第13話 侍女 vs 新人女官
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫です。ニアもおそばにおりますから!」
こちらの事情など知る由もないニアは、屈託のない笑みを浮かべる。
「あ、あのねニア。そういうときは、一旦私に相談をしてから……」
私が言いかけた、その時だった。
――コン、と短い咳払いが、扉の向こうから響いた。
ニアは一瞬だけ小首を傾げると、裾を揺らして扉へ近づいていった。
扉の蝶番が軋み、ゆっくりと押し開かれていく。
「おはようございます、ファルネスさま」
直立していたのは、アイリス・ゼレンだった。
無駄のない姿勢で直立し、視線は部屋の奥にいる私だけに注がれている。
目が合った瞬間、上から下までを測られるような鋭さに、胸がひやりと冷えた。
私が会釈すると、ようやくアイリスは自分を見上げるニアへ視線を落とし、
昨夜と同じ、形式だけの礼をした。
「このような時間に、私室へ訪ねてこられるとは……急用でございますか?」
ニアも軽く頭を下げたが、その声はとげを含んでいた。
どうやら苛立っているようだ。
しかし、アイリスは表情ひとつ動かさず、淡々と続ける。
「ファルネスさま、封書が届いております」
「封書?」
ニアと私の声が重なる。
私が寝台から腰を浮かせると、ニアが振り返って首を振り、座り直すよう促した。
「受け取ります」
差し出されたのは緑色の封筒。
光を受けて艶やかにきらめき、金の装飾が細かく陰影を刻んでいる。
「……封が、切られておりますが」
「私が監査いたしました」
弾かれたように、ニアが顔を上げた。
「ファルネスさまの侍女である私を差し置いて、
何の断りもなく改めるなど、無礼ではございませんか」
「規定に従ったまででございます」
無機質な声が返ってくる。
ニアは肩を震わせながら、
「ハルさまから、あなたが監査役を仰せつかったと伺っております。
ですが、あなたのような新人の女官でありながら、ここまで踏み込むとは筋が通りません。
……直接のご主人は、どなたですか」
「命に従う身ゆえ、答えることはできません」
アイリスの言葉には迷いがない。
まるで、壁にでも話しかけているかのようだ。
(コソコソしない分、余計にタチが悪い……)
アイリスの視線はもうニアから離れ、私へ戻ってきた。
「検分の結果、封書には仕掛けもなく、文面にも問題は認められません」
ニアが髪を揺らす。
「問題があるかどうかは、私が決めることです!」
「ニア、やめましょう。この方も命令に従っているだけなんだから」
「ですが……!」
庇ってくれるのは嬉しい。けれど、波風は立てたくない。
私は作り笑いを浮かべ、アイリスを見返した。
「話はそれだけ?」
「いいえ」
思わず、背筋を伸ばした。
「本日、エイデンさまがご訪問なさると伺いました」
ギクリ。
身を強張らせる。
「それが、なに?」
アイリスの前に立つニアの瞳が、冷ややかに細められた。
「理由をお聞かせいただけますか」
「それを聞いて、どうするの」
「ファルネスさまの行動は、逐一記録せよと命じられておりますので」
血が逆流するような感覚。
直球すぎる物言いに息が詰まった。
どう答えたものか。
だが――
「お断りいたします」
ぴしゃりと放たれたニアの声。
アイリスの眉が、初めて跳ねた。
「……あなたが権威ある方の命を受けていること、それは理解いたしました」
「……」
「けれど、ハルさまによれば、許されている役目は
贈答品の監査と有事の対処のみ。
記録が必要かどうかは、こちらが判断いたします」
「ニア……」
「御用があるのなら、せめてご主人の名を明かしてください。
名も明かせぬ卑怯者の手先など、ファルネスさまに近づけるものですか!」
「卑怯者……」
アイリスの空気が変わった。
冷たい魔力の波が床を伝い、かすかな軋みが耳に刺さる。
紅い瞳が閃き、ニアを鋭く睨みつける。
しかし、ニアも引かない。
腰に手を当て、じっとアイリスを見上げている。
その様子に、アイリスの魔力がすぐに押し込められた。
床を震わせた冷気も、次の瞬間にはきっちり封じ込められる。
「承知いたしました」
淡々と肩を竦め、言葉を続ける。
まるで感情を失った兵士に戻ったような彼女に、底知れぬ恐ろしさを覚えた。
「それでは――エイデンさまに、同席の許可を求める所存です」
「……!」
(そこまでする!?)
私は狼狽えたが、ニアは怒りを隠さない。
「……どうぞご勝手に。ただ、エイデンさまがお許しになるとは思えませんが!」
その声音には、年頃の娘らしい素の激しさが混じっていた。
「それでは、失礼いたします」
アイリスは一礼し、扉を閉める。
規則正しい足音が廊下に消えていった。
「なんて無礼な方……!」
肩を怒らせたニアがこちらに歩み寄る。
私は胸に手を当て、荒ぶる鼓動をなだめようとした。
「ニア。それより、その封書――誰から?」
ニアの手には力がこもり、封筒は握り潰されそうになっていた。
「あっ、そうでした!」
彼女は、封をそっと開き、中の便箋を取り出した。
しかし、紙を広げ、文字に目を滑らせる彼女の顔から、徐々に血の気が引いていく。
(嫌な予感……)
「大変です、ファルネスさま」
手にする便箋が震えている。
「四妃さまからの……お呼び出しです」
私は天井を仰ぎ、乾いた息を吐いた。
「次から……次へと!!」




