↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/46

第11話 それ以上、言うな

 唐突に名を呼ばれ、全身が硬直する。


 頭の芯が痺れるように熱くなり、バクバクと心臓が暴れ回った。

 テオドリックを見るのが苦しくて、顔を上げることができない。


「……ゆ、勇者殺しの魔女の名ですね。それが何か」

「……」


 靴音もなく、彼がこちらへ歩み寄ってくる気配がする。

 一歩、一歩、確実に。

 そして――私の目の前で、ぴたりと足を止めた。

 聖剣が、カチャリと音を立てて揺れる。


「こっちを見ろ」


 唇を強く噛みしめる。

 逃げ出したい。本能がそう叫んでいる。


(……耐えろ)


 意を決して、私はゆっくりと顔を上げる。

 テオドリックと視線が交錯した瞬間、息が止まりそうになった。

 冷ややかな青の瞳が、こちらを射抜いてくる。


 私の様子にも動じず、ただ無言で。

 感情が、まったく読めない。


 あまりにも、恐ろしい。


「君は、ミルディナに雰囲気がよく似ている」

「……それは、よろしくないですね。大罪人の魔女と同じなんて」


 そう答えながら、指をきつく絡めた。


「……大罪人。君もそう思うか」

「はい。なにせ、陛下を裏切ったのですから。

 ……最低の魔女だと思います。死んで償うべきです」


(苦しい……)


 自分で自分をズタズタに切り裂いているようで、吐き気すら覚えた。


「……裏切りか」


 わずかにテオドリックの眉が歪み、肩がかすかに上下した。

 深く息を吸い込み、何かを押し殺すように唇を結ぶ。

 その表情を見た瞬間、思わず目を伏せる。


 自分の口から“裏切り”なんて、言うべきじゃなかった。


(違う。違うのに――)


「あの、ですから……」


 気配が動く。

 テオドリックが膝を折り、視線の高さを合わせるように私の前に屈み込んだ。


「ミルディナは」


 口を開こうとしたその瞬間、手が伸びてくる。

 咄嗟に身体が跳ねた。反射的に後ろへ退こうとしたが……両頬を、そっと包まれた。


「もういい。それ以上、言うな」


 声音は静かで、奇妙なほど優しいものだった。


(……!)


 テオドリックは無言のまま、青い瞳で私を静かに捉えた。


 親指が、私の唇をわずかになぞる。


 その仕草があまりに穏やかで、胸の奥がかき乱される。

 何もかもが壊れる前の、あの頃の彼が、ふいに顔を覗かせた気がした。


(……どうして?)


 あなたは、私を恨んでいるんじゃないの?


「……申し訳ございません」


 声が掠れて、自分でも聞き取れなかった。

 それでも彼は何も言わず、するりと指を離す。

 唇が、じんと熱を帯びる。


 そのとき、視界の隅で銀のきらめきが揺れた。

 小さなピアスが、テオドリックの耳元で光っている。

 シンプルすぎて見分けがつかなかったが、よく見れば――


(……あれって)


 まだ旅を始めて間もない頃。

 初めて二人で依頼を成功させたときに贈った、あのピアスだ。


(まさか、まだ持っていたなんて)


 私の贈り物なんて、とっくに捨てていてもおかしくはないのに。


 けれど思いを巡らせる暇もなく、


「似ている」


 ぽつりと、呟くような声が降ってきて、全身が再び強張る。


「だが、君からはまったく魔力を感じない。……一体、何者だ?」


 ただ見つめられているだけなのに、圧を感じる。

 感情を押し殺したような静かな声に、もう耐えられなかった。


(逃げなきゃ)


 考えるより先に体が動いていた。

 椅子がガタンと音を立てる。

 勢いで立ち上がり、思わず叫ぶように言った。


「あの! 私、今夜は帰ります!」

「は?」


 テオドリックは立膝のまま、訝しげに私を見上げる。

 露骨に不審の色を滲ませたその眼差しが、ゆっくりと鋭さを増していく。


 後悔の波が押し寄せる。


 恐ろしくなって、距離を取るように後ずさった。


 彼は音もなく腰を上げると、真っ直ぐこちらを探るように見つめてくる。

 聖剣の鍔が、月明かりに鈍く光る。

 その光に、思わず背筋が粟立った。


「今、なんと言った?」


 薄闇に沈むテオドリックの表情は、まるで人形のようだ。

 生気のないその顔が、何を考えているのかわからなくて、ぞっとする。


(だめだ、考えがまとまらない……)


 この場でどう立ち回ればいいのか、わからない。

 落ち着けと自分に言い聞かせる暇もない。

 指先が冷たく、力が入らない。


「……ですからっ!

 わ、私のような身分の者が陛下と二人きりだなんて、身に余るといいますか……!」

「僕では不服ということか」

「まさか! そうではなくて、えっと!」


 言葉にすればするほど、足元が沼に沈み込んでいくようだ。


 まさか自分がここまで取り乱すとは。

 思わず後ずさると、彼もそれに合わせて歩み寄ってくる。


 身を翻そうとした瞬間――

 逃がすものかとでも言うように、荒々しく腕を掴まれ、引き寄せられた。


 反射的に、息が止まる。


 次の瞬間には、すぐそばに彼の顔があった。

 近い。

 鼓動が、暴れる。


 視線がぶつかる。逸らしたい。でも、逸らせない。

 掴まれた腕が、火傷のように熱い。

 喉が緊張でひりついて、声が出ない。


 泣き出しそうなほど胸が苦しい。

 思い出が、一気に身体を突き上げてきた。


 ……なのに、怖い。


「ここにいろ」


 その声だけが、不思議と優しかった。


「あの、私――」

「聞こえなかったのか。ここにいろ」

「……はい」


 静かに、テオドリックの手が離れる。


 私は黙ったまま、すとんと椅子に腰を下ろした。

 沈黙が、部屋にじんわりと滲んだ。


 彼は、しばらく私を見下ろしていたが、


「僕は執務に戻る」


 はっとして、テオドリックの顔を見上げた。


「もう休むといい」


 今までのやり取りが嘘のような言葉に、戸惑いが広がっていく。


(……ここで終わり?)


 なぜ……?

 あれだけ、おかしなことばかり言ったのに。


 底の知れないテオドリックに、ぞっとする。


「……わかりました」

「……」


 私の返事に、彼の目が細まる。


 その瞬間、青い瞳に黒い影がよぎり、目元がぴくりと痙攣した。

 首元に手をやり、苦痛に抗うように、ぐっと目を閉じる。

 歯が唇に食い込み、血の気が引くほど白くなっていた。


(……痣が、痛むの?)


 目を背けられなかった。

 薄闇の中、ひとり痛みに耐える姿が胸を締めつける。

 そこにいるのは、皇帝テオドリックではない。

 私の知っている、旅の仲間――テオだ。


 彼の首筋には、汗がにじんでいる。


 何も言えないまま、息を呑んだ。


 やがて彼は、小さく息を吐きながら、そっと手を離す。

 その下に浮かび上がったのは、黒く広がる痣。

 月明かりに照らされ、それはさっきよりも色濃く見えた。


(……侵食が進んでいる)


 この部屋に来たときよりも、

 黒い輪郭が、首を這うようにじわじわと広がっている。


 顔が引きつっていたのか、目が合った瞬間、彼はふいと視線を逸らした。


「大したことではない」


 そう言って、何かをごまかすように、無造作に髪をかきあげる。


(……嘘)


 そのままテオドリックは、扉へ向かって歩み出した。

 けれど、足元がわずかに揺れている。


 行かないで――そう願うより先に、手が動いていた。


「お待ちください」


 気づけば、テオドリックの服の裾を握っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。