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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第七章 光の騎士

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93. 静謐に佇む書庫

 図書館の中へ入ると、独特の静寂さが館内を満たしていた。

 かすかな紙とインクの香り、冬の外気とは異なる適温の乾いた空気。静かで、いつ訪れても背筋が自然と伸びる、そんな雰囲気にあふれていた。


(……こうして、一人で訪れるのは久しぶりだね)


 普段、お嬢様の中等学級の付き添いで、週に一度はここに来ているけれど、それはあくまで仕事だ。当然、メイド服での訪問だし、写本を行うという名目だから、自由に本を読むというわけにもいかない。

 けれど、今は違う。私服姿で訪れた今日は、純粋に本を楽しむだけの時間。そう考えると、胸の奥がそわそわと浮き立つようだった。


(今日は、何を読もうかな……)


 軽い足取りで本棚へと向かおうとしたその時、「こんにちは、アリーチェ」と親しげな声で名前を呼ばれた。

 声の主の方へ顔を向けると、よく顔を合わせる司書のグイードさんだった。年の頃は三十代半ばくらいだろうか。温和で、利用者にも気さくに接する男性司書だ。


「こんにちは、グイードさん」


 私は自然な笑顔で挨拶する。神殿図書館に通い始めた頃からの顔見知りで、こうして時折、立ち話もする仲だった。


「メイド服じゃないってことは、今日は休みなんだね。休みの日に来るなんて、ずいぶんと久しぶりじゃないか?」

「ええ。秋はちょっと忙しくて……なかなか来られなかったの」


 秋は、凱旋行列やルキス様とのやりとりで休日は潰れてばかりだったけれど、それ以前の予定のない休日は、大抵はここに通って本を読んでいた。グイードさんの言うように、一人で来るのは確かに久しぶりだった。


「そうか、それは大変だったね。でも、今日はゆっくり読んでいくんだろう? 何か読みたい本があるなら取ってこようか? この前読んでいた神学の古典文学の続きは?」


 そう言って、グイードさんは回廊状の二階を指さした。

 一階部分は誰でも自由に閲覧できるけれど、二階にある回廊の書架は司書か監督者しか立ち入れない。そのため、読みたい本があれば、こうして司書にお願いして取ってきてもらうしかない。

 グイードさんと知り合ってからは、たびたび二階の本を閲覧をお願いしていた。


「古典文学の続きもいいけれど……今日は、神紋者について書かれた本を読んでみたいの。どこにあるかしら?」

「神紋者か……」


 少し驚いたように、グイードさんが口元に手を当てた。


「御伽噺のような大衆向けの本なら開架にあるけれど、もっと詳しいものとなると、閉架書庫だろうか」

「えっ……そんな、特別な本だったの? ごめんなさい、気軽に聞いてしまって」


 ルキス様のことを知ってから、神紋者という存在に興味を持った。昔、礼拝堂で話を聞いた以上のことを知りたくて、本の所在を尋ねたのだけれど、まさか特別な管理がされている本だったとは思いもよらなかった。

 二階の回廊書架と違い、閉架書庫は一般公開はされていないと言っていたっけ……。

 ここは無難に、回廊書架の本をお願いしようかと思った時、グイードさんから思いも寄らない提案をされた。


「……もしよかったら、入ってみるか?」

「えっ……?」


 一瞬、自分の耳を疑う。今、入ってみるって……言った?


「一般公開されていない閉架書庫の本は持ち出し禁止だから、こちらには持ってこられないけど、司書の特別な許可があれば、中に入って読むことはできる。ごく稀に、専門書のために申請して入る人もいるくらいさ」


 特別な許可となると、有力者の紹介や心付けなどが必要ということだろうか。神紋者に関する本があるなら確かに読んでみたいけれど、そこまでして読みたいというほどの情熱は、さすがにない。

 私が断ろうかと迷っていると、グイードさんがにっこりと微笑んで言った。


「心配しなくて大丈夫。特別な申請は必要ないよ。せっかく久しぶりに来たんだ、興味のある本を読んでもらいたいという、ただの親切心さ」


 あまりに軽やかに言われてしまい、思わずくすっと笑みをこぼした。そんなに軽く案内して大丈夫なのだろうかと一瞬心配になったけれど、せっかくここまで言ってくれるのだから、断る理由はないよね。

 知的好奇心の誘惑に負け、私は笑顔で頷いた。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてもらいますね」




 グイードさんの案内で、私は今まで使ったことのない東側の扉をくぐって、別の廊下に出た。そこは、まっすぐ続く石造りの廊下で、壁には等間隔で扉が並び、それぞれの扉には小さな金属のプレートが取り付けられていた。


(こんな場所が図書館の奥にあったなんて、すごい……)


 失礼にならない範囲で、私は興味津々に辺りを見回す。石造りの壁や整然とした扉が、どこか秘密めいた雰囲気を醸し出していた。

 グイードさんは“2”の数字が書かれたプレートの前で立ち止まり、腰の鍵束からひとつを選んで錠を開けた。ギィ……と重たそうな音を立てて、分厚い扉が開かれる。


「さあ、入って」


 促されて中へ足を踏み入れた途端、ひやりとした空気が肌を撫でた。先ほどまでいた閲覧室との温度差に、私は思わず肩をすくめる。

 部屋の中はそれほど広くはないけれど、その分、壁際には天井近くまで届く本棚がぎっしりと並び、棚の間には背の高い書見台や木製の机も配置されていた。

 高い位置に明かり取りの窓が細長く設置されていたけれど、差し込む光は弱く、部屋全体をほの暗く照らしていた。


「ここは神殿の神事や神話に関する資料を収蔵している部屋だ。神紋者についても、ここに保管されているはずだよ」


 グイードさんが持っていたランプに、ふっと明かりがともる。それだけで、部屋の空気が少し和らいだように感じられた。

 どうやら持ってきたランプは魔術具だったようで、魔力の光が部屋の中を明るく照らしていた。

 貴重な書物の中には火気厳禁のものもあるだろうし、油や煤で書物が汚れないように、明かりにも細心の注意が払われているのだろう。部屋の空気が冷たく保たれているのも、おそらく書物を守るために温度や湿度が一定に管理されているのだと思った。


「おーい、グイード」


 グイードさんが開きっぱなしの部屋の扉に手をかけたその時、遠く廊下の方から、誰かが彼を呼ぶ声が聞こえた。

 彼は「ここだ」と返事して、一度扉の外へと出た。そして、声の主と会話した後に戻り、少し席を外さないといけないことを私に告げた。


「では、私も戻りましょうか?」

「いや、すぐ戻るから、ここで待っていてくれ」


 グイードさんは首を振ると、そう言い残して急いで部屋を出ていってしまった。私は思わず、閉まった扉をぽかんと見つめる。


(あんなに慌てて、よほどの急用なのね……)


 一人、部屋に残された私は、改めて明るくなった部屋を見回す。


(……そういえば、この独特な匂いは何だろう)


 部屋には嗅ぎ慣れた紙とインクの匂いがしているけど、それとは別に皮や薬品の香りが入り混じったような、不思議な匂いも漂っていた。空気の入れ替えが頻繁ではないだろうから、もしかしたら置かれている蔵書の香りが混じったものなのかもしれない。

 閉架書庫という名にふさわしく、かなり年代の古い書物も置いてあるのかなと、胸の中の好奇心が膨らんでいくのを感じた。


(……別に、「見てはいけない」とは言われてないよね?)


 羊皮紙を使った分厚い本や、束ねられただけの紙資料のようなものが並べられた本棚もあったけれど、それらは避けて、比較的取り扱いやすい、立てて並べられた本の背表紙を確認していく。

 一つ目の棚、二つ目の棚と慎重に目を通し、三つ目の棚の途中で、ふと背表紙を照らしていたランプの明かりが、一瞬だけ揺らいだ。


「……あれ?」


 ちら、と視線をランプに移すと、短い間隔で明滅を繰り返す。まるで息を切らすような光の揺れの後、突然ふっ、と明かりが消えた。


(……消えた!?)


 急いで机の上のランプに近寄り、スイッチらしき部分を押してみるけれど、何度試しても反応はない。


「魔術具ってことは……もしかして魔力切れかな?」


 うっすらと差し込む窓からの自然光のおかげで、部屋が真っ暗になるということはないけれど、本を探すにはあまりに心もとない。

 そういえば、屋敷にある魔術具のランプも、月に二度ほど魔術具師が魔力を補充していたっけ。

 おそらく、これも似たような構造だと思うけど、実際の補充作業の様子は見たことがない。外から魔石は見えないから、どこかに隠されているのかな?

 ふと気になって、私は机の上に置かれたランプをそっと持ち上げる。表や裏を眺めてみるけれど、やはり魔石らしきものは見えなかった。


(整備用の小窓とかが……あるのかな?)


 慎重にランプの側面を確認していたその時、カチャリと部屋の鍵が回された音がした。私が反射的にランプを机の上に戻したちょうどその瞬間、重たい音を立てて扉が開いた。


(……!)


 心臓が、ひとつ大きく跳ねる。私は息を呑み、扉の方を凝視する。そこに立っていたのは、グイードさんではなかった。

 青色の神官服に身を包んだ若い男性は、目が合った瞬間、瞳をわずかに見開く。


「……ここは、神殿に関する文書が保管されている場所になります。あなたは、なぜここに?」

「す、すみません……!」


 私は思わず直立し、反射的に頭を下げた。


「神紋者様について興味があったため……司書の方に案内していただきました」


 ここに入るための本来の手順が分からないため、なるべく簡潔にここにいる理由を伝える。もしかして、入ったことを怒られたりするのだろうかと身構えた私に、彼はふっと視線を和らげた。


「なるほど。……神紋者に関する資料も、確かにここにありましたね」


 特に咎める様子もなく、納得したように頷くその姿に、私はほっと胸を撫で下ろした。


(よかった……怒ってはいないみたい)


 改めて彼に視線を向ける。青緑色の長い髪を後ろへ流し、襟元や帯、肩衣に設えられた細かな刺繍が目に入った。服の様子からして、それなりに高い位を持つ神官だろうか。

 立ち居振る舞いも気品があって、私のような平民が気軽に会話していい人ではなさそうに見える。そんな雰囲気を持つ人なのに、私に丁寧に対応してくれたことにちょっと感動を覚えた。


「それで……あなたは明かりもつけずに、何をしていたのですか?」

「あ、あの……本を探していたのですが、急に明かりが消えてしまって……。ランプを確認していたところだったのです」

「なるほど……おそらく、魔力が切れたのでしょう。貸してください。私が見てみましょう」


 まさかそんな返事が返ってくるとは思わず、何と答えていいか分からずに固まる。その間にも、神官は自分の持っていたランプを机の上に置くと、私の使っていたランプを手に取った。

 慣れた手つきで上部と底をそれぞれの手で掴んでねじるように回転させると、カパッと音を立てて底が外れた。ひっくり返した上部の裏側には、赤色の魔石が埋め込まれていた。


(なるほど……二重底になっていたのね)


 神官は魔石にそっと指を当て、数秒ほどじっと触れていた。その後、先ほどと逆の動作で底をはめ直し、スイッチを押すと――ふわっと再び、温かな光がともった。


「……ありがとうございます!」


 私は深く頭を下げて、お礼を述べた。


「神官様がこの部屋を使われるようですし、私はこれで失礼いたしますね」


 そう言って、明かりの戻ったランプを手に取り、私は退室しようと一歩踏み出した。けれど、私に返ってきたのは、思いがけない言葉だった。


「その必要はありません。図書館は、知を求める者を拒まない場所です」


 彼はそう言うと、自分のランプを手に、すっと奥へ歩き出した。そして、ある棚の前で立ち止まると、こちらを振り返って言った。


「神紋者に関する資料は、この棚にあります」


 そう言ってから、さらに奥の棚へと足を進め、自らの調べものを始めてしまった。


(え、棚の場所を教えてくれたの……?)


 せっかくここまでしていただいたのに、このまま退室したら逆に失礼になってしまうだろう。それに、廊下に出て閲覧室に戻るにしても、私が一人で廊下をうろうろするのもまずいかもしれない。

 そう思い直した私は、素直に神官が教えてくれた棚へと足を向けた。

 棚に並んでいる本は、全て古いもののようで、羊皮紙で作られた重厚な本が、棚の中に平積みにされていた。私はその中から、一番上にあった一冊をそっと取り上げ、書見台の前に移動する。


 分厚い羊皮紙の本を開くと、革と古インクの匂いがふわりと漂った。ざらりとした感触を味わいながらページをめくると、そこには神紋者と呼ばれる存在についての記述が並んでいた。

 神の御印――御紋が身体に現れた者を、神紋者と呼ぶのだという。御印は神ごとに異なり、その形そのものが神を象徴する印なのだと書いてあった。


(これが、光の神――ソーリスオルトゥスの印……)


 記された図形に目を凝らすと、自然とルキス様の姿が脳裏に浮かんだ。彼の身体のどこかに、これと同じ印があるのだろう。

 ページをめくると、闇の女神の印、水、火、風、土、それぞれの神々の印と共に、その神についての説明が丁寧に記されていた。


 故郷の礼拝堂にあった神話の本には、神の名前は記されていなかった。神の名は神聖なものだから、みだりに口にしないようにと、全て総称で記されていたのだ。

 屋敷の書庫にあった神学書には、さすがに神の名前の記載はあったけれど、御印までは書かれていなかった。

 この本が閉架書庫にしまわれているのは、御印についてはさらに神聖な情報だからなのかもしれない。

 そんなことを考えていた時、不意に扉が開く音がした。


「……遅くなって、すまない」


 用事で席を外していたグイードさんが顔を覗かせる。こちらに一歩足を踏み入れた彼は、部屋の奥に視線を向けて目を丸くした。


「……騒がしくして、申し訳ありません、神官様。いらしているとは知らず……」

(こんなに丁寧に接するということは、やっぱり位の高い方だったのね……)


 神官は手元の書類から一瞬だけ顔を上げ、「かまいません」と短く返事をすると、再び静かに視線を落とした。

 グイードさんがそっと私の側に来て、小声で尋ねてくる。


「……一人で大丈夫だった?」

「……はい」


 私も小声で返事をすると、読んでいた本を閉じて、そっと棚へと戻した。そして、改めて神官の方へ向き直る。


「司書の方が迎えにいらしたので、私は失礼いたします。本日はありがとうございました」


 深く頭を下げて顔を上げると、神官は静かな眼差しで頷きを一つ返した。私はもう一度軽く黙礼し、ランプを手にしたグイードさんと共に静かに部屋を後にした。



 分厚い扉が閉まる音が背後で響いた瞬間、二人してふっと深く息を吐いた。


「まさか、神官様がいらしたとは……。驚いただろう?」


 歩きながら、グイードさんが苦笑まじりに言う。


「かなり驚いたけれど……とても親切な方だったわ。神紋者について調べに来たと話したら、棚の場所まで教えてくださったの」

「あの方は、私たち司書にも親切にしてくださる立派な方だからね。鉢合わせたのがあの方でよかった」


 その口ぶりを見るに、別の神官だったら文句や嫌味の一つでも言われていたのかもしれない。会ったのが温厚な人で良かった。


「そういえば、図書館で神官様を見かけたのは初めてだったけれど、やっぱり神官様も利用されるのね」


 神殿図書館と銘打っているけれど、そう言えば閲覧室で神官を見かけたことがないことに、今更ながら気がついた。


「ああ、神官様方が利用される書籍は、基本的に閉架書庫の方に収蔵されているからね。来たとしても閉架書庫までで、閲覧室の方に足を踏み入れることは、基本ないんだ」

「なるほど、それで見かけることがなかったのね」


 そういう意味で言うと、神殿に関する資料が置いてある書庫で神官と会うというのは、不思議なことではない。まあ、偶然鉢合わせる確率は低いとは思うけれど……。 

 その低い確率を引き当てたことを、少し残念に思いながら、それでも貴重な本を読めたことに満足して、私はグイードさんと共に閲覧室への扉をくぐったのだった。


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― 新着の感想 ―
会ったのが親切な神官様でよかった!! もし違ったら罰でも与えられたのでしょうか…? 次は神紋者についての詳細が分かるのかな?楽しみです!
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