第12話 予期せぬ来訪者
「ファルネスさま、おはようございます」
体を揺すられながら、私は目を覚ました。
こちらを覗き込むニアは、心配そうな顔をしていた。
……ずいぶん、昔の夢を見ていたような気がする。
頭を抱えながら、ゆっくり身を起こすと、ギシリとベッドが軋んだ。
黒いカーテンから、朝日が細く伸びている。
「おはよう、ニア」
昨夜、夕食が終わったあと、この部屋に戻って来た途端
気絶するように眠ってしまったのだった。
素早く自分の身体をチェックする。
姿勢を直し、裾を整え、指先の感触で輪郭を確かめる。
変身魔法に、綻びはない。
ほっとして、肩の力が抜ける。
背伸びをしながら、改めて周囲を見回した。
――ここは、一時的に私が寝起きすることとなった部屋だ。
重厚な絨毯が床一面を覆い、黒を基調とした壁紙には美しい紋様が浮かび上がっていた。
寝台も調度も黒光りするような艶を帯びており、壁には古い肖像画が整然と並んでいる。
調度は広い空間に間隔を置いて並べられ、余白の方が目立つほどだ。
天蓋付きの寝台に、隅の長椅子、隣には鏡面のドレッサー。
中央の丸テーブルには金糸のクロスがかけられ、飾りのように何冊かの書物が置かれている。
すべてが整いすぎていて、生活の気配も、魔法の残滓すら感じられなかった。
陰鬱さこそないが、前の私室よりも広すぎて、どこか落ち着かない空間だ。
「ご体調はいかがでございますか。
朝はいつも、お目覚めにお苦労なさっておられるようで……」
ニアは躊躇いながら、私の体を支える。
その手は温かく、細やかだった。
「いいえ。朝が弱いだけよ」
私はふっと作り笑いをしたが、疲労は上手に隠せていない気がした。
テーブルに置かれた水差しに目がとまり、寝台から足を下ろす。
そのまま歩み寄ろうとした、その時。
「ファルネスさま、お履物が……!」
「あっ、だめだった!?」
「い、いえ……」
ニアは口にこそしないが、ガサツだと言いたそうだった。
冒険者だった頃は、靴が破れたらダンジョンでも素足で駆け回っていたため、
今さら何とも思わなかったが、言われてみれば、行儀が悪く見えたかもしれない。
私が手で足の裏をはたいていると、
ニアは跪き、布で丁寧に拭い、シューズを履かせてくれた。
「陛下の御前では、もう少し慎まれたほうがよろしいかと……」
「そ、そうね。気をつけるわ」
(たしかに、どんなときでも礼儀を崩さなかったのは、テオくらいだったわね……)
彼女のような女性を、品が良いというのだろう。
(うう、恥ずかしい……)
ニアはちらりと私を見上げる。
「ファルネスさまのご気性は、確かに大きな魅力でございます。
けれどここは後宮。
妃たちに付け入る隙を与えれば、お咎めを受けることにもなりましょう」
「……お咎め、か」
そこで、ふと思い出す。
「そういえば、ロロはどうなったの?」
昨夜の夕食の席には同席していなかった。
アイリスから、しばらく私とは距離を取るよう命じられていたが……。
ニアは肩をすくめると、どこか冷ややかな表情を浮かべた。
「しばらく、ご居所にお控えになるよう仰せつけられたとのことです」
「……部屋に閉じ込められているのね」
「ファルネスさまに危害を加えようとされたのです。
罰を受けるのは仕方ないことでしょう」
思わず目を伏せると、ニアは眉をひそめた。
まっすぐな視線が刺さるようだった。
「陛下にお伺いを立てれば、ロロさまのお住まいを別の館へ移していただけるかもしれません。
場合によっては、妃籍を剥奪され、後宮から去るよう命じられることも……」
「いや、それは……さすがに!」
テオドリックに接触するのを避けたいという理由もあるが、
ロロの気持ちも、わからないわけではないのだ。
しかし、ニアは瞬きをひとつすると、ため息をついた。
「ファルネスさま。これは侍女としてのお願いですが……
そのお優しさだけでは、後宮の中で立ち行かなくなってしまいます」
「うっ。そうよね……」
こちらを見つめるニアの眼差しには、どうにも拭えない心配の色が滲んでいた。
「分を越えた真似でございましたら、どうかお聞き流しくださいませ」
「…………」
ニアは立ち上がろうとする私を手で押し留めると、
テーブルに近づいて、水差しからコップに水を注ぐ。
振り返った彼女と目が合い、ほんの一瞬ためらうように歩み寄って
――それから微笑み、コップを手渡してくれた。
「ファルネスさま。それより、いい報せがございます」
「……なあに?」
「エイデン先生が、こちらにやってきます」
ガシャン。
思わずコップを取り落とした。
透明な水が床に飛び散り、足に冷たい感触が走る。
「ファルネスさま、お水が!」
慌てて拾おうとするニアの両肩を掴んだ。
「ちょっと待って。今、なんて言った!?」
詰め寄る私に、ニアはなぜか胸をそらして得意げに、
「昨夜、封印庫への立ち入りについて、なにかお手立てはないかとご相談いたしましたところ……
ぜひお力添えしたいからと、ファルネスさまにお目通りを願われたのです」
声にならない。
血の気が音もなく引いていく。
「午後二時より、応接の間にご案内申し上げますね。
まさか、これほど早くお越しくださるとは……。
エイデンさまは、やはり御心の広いお方でございます」
にこにこと、無邪気に笑みを浮かべるニア。
(オスカーが来る? 協力したいから……?)
ありえない。
あの男に限って、善意からの行動なんて100%ない。
あいつが動くのは、自分にとって都合のいいときだけ。
(確実に裏がある……!)
逃げたい!
今からでも体調が悪いと言って寝込んでしまいたい!
(ああああ~~~~!)




