第2話 魔女、夜会への招待を受ける
「ファルネスさまは、ほとんど魔法を使えないはずでは……」
視線を泳がせながら、部屋の隅から隅までを目で追い、
ニアはぶつぶつと独り言を漏らしている。
(あれ? なんか反応が……)
私は椅子に腰を下ろし、なるべく平静を装いながら、
指先でテーブルの表面をなぞる。
つるりとした滑らかな木肌に、微かな魔力の余韻が残っていた。
(ちょっとやりすぎた?)
――誰にも気づかれていないけれど。
私は、魔力を極限まで抑えている。
左手の中指に重ねた、三重の黒い指輪。
SS級魔道具、『封魔の環』。
この指輪をつけている限り、私の魔力は「ほぼゼロ」に等しいと見なされる。
――もっとも、本当にゼロにしてしまえば、そもそも宮廷に入ることすらできなかった。
この指輪は、魔力の放出量をある程度コントロールできる。
だから私は、入宮に必要な最低限の魔力だけを、あえてわずかに外へ漏らしていた。
(影妃の末席に引き上げられるなんて、完全に予想外だったけど……)
本来、この指輪は、魔力の放出を極限まで抑え、外部からの探知を完全に遮断するもの。
封じ込めた魔力は内部に蓄えられ、必要に応じて"小出し"にできるため、
治癒や魔道具の操作程度なら問題なく行使できる。
――見つからずに魔法が使えるなんて、都合が良い。
この状況では、何よりもありがたい魔道具だ。
だが、この指輪には致命的なリスクがある。
魔力を抑え込むほどに、行き場を失った力が内側で膨れ上がり、
感情の高ぶりなどで暴発する可能性がある。
しかも、指輪は装着者の魔力を少しずつ吸い続けている。
放出を怠れば、いずれ制御不能な"爆発"に至るかもしれない。
裏ダンジョンで拾ったものだから、テオもこの指輪のことは知らないだろう。
(ずっと変身魔法で"シャロン"になっているから、魔力は使っている)
とはいえ、魔力を吸われ続けるだけでも、体はへとへとだ。
――でも、すべては鞘のため。
何も言わずにいると、ニアの視線がこちらに突き刺さる。
女官としての礼儀も、今はすっかり頭から抜け落ちているようだ。
(すごく疑われてる……)
しかし、ニアはしばしの沈黙ののち、
ふと何かに思い当たったように目を見開いた。
「ああ……最初から、整っていたんですね?」
「そ、そう! 入ったときからだいぶ綺麗だったわ」
少し慌てて口にした私の言葉に、ニアは一拍置いてから納得したように頷き、
安堵の色を浮かべて微笑んだ。
「そうでしたか。……おそらく、ファルネスさまを不憫に思われたどなたかが、
こっそり手を尽くしてくださったのでしょう」
「不憫って……私が?」
「ええ。魔力の低い影妃さまは他にもいらっしゃいますが
――ファルネスさまほど慎ましい方は、なかなか」
「ああ、そう。……感謝しておくわ」
(なんか引っかかる……!)
そこまで、私の体って……いや、気にしたらダメよね!
「それで……ファルネスさまは、以前はどのような暮らしを?」
私の言葉にかぶせるように、ニアが口を挟んだ。
――空気が変わった。
私はわずかに眉を寄せる。
まるで、私の素性に、疑いを持っているかのような視線。
(この子、ただの女官じゃないわね)
けれど、ここで取り繕っても意味がない。
あとでボロを出すくらいなら、最初から正直に言ったほうがまだマシだ。
「そうね……自由に生きていたわ。
野宿したり、魔物を食べたり、ダンジョンを冒険したり……」
「……えっ? ま、魔物を……召し上がった?」
「だって、旅先では他に食べられるものなんてなかったんだもの」
ニアの顔が、引きつる。
絶句したまま、しばらく言葉を失っていた。
「スライムの素揚げは、なかなか美味しいのよ?」
……沈黙。
ニアは目をぱちぱちと瞬かせたあと、
何か言いかけ――結局、咳払いひとつで言葉を飲み込んだ。
「そうですか……あっ!
だから、そんなに華奢なお身体なのですね」
(いや違うけど。え……もしかして、そうなの?)
ものすごく憐れむような顔をやめてほしい。
ぬぬぬ……と、ぐっと堪える。
「明日の夜会では……少しでもご馳走を召し上がれたら良いのですが」
「ん? 夜会?」
「はい。陛下主催の夜会が開かれます。
新しい影妃さまたちを迎える名目ですが――」
ニアは一瞬、意味ありげに言葉を切る。
「……実際の運営は、五妃さまたちが取り仕切っております」
(五妃――)
黎妃と呼ばれる、後宮の下位妃たち。
影妃より、一段階上の階級。
上位妃には及ばないが、影妃をねじ伏せるには十分すぎる影響力を持つ(らしい)。
どちらにせよ、近づきたくはない存在だ。
ニアは、何でもないような顔で言う。
「……まあ、どうぞお気を楽に。気軽な親睦の場でございますので」
(嘘つけ! 絶対なにかあるやつじゃん!!)
「明日の十九時までに、お支度を整えてくださいますようお願いいたします」
「支度っていわれても……私、宮廷の礼儀作法なんて知らないわ」
「それは――さぞお困りでしょうね」
「え、それだけ?」
「恐れ入りますが、そのあたりはご自身でお学びいただくほかございません。
……女官の務めにも、限りがございますので」
やんわりと……だが、はっきりと距離を取るニアに、私は唇を噛む。
(……仕方ないのは、分かってるけど)
「ああ、それと――」
ニアの声がわずかに低くなった。
「……皇帝陛下も、ご出席なさるとのことです」




