第3話 勇者の後宮へようこそ
『勇者が聖剣を手にしたように、皇帝に選ばれし者こそ、皇后の座を手にする』
かつて世界を救い、皇帝となった双冠王――テオドリック・ヴァルディア。
彼が君臨する剣聖宮。
神々の祝福を受けし楽園とも称される、夢幻の城。
そして、その奥深く。
誰もが憧れる、もうひとつの楽園がある。
皇帝の寵愛を受ける妃たちが集う、選ばれし者の園。
すなわち――勇者の後宮。
◆ ◆ ◆
今、私はその中心――『聖剣の間』で、膝を折っている。
目の前には、黄金の玉座に腰掛ける皇帝・テオドリック。
豪奢な衣装に身を包みながらも、その眼差しは、
五年前、魔王と対峙した時と変わらぬ威厳を湛えていた。
絹のような金の髪は、揺れるたびに光を反射し、神聖な後光を纒うように輝く。
けれど、深く澄んだ青い瞳には、底知れぬ冷たさが宿っていた。
人間らしい温もりは、微塵もない。
唯一、耳元できらめく銀のピアスだけが、妙に生々しく感じられた。
(……まるで別人)
かつての彼は、光そのものだった。
戦場では仲間を鼓舞し、時には無邪気に笑い、
絶望の中でも決して希望を手放さなかった。
けれど今は――ただ静かに、冷えた炎を宿した瞳で私たちを見下ろしている。
まるで、この世のすべてが取るに足らぬ存在であるかのように。
ふと見ると、彼の指先が肘掛けの上で微かに震えていた。
瞳にも闇が混じりはじめ、ほんの一瞬、表情が苦痛に歪む。
(……限界が近いのね)
五年間、聖剣の加護で持ちこたえてきたものの
……あと一年、もつかどうか。
(間に合わないかもしれない……)
焦りを悟られぬよう、そっと目を伏せる。
「陛下。こちらにお連れいたしましたのは、選りすぐりの魔女たちにございます。
さあ、ご挨拶して」
控えていた女官長の声が響く。
私と同じく膝を折っていた二人の魔女が、
すっと立ち上がり、優雅に一礼した。
一拍遅れて、私もそれに倣う。
彼女たちは華やかなドレスに身を包み、気品に満ちた微笑を浮かべている。
「……皇后になるのは、私よ」
隣の魔女が、宣戦布告するように小さく呟く。
美しい魔法石を散らしたネックレスが、彼女の胸元で輝いた。
貴族の令嬢から、田舎育ちの娘まで、誰もが勇者の隣を夢見ている。
それに比べて私は――。
首元までレースに覆われた地味なドレスに、
化粧っ気もない。背丈だって一番低い。
でも、それでいい。
本来なら、ただの雑用係として潜り込むはずだった。
それが影妃に抜擢されるなんて――完全に想定外。
(鞘を探しだしたら、すぐにでも出ていくんだから……!)
ぎゅっと拳を握る。
だが、テオドリックは緊張した面持ちで並ぶ私たちを一瞥すると、深くため息をつく。
「君たちも大変だな。興味もない男の前に連れ出されて。さぞ退屈だろう」
――そう言い放ちながらも、その声にはわずかな苛立ちが滲んでいた。
まるで、期待を裏切られたかのように。
魔女たちの笑顔が引きつる。
「陛下……」
女官長が咳払いをし、努めて穏やかな声で言葉を続ける。
「どうか、せめてお名前だけでもお心に留めていただけますよう」
しかし、テオドリックはわずかに眉を上げるだけだった。
女官長は仕方なく息をつき、私の肩を肘でそっとつつく。
私は慎重に言葉を選びながら、丁寧に名乗った。
「このたび拝謁の機会を賜り、光栄の至りに存じます。
シャロン・ファルネスと申します」
「もっと顔をあげなさい」
その言葉とともに、呪文を詠唱される。
――ピシリ。
背筋が強制的に伸び、否応なく視線があがる。
そして――。
テオドリックと、目が合った。
「……ん?」
一瞬、時が止まる。
テオドリックが、怪訝そうにこちらを見つめた。
(まさか……バレた!?)
いや、そんなはずはない。
魔法によって、顔も体も、年齢も――すべて別人に変えてある。
だから、彼が私だと気づくはずはない。
だというのに――。
テオドリックの視線は、
まるで私の内側を抉るように鋭く注がれていた。
「どこかで会ったか?」