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死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第3章(前編)魔女と医師には裏がある

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第4話 小さな騎士の申し出

 ぎくりと胸の奥が跳ねた。

 まさか、そんな意図は微塵もなかったのに。


「……そこまで気が回らなかったわ」


 声が少し震えた。

 昨夜、馬車に詰め込まれるように剣聖宮へ送り込まれ、慌ただしく選んだものだ。

 そもそもドレスの手持ちも少ない。選択肢などほとんどなかった。


 けれど、そんな事情を後宮の妃たちが酌んでくれるはずもない。

 隙を見せれば、即座に踏み台にされる――ここは、そういう場所だ。


(指摘されて、初めて気がつくなんて)


 自分のドレスを見下ろしながら、情けなさに頬が熱くなる。


 ニアは小さく肩をすくめ、呆れたようにため息を洩らした。

 控えめながらも、その仕草には年齢以上の老成さが滲む。


「最初が肝心にございます、ファルネスさま」

「……そう、よね」

(……この後宮は、本当に息が詰まる)


 こめかみが鈍く痛む。

 一刻も早く鞘の欠片を探さなければならないというのに、

 複雑で息苦しい宮廷のマナーにも気を配らねば生き延びられないなんて。


 あまりにも、現実は厳しい。


「ファルネスさま。今後のことをお考えであれば、侍女をお迎えになることをお勧めいたします」

「私もそう思うけれど……伝手がないのよ」


 そう告げると、ニアが小さく喉を鳴らした。

 栗色の瞳が揺れ、何かを言いかけて飲み込む。

 ためらいと、覚悟がせめぎ合うような一瞬の沈黙。


 けれど、やがて決意の光が宿った。


「……もしよろしければ」


 僅かな緊張が、伝わった。


「私では、いかがでしょうか」

「へ?」


 意外な申し出に、理解が追いつかず、間抜けな声が出た。


 ベッドに半身を起こしたままのニアの真剣な眼差しが、真っ直ぐにこちらを射抜いた。


「侍女として、お傍に置いていただけませんか」

「ど、どうして」


 ニアは視線を伏せ、胸元で細い指を組み合わせた。


「私には、心から尊敬している魔女がおります。

 かつてニアの村を救ってくださった、とてもお優しくて、立派なお方でした」


(……へえ)


「あの方のように魔法を使いこなし、人を助けられる者になりたいと願っております。

 そして……いつの日にか、認めて頂けたら――」


 その語り口に、微かな熱が宿る。

 うら若き魔女の祈りにも似た告白だった。


「そのためには、力のある魔女にお仕えし、学ばせていただくのが最良……」


 彼女は組んでいた指を力なくほどき、掛布の裾を握った。


「ですが私のような身の上では、上位妃さまにお仕えすることなど到底叶いません」

「私は九十九位の影妃よ? 一番仕えてはいけないんじゃ……」

「いいえ」


 ふいに顔をあげたニアの瞳が、暗い光を宿す。

 鋭い眼差しに射抜かれたようで、息が止まった。


「ファルネスさまの修復魔法、治癒魔法、そして魔道具への深い見識……

 私にはわかります。ファルネスさまは、ただの魔女ではございません」


 奥まで見透かされるような視線に、ごくりと唾を飲む。


「さらに、陛下よりご寵愛を賜った初めてのお方。

 ……懐に潜り込むなら、いまのうちだと踏みました」


(……意外と大胆なことを言うわね)


「あなた、本音がダダ漏れよ」


 苦笑して指摘すると、ニアはハッと目を瞬かせ、慌てて口元に手を当てた。


「……し、失礼を」

「いいわよ、もっと気楽に話してちょうだい」

「……は、はい」


 素直な返事に、わずかな幼さが滲む。

 私はそっと視線を外し、思案を巡らせた。


 ニアが仕えてくれるなら、この後宮でも随分と立ち回りやすくなるだろう。

 何より、孤立無援の現状にとっては、願ってもない申し出だ。


 ――ただ。


(この子の観察眼……侮れない)


 油断をすれば、いずれ正体を見破られるかもしれない。

 それでも――この宮廷でたった一人で生き抜くのは、あまりに無謀だ。


 ここでは、少しの失敗が命取りになる。


 無意識にでも妃たちのひんしゅくを買えば、

 無実の罪を着せられて追放される……いや、それだけで済む保証はない。

 最悪の場合、見せしめとして処刑される可能性すらある。


 こちらを冷ややかに断罪するテオドリックの顔が、脳裏にちらついた。

 無力さの中ですべてを奪われる未来を想像して、背筋が粟立つ。


(たとえ、仮初の味方でも……背を預けられる存在は貴重……)


 ……賭けるしかない。


 ふっと息をつき、ニアに向き直った。


「ありがとう。お願いするわ」


 そう告げると、ニアはほっとしたように胸元に手を当て、わずかに息を吐いた。


「はい。誠心誠意、お仕えいたします」


 その唇がふっと緩み、初めて年相応の無邪気な笑みがこぼれる。

 先ほどまで張り詰めていた雰囲気が、ようやく少し柔らいだ。


「でも……本来なら、侍女をつけるには宮廷の許可がいるはずよね?」

「はい。しかし私はノワール・マナーに仕えておりますので、手続きは後ほど私が整えておきます」


 後宮の制度について詳しくはないが、女官から妃専属の侍女に移るのは、それなりに面倒なのではないかとは思う。

 けれど、長年の勤めがあるニアが直々に申し出るくらいなのだから、きっと通るのだろう。


「何から何まで、ありがとう。お任せしてしまっていいかしら」

「はい、滞りなく進めておきます」


(頼れる子ね……)


「それから……ファルネスさまに、こちらを」

「ん?」


 ニアはサイドテーブルの引き出しに手を差し入れ、慎重に布袋を取り出した。

 細い指先が袋をそっとつまみ上げると、袋はころんと掌に転がった。


 結び目が解かれると、中から小さな髪飾りが現れる。

 扇のようにゆるやかに広がる櫛の形をしており、

 夜の底を閉じ込めたような深黒の宝石があしらわれていた。


 漆黒の地に施された繊細な彫金細工が、光

 を吸い込むように鈍く輝き、黒一色の中に静かな威厳を漂わせている。


 見るからに上等な品で、絹のドレスにもそっと映えそうだが

 ……どこか魔力が封じ込められている気配がする。


(魔道具……? でも、見たことない……)


 じっと見つめていると、


「この髪飾りは、お守りになると教えられました。

 ファルネスさまが後宮にて無事にお過ごしになれますように……」


 ニアは少し照れたように微笑みながら、髪飾りを差し出した。

 おずおずとそれを受け取る。

 ずしりとした重みが掌に残り……ほのかに熱を帯びているようにも思えた。


(気のせい……かしら……)


 わずかな違和感を覚えたが、それでも女心をくすぐるには十分な美しさだった。

 自然と指先で宝石を撫でてしまう。


「ありがとう。とても気に入ったわ」

「良かったです。これはニアの亡き母の形見なんです」


 ――――……。


 空気が、一瞬凍りついたように感じた。


(えっ……!?)


「ちょっと待って。そんなに大事なものを、侍女になった初日に渡していいの?」

「……いけませんか?」


 無垢な瞳が真っ直ぐこちらを見つめ、心臓がどくんと跳ねる。


(え、どうしよう……返したほうがいい? でも、それはそれで角が立つ?)


 内心パニックになりつつも、とりあえず笑みを貼り付けた。


「……い、いえ。大事にするわね」

「はい」


 彼女はにこやかに微笑んだ。

 その無垢な笑顔に、心が揺らぐ。


(いいの……かしら。本当に……)


「ファルネスさま」


 迷う私の手に、ニアの小さな手が重なった。


「ずっとお一人で、お辛かったでしょう」

「……え?」

「どうかご安心ください。これからは、ニアがついておりますので」


 その言葉に滲むのは、皮肉でも哀れみでもなかった。

 ぎこちないけれど、真っ直ぐでひたむきな優しさ。


(……小さな騎士みたいね)


 もう誰かに守られる立場ではないと、ずっと思い込んでいたのに。

 自然と笑みが零れ、頬がゆるんだ。


 私の反応に、ニアも照れたように口元を綻ばせた。


 こうして誰かと笑い合うことなど、本当に久しぶりだ。

 この温もりが、とても愛おしく感じられた。


 昼下がりの窓から差し込む光が、頬をあたためる。

 その優しい陽の気配まで、心に沁み込むようだった。

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