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第9話 洗礼の平手打ち

「なっ……!?」


 平手打ちをされたのだと理解した瞬間、腹の底から猛烈な苛立ちがこみ上げる。

 反射的に攻撃魔法の詠唱が喉まで出かかったが、寸前で飲み込んだ。


(落ち着け、私!)


「……何をなさるのですか」


 かろうじて絞り出した声は、震えていた。

 それでも――


 バチンッ!


 再び、鋭く乾いた音が、応接間の空気を裂いた。

 反対側の頬にも、容赦ない平手打ちが叩きつけられる。

 痛みがじわじわと滲み、肌の奥まで焼けるような熱が広がっていった。


「新人は、ひざまずけ」


 影妃の冷酷な命令が、室内に重たく響く。


 背後でユリ影妃が怯えきった表情で膝をつき、床に額をこすりつけた。

 その姿が、やけに惨めに映る。


 だが、他の二人の影妃は見てみぬふり。

 ハルとニアも無言のまま、介入する様子はない。

 ハルに至っては、関心がないとでも言うように腕時計を眺めていた。


 これが、ノワール・マナーの日常――。


(事を荒立てるな……わかっている。でも……)

(さすがに、腹が立つ!!)


 私は怒りに任せて、睨みつけた。

 それに気づいた影妃は、再び手を振り上げる。


(三度もやられてたまるか)


 私は反射的に、彼女の手首を掴んでいた。


「――!」

「影妃さま。あまり力むと、お手が痛みますよ」


 彼女の目は大きく見開かれ、次いで乱暴に私の手を振りほどいた。

 その瞳には、怒りと嫌悪が浮かんでいた。


「生意気ね。陛下は、あなたの何を気に入ったのかしら」

「やはり、それが理由ですか」


 つくづく、後宮の嫉妬深さときたら……


(それにしても、噂が広まる速さも異常ね)


 私の淡々とした態度が、彼女の苛立ちに拍車をかけたらしい。


「あなた、女官あがりの庶民なんでしょう? 

 のうのうと影妃に選ばれるなんて、身分不相応にもほどがあるわ」

「……お言葉ですが、この後宮で血筋は問われないはずです――って、痛ァ!?」


 太ももを蹴られ、鈍い痛みがズキズキと広がる。


「なんて乱暴な!」

「わかっていないようね。ここは後宮。立場がすべてなのよ、()()()()()()

「…………」

「影妃ごときが、陛下のお言葉を賜わるなど身の程を知りなさい」

()()……ずいぶんとご自分を卑下されるのですね」

「なんですって?」


 影妃の目が細まり、指先がピクリと跳ねる。

 その瞳には、殺意めいた光が宿っていた。


「痛い目を見ないと、わからないようね」


 私は、ため息をつく。


「……影妃さま。これ以上なさるようでしたら、私も手加減いたしません」

「手加減? 九十九位が、格上の私に?」

「売られた喧嘩は、徹底的に買う主義なので」


 影妃の目が鋭さを増す。だが――

 私が一歩も引かないことを察すると、彼女はゆっくりと手を下ろした。

 先ほどの激情が嘘のように、口元に薄い笑いを浮かべる。


「……心配するだけ無駄だったようね」

「どういう意味です?」


 問いかけた私に、彼女は憐れむように微笑んだ。


「どうせ、あなたは陛下から寵愛される以前に――死ぬわ」

「……え?」


 その言葉は、あまりにも冷たく、確信めいていた。


「この後宮を、甘く見ないほうがいいわよ」


 そう吐き捨て、影妃は侍女たちを連れて去っていく。

 足音が遠ざかるたびに、彼女の言葉がずしりと胸にのしかかった。


 視線を巡らせると、ユリ影妃が震えながら床に座りこんでいた。

 他の影妃たちは、興味半分でこちらを眺めているだけ。

 ハルは「終わりましたか」とだけ呟き、女官へ淡々と指示を飛ばしていた。


 私は天を仰ぎ、深々とため息を吐く。

 怒りが湧きすぎて、もはや隠す気にもなれなかった。


「ああ~~……もう、嫌」


 その背後。ニアは無表情でこちらを見つめていた。

 そして、一言。


「ファルネスさまったら、お可哀想」


(……この子もたいがいね)


 そこで、ふと視界の端にある絵画に目が留まった。


(なに、あれ……?)

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