今だけ、金だけ、自分だけ
会社では、部長と宗司から聞き取りをし、処分を決める。部長が適当なことを言わないように宗司は録音していたデータを聞かせた。
それが決定打になったのか、それとも今までと別人のように堂々と部長の悪行を言い立てる宗司を恐れたのか、部長はとりあえずパワハラや暴力を振るったとして自宅休職となった。
処分に当たっては常務と人事課長からのヒアリングもあったが、宗司は臆することなく自分の受けた仕打ちを話したが、常務達は以前のオドオドとした態度と一変した宗司に驚いた。
宗司は部長とのトラブルを終えて課に戻ると、会議を開いた。
会社が緘口令を引いたので、課員は部長と宗司の間で何があったかを知らない。
香川と山田はどうせ部長に叱責されたのだろうとニヤニヤしていた。
「課長、俺忙しんで早くしてください」
山田がいきなり舐めたことを言う。
「ほう、オレに失敗の尻拭いをさせておいて何が忙しいんだ?
また、夜の遊びの準備か」
宗司は睨みつけて脅すかのように言葉を吐き出した。
「みんなの前で失敗とか、パワハラですね。
通報窓口に言いつけますからね」
こんなことは初めてだと怯えながら、山田はまだ言い返した。
「好きにしろ。
これまでのお前の失敗と無責任ぶり、オレが尻拭いし続けていることをぶちまけてやる。
それでパワハラと言われるなら、降格でもなんでも受けてやるよ。
山田、香川
お前たちはもう担当顧客を持たなくていい。
オレがお前達の分もこなす。
お前らは他の課員のサポートをしろ。
お前たちの尻拭いをするより初めから自分でやった方が早い。
当然、人事評価は仕事に応じたものになる。
雑用だけのお前達はアルバイトと同じということだ」
宗司が冷徹に言い渡す。
全員の前で役立たずと言われた二人は真っ青になった。
「このハゲ、叔父さんに言いつけるからね。
あとで後悔するなよ」
「その通りだ。
お前なんか部長に言いつけて左遷してもらってやる!」
香川が部長室に走って行くと、山田もそれに続いた。
宗司は慌てることなく、残る十数人の課員に話しかける。
「ハゲと多数の面前で言うのは侮辱罪かな。
まあいい、そういう訳だ。
オレは課長の仕事に加えて二人分の仕事もしなければならん。
お前たちのフォローは最小限しかできん。
これまでのようなことを期待するな」
今まで面倒な上への根回しや失敗した時の顧客へのフォローは課長に頼もうという雰囲気だった。
課員は、うちの課長はお人よしで頼めばなんでもやってくれると思っていたが、さっきの二人の扱いを見て、今後はその認識を改めなければと全員が思った。
課長、何があったのかわからないが、人が変わったようだ。
目つきも鋭くなって、人のいいオヤジではなくなっているぞ。
山田と香川は部長の威を借りてウザかったし、いい気味だ。
夜、課員で話をしたくて飲みに行くと、課長の変わりっぷりが何かと話題となる。
そしてその認識は当たっていた。
翌日から宗司はこれまでと違い、人への手厚い配慮や気遣いをやめて、割り切り、効率的に、そして冷酷になった。
課長の仕事に加えて二人分の顧客を持っているが、失敗のフォローがなくなり、どんどん割り切って仕事を進める。
課員に対しても、容赦なくミスを指摘し、指示をする。
感情的ではなく、的確に冷静に指摘する姿は、これまで部下にも気を使いすぎるくらい使っていた姿とは全く異なる。
取引先にもはっきりと物を言うようになった。
「あー、そんな金額じゃダメですね。
長い目で見てくれたら損はさせないですって。
今まで何回そう言われたことか。
とにかくこちらの金額からビタ一銭まかりません。
嫌なら契約は無しで結構です」
ピシャリとそう言って電話を切る姿はこれまで仏の宗さんと呼ばれて、取引相手のために社内で奔走していた姿から一変した。
課員は宗司を恐れ、これまでガヤガヤと騒がしかった課の雰囲気は峻厳なものに一変した。
部長がいなくなり、しゅんとして席に戻った香川と山田は、仕事がなくなり、雑用係となるが、それもろくにできないので誰も何も頼まなくなる。
自席でスマホをいじる二人を見て、宗司はどこかに電話をし、二人は人事課に異動になった。
「課長、あの二人は?」
以前から宗司としばしば話していた遠藤が聞くと、宗司は淡々と答える。
「暇にしてたから、どこかで使ってよと人事課長に頼んだよ。
仕事には使えないから、荷物の移動や会議の片付けなどだな。
今日は炎天下の中、荷物運びに駆り出されているようだ。
元気が有り余って夜に活動していたようだから肉体労働が合っているだろう」
こちらを見ずに仕事を進めなから関心なさげに言う宗司に遠藤は内心驚いた。
これまでの宗司は相手が誰であれ、部下の面倒を見るのは上司の仕事だと親身になって部下のために努力していた。
それが要らないゴミのような扱いだ。
(課長、変わったな)
前の宗司を慕っていた遠藤はそれが寂しかった。
休職していた部長は降格して、僻地の営業所の部下なし所長に左遷される。
次の部長には宗司が選ばれた。
常務にも臆せずに物を言う姿と最近の急激な業績の向上が見込まれたらしい。
社内はざわついた。
営業部は三課あるが、その中で宗司は温情で課長になれたとか、課長止まりの禿げ親父と陰口を叩かれていた。
その宗司が部長に抜擢されるとは誰も予想していなかった。
「田村君、君の最近の変貌は目覚ましい。
君の営業三課を除き、営業部の業績は下降している。
テコ入れを期待しているぞ。
うまく成績を上げれば私の派閥に入れてやることも考えよう」
常務に呼ばれて、そう言われる。
宗司は謹厳な顔つきで頭を下げ、「精一杯努めさせていただきます」と答えた。
そしていくつか条件を出し、常務がそれに応じると部屋を出た。
宗司が退出すると、常務は人事課長と話す。
「あのハゲ、業績を上げられるかね。
真面目そうだし、予想外の抜擢をすれば私に忠誠を尽くすと思ったが。
まあダメなら切るだけだ。
ここで利益を上げないと次期社長の目が難しくなる」
「最近、人が変わったように厳しくやっているようですしね。
お手なみ拝見ですよ」
宗司は部長室を整理すると、すぐに営業一課、二課の課長を呼ぶ。
狙っていた部長になれず、これまで下に見ていた宗司に呼びつけられて、両課長は不満顔でやってきた。
彼らが座るなり、宗司はすぐに話し始めた。
「一課と二課と三課のグラフがここにある。
見ての通り、三課だけが前年を大きく上回る成績だ。
一課と二課は三課よりも優秀なスタッフと恵まれた顧客を与えられながらこの結果とはどういうことだ?
ああ、競争が厳しいとか言い訳はいらない。
私が欲しいのは結果だけだ。
次のボーナス、そして昇進と降格は私に一任してもらった。
ボーナスの原資は決まっているので、成績の良い課から優先して割り当てる。
課長でも前年を下回れば降格もありうる。
頑張ってくれ」
これまでは年功序列と上司の機嫌で適当に行われていた査定を宗司は明確に成績に基づいて行うと言う。
営業一課、二課の課長は宗司より若く、同期でしかも出世頭。
ここから落とされるわけにはいかない。
目の色を変えて課員の尻を叩き始めた。
パワハラのようなことも頻出しているようだが、宗司は知らん顔をしていた。
三課は宗司が課長を兼任していたが、三人を課長代理とし、ここでも競争原理を持ち込んだ。
遠藤はその中の一人である。
三課で宗司を囲む会が開かれた。
今や宗司は営業部の独裁者、これは宗司の機嫌を取らねばと思った課員が企画したもの。
いつも深夜まで仕事する宗司は遅れてやってきた。
課員は誰一人ビールに手をつけずに、正座して待つ。
「おや、これまでは私が来ようが来るまいが、どんどん飲んで、あとで傾斜配分だと言って人の何倍もの金の集金だけ来ていたのに、今日はどうしたことだ?」
宗司の皮肉に皆冷や汗を流す。
「まあいい、始めてくれ」
誰もが宗司のところに先を争っていき酒を注ぎ、自分のアピールに努める。
一巡して少し間が空いた時に遠藤は宗司の向かいに座り、ビールを注いだ。
「宗司さんが部長になるとは思いませんでした」
以前から時々二人で飲みに行っていた遠藤は気軽に話しかける。
「随分と成績は上がっているようですが、私は前の宗司さんの方が好きでしたね」
「そりゃ、何も言わずに、嫌なことを押し付けられる上司の方が楽に決まっている」
無表情にそう言う宗司に、遠藤はビールを飲みながら言葉を返す。
「そう言うことじゃなくて、人への思いやりがあった課長が良かったんですよ」
「そして部下に哀れまれて、飲み会で愚痴を聞いてもらう課長か。
悪いが、俺はそういうのは卒業した」
遠藤は顔色を変えた。
以前に社内食堂で同僚に、あんな先もないハゲ課長と飲みに行って楽しいのかと聞かれて、照れ隠しに、
「一生懸命にやっているのに可哀想だろう。愚痴を聞いてあげているのさ」
と言ったことがある。
それを聞かれていたようだ。
「遠藤、お前も俺の愚痴に付き合わなくていいぞ。そんなことよりも成績を上げろ。
今お前は俺に親しかったから、課長代理になれたと思われている。
成績でそれを見返せ」
そう言ってそろそろいいかと、一万円札を何枚か置いて宗司は席を立とうとする。
「宗司さん、それで寂しくないのですか」
遠藤の問いかけを宗司は嘲笑した。
「もう俺は思いやりを持つのに疲れたよ。
今の時代は、今だけ金だけ自分だけだろう。
時流に合わせなければ自分が喰い物にされるだけだ」
「そうそう、そろそろもう一つ俺を喰い物にしている家族というやつに引導を渡してやるか」
そう言って宗司は去っていった。