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第6話 影妃の屈辱

「さっきから、何なの……言いがかりばっかり」


 グリゼナが吐き捨てるように言う。

 だが、その声音には、わずかな揺らぎがあった。


「でも……鏡が笑って、私の名前も呼んだような気もして……」

「……え?」


 グリゼナは、目を瞬かせた。

 ほんの一瞬、動きが止まったように見えた。


「……何の話をしているの?」


 ――ん?

 予想していた反応とは違う。

 計算の入り込む余地のない、無防備な戸惑い。


(反応がおかしい)


 だが、そのときだった。


 空気を裂くように、くすっと小さな笑い声が漏れた。

 黎妃の一人が、扇子を傾けて口元を覆いながら、目を細めている。

 隣の妃たちも視線を交わし、囁き合いながら、ひそかに微笑んだ。


(……この状況を、面白がっている?)


 グリゼナの頬が引きつった。

 猜疑の目が自身に向けられていることを察すると、

 彼女は一転して怯えたような表情を()()()()

 そして、周囲の顔色を窺いながら、鏡をそっとテーブルに置く。


「た、たしかに……あたしも少し気味が悪いと思っていたところですの。

 何かが取り憑いたのかもしれませんわ。これは処分させましょう」


 後ろめたさを塗り潰すように、言葉を並べた。


 ――逃げようとしている。


 誰も反論しない。

 場は不自然な静寂に包まれていた。


 テオドリックも沈黙している。


 けれど――その眼差しが私に向けられる。

 ただの一瞥。

 それだけで、目眩がした。


 わざと、判断を私に委ねている。

 私が何を知っていて、どう動くか――試されているのだ。


 ぐっと唇を噛んだ。


(怖い人……)


 でも、怖気づいてはいけない。

 私が逃げれば、また誰かが消える。


 ひと呼吸置き、真正面からグリゼナを見返した。


「……ひとつよろしいでしょうか」

「な、なに」

「グリゼナさまの鏡を破損いたしました非礼につきましては、改めて深くお詫び申し上げます。

 ただ、謝罪に向かわせたニア・レイスンが未だ戻らず……行方をご存知でしょうか」


 グリゼナは、眉を寄せてかぶりを振る。


「し、知らないわ」


 ……けれど、その態度とは裏腹に――彼女の手が、無意識に鏡へと伸びた。


(……やっぱり)


「あなた……あたしが、何かしたとでも?」


 声の調子が変わる。


「もしかして、さっきのことをまだ根に持っているの? 

 手が滑っただけよ。ちゃんと謝ったじゃない」


 グリゼナは、ちらとテオドリックを窺いながら、


「陛下の前で、あたしを貶めるつもりなのね。ずるい子だわ」


 目元に手を添え、芝居がかったように眉をひそめた。

 不自然にまくしたてる言葉の端々から、罪の匂いが立ち上ってくる。


 ……だが、誰も一言も発さなかった。


 ふと、服の袖を誰かに引かれた。

 目をやると、スワンが怯えた表情で首を横に振っている。

 ユリもロロも、視線を伏せていて、その顔からはすっかり血の気が失せていた。


(……私が影妃だからか)


 自分の無力さに、歯噛みする。

 場の温度が落ちていく。

 皆が、このまま流れていくことを願っていた。

 最初から何もなかったことにしようとしているかのように。


「でも」


 ぽつりと、ルカが呟いた。


「――グリゼナさまの侍女……もう何人も、いなくなっていますよね」


 突然放たれた告発に、グリゼナが目を剥いた。

 スワンとロロは唖然としながら、ルカを振り返る。

 彼女は腕を組んだまま、鋭い眼光でグリゼナを見つめた。

 その瞳には、深い怒りが沈んでいた。


「……それが、なに」


 グリゼナの声は低く、鋭い。


「折り合いが悪くなったから、実家に帰しただけよ」


 言い訳のようでいて、最初から用意されていたような台詞だった。

 だが、ルカの眼差しは、先ほどと何ひとつ変わらない。


 テオドリックの表情が動く。

 無言のまま――柄に添えた手が、わずかに強張った。

 グリゼナは……気づきもしない。


「ニアはノワール・マナーの大切な子なのですが」

「……人手不足で大変なら、また補充したらいかが」


 グリゼナは鼻で笑ったが、この場にいる者たちは皆、唖然として顔を見合わせた。


 ルカの瞳が揺れ、組んだ腕に強い力がこもる。

 自分の腕ごと、握りつぶしてしまいそうなほどに。

 ゆっくりと、ルカがこちらを向いた。

 その目には――言葉にできない、痛切な訴えが宿っていた。


(……補充、だと?)


 私もまた、無意識に手を握りしめていた。

 ぞわりと、背筋が逆撫でされる。


 人の命を弄んでおいて? 


 その残酷さに、寒気を通り越して吐き気がする。

 腹の底から炎が燃え立つような衝動がこみ上げてきた。


 ここで声を荒らげれば、注目を浴びてしまう。

 わかっている、感情に呑まれてはいけないと。


 けれど、許せなかった。


(ふざけるのも、いい加減にしろ)


 胸の奥で膨れ上がっていた怒りが、ついに噴き出した。

 バンッ! とテーブルを叩く音が響き、空気が跳ねた。

 視線が一斉に集まる。

 手を叩きつけたのは、他でもない――私だった。


「ニアを返しなさいよ」


 グリゼナの視線が、こちらを射すくめるように鋭さを増した。


 直後。


「――殺したのか?」


 テオドリックの声が、冷たい刃のようにすべてを断ち切った。

前話で「あと二話で完結」とお伝えしていたグリゼナ編ですが、

執筆の途中で想定以上に文字数が膨らんでしまい、急遽分割することとなりました。

予告と異なる形となってしまい恐縮ですが、今回は同時更新にてお届けしておりますので、

流れを損なわずお楽しみいただければ幸いです。


引き続き、次話もどうぞよろしくお願い致します。

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