第三章 予言者レディ・マリエル(2)
第三章 予言者レディ・マリエル(2)をお届けします。
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まるで時間が凍りついてしまったかのようだった。
全員、しばらくの間言葉を発する事はおろか身動きする事すら出来なかった。
「………………ちょっと待て」
しばらくして、ようやくスヴェアがしゃがれた声を絞り出した。
「だが姓が違うだろう。坊主の姓はカナカレデスだぞ」
「『カナカレデス』は父さんの姓なんです」
茫然としたままカナンが言う。
「一人娘だったのに、じいちゃんは母さんに父さんの姓を名乗らせてた………」
一人娘であれば、普通なら婿には娘の姓を………自分の姓を名乗らせたがるのが人情というものだ。でなければ、ワクトーの代でこの世から「ベルー」を名乗る者が消えてしまうのだから。
ましてや、カナンの父親には兄弟がいた。例え義父の姓を名乗っても、実家には何の支障もない。
しかし、ワクトーはそうさせなかった。娘夫婦が亡くなり、カナンを引き取った後も、孫には「カナカレデス」と名乗らせ続けた。
カナンも何とはなしに不思議に思ってはいたのだが………。
「『ベルー』を名乗る限り、七賢者にゆかりの者だと知れてしまう可能性がある。だから、ワクトーは娘にも孫の君にも娘婿の姓を名乗らせたのだろう。七賢者ワクトー=ベルーの血縁だと、知られぬ為に」
エイデンの説明に、カナンは返って困惑した。
「どうして………」
「先の大戦後、七賢者の血族や周囲の者たちが、その名声を利用して富と権力を得ようとしたからだろう」
エイデンの後を引き継ぐように、クレメンツが言う。
若き領主の声音には憤りと嫌悪が混じっていた。
「ロザリンドの生家である王都のアンダーレイ家は、彼女の比類なき功績を利用して巨万の富を築いた。そして、その財力で巧みに王宮に食い込み、平民の商家ながら今や聖王陛下ですら無視出来ぬほどの影響力を誇ると聞く。ナセルの実家ホーデンクノス家は、傲慢が過ぎて主君であるボルトカ国領主の怒りを買い、滅ぼされてしまった。………命を賭して〈天の民〉と戦った本人たちは今、血族のこの有様を墓の下でどう思っているだろうね」
感慨深げなクレメンツの言葉に、エイデンは束の間目を伏せた。
クレメンツは、まだ困惑しきった表情をしているカナンに微笑みかけた。
「君のお祖父様は剣も弓も扱えなかったが、薬草に関する豊富な知識で〈地の民〉軍に貢献した。冠鷲がヨモギの匂いを嫌う事を発見したのも彼だ」
カナンは目をみひらいた。
「そう………だったんですか」
「ああ。それにしても、マリエルが予言した者が七賢者の末裔であったとは。驚いた。やはり、君には特別な何かがあるのかもしれないね」
「そんな………」
カナンは口ごもった。
自分の祖父がそのような偉大な英雄であった事など、今の今まで知らなかったのに。
第一、そんな事が一体何のたしになるというのだ? 自分が無力だという事実は変わらない。
取り敢えずここにいると返事をしてしまったが、やはりそれは大きな間違いだったのではなかろうか? と、早くもカナンは内心後悔し始めていた。
そもそも、プレストウィック国での時のようなあんな恐ろしい経験に、自分はもう一度耐えられるのか?
でも、今更「やっぱりやめます」なんて、とても言えない。
内心の動揺がもろに顔に出てしまっているカナンの様子を眺めながら、エイデンは暗い面持ちで呟いた。
「………ヨモギ、か」
プレストウィック国で、スヴェアが投げつけたヨモギのせいで冠鷲が暴れ、結果的にカナンのアリアンテを目撃した〈天の民〉を逃がしてしまった。アリアンテの放った光で目が眩み、一瞬剣が遅れてしまったのだ。
あの槍騎兵が無事に空中砦へ帰還していたとしたら、カナンとアリアンテの存在が〈天の民〉に知られてしまった事になる。
あまり芳しくない事態だ。
それに………
まるでエイデンの心を読み取ったかのように、クレメンツは続けた。
「それに、ワクトーは他の誰よりも早く〈天の民〉の来襲を察知する事が出来たと、この歴史書にある。時には予言者ロザリンドよりも早く警告を発した、と。彼にしか聞こえない歌が聞こえると言ってね」
「!」
カナンは目をみひらいた。
彼にしか聞こえない歌?
マリエルが言った。
「あなたもプレストウィック国で同じ体験をしたのではありませんか? サザーの報告にそうありました。ワクトーの孫であるのならば、彼の能力をも受け継いでいるのでは?」
「それは…………」
何やら急に雲行きが怪しくなってきた。
カナンは居心地悪げに尻の位置をずらした。
「でもあれは………単なる気のせいだったのかもしれないし………」
「いや。気のせいではない」
弱々しく反論するカナンに、エイデンが容赦なく告げる。
「ワクトーが聞いていたのは水晶が発する振動波だ。天も地も海も、水晶はそれぞれ固有の振動波を持っている。同じ種類の水晶同士では共鳴作用が働き、その振幅量は体積に比例する」
「???」
全員がきょとんとした顔をしているのに気づいたエイデンは、溜め息をついて言い直した。
「つまり歌っているのだ。常人には聞こえないその歌を、ワクトーは聞く事が出来た。〈天の民〉のハランのように」
「ハラン?」
その言葉を耳にした瞬間、冷たい指で心臓を鷲掴みにされたような気がして、カナンは思わず身を固くした。
何故だろう? この言葉を聞くたびに、胸の奥で何かが蠢くような感覚に囚われる。懐かしいような、怖いような不可思議な感覚。
スヴェアが尋ねた。
「そのハランってのは何だ?」
「『歌う者』という意味だ。〈天の民〉は水晶が振動波を放っている事を………歌っている事をいち早く発見し、そしてそれを自在に操る術を獲得した。それがハランと呼ばれる者たちだ。彼らは水晶の歌を聴き、水晶と同じ音律を自らの声で奏でる事が出来る」
スヴェアはぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回した。
「言ってる意味がよくわからんのだが………水晶と唱和れるからって、それが何だっていうんだ?」
エイデンは辛抱強く説明を続けた。
「本来、水晶は長い年月をかけて人間が吐く穢れを浄化し、それに伴い少しずつ溶けて水と化す。そして雨となり、川となって大地に染み込み、地中深くで再び結晶化する。その繰り返しだ。三人の女神が神々の王から水晶を与えられた時から………そして、彼女たちが互いの水晶を壊してしまった後も、永劫に続く理だ」
ゆえに水晶は『水の晶』と呼ばれる。
大気にも水にも大地にも、形を変え、姿を変えて、世界のあらゆるところに存在している。
粉々に砕け散っても尚、世界を浄化し続けている。
穢れを祓い続けている。
それでも尚、世界は人間が吐く膨大な穢れに満ち溢れているけれど。
もし、三人の女神たちが互いの水晶を壊していなければ、三世界はこれほどまで穢れに満ち、争いの絶えない場所にはならなかったのだろうか?
より罪深いのは、水晶を壊してしまった三人の女神たちか?
それとも、争いをやめず穢れをまき散らし続ける人間か?
「だが、ハランは自らの歌声で思うがまま瞬時に水晶を溶かしたり、逆に結晶化する事が出来る。プレストウィックに現れた空中砦、あれを操っているのもおそらくハランだ。でなければ、砦の一部を分離して目標物に投下するなど不可能だ。天の水晶を動く砦として、武器として活用するなど、新しい翼の王はずいぶんと思い切った事をする。実に斬新だ」
スヴェアが不機嫌に言った。
「敵の親玉を褒めてんじゃねえよ」
「褒めてはいない。水晶の活用法としては甚だ邪道だ。だが、有効な戦略である事は間違いない。現在〈石の鎖の庭〉で〈獣使い〉の一族と対峙している〈天の民〉軍も、地上に陣を張っていた先の大戦とは異なり、今回は空中要塞を本陣としている。こちらはプレストウィックを襲った空中砦とは比べ物にならぬくらい巨大だが、その巨大さゆえに機動性には乏しい。純粋に軍の本陣としての役割の為だけにあるようだ」
「それで、そのハランとやらは一体何人くらいいるんだ?」
「わからない。だが、ハランの本来の務めは〈黄金の鷺〉の維持で、そもそも彼らは軍人ではない。一般の〈天の民〉と同じように、生涯〈黄金の鷺〉から出る事もない。先の大戦にも参加していない。彼らの都〈黄金の鷺〉は、全て天の水晶で出来ている巨大な空中都市だ。ハランの存在なくては、たちまち崩壊の憂き目をみるだろう」
「だが、あんた自身がさっき言ったように、実際にハランが前線に出て来ているじゃないか」
苛立ったようにスヴェアが反論する。
エイデンは頷いた。
「そう。だからこそ、事態はより深刻なのだ。唯一居住可能な都の維持よりも優先して、最前線にハランを派遣した。考えてもみるがいい、プレストウィックを壊滅させたあの空中砦が、何十基も大挙して進軍してきたらどうなるかを」
「………!!」
あまりにも恐ろしい想像に、全員が息を飲む。
クレメンツは震える声で尋ねた。
「そんな事があり得ると、貴殿は言うのか………?」
自らの言葉がどれほど衝撃を与えたかなどまるで頓着せぬように、エイデンはあっさりと答えた。
「あくまで可能性だ、クレメンツ公。プレストウィックを襲った空中砦は一基だけだから、今ここであなた方が心配する必要はない」
エイデンは、カナンの胸元でひっそりと輝く水晶の首飾りを目線で示した。
「そのアリアンテはハランの証し。ハランにしか持つ事を許されぬ特別な水晶だ。エルレイ=ズヌイもハランだった」
カナンは得心したように呟いた。
「そうか………だから、あの時〈天の民〉はあんな事を………」
『何故、貴様がアリアンテを持っている!?』
「それじゃあ、エルレイさんも水晶を溶かしたり、作り直したり出来たんですか?」
エイデンは一瞬痛みを覚えたような顔をした。
「………いや。エルレイは喋れなかった。彼は何か重罪を犯した為に声を奪われ、〈黄金の鷺〉を追放された罪人だった。北の果ての冬山で凍死寸前だったところを、薬草を探しに来ていたワクトーに偶然救われた。〈天の民〉の法に死罪はない。〈黄金の鷺〉からの追放が最も重い刑だ。そして、それは最も残酷な刑でもある。何故なら、天の水晶で造られ、穢れから完璧に護られている〈黄金の鷺〉でしか暮らした事のない〈天の民〉は、大地を覆う穢れに耐えられぬからだ。身体は病に蝕まれ、精神は狂気に囚われる。いっその事〈地の民〉の死罪のように首を刎ねられた方がよほどましだと思えるほど長く、そしてひどく苦しみ抜いた末に死ぬ事になる。『逆さ山』の麓には、過去そうして追放され、飢えと寒さに苛まれながら彷徨った末に病と狂気に陥り野垂れ死んだ罪人たちの骸が累々と転がっているという」
スヴェアは顔をしかめた。
「ひでえなそりゃ。そんな刑を科せられるなんざ、エルレイ=ズヌイは一体何をやらかしたんだ?」
「わからない。どういう罪を犯したのか、ワクトーは聞かなかったそうだ。エルレイは、とても罪人とは思えぬほど物静かで誠実な男だったから」
「誠実な罪人、ね」
皮肉を込めて呟くスヴェアを、エイデンは無視した。
エイデンは、全ての光を吸い込んでしまうかのような闇色の目を陽光眩しい窓の外に向けた。
「〈天の民〉にとって、ハランは彼らの王たる翼の王の次に高い地位と尊敬を集める立場にある。だが、先の大戦でエルレイが七賢者に名を連ねた事で、おそらく〈黄金の鷺〉でのハランの立場は微妙なものとなってしまった事だろう。一人、異端者が現れれば、他の全ての者もその同類とみなすのが人間だ。天でも地でもそれは変わらない。今回の戦で彼らが最前線に出て来た理由も、そのあたりにあるのかもしれない」
裏切り者が刻みつけた汚点を消し去り、名誉を回復する為に。
どれほどの固い決意と信念をもって戦場に臨んでいる事だろう。
もし、そうであるならば、ハランの参戦は非常に厄介なものとなる。
それに………
もうひとつ、気になる事があった。
いや、気付いたと言うべきか。
だが………
エイデンはそっとカナンを、それからクレメンツたちを見やった。
だが………今、この場で口にするのは賢明ではあるまい。
最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。
次章は、プレストウィック国を襲った〈天の民〉軍のキャラが登場します。
カナンたちはお休みですが、続けて読んで頂けますと幸いです。
ではまた。