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第7話 名を隠し、罪を抱いて

 それから、ようやく気力を立て直した私たちは、

 女官長と共に剣聖宮の裏門までやってきた。


 そこには、黒々とした影を落とす高い城壁と、

 厳重に結界が張られた門が冷たくそびえている。


「邸宅までは距離がございますので、馬車をご用意いたしました。

 ……私はここまでで失礼いたします。

 以後のことは、どうぞご自身でお進めくださいませ」


 女官長は、待機していた馬車の隣で控える従者たちに目配せすると、

 私たちへ最後の一礼をし、あっさりと宮廷へと引き返していった。


 振り返ることもなく、無言で歩き去るその背に、

 こちらの安否など微塵も気にしていない様子がにじんでいた。


 私は向き直って、馬車を見上げる。


(なんて豪華……)


 従者が静かに踏み台を差し出した。

 黒い外装に宝石のような金具がきらめくその馬車は、

 あまりにも豪奢で、私は一瞬、躊躇してしまった。


 他の影妃たちは当然のように侍女に手を取られ、優雅に馬車へと乗り込んでいった。

 私の前には、誰もいない。


 一礼もなく、無言で扉を開けた従者に導かれ、

 私はドレスの裾を捌いて馬車へと乗り込んだ。


 侍女を持たない影妃は、私、ただ一人、


(影妃の中でも、私は最も下位……)


 車輪が軋み始めたとき、胸がドクンと高鳴った。

 狭く重苦しい馬車の中で身を縮こまらせながら、小さく息をつく。

 窓から差し込む冷たい空気が肌に触れるたびに、不安が押し寄せてくる。


(――鞘を見つけるまで、正体を隠していられるのかしら)


 ガタゴトと、整地されていない道を通るたびに、振動が伝わって体が浮く。

 硬い座席に痛みを覚えながら、ふと、窓の外へ視線を向けた。


 遠ざかる剣聖宮が、小さく見える。


(改めて見ると、すごいところね……)


 視界に広がるのは、まるで色彩の楽園と呼ぶべき荘厳な風景。


 後宮を彩るように配置された、色とりどりの城館(ハウス)

 純白の剣聖宮を中心に、それぞれの色が誇らしげに

 覇を競うように煌めいていた。


 最も目を引くのは、東側にある二つの赤い城館(ハウス)

 向かい合わせに建てられたそれらは、燃え上がるような深紅の装飾で彩られ、

 後宮における最高位の妃である一妃たちの居住地として、

 圧倒的な威容を誇示していた。


(あれが頂点)


 続いて、西側に目を移すと四つの紫の城館(ハウス)が並んでいた。

 深い紫の装飾が施され、優雅さと高貴さを象徴している。

 その煌びやかな外観は、二妃たちの誇り高き地位を象徴していた。


 さらに南へ目を向けると、六つの青い城館(ハウス)が並んでいる。

 空と海を象徴するかのような、爽やかで涼しげな青色の装飾が施され、

 穏やかで清潔感のある佇まいを見せていた。

 三妃たちの居住地として、上品さと穏やかさを感じさせる造りになっているが、

 その優雅さの奥には確かな威厳も漂っていた。


 そして北側――。

 十の緑の邸宅が、緑豊かな庭園に包み込まれるように並んでいる。

 四妃たちの住まいは、二人ずつ割り当てられた邸宅で暮らしているらしい。

 自然の恵みを象徴するかのように、静かで落ち着いた佇まいだった。


(四妃くらいになると、共同生活が基本になるのね)


 そのすぐ近くには、小ぶりな黄色い邸宅がいくつも寄り集まって建てられていた。

 五妃たちの住まい――鮮やかな黄色の外観は華やかだが、妃が三人ずつ暮らしていると聞いた。

 窓にかかるカーテンの色がそれぞれ異なるのが目に入る。

 個別に与えられた部屋であることが一目でわかるが、

 敷地内に密集して建てられた邸宅は、さながら大所帯の屋敷のようだ。


 そして最後に――。

 私は目を眇め、視線を遠くへ送った。

 青々と茂った森の奥深く、後宮の外れにぽつぽつと見えるのは、黒い屋根。


 多くの黒い邸宅が、身を寄せ合うようにして建っていた。

 他の邸宅とは明らかに異なる雰囲気を放っている。

 存在そのものが覆い隠されるかのように、黒い壁面が森の陰に溶け込んでいた。

 不気味というよりも重苦しい。


(……暗いわね)


 それにしても――五人でひとつの邸宅というのは、どうにも窮屈に見えた。

 プライバシーもほとんどないのではないか、と想像する。


 建物そのものは立派なのに、

 暮らしの形はまるで寄宿舎のようで、どこかちぐはぐな印象を受けるのだった。

 

 ……もしかすると、後宮制度の整備が、建築に追いついていないのかもしれない。

 突貫で始まった制度の歪みが、こうして露骨に表れているのだとしたら――

 やはり、テオドリックは本気でこの制度を望んだわけではなかったのだろう。


(影妃になれるだけでも、魔女として実力は高い証拠……

 そのはずなのに、ここでは一番格下、か)


 後宮内での格差が、これほどまでにはっきりと現れるとは思っていなかった。

 その事実に、胸が少しずつ重くなっていくのを感じる。


 自嘲するように笑いながら、ふと隣を見た。


 けれど、そこは空席。


 一人きりには慣れているはずなのに、今は妙に心細い。

 胸の奥に何かが引っかかるような感覚が、じわりと広がっていく。


(……テオ)


 はあ、とため息をつく。


 自分が思うよりも、疲れていたようだ。

 馬車の揺れが身体をゆりかごのように揺らし、意識が緩やかに遠のいていく。

 瞼を閉じると、ぬるく湿った空気が喉の奥に染み渡り、わずかに息苦しい。

 それでも、揺れる馬車に身を委ねる以外、今の私には何もできなかった。


 目を閉じ、体を横たえた。


 ──魔王との戦いのあと。


 私は、傷ついた勇者と仲間たちを置いて、姿を消した。

 それからわずか数か月。


 私の名前は、帝国中に知れ渡った。


『魔王と結託し、勇者を瀕死に追い込んだ』

『魔女は今もどこかで、勇者の命を狙っている』

『勇者を裏切った大罪人』


 まったく、どれもこれも、ひどいホラ話だ。

 けれど、それを否定する機会はなかった。


 それどころか――皇位に就いたテオドリックは、私を指名手配した。

 それは、噂を真実だと認めたも同然。

 噂はさらに激しさを増し、今や帝国中が私を捕らえようとしている。


(それでも、何かの間違いじゃないかと思いたかったのに)


 ――『勇者殺しの魔女の行方はどうなっている?』

 ――『報奨金をさらに上げろ』


 低く冷たい声が脳裏に蘇るだけで、体が小さく震えた。

 あれは、間違いなく彼の声だった。

 どんなときも優しかったテオドリックの声音――ではなく。


(もしもう一度会えたら、誤解を解く方法も見つかると思ってた)


 思い上がりも甚だしい。

 彼は、今もなお、私を憎んでいた。


 ――『僕が、勇者の資格を……失ったからだな』

 ――『だから……僕を見捨てるんだな』


 頭の奥から離れない……最後に交わした言葉。

 何度も何度も、夢に見ては、いつまでも私を締めつける。


(見捨てるわけ、ないじゃない……)


 彼の前から姿を消す瞬間、疑われるとは考えもしなかった。

 まさか、そんな風に思われるだなんて。

 信じてもらえなかったことが、何よりも胸を抉った。


(……勇者の資格だって、失われていない。

 だからこそ、聖剣はまだ彼のそばにいる……)


 ――『……さよなら、テオ』


(あの時……もっと違う言葉をかけていればよかった……?)

(そもそも、私なんかが鞘を探そうとしたこと自体が、

 おこがましかった……?)


 私のせいで、テオの身も心も、深く傷つけてしまった。


『勇者殺しの魔女』。


 そうあだ名されても仕方ない。

 私は生きている限り、この呪いのような汚名を背負い続けるしかない。


(もし、テオに正体がバレたら……)

(間違いなく処刑される。しかも、帝国の見せしめとして……)


 冷たい石畳に引きずり出され、膝を擦りむく感触すら生々しく思い描けた。

 周囲の群衆が嘲笑し、罵倒し、憎しみをぶつけてくる。

 彼の眼前で、無惨に首が落ちる未来。


 全身に悪寒が走り、目を見開き、思わず両肩を抱えた。

 想像するだけで胸が潰れそうな恐怖に襲われる。


 どんな言い訳を重ねたところで、逃れようのない罪。


 ……けれど。

 あの時失われた鞘――テオドリックを守るはずだったあの魔道具を。

 今も私は探し続けている。

 時間が巻き戻っても、私はきっと同じことをするだろう。


 たとえ、どんなに憎まれていても。

 たとえ、この命を奪われるとしても。

 私は、あの人を救いたい。


(ごめんね、テオドリック。許してもらえるとは思ってないけれど……)

(必ずその手に、鞘を返すから)


「待ってて」


 ――。

 ―――……。


 永遠にも思える長い道乗りの果てに、馬車は激しい振動とともに停車した。

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