第5話 後宮の魔女、最下位に立つ
聖剣の間から退室したあと、私と二人の魔女――影妃たちは
女官長に連れられて剣聖宮の廊下を進む。
(……あああ、危なかった~~~!!)
歩きながらも、いまだに強烈なテオドリックの視線が追ってくるようで、
何度も背後を振り返ってしまった。
まさか彼と謁見することになるなんて。
完全に想定外だった。
それもこれも、私が後宮の妃になってしまったからだ。
(女官として後宮に潜り込むつもりだったのに、失敗した……)
頬に手を当て、絶望している私を、
少し先を歩く女官長がちらりと見て言った。
「陛下は、ずいぶんファルネス影妃さまを気にかけておられましたね」
バクッと心臓が縮みあがる。
「そそ……そんなことはないと思います!」
しかし、力強く否定しているにも関わらず、
彼女の口元には笑みがこぼれている。
「陛下の好みが、ようやく見えてまいりました。
まさか、こんなにも慎ましやかな方をお好みとは」
「つつまし……」
彼女の視線が、私の胸のあたりで止まった。
(あれ? なんか失礼なこと言われてない?)
「殿方の趣味は、いろいろですわね」
「…………」
(…………なんか腹立つ!)
魔法で姿は変えているとはいえ、"ない"ものを大幅に底上げすることはできない。
つまり――いや、これ以上は考えないようにしよう。
肩を並べて歩く二人の影妃たちと、その侍女たちの視線が刺さる。
女官長がそっぽを向いて、歩き出した直後。
ドンッ!
隣を歩いていた影妃が、私に肘鉄をした。
「わっ!?」
ふらつきそうになったところで、
もう一人の影妃が、私の足をわざと踏みつける。
「痛っ! ちょっと、何するのよ」
思わず声を張ったが、彼女たちは悪びれた様子もなく鼻を鳴らすばかり。
「あら、木の枝かと思いましたわ」
「貧相なお身体……。陛下もさぞ驚かれたでしょうね」
女官長も気づいているに違いないが、静止どころか見向きもしない。
(うわ、さっそく目をつけられた……)
(違うのよ、私の目的は、テオドリックの寵愛ではないんだってば)
そう声高に宣言できれば、どれだけ楽だろうか。
私はため息をつく。
――あの日。
魔王が討たれた瞬間、聖剣の鞘は私の手元から忽然と消えた。
本来なら、聖剣の鞘は魔王の呪いを跳ね返す絶対の守りとなるはずだった。
でも、それを失くしたのは、私。
彼にとって、聖剣は何よりも大切なものだったのに。
(五年間、探し続けたのに……見つからなかった)
けれど、つい最近になって、世界を巡る魔力の血脈に、乱れを感じた。
王都の魔素の中に、消えたはずの鞘の気配が混じっていたのだ。
(どうして今さら……)
行き詰まる中で、私は剣聖宮の奥深くから漂う微かな魔力を感じ取った。
鞘は、ここにあるかもしれない。
それなら、迷っている暇はない。
テオドリックを救うためには、後宮に潜り込むしかなかった。
だから、私はここにいる――――……。
(なのに!)
(女官から妃に取り立てられるとは思わないわよ……!
醜女の術でもかけておくべきだったかしら)
しかも、肝心の鞘の魔力は、剣聖宮に入った途端、
まるで私から身を隠すかのように感知できなくなった。
(何が起きてるの、本当に――)
「実を申しますと――これまでずいぶんと悩みましたのよ」
私たちの諍いを静観していた女官長が、ぽつりと独り言のように呟いた。
その言葉で、私ははっとして顔をあげた。
「悩む、とは……?」
二人の影妃も怪訝そうに顔を見合わせる。
「陛下の後宮といえば、魔力の資質も容姿も優れた方々ばかり。
けれど、陛下はあのご様子でまるで興味を示されない。
試しに、後宮には不釣り合いな女性を選んでみるしかない――そう考えた次第ですの」
「……は?」
「せめてもの策というやつです」
「こ、光栄にございます……」
(……要するに、ただの実験台ってこと!?)
(余計なことを……!)
剣聖宮――この後宮で重視されるのは、ただひとつ。
「魔力の強さ」だけ。
家柄など無意味だ。
勇者の血を継ぐに相応しい子を成すため、テオドリックが即位して以降、
後宮では、魔力測定によって妃たちを格付けする制度が整えられた。
「魔力が強い者が上位に立つ」――ただそれだけの明快なルール。
私が最下位の第六妃――影妃とされたのも、その結果だ。
(まあ、魔力がないように"見える"のは、これのおかげなんだけど)
左手の中指に嵌めた三重のリングを指でなぞる。
女官長は不敵な笑みを浮かべたまま、再び歩を進めた。
影妃たちは、彼女の言葉を受けて一層私に敵意を露わにし、冷たい目で睨みつけてくる。
険悪な空気に耐えきれず、私は視線を逸らし、周囲を見回した。
剣聖宮の一階は、異様なほどに白い。
壁も床も天井も、雪のように透き通る白色で覆われ、
まるで神聖な光そのものが支配しているようだった。
それでも、この静謐な美しさの中にも活気は満ちている。
上品な衣装に身を包んだ女官や侍女たちが忙しなく行き交い、
浮遊する魔道具を抱えては、穏やかな声で指示を交わしている。
かすかな笑い声や、叱責の声が重なり合い、
それでも音のひとつひとつが洗練されている。
まるで市場の喧騒が、優雅な音楽のように調和しているかのようだ。
だが、誰もが二階へ続く純白の階段にだけは、決して近づかない。
そこを守る警備兵たちは、ただ黙して立つだけで、
その無言の圧力が、この場にいる全員に聖域であることを悟らせていた。
「あの階段は、陛下と皇后しか立ち入ることはできません」
私の視線に気がついた女官長が、わずかに足を止めて言った。
「許可なく踏み入れば――命はありませんよ」
影妃たちの表情が強張るなか、私は小さくため息をついた。
ここに、私の居場所なんてあるはずがない。
(鞘を失くした私が悪いんだけどさ)
やがて、私たちを率いていた女官長が、
近衛女官たちが佇む大きな金色の扉の前で止まる。
女官長が名を告げると、彼女たちは一礼し、慎重に扉を開いた。