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第10話 ニセモノの代償

「お部屋が……燃やされた、と?」


 ニアは倒れていた椅子を両手で抱え起こし、その途中で私を振り返った。

 驚いたように目を丸くしながらも、手元の動きは慣れたものだった。

 荒れた室内を丁寧に整えるその姿に、彼女の律儀さが滲んでいる。


「お怪我がなくて何よりでございましたが……あまりにもひどいです……」

「仕込みが早すぎて、むしろ感心してしまったわ」


 ひと息、ふぅ、と。

 先ほどまで喉の奥に張りついていた緊張が、ようやく抜けていく。


「ファルネスさまは、後宮でも有名でいらっしゃいますから。

 お部屋だけで済んだのは……まだ幸いだったのかもしれませんね」


 少しだけ、ニアの声が沈んだ。

 言いながら、彼女は再び自分の髪にそっと指を伸ばす。

 乱れた先を梳くその指先を見ると、私は胸が痛んだ。


「その髪も、私のせいでごめんなさいね」

「……あっ、いえ!」


 はっとしたように、ニアが手を止めた。

 小さく首を振る。

 私のせいじゃない、と言い切るように。

 視線は逸らさず、まっすぐだった。


「私の侍女になれば、これからも巻き込んでしまうわ。

 やっぱり考え直したほうがいいんじゃないかしら」


 慎重に、けれど本心から差し出したつもりだった。

 しかしニアはわずかに眉根を寄せると、返事の代わりに――


再生せよ、秩序よ(コード・リセット)


 詠唱の声はかすかで、それでも芯が通っていた。


 指先に宿った光が、ふわりと髪に触れる。

 だが、空気がかすかに震えただけで、変化はない。

 光はすぐに揺らぎ、薄れて、消える。


「うっ……」


 小さな呻きと共に、ニアの肩がすぼむ。


 詠唱は正確だったが、魔力の流し方がかなり荒い。

 昨夜の着替えでも、強引な魔法でコルセットによって締め付けられた苦しさは、

 今も肋骨の奥にうっすらと残っている。

 きっと、これまでも誰かに教わることなく、独りで魔法を身につけてきたのだろう。


 ――己の未熟さに肩を落とすニアの姿が、昔の自分に重なった。


(……教えてもらう側だった頃を、思い出す)


 私は無言で、彼女の髪に手を添えた。

 息を吸い、指先に魔力を込める。


 ニアと同じ呪文を詠唱すると、淡い光がふわりと立ち上がる。

 光の粒が空中に踊り、ひとすじずつ、髪に降りていく。

 まるで、時間の針だけを巻き戻すように。

 切られた部分が、なぞるように再生されていった。


「ファルネスさま……」


 驚きに声を上げたニアが、恐る恐る髪を撫でた。


「お礼よ」


 短く答えて魔力を収める。

 ニアの目が、まるで魔法そのものみたいに輝いている。


 ――懐かしい。


 かつての私も師匠の魔法に、

 何度も息を呑んで、追いつけない背中に憧れていたものだ。


「やっぱりすごいです、ファルネスさま。

 魔法を極めれば、なんでもできちゃうんですね……!」


(やはり……)


 そのまっすぐな言葉が、わずかに胸を刺した。

 おそらく、この子は感覚で魔法を操っている。


 だから知らないのだ。

 魔法が万能ではなく、時には代償が必要であることを。


「ニア。魔法はね、簡単に《()》から《()》を生み出しているわけじゃないのよ」


「え?」と、小さく返すニアの足元を、私は指さした。

 さっきまで散っていたはずの彼女の髪は、どこにもない。


「あなたの髪をたやすく戻せたのは、切られた髪がまだ残っていたから」


「え……。では、もし髪がなければ?」


「その場合は《()()()()》を無理やり創り出すしかないの。

 ……それは、魔力を持つ者が最も警戒すべき行為よ」

「危険……?」


 ごくりとニアが息を呑む。


「魔法の基本は、()()()()()()()()

 けれど、どれほど強い魔力があっても、()()()()()()()を創り出そうとすれば、

 魔力を大きく消耗するし……代償も必要になる」

「…………」

「ただ、小さな物や単純な構造なら、

 魔力と体力を削る程度で()()()()()()()を創れることはあるけどね」


 ニアは何も言わず、ただ静かに頷いた。

 その頷きには、戸惑いと……わずかに落胆が混じっていた。


「魔法って、奥が深いんですね………」

「ええ。つい感覚で使いたくなってしまうのは、魔法使いなら誰でも通る道よ」


 唇を噛んで、しょぼんとうなだれるニアに、思わず苦笑する。


「私もまだまだ勉強中だけど……知っていることは、全部教えてあげる。

 一緒に学んでいきましょうね」


 その瞬間、ニアはぱっと顔を上げた。

 空が晴れるように、笑顔が広がっていった。


「それでは、あの……まずは何から学んだらいいのでしょう?」

「得意な魔法は、魔力の消費を最低限に抑えて発動できるの。

 だから、あなたの得意な魔法を探しましょう」


「わかりました!

 ……ちなみに、ファルネスさまは、どんな魔法がお得意なのですか?」

「え――」


 言葉が詰まり、唇に指を当てた。


(……誤魔化してもいいけど)


 甘いかもしれない。

 でも……。


 こちらを見つめる、ニアの輝く瞳とぶつかった。

 ぎゅっと、指先に力を込める。


(……この子には、できるだけ嘘はつきたくない)


 ふうっと息を吐く。


「……特殊系の……変身魔法、よ」

「へんしん……もしかして、今も変身されていたり!?」


 ザッと血の気が引いた。


「ま、まさか~!」

「ですよね~!」


 頬がひきつる。


(心臓に悪いわ……!)


 その時だった。


 置き時計が、カン、カンと、冷たい鐘の音を打ち鳴らした。

 静けさに、ひとすじの切れ目が走る。


「そろそろ行きましょうか。私には、テーブル・マナーを教えてもらえるかしら」

「もちろんでございます。お任せください」


 その明るい笑みに、心が動く。


(踏み込むなら、今だ)


「……ねえ、ニア」

「なんでしょう」


「グリセナ黎妃の鏡が、今どこにあるか知っている?」

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