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第6話 女官は魔法がお上手

 ――夕方。

 ニアに連れられて入った衣装室は、重苦しい空気に包まれていた。


 壁は、夜闇そのものを塗り固めたような色をしている。

 光を拒むような鈍い艶を帯び、息すら潜めたくなるほどの静寂。

 青白い魔法灯が揺れるたび、私の影も淡く踊った。

 床に敷かれた黒い絨毯は足音を吸い込み、自分の存在が溶けていくような錯覚を覚える。


 棚には、帽子、アクセサリー、鞄、パラソル、手袋、靴――

 あらゆる装飾品が整然と並べられていた。

 すべてが黒一色。

 けれど、質感や意匠には、持ち主の個性が垣間見える。


 たとえば艶のあるシルクの手袋は、物静かなスワンのものだろうし、

 装飾を省いた実用的なブーツは、きっとルカのものだ。

 壁際には、小さな名札が取り付けられたクローゼットが五つ、きっちりと並んでいる。


 ロロのクローゼットには、黒地にレースをあしらった華やかなドレスがずらりと並び、

 ユリのスペースには、可愛らしいフリルつきのドレスが丁寧に収められていた。


 ――けれど。


 私の名札が貼られたクローゼットには、替えのドレスが一着だけ。

 ぽつんと、寂しそうにかけられていた。


 部屋の中央には、大きな姿見がひとつ、壁に掛けられている。

 漆黒に塗り固められた枠は、飾り気こそないが、妙に存在感がある。

 下部の塗装は剥がれ、古ぼけた黄色がうっすらと浮かび上がっていた。


(これが……例の、グリゼナ黎妃からの贈り物か)


 まるで()()のようだ。

 私は、その鏡をうんざりした気分で睨みつけた。


「それでは、装いを整えさせていただきます」


 隣で、ニアが丁寧に腰を折った。


 ◆ ◆ ◆


「――今さらだけど、どうして黒いドレスしか選べないの?」

「影妃さまには、黒以外のお召し物は許可されておりません。

 ……影は、光を引き立てるために存在するもの。後宮における立場も、同様です」


 背後でドレスの裾を整えていたニアが、微塵の迷いもなく言い放った。


「私は赤が好きなんだけどな」

「そうですか」


 ピシャリと言い放たれる。

 好みを伝えただけなのに、情け容赦ない。

 私はしげしげと、自分のドレスに目を落とす。


「ねえ、用意してもらっておいて悪いんだけど……

 このドレス、ちょっと地味じゃない?」


 ニアが着付けてくれているのは、肩と腕が大胆に露出した黒いドレス。

 襟ぐりは深く開き、肌寒さすら感じるのに、装飾はほとんど施されていない。


「ファルネスさまは六妃です。

 あまりに豪華な装いは傲慢と受け取られかねません。

 身分相応に控えめに装うことこそが、後宮での礼儀とされております」

「……そういうものなのね。でも、これ……ちょっと汚れてない?」


 くたびれた布地、袖口のほつれ、擦り切れた裾――

 極めつけは襟元の謎の染み。まるで使い古しのようだった。


「前の影妃さまが置いていかれたものです。多少の難は、仕方ありません。

 お気に召さないようであれば、ご自身でご用意くださいませ」

「うっ……」

「それから、帽子やパラソル、アクセサリーにつきましても、

 十分にご配慮いただけますよう、お願いいたします」


 ニアの視線がふと、私の左手にある封魔の環(シール・リング)に滑り――目を細めた。


(え……!? まさか、これダメ!? バレた!?)


「……そちらにつきましては、特に問題ございません」


(よかったぁぁぁ!!)


 私は表情を悟られないように、わざとらしく咳払いをひとつした。


「今後は、朝食・昼食・夕食・就寝前

 ――最低でも一日四度、お召し替えいただくことが定められております」

「ちょっと待って。そんなに!?」

「はい。なお、肌着につきましても、ご自身でご用意いただきますようお願いいたします」


 私はクローゼットに並ぶ、他の四人分のドレスを見やる。


(一体、何着あれば足りるの……)


「というか、どこで買えばいいのかすらわからないんだけど……」

「私より、仕立て屋をご紹介申し上げます。

 ファルネスさまは、剣聖宮からご外出いただけませんので――

 ノワール・マナーまでお呼びつけいただくか、使いの者をお立てくださいませ」


(まずい……思っていたより、後宮暮らしって、めちゃくちゃ大変かもしれない)


「ちなみに、ドレスの流行はおおよそ三ヶ月で移り変わります。

 侍女をお持ちでないファルネスさまには、ご負担も多いかと存じますが……」

「ええ……そんなにお金持ってないわ」

「ですが――遅れを取れば、それなりの評価が下される世界でございます。

 ……どうぞ、ご留意くださいませ」


 グサリ。


(やだやだ、もう泣きそう……!)


「……みんな、どうやってお金を工面しているの?

 家柄は関係ないんでしょ、この後宮って」


 ニアは、まるで()()()()()と言わんばかりの顔で、淡々と答えた。


「血筋が問われないとはいえ、魔力の高さには遺伝の影響がございます。

 結果として、ご実家の資力に差が出るのは当然のことかと」

「……つまり」

「ファルネスさまは……お可哀想ですね」


(今までは、狩った魔物や集めた素材を売って、なんとか暮らしてきた)

(その日暮らしでしのいでいたから、貯金なんてほとんどない……)

(ああ……家に置いてきた上級の装備品、売ってきたらよかった……!)


 私が頭を抱えていると――

 背後で、ニアが静かに魔法の詠唱を始めた。


 ぐいっ。

 突然、コルセットの締め付けが一気に強まる。


「!?」


 ギチギチギチッ……!!


「……ッッ!? ちょっ、もっと緩く――」


 訴える間もなく、容赦なく締め上げられる。


 バキバキバキッ!!


(ちょ!! 背骨いったんじゃないの!?)


「待って!? 痛いんだけど!!」

「姿勢を整えております。妃としての資質に関わることですので」

「いやいや、暴力だからこれ! 朝は魔法使わなかったじゃない!」

「スワンさまからご指示がありましたので、本日は特別に魔法を用いて準備いたしております。

 ――それでは、仕上げに入ります」


 グイッ!!

 今度は頭皮にビリビリと鋭い痛みが走る。


「痛ったたぁああ!!!? なにこれ!?」

「髪を結っておりますので、じっとしていてくださいませ」

「千切れるってば! もうちょっと優しくできないの!?」


 ジュッ。


「……今の音、なに!? 髪の毛焦げてない!!?」

「ファルネスさま、お静かに。手元が狂います」

「もう狂ってるからね!? だいぶ前から!」


 ――そうしてようやく、ニアは手を止めた。


「……ふう。うまくいきました」


 汗を拭いながら、どこか満足気に胸を張る。


「ファルネスさま。魔法とは本来、このように使うものでございます」

「…………は、はあ」


(……え、今、なんか『未熟者』扱いされた?)


「それでは、髪飾りを取ってまいります。こちらでお待ちくださいませ」


 完璧に仕事をこなして、ニアは颯爽と衣装室から出て行った。


(……酷い目に遭った)


 私はそろりと鏡の前に立ち、整えられた自分を映す。

 粗末な黒のドレスに、ぴしりと結い上げられた髪。

 最低限の化粧は、顔色をいっそう悪く見せている。


(目立ちたくはないけど……これじゃ逆に注目を浴びるでしょ)


 私は、そっと、小さく詠唱する。


紡げ、黒羽の綾(ヴァンタ・リュバン)


 指先でドレスの裾をなぞると、美しい魔力の糸が、静かな光を帯びる。

 ほつれた繊維がふわりと舞い上がり、ゆるやかに絡まり合っていく。

 くすんだ布地は艶を取り戻し、襟元の染みも跡形なく消えていた。

 まるで濡れた黒鳥の羽根のように――しなやかで、美しい。


たゆたえ、夜風の髪(ノクターン・ノクス)


 ふわりと髪がほどけ、夜風に撫でられるように舞い上がる。

 魔力に引かれるようにリボンが宙を舞い、髪にやさしく編み込まれていく。

 後ろ髪は柔らかく波打つように揺れ、

 星明かりを映したような、繊細な煌めきを纒った。


艶めけ、宵の微笑(ダスク・ヴェール)


 頬にそっと触れると、魔力が肌をやわらかく包み込む。

 目元には淡いグレイのアイシャドウが、光の角度でほのかに艶めき、

 頬には自然な桃色が差し、唇はささやかに彩られた。


(……女心としてはもっと整えたいけど。今は、これくらいがちょうどいい)


 目立たぬ範囲で、最低限。

 魔力の存在を悟られないように、慎重に整えた仕上がり。


(……まさか、初めてテオの前で着飾るのが、こんな場所になるなんてね)

(…………。別に意識したわけじゃないし。うん、違う違う)


「さて……」


 私は静かに、鏡の前で腕を組んだ。


 ――気のせいじゃない。

 鏡に映るのは、たしかに()


 だけど――これは、私じゃない。


「……あなた、誰?」

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