで精巧に表現されたその優美な姿は今にも動き出しそうだ。キシュベルたちが進むべき方向を指し示すかのように、長い嘴を真っすぐ前方に向けている。
緩いカーブを描く横長の広い窓には極限まで薄く削った天の水晶がはめ込まれており、外界の空気を完璧に遮断していた。天の水晶で出来た〈黄金の鷺〉で生まれ育った彼ら〈天の民〉を、大地に渦巻く穢れから守る為だ。窓の表面はうっすらと淡い金色を帯びてはいるが、視界を妨げるほどではない。
同じ理由で、彼らの鎧もまた天の水晶で造られていた。頭のてっぺんから爪先まで可能な限り水晶で覆い、なるべく穢れに身を晒さないようにしているのだ。天の水晶で造られた鎧は〈地の民〉の鉄の鎧よりもはるかに軽く、機動性に優れ、そして硬い。重くて不格好な鉄の鎧を着て、太りすぎた猪のように突進してくる〈地の民〉の事を、〈天の民〉の軍人たちは「鉄人形」と呼んで蔑んでいる。
『こんな事ならば、最初から将軍の作戦案を実行しておれば良かったのです』
上官と共に開戦前の軍議に出席していたベルギットは、憤慨したように言った。
『さすれば、本軍の兵の損失もはるかに抑えられたのではありませんか? 先の大戦を経験された将軍であればこそのご提案でありましたのに』
キシュベルは忠実な副官に笑みを向けた。
『忘れたか? 本陣である空中要塞コンシャナフォアではギズサ山脈は越えられぬ。あの忌々しい山脈の上空を行くには浮力が足りぬし、その巨大さゆえに尾根を避け谷間を抜ける事も不可能。小さなこの空中砦だからこそ出来た芸当だ。それとてかなりの日数を要した。底部が尾根に引っ掛かった時は、そなたもおろおろしていたではないか』
その時の自分のうろたえぶりを思い出し、ベルギットは赤面した。
『お恥ずかしい限りです』
キシュベルは腕を組んだ。
『まあよい。過ぎた事だ。………それにしても、〈地の民〉共のこの不甲斐なさはどうだ。これでは、まるで砂で作った城を幼児が踏み壊すようなものではないか』
話題が自分の醜態ぶりから移った事に内心ほっとしつつ、ベルギットは頷いた。
『全くです。ですが、連中に多くを求めるのは無駄というものでしょう。自らが住まう大地に穢れをまき散らすとわかっていながら、争いが絶えない。同じ〈地の民〉同士だというのに、連中は気のふれた狂犬のごとく愚かしく常にいがみ合っている。それに、このような辺境の小国など我らの前では無力そのもの。戦の備えも不十分であったのでは?』
キシュベルは痛烈な嘲笑を放った。
『備えとは、地の水晶をかき抱き、部屋の隅で無様に震えておる事か? あのような臆病者が一国の領主とはな。シファ陛下の仰られた通り、〈地の民〉共は堕落の一途を辿っておる。どこまで世界を穢せば気が済むのだ。最後の一人になるまで殺し合い、滅びたという〈海の民〉の二の舞でも演じるつもりなのか。三人の女神より始末に負えぬわ』
味方の犠牲を最小限にする為には、むろん脆弱な敵の方が良いに決まっている。一方的かつ圧倒的な勝利が。
だが、もう少し戦い甲斐のある敵が欲しいものと思ってしまうのは、代々生粋の軍人一家の出であるキシュベルとしては仕方がない。
それにしても………
キシュベルは呆れずにはいられなかった。
先の大戦の時はもっと手強い相手だった。
それが、一体この有様はどういう事だ?
七十年前、キシュベルら〈天の民〉軍をさんざん苦しめたかの聖王オニールの栄光など見る影もなく、敵兵は脆弱すぎてこれでは戦闘とすら呼べはしない。
たった七十年でこうまで落ちぶれてしまうとは。
何という為体か。
『失礼致します』
埃と煙と返り血で汚れた鎧姿の騎兵が、部下を伴い指令室に入って来た。すでに兜は脱ぎ、脇に抱えているが、獲物の喉笛を食いちぎった直後の猛獣のようにまだ全身から殺気を漂わせている。
槍騎兵部隊の隊長ガスキア=トゥヴォーンである。
上官のキシュベルとは違い、彼は典型的な〈天の民〉の体格と容姿の持ち主だった。つまり痩身で見目麗しい男だ。だが、まるで虎のごとく好戦的な男で、外見に惑わされると手痛い目に遭わされる。恐ろしいほどの高い戦闘能力を持つ優秀な軍人である。
キシュベルと同じく、ガスキアも先の大戦の従軍経験者だった。今は鎧で見えないが、彼の背中には大きな戦傷がある。長い金属の縄の先端に鎌のような鋭い刃をつけた〈獣使い〉の一族特有の武器『飛び刃』でやられた傷だ。
普通の兵ならば昏倒するほどの深い傷を負いながら、背を鮮血で真っ赤に染めたままそれでも戦い続けた彼の武勇は語り草になっている。
ちなみに、ベルギットは先の大戦後に病死したキシュベルの副官の後任で、今回が初陣だった。〈黄金の鷺〉を出たのも生まれて初めてだ。
実力主義のガスキアは、そんなベルギットを軽視しているきらいがあった。
ベルギットの方も、自分の実戦経験のなさから来る引け目からか、ガスキアに対して苦手意識を抱いているのがありありとわかる。
キシュベルの前に立ったガスキアは、カッと踵を打ち合わせて敬礼した。
『将軍、残敵の掃討は終了致しました』
キシュベルは重々しく頷いた。
『ご苦労。兵たちには食事と休息を取らせよ。砦より分離した水晶の再結晶化が終了次第、次の目標へ向かう。アンヤに急がせている』
上官の妻であり、ハランであるその名を聞いた途端、ガスキアの表情が渋く変化した。
『実はその………気になる報告を受けたのですが………』
珍しく歯切れの悪い部下に、キシュベルは眉をひそめた。
『何だ?』
ガスキアは、何と表現すれば良いのかわからないとでもいうふうに視線を泳がせた。
『その……戦闘の最中、ヨモギを浴びせられた者がおります。出陣以来、このような事は初めてですので、一応ご報告を。僭越ながら、兵にはすでに注意するよう申し渡しております』
『ヨモギか………久々にその名を聞いたな』
キシュベルは複雑な表情で呟いた。
先の大戦でも、何度あの植物に苦い思いをさせられた事か。
やはり、南下するにつれ……聖王がいる王都に近付くにつれ、敵も徐々に手強くなってくるという事なのだろう。
そうでなければつまらぬ。
『だが、敵がヨモギを使ったからとて、それほど気にする事もあるまい。予期していた事だ』
ガスキアは深く息を吸い込んだ。
『もうひとつありまして………そちらの方がより深刻なのですが………戦闘の最中、〈地の民〉の中にアリアンテを持つ者を見たとの報告が………』
『何だと!?』
真正面から雷のごとき怒号を浴びせられ、ガスキアは……側にいたベルギットも……思わず竦み上がった。
恐る恐るといった体で、ガスキアは続けた。
『持っていたのは兵ではなく、子供であったそうなのですが………』
『どういう事だ、それは!? 見間違いではないのか!?』
『見間違いではありません』
別の女の声が割り込んできた。
声の主の姿を見た瞬間、ガスキアはピクッと頬を引き攣らせた。固い表情のまま頭を下げる。
司令室にいるキシュベル以外の全員が、彼と同じように深々と一礼した。
目礼で彼らに応えたアンヤ=グエヒンは、大粒の藍玉のような瞳に怒りをたぎらせて続けた。
『私のアリアンテも反応しました。確かに存在を感じた。間違いありません。あの場にアリアンテがあったのです。私の物とは別のアリアンテが』
上から下まで鎧で完全武装したガスキアとは異なり、アンヤは裾の長い白い衣装の上に胸甲を着けているだけだった。その姿は流麗にして神々しく、まるで気高き戦女神のよう。胸には彼女の身分を示す六角形の水晶・アリアンテが光っている。結い上げた金髪が、ついさっきまで被っていた兜のせいで少し乱れていた。
キシュベルは顔をしかめた。
『アンヤ、またそのような軽装で空中砦の外に出たのか? 穢れを浴びてしまうではないか』
アンヤは指先で胸元のアリアンテに触れた。
『心配には及びません。私にはアリアンテがあります。これがあらゆる穢れから私を守ってくれますわ』
ハランの持つアリアンテは特別だ。これさえ身につけていれば、天の水晶の鎧で完全武装しているのと同じように………いや、それ以上に穢れを退ける事が出来る。
ベルギットが呻いた。
『何という事だ………では、また裏切り者のハランが現れたというのか………?』
はっと気づき、彼はキシュベルの顔を盗み見た。
『も、申し訳ございません、将軍。とんだ失言を…………』
キシュベルは、亀のように首を引っ込めて縮こまる副官に向かって凄みのある声音で言った。
『お前の懸念はわかる、ベルギット。だが、くれぐれも言葉には気を付けよ。あの愚かな大罪人エルレイ=ズヌイのせいで、アンヤたちハランがどれほどの辛酸を舐めたか』
アンヤは血が出るほど唇を噛み締めた。
『シファ陛下のお取り計らいで、やっと我らハランの名誉を回復する機会を与えられたというのに………何という事でしょう』
『嘆くな、アンヤ。アリアンテを見た者がいるというだけで、まだ裏切りがあったと確認されたわけではない』
妻を慰める上官の姿を、ガスキアがどこか冷めた目で眺めている。
ベルギットが恐る恐る尋ねた。
『将軍、〈黄金の鷺〉へはどう報告なさいますか?』
『はっきりするまで待て』
『ですが………』
反論しかけたベルギットは、火焔のごとき凄まじい目で睨みつけられ口ごもった。
『同じ事を二度も言わせるな、ベルギット。ガスキアもこの件は他言無用だ。兵たちにいらぬ動揺を与えたくない』
『………は』
『かしこまりました』
キシュベルはアンヤを振り返った。
『アンヤ、なるべく早く砦を動かせるようにしろ』
『わかりました。早急に』
キシュベルは、見る影もなく破壊され尽くしたプレストウィック国の領都に再び視線を移した。
『………もし、本当に裏切り者がいるのであれば、我らの進軍を阻止する為に必ずや再び姿を現す。その時が彼奴の最期だ。〈地の民〉共の屍の上にその首をさらしてくれる』
キシュベルは獰猛な唸り声を発した。
『第二のエルレイ=ズヌイなぞ、断じて許さん………!!』
怒りに拳を震わせる上官に敬礼し、ガスキアはその場を辞した。
司令室を出た途端、彼は付き従う部下に小声で命じた。
『将軍には内密に、〈黄金の鷺〉へ伝令を出せ。〈地の民〉の中にアリアンテを持つ者が現れた、とな』
『は? しかし………』
躊躇する部下に、
『このような重大事をシファ陛下に報告せずに済むと思うのか、お前は? 我ら軍人は常に翼の王に忠実であらねばならぬのだ』
『かしこまりました』
「忠実」という言葉に、部下ははっと我に返ったように頷いた。
ガスキアは苦々しく吐き捨てた。
『またしても………ハランめが!』
先の大戦の生き残りであるほど、彼のようにハランに対して憎悪と軽蔑を向ける者は多かった。グロフト王が……〈天の民〉にとっては……不本意な相互不可侵協定を結んで撤退したのも、エルレイの裏切りのせいだと信じている者も多い。
第一、キシュベルは「まだ」と言うが、アリアンテが目撃された以上、再び裏切り者のハランが出たという証しではないのか?
聞けば、〈石の鎖の庭〉で本軍に参戦しているハランたちも思うような戦果を上げていないという。それどころか、ただコンシャナフォアの中で天の水晶の歌に合わせて時折歌っているだけのはずなのに、シーマー共にあっさりと討たれてしまった間抜けまでいる。
一体、何をやっているのか。
新しい翼の王の温情には感服するが、所詮ハランの本来の務めは〈黄金の鷺〉の維持であって、戦闘ではない。
キシュベルには絶対的な信頼を寄せているガスキアも、彼の妻に対する評価は必ずしも上官と同じではなかった。
むろん、決して口には出さないが。
もし、アンヤ=グエヒンがキシュベルの妻でなかったら、ガスキアは懲罰覚悟で従軍を拒否したかもしれない。
翼の王シファと、他ならぬキシュベルの命令だから、仕方なく従ったのだ。
でなければ、誰がハランなどと同じ戦列に並ぶものか!
アンヤの顔を見るたびに、ガスキアは先の大戦で散った戦友や部下の死に様を思い出す。彼らの断末魔の悲鳴が甦る。掌に爪が食い込むほど固く拳を握り締め、怒りと不快感を抑え込まなければならなかった。
歌を歌うばかりの弱々しい連中に戦場はふさわしくない。名誉を回復する手立てなど、他にいくらでもあるだろうに。
戦は我ら軍人の領分なのだ。
それを………
裏切り者の同類の分際で、厚かましく戦場にしゃしゃり出て来るなどと!
*
同じ頃、キシュベルの副官ベルギットもまた、上官には内密に〈黄金の鷺〉へ使者を送ろうとしていた。
だが、忠実なる槍騎兵隊長ガスキアとは異なり、彼が知らせようとしている相手は翼の王シファではなかった。
最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。
投稿前に誤字脱字チェックを兼ねて再読するのですが、キシュベルの陣営ってわりと人心がばらばらですね(笑)。
次章では、やっと作者お気に入りのキャラが登場します。
もし、よろしければ、感想などお聞かせ頂けましたら嬉しいです。
ではまた。