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死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第3章(前編)魔女と医師には裏がある

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第3話 後宮の白い庭

 オスカーから「診察」という名の尋問を終えた私は、

 ここに来たときと同じように、侍女たちの手で、てきぱきと身支度を整えられた。

 自前のドレスは、冷えた空気を吸い込んだように肌へ張りつき、冷ややかさに鳥肌が立つ。


 彼女たちに導かれるまま、寝室を出る。

 執務室、応接間、控えの間……扉をくぐるために、テオドリックが不意に現れるのではと緊張で喉が渇いた、

 あの深い青の瞳が、扉の向こうからこちらを射抜いている気さえして――。


 だが、それは杞憂だった。


 しずしずと階段を下り、剣聖宮の一階の廊下に足をついた瞬間、ようやく肩の力が抜ける。


 背後で剣衛兵たちの鎧が微かに鳴った。

 振り返ると、鋭い視線が突き刺さる。

 抜き身の剣が私の進路を封じるように掲げられており、思わず息を呑む。


 ――二階への道は、再び固く閉ざされた。


 昨夜の出来事は現実味を失い、指先からすり抜ける夢の砂のようだった。


 朝の剣聖宮は、夜の静寂が嘘のようにざわめきを取り戻している。

 廊下を行き交う足音、遠くで鳴る車輪の軋み――。


 現実感が戻り、ほっと安堵すると同時に、その整然と響く音が冷たく、

 居場所のなさを改めて痛感させる。


「ファルネスさま」


 階段のそばで控えていたのだろう。

 迎えに来ていた女官長が、一歩進み出て深く頭を下げた。


「ノワール・マナーまで、お送りいたしましょう」

「……あの。その前に、寄ってほしい場所があって……」


 女官長は訝しげに眉根を寄せ、私を一瞥する。

 だが何も言わず、ただ静かに頷いた。


 ◆ ◆ ◆


 ――白花の館(ブランシュ・メゾン)


 剣聖宮の端に佇む、二階建ての白い館。


 白い石造りの壁は朝の光を浴びて淡く輝き、無駄のない窓枠と、柔らかく絡む蔦の緑が静かな気品を添えている。

 庭先には白い花々が惜しみなく咲き誇り、風に乗って淡い香りを漂わせていた。


 だが、館に近づくにつれて空気がわずかに変わる。

 肌をかすめる微細な魔力の流れ――館を包む結界の気配。

 後宮の冷たい喧騒が遠のき、清らかな水の中に沈むような静謐さに抱かれる。


「ここは……」


 思わず息をひそめる。

 後宮の一部でありながら、まるで外界と切り離された聖域のようだった。


 女官長から申し送りを受けた若い女官と玄関前までやってきた私は、館を見上げる。

 さらに近づこうとすると、女官が立ち止まって頭を下げた。


「私は、こちらでお待ちしております」


 これ以上介入する気はないらしい。

 そのとき、白い玄関扉が軽やかに開き、白衣に身を包んだ侍療女が現れた。


 彼女は私を見て、頭を垂れる。


「どうぞお入りください」


 短く告げると、すぐ背を向けて引き返していく。

 躊躇しつつも、彼女にを追うように館内に足を踏み入れた。

 結界を抜けると、ほんのりとした薬草の香りが漂い、後宮の気配は完全に途絶える。


 長い廊下の突き当りにあったのは、白壁に囲まれた広い療養室だった。

 日の光が大きな窓から差し込み、室内をやわらかく満たしている。


 壁際にはいくつものベッドが等間隔に並び、若い女たちが横たわっていた。

 みな病衣に身を包んでおり、立場や階級を推し量ることはできないが、

 看護する侍療女たちの様子から妃は混じっていないとわかる。


 それでも歩みを進めるたび、息が詰まる。

 侍療女に導かれているのは私一人。

 療養者たちの好奇の視線が、鋭い棘のように刺さってくる。


「……影妃さまだわ」

「陛下にお声をかけられたとか……」


 ひそやかに交わされる会話。

 顔を上げる勇気も出ず、視線を落とす。


(……昨夜のことも、すぐに広まりそうね)


 今後を思うと、ますます気が重たくなる。

 そうしている間に、侍療女の足が止まった。

 ベッドの上には、ゆるやかな寝息を立てるニア・レイスンがいた。

 頬のガーゼが、弱々しい白さで浮いて見える。


 眠っているなら日を改めようと思ったが、侍療女は躊躇いなく揺り起こした。

 ニアはぱちりと瞼を開け、すぐに私に気づき目を瞬かせる。


「ファルネスさま」


 慌てて体を起こし、ベッドから降りようとした。


「そのままでいいわ」


 私の制止に、ニアは迷ったように視線を泳がせたが、やがて枕を背にして体を落ち着けた。

 病衣の下の体は細く、魔力の気配も薄く頼りなかったが、顔には生気が戻っている。


「十分後に、またお迎えにあがります」


 侍療女は一礼し、そのまま引き下がった。


「体調はどう?」

「ずいぶん快復いたしております。夕刻には、ノワール・マナーへ戻れるとのことでございます」

「そう、よかったわ。……それ、どうしたの?」


 私の視線を追い、ニアが頬のガーゼに触れる。


「……何でもございません」


 わずかに震える声。

 昨夜、衣装室で交わした会話が脳裏をよぎる。


 ――『……鏡は元通りになりましたが、それでもグリゼナさまにはご報告いたします。

 黙っていれば、私が責任を問われてしまいますから……』


「……私をかばって?」

「どうか、ファルネスさまがお心をお痛めになりませぬよう」

「ごめんなさい。もっと慎重に行動すべきだったわ」


 ニアの伏せた横顔がかすかに強張り、胸の奥が締めつけられる。


 ベッド傍の丸椅子に腰を下ろし、周囲を見回す。

 療養者たちが気まずそうに顔を伏せた。

 途端に、不思議と周囲のざわめきが遠のいた気がした。


「診てくれたのは、オスカー……じゃなかった。エイデン先生?」


 名前を口にした瞬間、胸の奥に苦いものがじわりと広がる。


「はい。私のような身分の者にも、丁寧に診察して頂きました」


 ニアの声には、熱が帯びていた。


「噂に違わず、誠に立派なお方でございます」

「そ、そう……」


 思わず口元が引きつる。


(ずいぶん上手くやってるのね)


 ニアはちらりと私を窺うように視線をよこした。


「あの……ファルネスさまが、私を助けてくださったのですよね?」


 柔らかくもまっすぐな問いかけに胸が詰まる。

 声を上げたのは、私とルカだ。

 だが、グリゼナの罪を暴いたのは、結果的にテオドリックだった。

 とてもじゃないが、助けたとは言えない。


 沈黙が落ちる。


「……いえ、何もしてないわ」

「しかし」

「お礼を言うなら、ルカさまよ。あなたのこと、ずいぶん大切にしているようだから」


 ニアはじっと私を見つめる。長い睫毛が震えている。

 まるで私の言葉の真意を測りかねているような視線に耐えきれず、私は腰を浮かせる。


「じゃあ、私は先に戻るわね」


 立ち上がり背を向けた、その直後。


「……ファルネスさま。

 そのご装いのまま、昼の剣聖宮をお歩きになるおつもりでしょうか」

「えっ? ……だめ?」

「そちらは夜会用のドレスでございます。

 昼間にお召しになりますと、少々派手すぎるかと……

 このまま他の妃さまと行き違えば――

 陛下のご寵愛を誇示なさっているように受け取られかねません」

「え……」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

前回の更新から間が空いてしまい、大変お待たせいたしました。

今後は、毎週土曜日に更新いたします。

引き続き、テオとシャロンの物語をどうぞよろしくお願いいたします。

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