幕間1 はじめまして(ミルディナSide)
あれは七年前のことだ。
冒険者たちが、依頼をこなすために詰めかける冒険者ギルド。
重たい木の扉をくぐれば、すでに昼を過ぎた時間だというのに、中は喧騒に包まれていた。
受付前には行列ができ、カウンター越しに怒鳴り声も飛び交う。
床には乾いた泥の跡が残り、混ざり合う汗と革の匂いが鼻を突く。
あちこちで、背や腰に携えた武器がぶつかると、ピリッとした緊張が走る。
そんな騒々しい室内で、私は掲示板を食い入るように見つめていた。
ギルドの壁に据えられた巨大な掲示板。
木枠の上から無造作に貼られた紙束が、次々と誰かに剥がされていく。
視線の隅でそれを見ながら、私はただ、自分に合う依頼を探し続けていた。
一人王都までやってきて、
冒険者として登録出来たのはいいものの……約一週間、条件にあったものがない。
数日前に泊まっていた宿も、すでに追い出された。
今はギルド裏の路地にある樽の影で、夜を明かしている。
貼り出された依頼は、最低でもDランク以上の実力が必要となる。
私がこなせる仕事は、いくら待っても貼り出されることはなかった。
ここ数日は、食事もまともに摂れていない。
今日中に依頼をこなさなければ、文字通り野垂れ死にだ。
私はふらつく身体を魔法の杖で支えながら、掲示板を見上げた。
(どうしよう……)
焦燥に胸を締めつけられ、杖を持つ手に力がこもる。
同時に、腹がきゅうっと鳴った。
(パーティーに加入させてもらえさえすれば、私だって……)
冒険者たちは、利害が一致さえすればパーティを組んでダンジョンに挑むのは当然とされている。
誰もがギルドで初対面の者と組み、試し、失敗し、それでも前へ進むのだ。
だが現実は……。
ちらりと周囲を見回す。
誰もが仲間と笑い、あるいは険しい表情で地図を覗き込んでいる。
その輪の中に、私のような者が入り込む余地はなかった。
目を合わせてはくれる者すら、いない。
それもそのはずだ。
私のようなランクの低い魔法使いをパーティに引き入れるメリットはない。
新人登録会の実技試験では、剣技と攻撃魔法が主。
今のところ、補助魔法しか使えない私の成績は惨憺たるものだった。
Eランクの証である紫の腕輪が、ひどく重たく感じる。
(……師匠に啖呵を切って飛び出してきたのに)
脳裏に、故郷の町と、渋い顔で見送った師の顔がよぎる。
まさか早々に食いっぱぐれることになろうとは。
情けなさと、己の実力不足に涙が出そうになる。
(……本当にどうしよう……)
と、その時だった。
「ねえ、君」
不意に、背後から声をかけられて振り返る。
反射的に体を固くした。
視界に飛び込んできたのは、柔和な笑みを浮かべた痩身の少年だった。
艷やかな金色の髪に、澄み切った青い瞳。
どこか気品が漂い、浮世離れしたような佇まい。
身にまとう装束も質がよく、立ち居振る舞いには育ちの良さが滲んでいる。
(……貴族かしら?)
窓から差す柔らかな日差しを背に受けたその輪郭は、
線が細く、それでいて凛とした印象を湛えていた。
彼は私と目が合うと、わずかに顔を強張らせる。
まぶたの奥がぴくりと揺れ、呼吸が一瞬だけ乱れた気がした。
しかし、それも一瞬のことで、
すぐに何事もなかったかのように、優しげな表情へと戻っていった。
まるで仮面を被り直したような微笑みに、不穏な気配を察して息を呑む。
「パーティメンバーを探しているんだろ? 僕と一緒に組もうよ」
「えっ……」
とっさに返事ができなかった。
警戒心が喉元で引っかかり、声にならない。
人混みのざわめきが遠のいていくような錯覚の中で、私は彼の顔をじっと見つめた。
ふと、その腕にはめられた赤い腕輪――Aランクの証が視界に入る。
携えている剣も、使い込まれた跡がきれいに手入れされていた。
ドクッと、心臓が強く鼓動を打つ。
(なぜ、Aランクが――私に?)
こちらをまっすぐに見つめる青い瞳に、全身を絡め取られていくような、
言いようのない恐ろしさを覚えた。
(……どうしよう)
私が返事をしないことに、ようやく自身が警戒されていることに気づいたのだろう。
彼はハッとしたように目を見開くと、慌てたように、
「ごめん。怪しかった?」
そう呟いて、気まずそうに頬を掻いた。
その仕草は拍子抜けするほど人間味があり、張りつめていた私の警戒心をわずかに削った。
「い、いいえ……」
思わず笑みをもらした。
パーティメンバーを組んだところで、大抵は一度きりの関係。
互いの素性を明かさないまま、解散するのが常だ。
……少なくとも、優しそうではある。
Aランクの冒険者なら、ギルドからもそれなりに信頼を置かれている人物であるはず。
(……おかしな人なら、すぐ離脱すればいいか)
そう自分に言い聞かせながら、私は口を開いた。
「……私は、ミルディナ・キリ=レイン。あなたは?」
私が名乗ると、彼はぱっと瞳を輝かせた。
嬉しそうに――けれど、どこか安堵したようにも見えた。
「テオドリック……」
しかしその後は、なぜか言い淀み、誤魔化すように笑う。
「よろしく、ミルディナ」
「え? ああ、はい……」
(名乗らないってことは……由緒ある家の出なのかしら)
差し出された手を、おずおずと握る。
だが、握り返された力が思いのほか強くて、弾かれたように彼を見上げた。
その瞬間、彼の青い瞳と視線がぶつかった。
柔らかな笑みとは裏腹に、その奥底に何か暗く重いものが潜んでいるようで。
私はなぜか……取り返しのつかない選択をしてしまったように感じた。
――そして、今ならわかる。
彼は王族からも重んじられる、神の血を引いた御三家の次男坊。
テオドリック・ヴァルディア。
そうやすやすと、名乗れるわけがなかったのだ。




