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第10話 呪いを飾る、そして代償

 私は、吸い寄せられるようにその絵画へと歩み寄った。

 キャンバス自体は、それほど大きくはない。

 描かれていたのは、自室で魔導書(グリモア)を読みふける魔法使いの姿。

 繊細な筆致と、魔法で施された絵具がきらめきを放ち、

 見る者の目を引くよう緻密に計算されている。


(……なるほど。魔力を引き寄せる仕掛け)


「どうされたの?」


 背後からかけられた声に、思わず肩が跳ねる。

 ソファに腰かけたままの影妃の一人が、不思議そうにこちらを見つめていた。

 これまでの妃たちに比べると、柔らかく穏やかな声音だ。


 金色の髪を、質素な黒い髪留めでまとめた彼女は、どこか親しみやすい雰囲気をまとっている。

 他の影妃と同様に顔色は悪いが、垂れ目で丸顔の表情が、緊張を和らげてくれるようだった。


「あの……この絵画は、いつからここに?」

「位の高い妃のどなたかが、献上してくださったのよ」

「誰からかは、わかりますか?」

「いいえ。そんなの気にしていられないわ。

 毎日のように贈り物が届けられるもの」

「……そうですか」


 私はためらうことなく、指先で絵画に触れた。


 ぬるりとした、独特な質感。

 額縁の素材は――ズフィラ鉱? いや、ミラネブラ石?

 ああ、核がある。模造品じゃない……やっぱりこれは、本物。

 ダンジョンでもないのに、まさか現物と出会えるなんて。

 ……詳しく知りたい。解体したい。

 魔素を確かめて、属性系統を見極めたい。

 ――舐めてみようかしら。

 いや、さすがに? でも、ちょっとだけなら……?


「勝手に触ったらいけないわ!」


 不意に伸びてきた手が、私の腕をそっと押し留めた。

 振り返ると、いつの間にか金髪の影妃が背後に立っており、

 怯えたような表情で私を見つめていた。


(しまった! またやってしまった)


 魔道具のことになると、つい理性が飛んでしまう。

 この悪癖、もう直したつもりでいたけれど――

 どうやら、まだ完全には自制できていないようだ。


「その絵が、そんなにお気に召したの?」

「いえ、そういうわけでは……」

「では、どうして?」

「魔道具です、これ」

「――はっ?」


 部屋の空気が凍りついた。

 影妃だけでなく、ハルやニア、侍女や女官……

 その場にいた全員の視線が、一斉に私へと注がれる。


「これは、絵画を模した魔道具――『寿命の肖像画』です」

「…………」

「魔道具というのは、魔力を持つ者が扱う特殊な道具のこと。

 自我こそありませんが、使い方次第で毒にも薬にもなります。

 主にダンジョンで生成されーー」

「それくらいのことなら、私たちも知っているわ」


 金髪の影妃が、やんわりと制した。

 だが私は気にせず、再び視線を絵へ戻し、淡々と続けた。


「これはD級の魔道具で、大した力はありません。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 影妃たちの顔色が、さらに悪くなっていくのがはっきりと分かる。


「ちなみに、あれも、それも……そしてこれもです」


 私は飾られていた絵画を次々と指さした。

 影妃たちは互いに顔を見合わせる。

 戸惑いが隠せない様子だ。


「影妃さまたちのお顔色が優れないのは――」


 言葉を区切り、一呼吸おく。


「お部屋にも、同じ絵を飾られているからでは?」


 まるで時が止まったように、誰もが呆然と立ち尽くしていた。

 視線も息遣いも、空気そのものも固まりきっている。


「どうすればいい?」


 やがて、座っていた影妃が、ぽつりと声を発した。


 その姿は、妃というよりも武官を思わせるものだった。

 黒髪を耳の上で短く切り揃え、華美な髪飾りこそつけてはいるものの、

 どこか動きやすさを重視した装いだ。

 一見するとドレスのような衣装も、よく見れば黒い絹で仕立てた長ズボン。

 その佇まいからは、近寄りがたい鋭さが滲み出ていた。


「勿体ないですが、処分しましょう。魔道具には"核"があります。

 それを壊せば、効果は失われます」


 私は指先に魔力を込め、一気に絵画を切り裂いた。


「……! おい、なんてことを」


 短髪の影妃が、慌てたように腰を浮かした。

 だが、私は構わず、中心に埋め込まれていた

 赤く輝く魔力の石――魔道具の"核"を指先でつまんだ。

 ひと思いに握りつぶすと、絵画は脆く崩れ、砂となって床へ散った。


「ああ……」

「こうでもしなければ、魔力を奪われ続け、いずれは死んでいました」


 影妃たちが、視線を交わす。

 恐怖と困惑が混じり合い、何か言いたげに唇を震わせている。


(ここまで言っても、魔道具の危険性は簡単には伝わらないのよね……)


「妃さまたちからの贈り物を、簡単に壊してしまうなんて……」


 短髪の影妃が、ぽつりと呟いた。

 その言葉には、怯えと非難が混ざっている。


「贈り物ではありません。これは、ただの"呪い"です」


 私は周囲に飾られた絵画へ、視線を向けた。

 この後宮で影妃とは――位の高い妃たちにとって都合の良い"駒"に過ぎないのだ。


「……呪いだとしても、受け入れるしかないんだよ」

「つまり、黙って死を待てということですか?」


 短髪の影妃は、ふいと目を逸らした。


「君……本当に何もわかっていないんだな。

 この後宮がどういう場所なのか――」

「そこまでにしておきましょう」


 金色の影妃が、静かに制するように言葉を差し挟んだ。


「彼女も、そのうち分かるわ」


 その場にいる誰もが、どこか諦めを滲ませた表情を浮かべる。

 私はため息をつく。


(女の戦い……魔物とどちらが厄介かしら)


「――ファルネスさま。そろそろ、お部屋へご案内いたします」


 重苦しい空気の中で、ニアが淡々とした声で言った。


「ありがとう」


 私は絵画の処理をハルたちに任せ、スーツケースを引き寄せた。


 ふと――振り返る。

 部屋の一番奥に飾られた、大きな姿見が目に入った。


(あれが、一番タチ悪そうだけどね)

(……今は見逃しといてあげるわ)


 影妃たちの反応が芳しくなかったので、黙っておくことにした。

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