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石の剣の王1 約束の予言  作者: 水崎芳
第三章 予言者レディ・マリエル
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第三章 予言者レディ・マリエル(1)

第三章 予言者レディ・マリエル(1)をお届けします。

最後まで読んで頂けますと幸いです。

第三章 予言者レディ・マリエル


 一昨年の夏、ガラハイド国の領主になって間もないクレメンツのもとを一人の美しい予言者が訪れてこう告げた。

「次の満月より四日以内に、ガラハイド国の西の地ケヒア村を洪水が襲う」

 未来を垣間見る能力を有する者・予言者は、〈地の民〉にとって身近な存在だ。多くの領主が予言者を召し抱えているし、自身の(やしき)に予言者を住まわせている貴族もいる。高貴な身分の者だけではなく、商人や貧しい平民や農民ですらも、貴賤を問わず常日頃から予言者に予言を貰い、助言を請う。

 街や村で報酬と引き換えに住民たちに予言を与える者も多く、〈地の民〉にとって予言者とは……生まれついての特別な能力が必要ではあるが……機織り職人や鍛冶屋と同じく一種の「職業」であり、生活の一部だった。

 例えば、結婚相手を予言者に()てもらう事などは〈地の民〉にとっては普通の事であり、全く特別でも奇異でもない。

 しかし、この時、ガラハイド国の人々は彼女の予言(ことば)を信じなかった。

 その年、ガラハイド国はひどい干ばつに苦しんでおり、また国内の他の予言者は誰一人として洪水など予言していなかったからである。

 それどころか、人々は彼女の事を、予言者を(かた)る詐欺師であろうと考えた。年若い領主ならばたやすく騙せると思ったのだろう、と。

 〈地の民〉にとって予言者は馴染み深い存在であるがゆえに、金目当ての偽者も多かったからである。

 しかし、邪険に追い払われながらもこの予言者は諦めず、尚もクレメンツに食い下がった。

「もし、この予言が外れた時は、どうぞわたくしの首を()ねて下さいませ」

 彼女の真摯な言葉に心打たれたクレメンツは、宰相を始めとする家臣たちの反対を押し切って、ケヒア村の全村民を高台に避難させた。

 そして、満月から三日目の夜明け前、予言通りケヒア村を洪水が襲った。水は猛り狂う猛獣のごとく一気に村を呑み込み、家や畑を全て押し流してしまった。

 しかし、前もって避難していた村人と家畜には一切犠牲は出なかった。

 見事予言を的中させた予言者マリエル=サンデバルトは、クレメンツより「貴婦人(レディ)」の称号を与えられ、彼に仕える身となった。

 以来、彼女の予言は一度たりとも外れた事がなく、当代一の予言者と讃えられている。

         *

 何の前置きもなく、()はいきなり「それ」を少年に差し出した。

 少年は戸惑って彼の顔を見た。

「僕にくれるの? これを?」

 彼は頷いた。口元にうっすらと微笑みを浮かべて。

 過去、彼がその身に受けてきた苦難と仕打ちからは想像もつかぬほど穏やかな微笑だった。長い金髪や物静かな青い瞳や端正な面差しと共に、常に周囲の者を魅了する。

 きっとその唇からこぼれる声も魅力的であったに違いない。………少年は一度も聞いた事はなかったけれど。

 手の物をさらに差し出す彼に、少年は制止するように両手を上げた。

「だめだよ。受け取れないよ。だって、この首飾りはあなたの故郷と、あなたが誰なのかを示すたったひとつの証しじゃないか。第一、これはあなたにしか触われないだろう?」

 だが、彼は頭を横に振ると、強引に少年の手に首飾りを握らせてしまった。

 少年は掌に走るであろう衝撃に身構えたが、何も起こらなかった。

「え………どうして………?」

 訳がわからないといったふうに手の中の首飾りを見下ろす少年に、彼は一枚の紙を示した。

 それにはただ一行、少年が普段使う言語とは異なる言葉でこう書かれていた。

『君への友情と感謝の気持ちだ』

 少年ははっと顔を上げた。

「………まさか………もう戻って来ないつもりなの?」

 彼はちょっと肩をすくめた。肯定とも否定とも取れる仕草だった。

 少年は唇を震わせた。

「だめだよそんなの………ナセルがいなくなって、それにドンも………そのうえ君までなんて………」

 少年は、背に流れる金色の髪ごとギュッと彼を抱き締めた。

「預かるだけだから。預かるだけだからね。このアリアンテの持ち主は君なんだから。絶対に忘れないでよ。…………いい? エルレイ」


 いつか、

 かならず、

 君に返すから。

         *

 カナンはうっすらと目を開けた。

 まず目に入ったのは、艶のあるこげ茶色の木材の天井と、円形に蝋燭が並ぶ真鍮のシャンデリアだった。どちらも彼には全く見覚えのない代物だ。射し込む陽光が、窓の飾り格子の模様を床に映し出している。外の明るさとは対照的に室内は薄暗く、そしてとても広い。ハネストウの薬屋の三倍はあるだろうか?

 壁には霧に包まれた深い森の傍らに広がる街を描いた大きなタペストリーが掛けられ、縁回りに疾走する猟犬の姿を彫った小さな丸テーブルの上で香炉が細い煙をくゆらせている。

「気がついたか?」

 聞き覚えのある静かな声が投げかけられた。

 カナンは枕に預けた頭をずらし、部屋の一角に影のように佇む黒衣の男を見た。

「エイデンさん………ここは………?」

「ガラハイドだ。ガラハイドの領主館」

「ガラハイド?」

 カナンは上半身を起こした。

「まだ横になっていた方が………」

「大丈夫です」

 制止するエイデンを遮るように言い、カナンはゆっくりとベッドの上で上半身を起こした。

 そっと額に手をやる。軽く突っ張るような感覚に腕を見やると、包帯が巻かれていた。ハネストウの薬屋で、兵士たちに乱暴に掴まれたところだ。包帯からは微かにアマドコロとキハダ草の匂いがした。包帯の下の湿布に塗ってあるのだろう。エイデンが手当てしてくれたのだろうか? 

 第一、どうして自分はガラハイド国にいるのだろう?

 全く状況がわからず、カナンは困惑した。

 突如、プレストウィック国の領都の上空に出現した〈天の民〉の空中砦。巨大な鷲に乗った騎兵。押し潰され、燃え上がる家々と、逃げ惑う人々。

 突然、輝き出したアリアンテ。

 恐ろしく冷たくて………それから………

 その先の記憶がない。

「僕………一体どうしたんですか?」

「プレストウィックで気を失ったのだ。私がここまで運んだ。………君にとっては不本意だったかもしれぬが」

 心なしかすまなそうにエイデンが言う。

 カナンは複雑な表情を浮かべた。

 確かに、あの時はガラハイド国へ行くべきか否か判断がつきかねていた。

 だが、あのままプレストウィック国に留まってはいられなかったのも事実だ。

 カナンは頭を横に振った。

「いえ。ああいう状況だったし、仕方ありません。連れ出して下さってありがとうございました、エイデンさん」

「『さん』は必要ない」

「え?」

「呼び捨てでいい。敬語を使う必要もない」

「………でも………」

 あって間もない年上の人間を……しかも祖父の友人を……いきなり呼び捨てにするのは、少し……というか、かなり抵抗がある。

 躊躇するカナンに、エイデンは言った。

「無理にとは言わないが。………ところで、まだ歌は聞こえるか?」

 そう問われて初めて、カナンはあの歌声が止んでいる事に気付いた。

「いえ。もう聞こえません」

「以前にも似たような経験が?」

「いいえ」

 否定するカナンに、エイデンは低く「そうか」とだけ呟いた。

 カナンは首にかけた祖父の形見の首飾りに視線を落とした。

 何故、気を失ったりしてしまったのだろう? この首飾りが突然光り出した事と何か関係があるのだろうか?

 ちょうどカナンの掌と同じサイズの水晶の首飾りは、ほんのり淡く金色を帯びた平らな六角形をしていた。中央から六つの角に向けて放射状に複雑な模様が刻まれている。とても繊細で美しい細工だ。

 カナンは刻まれた模様を指でそっとなぞった。

 さっき奇妙な夢を見た。見知らぬ若い男にこの首飾りを渡される夢。

 もちろんカナン自身の経験ではない。カナンにこの首飾りを譲ったのは彼の祖父ワクトーなのだから。

 どうしてあんな夢を見たのだろう?

 どうしてこんなに………

 胸が痛むのだろう?

 まとわりつく靄のように、悲哀の感情だけが心に残っている。

 考え込むカナンの横顔を、一切の感情を打ち消した表情でエイデンが見つめている。

 ふいに、ノックもなしに扉がサッと開けられた。

「おう、やっと目を覚ましたか、坊主」

 ドアノブに手をかけたまま、スヴェア=サザーは明るく言った。

 髪にはきちんと櫛を入れ、磨き上げられた黒い革のブーツを履き、明るい青色に銀糸で刺繍を施した騎士の制服を着ている。

 その姿はそれなりに凛々しく騎士らしくは見えたが、それでも何となく違和感があった。まるで流れ者の傭兵が騎士に「変装」しているかのようだ。プレストウィック国での()()()()格好の方がよほどしっくりくる。

 この人、本当に騎士だったんだ。

 などとカナンが失礼な事を考えているなど知る由もなく、スヴェアは眉間に皺を寄せて心配げに尋ねた。

「いきなりぶっ倒れたんで驚いたぜ。もう起きても大丈夫なのか?」

「大丈夫です」

「私はいつまで待てば(くだん)の予言者に会えるのだ?」

 二人の会話を遮るように、エイデンがやや苛立った口調でスヴェアに尋ねた。

 スヴェアは悪びれた様子もなく片手をひらひらと動かした。

「すまんすまん。戦の準備でバタバタしててな。領主のクレメンツ公も、是非あんたと話がしたいと仰ってるんだ。もう少し待っててくれ」

「私が用があるのは『約束の予言』を語る予言者だけだ」

「まあ、そう言わず話を聞かせてはくれまいか」

 別の若い男の声がした。

 スヴェアははっと振り返ると、慌てて脇に退いて背筋を伸ばした。

 二人の男女が入って来た。

 二人ともおそらく同年代だろうが、女性の方がほんの少し年上のように見えた。

 彼らの後ろには、スヴェアと同じ制服に身を包んだソーンの姿があった。彼の方は制服を着るとちゃんと騎士に見えた。

 ガラハイド国領主クレメンツ=ハーディ=ガラハイドは、薄い唇に穏やかな笑みを刷いて言った。

「サザーの話では、貴殿はずいぶんと〈天の民〉に詳しいとか。この国を治める者として、是非とも貴殿の話を聞かせてもらいたい、イグリット殿。………ああ、そのままで構わないよ」

 彼が誰なのか悟り、慌ててベッドから降りようとしたカナンを、クレメンツはやんわりと制した。

 先月二十一才になったばかりの若き領主クレメンツは、統治者というより新米の学者か何かのような風貌の持ち主だった。脇に抱えた分厚い書物のせいでよけいにそう見えるのかもしれない。背丈はあまり高くなく、血色の悪い細い顔も痩せた体躯も成長不良の竹のようだ。一国の領主にしては何とも頼りなげな印象である。

 しかし、その表情は穏やかで、優しげで、言葉遣いも立ち居振る舞いも傲慢や尊大といった貴族の代名詞のような単語とはまるで無縁だった。平民であるカナンがベッドから降りようとするのを止めた事からも、その人柄が伺える。

 クレメンツは一緒に入ってきた女性を示した。

「紹介しよう。彼女が予言者レディ・マリエル=サンデバルトだ」

 マリエルは微笑んだ。

「ガラハイド国にようこそ。あなた方を歓迎します」

 彼女のあまりの美貌に、カナンは言葉を失った。

 数か所を細く三つ編みにした波打つ金髪は太陽を浴びた蜂蜜のように輝き、澄んだ泉を思わせる瞳は限りなく青い。柔らかくほんのりと艶めく頬。赤い唇。スッとひと筆で描いたような完璧な形の眉。白鳥のように細く優美な首筋。世界一の名工によって彫られた彫刻のごとき美しい手に華を添える桜色の爪。胸元を慎ましやかに飾る小さな金のフクロウの護符が、内側から光り輝いているかのような白磁色の肌を一層際立たせている。凛と立つその姿は神々しく、眩いほどだ。薄暗い部屋の中で、彼女の周囲だけが明るく照らされているかのよう。

 いや、どんな美辞麗句も彼女の前では空しく響く。ただ美しいだけではない。その瞳には賢人の知性が、唇には聖女の慈愛が溢れ、気高い魂と意志の強さが感じられる。

 まさに完璧な「貴婦人(レディ)」。

 領主ならば財産を全て投げ打ってでも守りたいと思い、騎士ならば命を賭して仕えたいと願うだろう。

 カナンはしばし我を忘れ、目の前で微笑むこの上なく美しい女性に見惚れていた。

 この人が………予言者レディ・マリエル。

 僕をガラハイド国の命運を握る『鍵』だと言った人。

 カナンとは対照的に、彼女の美貌には爪の先ほども心動かされた様子もないエイデンが冷やかに言った。

「では、『約束の予言』を聞かせてもらおう、予言者殿」

 前置きもなくいきなり本題を切り出したエイデンに、マリエルは苦笑した。

「時間を無駄にしない方ですこと。よろしいでしょう。ですが、その前に約束して頂きたい事があります」

 エイデンは片眉を引き上げた。

「何だ?」

「『約束の予言』をお聞かせする代わりに、あなたが知る〈天の民〉に関する知識……情報を、全て我々に教えて欲しいのです」

 エイデンは獅子でも竦み上がるような凄みのある闇色の目でマリエルを睨んだが、彼女は全く動じなかった。

「先ほどクレメンツ公も仰ったように、あなたは〈天の民〉に詳しい。そのような人材は貴重です」

「公が言うほど私は彼らに詳しいわけではない」

 エイデンの言葉を聞いたスヴェアが、苦虫を噛み潰したような表情をした。「あれだけ〈天の民〉に関するうんちくを垂れておきながらどの口が言うか」とでもいうふうに。

 クレメンツが言った。

「だが、少なくとも我々よりは詳しい。それに、貴殿は〈天の民〉の騎兵と会話していたとか。つまり、貴殿は〈天の民〉の言語を操る事が出来るのだろう? それだけでも貴殿の存在は重要だ。我が国には、〈天の民〉の言語を理解出来る者が一人もいないのだから」

「私がかの言葉を操れるのは〈獣使い〉の一族に友人がいるからだ。彼らは〈天の民〉と同じ言葉を使うからな」

 カナンは首をかしげた。

「同じ言葉を? どうしてですか?」

 エイデンはカナンに視線を移した。

「彼らはもともと〈天の民〉であったからだ。はるか昔、〈天の民〉を二分する戦に敗れ、彼らの都〈黄金の鷺(アルゴーフォア)〉を追放された者たちの子孫だ。ゆえに〈天の民〉は彼らを『シーマー』………『堕ちた者』と呼ぶ」

「『堕ちた者』、か。言い得て妙だな」

 独りごちるスヴェアを、エイデンは冷やかに一瞥した。

「間違っても〈獣使い〉の一族の前でその呼称は口にしない方がいい」

「? 何で?」

「『シーマー』には『罪人』という意味もある。〈獣使い〉の一族は血の気が多い。流血の惨事になるぞ」

 スヴェアは酸っぱい物を飲み込んだような顔をした。

「…………気を付けよう」

「彼らの生活様式も習慣も現在の〈天の民〉とはまるで異なるが、言葉だけは先祖と同じものを受け継いでいる。自分たちの先祖がどこから来たのかを、忘れない為に」

 エイデンの説明にクレメンツが頷く。

「そう。だから、七十年前も今回も〈獣使い〉の一族は率先して〈天の民〉と戦っているのだ。むろん、かつて〈氷雪王〉サローエン陛下と交わした『盾の誓い』もあるが、彼らにとって〈天の民〉は遠い昔に先祖を追放した仇敵だからね」

 そんな大昔の恨みつらみで戦争(けんか)なんかしなくてもいいだろうに……と、カナンは思ったが、口には出さなかった。

 それに、先に戦を仕掛けてきたのは〈天の民〉の方でもあるし。

 クレメンツはエイデンに視線を戻した。

「それで、貴殿の返答は?」

 エイデンは苦い溜め息をついた。

「…………いいだろう。協力しよう。私には『約束の予言』がどうしても必要だ」

「感謝する、イグリット殿」

 クレメンツはほっと肩の力を抜いた。

 エイデンが何と答えるのかと緊張していたのがありありとわかる仕草だった。

 だが、安堵の表情を浮かべるクレメンツに、エイデンは鋭く研いだ刃のような声を投げつけた。

「但し、こちらにも条件がある。〈天の民〉との戦が終わったら、私はガラハイドを出て行く」

「むろんだ。それはかまわない」

「もうひとつ。カナンはいつでも望む時にガラハイドを出て行く」

「そ……っ!」

 反論しかけるスヴェアを、クレメンツは片手を上げて制した。

「もちろん、それもかまわない」

「しかし、公!」

「かまわない。危険を冒して彼を連れて来てくれた君たちには悪いが、我々には彼を強制的にここにとどめておく権利はない。もしそんな事をすれば、このイグリット殿を敵に回す事となる」

「! それは………」

 スヴェアはぐっとつまった。

 この黒衣の男の剣技の凄まじさは、プレストウィック国で十分すぎるほど身に染みている。

 クレメンツはカナンに微笑みかけた。

「もちろん、本音を言えばここにいて欲しいけれどもね。君がどんな役割を果たすのか、正直なところわからないのだ。マリエルは、君がガラハイド国にいる事そのものに意味があると言うのだが。だから、取り敢えずこの国にとどまってはくれないだろうか?」

 カナンはマリエルを見やった。

「あなたが視た予言というのは、どんな予言(もの)だったんですか?」

 マリエルは長い睫毛を震わせた。

「わたくしが視た予言は、ギズサ山脈を越えて押し寄せる〈天の民〉の軍勢でした。圧倒的な力でプレストウィック国を壊滅させ、次にガラハイド国へとやって来る。か細い蝋燭の灯火が一瞬で吹き消されるように、人々はなす術もなくなぎ倒されていく………恐ろしい光景でした」

 カナンは膝の上でぎゅっと手を握り締めた。

 まさにそういう光景を、彼も見た。

 今でも、息をする度にあの時の異臭が鼻をつく。耳の奥で悲鳴が聞こえる。

 体にまとわりついて離れない。

「クレメンツ公にお頼みして、プレストウィック国へ警告を発して頂いたのですが、残念ながらアリダール公は信じては下さいませんでした。………そして、予言の通りになってしまった」

 アリダールは彼女の予言を信じていたはずだ。

 「残念で仕方がない」というふうに瞳を曇らせるマリエルを眺めながら、カナンはそう思った。

 だからこそ、あんなにも()()()()()になって地の水晶をかき集めていたのだ。

 果たして、国中から集めた水晶は、アリダールの役に立ったのだろうか?

「ですが、わたくしはまた、勝利にわくガラハイド国の領民の姿も予言()ました。そして、その中心に、カナン、あなたがいた」

 儚い幻のように不鮮明で朧げな光景の中で、カナンの姿だけははっきりと見えた。

 光り輝く純白の太陽のように。

 その傍らに佇む『暗闇』も。

「その瞬間、わたくしははっきりと悟ったのです。この恐ろしい予言を覆す為の()があなたであると」

 マリエルはカナンに向かって深々と頭を下げた。

「ですから、カナン=カナカレデス、どうかガラハイド国(ここ)にとどまって欲しいのです」

 傲慢に強いるわけでも、さめざめと泣き崩れるわけでもない。ただ静かに頼むだけ。

 カナンは困ってしまった。プレストウィック国の役人のように高圧的に命令されれば、返ってはっきり拒否できるのだが………

「むろん、君に戦闘に加われなどと言うつもりは毛頭ない」

 まだ迷っているカナンに、クレメンツが畳みかけるように言う。

「戦が始まったら他の領民と共に安全な場所に避難すればいいし、本当に危険になったらイグリット殿と共にこの国を脱出すればいい。君たちはガラハイド国の領民ではないのだから」

 カナンは唇を噛んだ。

 じいちゃん………じいちゃんなら、こんな時どうするだろう?

 何と答えるだろう?

 そっと黒衣の男を見やる。

 エイデンは無言のままだった。

 カナンは、クレメンツの反応を伺うようにおずおずと尋ねた。

「…………本当に、好きな時に出て行っても構わないんですか?」

 クレメンツは強く頷いた。

「ああ。家名と紋章にかけて誓おう」

 カナンは溜め息を落とした。

「…………わかりました。それだったら、取り敢えずはここにいます。いつまでいるかは、わからないけど」

 クレメンツは安堵の笑みを浮かべた。

「ありがとう。領民を代表して心から感謝するよ」

 スヴェアが進み出た。

「公、もし差し支えなければ、彼にヨモギの仕分け作業を手伝ってもらってはいかがでしょう?」

 クレメンツは頷いた。

「そうだね。それは名案だ。カナン、君は薬師だとか。ならば、ヨモギの仕分けを手伝ってはくれまいか。行商人からの買い付けだけでは量が足りなかったので、領民にも採集に協力してもらったのだが、ヨモギではない(もの)まで混じっていてね。今、薬草の心得がある者に選別させているのだ。作業は一人でも多い方が助かる」

「何せ素人ばかりなんでね。間違えてトリカブトを採って来た奴もいてなあ、危なっかしくてしょうがない」

 渋い顔をしてスヴェアが言う。

 カナンは苦笑した。

「似てますからね、ヨモギとトリカブトは。わかりました。手伝います。そういうの、本業だし」

 ただ何もせずじっとしているよりは、ずっといい。

 それから、カナンは無言でやり取りを聞いていたマリエルに再び視線を戻した。

「………もしかして、僕がこう答えるって、あなたにはわかっていたんですか?」

 マリエルは曖昧に微笑んだだけだった。

 カナンは不機嫌に言った。

「何だか、そういうのって誰かの思い通りに操られているみたいで、あまりいい気持ちじゃないです」

 マリエルは軽やかに笑った。

「予言の当事者は皆そう言います。ですが、カナン、予言とはあくまで数多(あまた)ある未来のひとつにすぎません。もし、あなたがガラハイド国に来なければ、わたくしはまた別の予言をしたでしょう。あなたが今すぐガラハイド国を出て行っても同様に。以前、わたくしはとある村が洪水に襲われる予言をしました。その時、わたくしが視た光景は、村人や家畜が濁流に流され、呑み込まれ、溺れ死んでいく様でした。ですが、クレメンツ公が彼らを避難させて下さったおかげで、結局村人も家畜も無事でした。ある意味、わたくしの予言は外れた事になる。………違いますか?」

「ええ………まあ………」

 多分。

 何だかうまい具合に言いくるめられているような気もしたが、取り敢えずカナンは頷いた。

「予言は、より良い選択をする為の道標(みちしるべ)にすぎません。予言を貰った者は、それが定められた動かし難いものだと思いがちですが、決してそうではありません。変える事の出来ない絶対的な未来ではないのです。良い予言であれば成就するように動き、悪い予言であればそうならないよう方策を探す。選ぶのは当事者自身なのです」

 カナンは微かに目をみひらいた。

 確か、プレストウィック国でエイデンも同じような事を言っていた。選ぶのはあくまでも自分だ、と。

「初代聖王陛下たる〈双子王〉に仕えた大予言者カラグロワはこう言い遺しました。『真に偉大なる予言者とは、予言を覆させる予言者である』と。わたくしはガラハイド国の滅亡という、この上もなく不吉な予言をしました。わたくしはこの予言を覆したい。その為の鍵があなたなのです、カナン」

 マリエルはエイデンに向き直った。

「では、お望み通り『約束の予言』を語りましょう、エイデン=イグリット。この予言を果たすか覆すかは、あなた次第です」

 マリエルは、領主の前で新しい詩を披露する吟遊詩人のようにスッと背筋を伸ばした。

 広く薄暗い部屋の空気をすすぎ清めるように、彼女の声は朗々と響き渡った。

「『見よ

  天は()ち、海はあふれる

  見よ

  七賢者、再び集いし時

  石の(つるぎ)の王が闇を打ち砕く』

 ………これが、あなたに伝えよとわたくしが啓示を受けた予言です」

 何て不吉な予言だろう。

 カナンはそう思った。

 『天は墜ち、海はあふれる』などと。

 まるで世界の終わりを告げているかのようではないか。

 エイデンは何故こんな予言を?

 そっとエイデンを見やると、彼は苦笑とも悲哀とも取れる複雑な表情をしていた。

「…………七賢者か………今になってその名を聞こうとはな。今更………」

 エイデンは目を伏せた。

 それとも………「今」だからこそなのか?

 そうなのか? ローザ。

 事前にマリエルから『約束の予言』を聞いていたクレメンツが口を開いた。

「その『石の剣の王』とやらが何者なのかはわからないが、『七賢者』というのはやはりあの七賢者の事なのだろうな。彼らを捜せという意味か」

 スヴェアが頷く。

「御意。しかし、彼らが生きていたのは先の大戦の時代、七十年も昔です。捜すと言ってもとっくに墓の下か、でなきゃ棺桶に片足突っ込んでいるんじゃあ………」

「部隊長………」

 あまりな言い様にソーンが額を押さえる。実に的を射た表現だけに諌める事も出来ない。

 スヴェアの口の悪さには慣れているクレメンツは、咎める様子もなく言った。

「確かにサザーの言う通りだ。であるならば、七賢者の血縁・子孫を捜せという意味なのかもしれない」

「わたくしもそう思いますわ。きっと、七賢者の血を引く者たちが集った時に、『石の剣の王』が姿を現わすのでしょう」

「…………あのぅ………」

 それまで黙ってクレメンツたちのやり取りを聞いていたカナンが、恐る恐る片手を上げた。

「すみません………『七賢者』って、何ですか?」

 全員、まるで別世界から来た生物でも見たような目つきで彼を見た。

 凍りついたような沈黙を破ってエイデンが言った。

「…………まさか………君は七賢者を知らないのか?」

 馬に乗った事がないと打ち明けられた時以上に呆れ返った口調だった。

 カナンは頷いた。

「ええ………知りません」

「これはまた………七賢者を知らない人間がこの世にいたとはな。ぶったまげたぜ。お前さん、ほんとに〈地の民〉なのか? 一体どんな僻地に住んでたんだよ?」

 頭を振りつつスヴェアが言う。

 彼はもちろん、ソーンもクレメンツもマリエルまでもが開いた口が塞がらないといった表情をしている。

 カナンは(うつむ)いた。

「…………すみません」

 クレメンツは微笑んだ。

「そんなに恥ずかしがらなくてもいい。サザーはいつも大袈裟に言う。『約束の予言』の中に七賢者の名があったから、これを持ってきたのだ。ちょうど良かった」

 そう言うと、クレメンツは脇に抱えていた分厚い本を開いた。

 赤い羊皮紙の表紙に薄い金属の帯を巻いたその本はかなり古く、立派で、そして読み込まれた形跡があった。

 カナンは本とクレメンツの顔を交互に見た。

「これは何ですか?」

「歴史書だよ。私は小さい頃から歴史が好きでね。そんな私の為に、姉上が王都からわざわざ取り寄せて下さったのだ。これは七十年前の〈地の民〉と〈天の民〉との大戦を記したもので、当時〈地の民〉の聖王であらせられた〈勝利王〉オニール陛下が自ら編纂されたものだ。貴重なものだよ」

 最後の台詞には、宝物を自慢する子供のような得意げな響きがあった。

 お姉さんがくれた本だから、きっと大切にしているんだな。

 カナンはそう思った。

「オニール陛下は戦に長けた御方だった。先の大戦で〈地の民〉が勝利出来たのも、オニール陛下が〈地の民〉軍を率いておられたからだ。だから、彼は〈勝利王〉と呼ばれている。そして、その〈勝利王〉に仕え、彼を支えた偉大な英雄たちがいた。それが七賢者だ。……先の大戦の事は知っているだろうね?」

 念の為に確認するクレメンツに、カナンは頷いた。

「はい。昔、〈地の民〉と〈天の民〉との間で大きな戦があったという事は聞いています。じいちゃんから」

「そうか。それは良かった。それで、この七賢者だが、その名の通り七人いた。うち四人は〈地の民〉、二人は〈獣使い〉の一族、そして、残る一人は〈天の民〉だった」

 カナンは目をみひらいた。

「〈天の民〉? でも、それじゃあその人は………」

「同胞の敵に回ったという事だ。要するに裏切り者だな」

 毒を含んだ口調でスヴェアが言う。

 主君に仕える騎士である彼としては、結果的に〈地の民〉の味方についてくれた人物とはいえ、自身の属する民に背を向けた行為を快く思えないのかもしれない。

 エイデンがスヴェアに冷やかな目を向けたが、無言だった。

 クレメンツは続けた。

「その〈天の民〉を含め、七賢者のうち四人が戦死している。〈地の民〉の貴族ナセル=フレイズ=ホーデンクノス卿。〈獣使い〉の一族のカハンティ=テュボーとドン=エス。そして〈天の民〉のエルレイ=ズヌイ………この四人だ」

 エルレイ?

 カナンはドキッとした。

 さっき夢に出てきた名前ではないか。

 そうだ。「ナセル」と「ドン」も。

 どうして………自分は知らないはずの七賢者の名前が夢に?

 カナンの内心の動揺には気付かず、クレメンツは書物の文面を指でなぞりつつ続けた。

「生き残った三人は、いずれも大戦後に姿を消している。長く辛く激しい戦だったから、疲れてしまったのかもしれないね。オニール陛下のご命令で、その後の三人の記録は一切残されていない。肖像画もない。きっと、彼らの意思を汲んだのだろう。だが、名前だけは伝わっている。まず、かの有名な予言者・聖女ロザリンド=アンダーレイ。彼女なくして〈地の民〉の勝利はなかっただろうと言われている。二人目は、オニール陛下が『我が盟友』『生涯の友』と呼び、陛下の右腕と(うた)われた天才軍師イル=ファン=イア。名前はふたつあるが、彼は貴族でないようだ。アティスモット王領のディアドラ系譜図書館にも、イアという姓の貴族の家系図は存在しないからね。どうも単なる通り名だった可能性がある」

「通り名?」

「そうだ。イル=ファン=イアとは、〈天の民〉の言葉で『死と闇』という意味らしい」

 死と闇。

 カナンは思わず眉をひそめた。

 何て不吉な通り名だろう。それだけ〈天の民〉に恐れられていたという事か。

 そんな不吉な通り名で呼ばれて、本人は一体どう思っていたのだろう?

 クレメンツは自嘲めいた苦い溜め息を本の上に落とした。

「彼は、当時二十七才だったと記録されている。今は九十七才。長命の〈天の民〉ならばいざ知らず、存命しているとはとても思えない。言っても詮ない事だが、彼が今ここにいてくれたならと思うよ………そして、最後の一人だが、彼は当時十三才だった」

「十三才?」

 思わず聞き返したカナンに、クレメンツは頷いた。

「ああ。君より若いな。七賢者の中でも最年少だ。もし、生き残りがいるとすれば、可能性があるのは彼だけなのだが………」

「………いや。彼は六ヶ月前に死んだ」

 静かに告げられた言葉に、一同は驚いて声の主を振り返った。

 エイデンは淡々と続けた。

「彼は先の大戦後、七賢者の噂も届かぬギズサ山脈の奥地の寒村でひっそりと残りの生涯を送った。親友だったエルレイ=ズヌイの形見である水晶の首飾りを大切に持ち続けて」

 エイデンはカナンを見やった。

「彼の名はワクトー=ベルー………君の祖父だ、カナン」

最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。

だいぶ登場人物が揃って参りました。

作者お気に入りのキャラはまだですが。

もし、よろしければ、感想などお聞かせ頂けますと嬉しいです。

ではまた。

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