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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第七章 光の騎士

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89. 穏やかな午後の街角

 ルキス様との会合から、一週間がたった。

 その後、誘拐事件に関して私が深く追及を受けることはなかった。あの時のことは今思い返してもひやりとするけれど、無事に誤解が解けて、本当に良かったと思う。

 ルキス様が私を呼び出した理由について旦那様に質問されたけれど、メルクリオで出会った翌日、会った場所の近くで誘拐事件があったため、何か見ていないかを聞かれた、とだけ説明した。


(誘拐の共犯者として疑われていたなんて、さすがに言えないよね……)


 それに、灰髪の子供が誘拐に関与しているという話は、新聞には載っていなかった。ルキス様から口止めされたわけではないけれど、軽々しく話すべきことではない気がして、そのことについても誰にも言わずにいた。


 そして今日、ルキス様から再び手紙が届いた。前回の会合が台無しになってしまったお詫びとして、もう一度お茶に誘いたいという内容だった。ただし、今回の手紙には「一人で来てほしい」と言葉が添えられていた。

 あれだけ怖い思いをした後に「一人で」と言われると、つい反射的に警戒してしまう。

 とはいえ、前回とは違ってある程度状況も分かっているし、ルキス様の人となりも多少は感じ取ることができた。あれほどの追及を受けることは、流石にもうないだろうと思えるだけで、ルキス様と二人きりのお出かけも、少しは気持ちが楽だった。



 手紙から二日後の昼下がり。午後に休みをもらった私は、乗合馬車に乗って商業区へと向かう。手紙に記されていたのは、五の鐘に商業区の広場にある噴水で待ち合わせ、という内容だった。馬車の迎えまで寄越した前回と比べると、ずいぶんと気軽な約束だ。

 目的の広場までは、乗合馬車で行けばそれほど時間はかからないけれど、私は約束の時刻より早めの時間に屋敷を出て、乗合馬車に揺られていた。

 というのも、私が男性と待ち合わせをしているということで、ノエミたちが色めき立って質問してくるので、早々に出発せざるを得なかったのだ。

 屋敷のメイドや従業員の多くは、私が会っていた相手が誰かは知らない。一応、興味本位の噂を避けるため、ルキス様というのは秘密にして、商人の子息ということで説明している。


(まさか、相手が神紋者様だなんて、口が裂けても言えない……)



 乗合馬車を降りて少し歩くと、目的の広場が見えてきた。広場の中央には大きな噴水があり、その周囲にはベンチや屋台が並んで、人々が思い思いに過ごしている。

 私は、噴水から少し離れた場所にあるベンチに腰掛け、周囲を観察しながらルキス様を待つ。


(……ここ、意外と待ち合わせに使う人が多いのだね)


 私が待っている間にも、噴水の前では数組の人たちが待ち合わせをしていた。組み合わせは様々で、友人同士らしき人や、何だかいい雰囲気の男女もいる。


(……あ、来たかな)


 五の鐘が鳴って少しした頃、人混みの中から、どこか見覚えのある立ち姿の男性が現れた。帽子を目深にかぶっていて、ここからでは顔はよく見えないけれど、あの均整の取れた体格や醸し出す雰囲気は間違いない。私はベンチから立ち上がり、その人のもとへと向かう。

 さり気なく距離を詰めて顔を確認すると、帽子の下からのぞく見覚えのある顔立ちに、私はほっと小さく息をついた。


(やっぱり、ルキス様で間違いなかった)


 貴族が噴水で待ち合わせなんて、もしかして冗談かと思っていたけれど、本当にいらっしゃったのね……。


「こんにちは。今日は随分と軽装でいらっしゃるのですね」


 白いシャツに焦げ茶色のベスト、黒いズボンとブーツという装いは、街に溶け込むような平民風の服装。でも、近くで見ると、服の質の良さがすぐに分かる。革製の剣帯こそしているけれど、今日は剣は下げていなかった。


「よく分かったな」


 ルキス様は、少し驚いたように金の瞳を細める。


「近くのベンチに座って、噴水で待ち合わせている方々を見ていたので、すぐに分かりました」


(というか、背が高いし体格も良すぎて、隠しきれてないです……)


 私は思わず苦笑しそうになるのをこらえながら自然な笑みを浮かべる。他の人と比べて頭一つ分抜き出ているし、軽装だから鍛えられた体躯もよく分かる。ある意味、人混みの中でも見つけやすい相手とも言える。

 今日の私の服装は、前回よりもずっと落ち着いた普段着の域を出ないものだ。待ち合わせの場所からお忍びっぽい格好で来るのではと推測し、それに合わせて服装を選んだのだけれど、どうやら正解だったみたい。


「そういえば、今日は何とお呼びしたらよいですか?」


 軽装で来ているということは、立場を明かしたくないということだろう。そのまま「ルキス様」と呼んだら、きっと都合が悪いはずだ。案の定、ルキス様は微笑んで言った。


「今日は“ルーカ”と呼んでくれ」

「……分かりました、ルーカ様」

「敬称も抜きでいい」


 私は一瞬、眉をひそめる。


(貴族に敬称なしというのは、本当に大丈夫なのだろうか……?)


 一応、お忍びの体を取っているし、本人がそう言っているのだから、きっと大丈夫なのだろう。

 私は少し戸惑いながらも、「分かりました」と素直に頷いた。



「今日向かうのは、ここから少し歩いたところにある店だが、今から向かうので問題ないか?」


 挨拶が一段落ついたところで、ルキス様がそう言った。私は「あ……」と口の中で呟くと、ポシェットの中から丁寧に畳まれたハンカチを取り出し、ルキス様にそっと差し出す。


「あの、先日はハンカチをありがとうございました。……お恥ずかしいところをお見せして、申し訳ありませんでした」


 私の言葉を聞いたルキス様が、少し困ったように笑う。


「泣かせた原因は私なのだから、当然のことをしたまでだ。君が謝る必要はない」


 そう言いながら、ルキス様は差し出されたハンカチを受け取り、ベストの内ポケットへとしまった。

 実を言うと、このハンカチを洗っていたことでノエミたちにルキス様と会っていたことがばれてしまったのよね。

 名前の刺繍が入っていたから、屋敷の洗濯メイドには頼めなくて、自分で洗ってアイロンをかけた。でも、そのことが逆に目立ってしまい、「誰のハンカチを洗っていたの?」と質問攻めに遭うことになったのだ。

 恋愛話が大好きな女性陣からしたら、「男性に誘われて一緒に菓子店へ行った」という話は、たまらなく気になる話題だろうから仕方がないとも言える。

 ノエミたちにばれて、からかいの対象になったのは困るけれど、ハンカチを貸してもらったからにはちゃんと礼を尽くさないとね……。

 それに、どちらかと言うと、ノエミたちに本当のことを正直に言えないことの方が、私にとっては悩みの種でもあった。




 ハンカチを渡し終わった後、私とルキス様は目的の店へと並んで歩き出す。


(今日は、一体どういう理由で私を呼び出したのだろう……)


 ルキス様の隣に並んで歩きながら、私は心の中で小さく息を吐いた。前回のことを思い出せば、不安がよぎるのも無理はない。けれど、今日のルキス様は前回と違って柔らかな雰囲気だし、何か聞かれるにしても、きっと大ごとではないだろう。

 本当に単純にお詫びの気持ちかもしれないし、せっかくの機会だから、心配事は棚上げしてお出かけを楽しもう、と私は気持ちを切り替える。


 目的地である菓子店へと向かう道すがら、今向かっているお店についてルキス様から説明を受けた。どうやら今回行くのは、前回の老舗ドゥルチェッツァではなく、別の店らしい。ルキス様の歩みに迷いはなく、どうやら場所も道も把握しているようだった。


「菓子店にずいぶんお詳しいのですね」


 隣を歩きながら、自然と問いかけが口をついた。


「私自身はそうではないが、甘い物好きの同僚がいて、相談したらいろいろと教えてくれたんだ。今回はあまり格式ばらない店にしたいと言ったら、この店を勧めてくれた。ちなみに前回のドゥルチェッツァも彼の紹介だ」

「そうだったのですね。それにしても、道に迷う様子もないですが……ここらの地理にはお詳しいのですか? 待ち合わせ場所も噴水でしたし」

「ああ、今は貴族の立場ではあるが、私はもともと平民出身だからな。商業区の地理は、ある程度頭に入っている」

「……!」


 思わぬ告白に、私は小さく息を呑む。そんなこと、軽々しく聞いて良いことなのだろうか。


「私の出自は秘匿されているものではないから、心配する必要はない」


 こちらの動揺を読んだようなタイミングで、ルキス様はさらりと言った。その言葉に、私はほっと胸をなでおろす。

 それと同時に、なるほどと納得する。あの噴水での待ち合わせや、肩肘張らない軽装、そして平民である私と自然と並んで歩く様子――それらすべてが、彼の出自に影響していたということか。


「特別な方だから、てっきり貴族の生まれなのだと思っていました」


 神紋者という言葉はあえて使わず、私は声をひそめて質問を投げかける。


「印は貴賤に関係なく授かるものだと言われているからな。確率だけで言えば、平民の方が人口が多い分、生まれる可能性も高いのだろう」


 なるほど、確かに比率で考えればそうなのだろうね。でも、貴賤に関係なくということは、神の印が誰に現れるかは、まさに神のみぞ知るといったところだろう。

 それにしても、こんな風に町中を歩いていても、周囲がざわつかないのが不思議だ。帽子を目深に被っているとはいえ、金髪と金の瞳は隠しきれるものではない。

 光の騎士様の存在を見知った者が見れば、すぐに彼だと気づきそうなのに、誰も反応を見せる様子はない。


「どうかしたか?」


 キョロキョロと周囲を見回していた私に、ルキス様が声をかける。


「いえ、なんというわけではないのですが、こうして歩いていても案外気づかれないのだなと……不思議に思っていました」

「ああ、認識阻害の魔術具を使っているからな。周囲の人間には、私が別人に見えているだろう」

「えっ……そんなものがあるんですか?」


 私の口から、思わず驚きと感心が混じった声が漏れる。道理で誰も注目してこないわけだ。人の認識を阻害するなんて、魔術具ってそんなこともできるんだね。

 ふと、「なら私は?」という疑問が頭をよぎる。普通にルキス様を認識できているということは、おそらく、私は対象外になっているか、そもそもその場にいることを知っている相手には効果が薄い類の術なのだろう。



 そうこうしているうちに、目的の菓子店が見えてきた。

 「ドルチェ・ミエーレ」――前回のドゥルチェッツァとはまた趣の異なる、明るくて洗練された雰囲気の店だった。


「ドゥルチェッツァが老舗なら、ドルチェ・ミエーレは新鋭の名店らしい」

「なるほど、たしかに女性に好まれそうな外観ですね」


 店内へ入ると、まず甘い香りが鼻をくすぐった。入り口近くには菓子が並べられた小さな台座がいくつもあり、それぞれ丸みのあるガラスのカバーで覆われていた。

 店内はほぼ満席だったけれど、ルキス様が予約していたようで、すぐに席へ案内される。通された店の奥の席は、他の席と距離が取られていて、ゆったり落ち着ける場所になっていた。


(個室じゃなくてよかった……)


 個室の席だと、さすがに身構えてしまっただろうから、普通の席でよかった。私がひそかにほっとしていると、店員が紅茶とお菓子のメニューを私に手渡した。


(……分からない)


 紅茶は知っている銘柄が載っていたから大丈夫なのだけれど、問題はお菓子の方だ。お菓子の名前だけでは、どういうお菓子なのかが想像がつかない。


「もしよろしければ、展示を見てお選びいただくこともできます。ご案内いたしましょうか?」


 メニューを見て固まっていた私を見て、店員が提案してくれた。


「確かにその方が選びやすいだろう。折角だから行っておいで」


 ルキス様にも促され、私は店員に案内されて入り口近くへ向かった。定番の焼き菓子、果物のパイ各種、チーズケーキなど色とりどりのお菓子がガラスドームに並ぶ。

 前回は、メリッサが選んでくれた《バニレッタ》という伝統菓子を持ち帰って食べたけれど、今回はどれにしようかな……。

 目移りしながら眺めていると、ガラスドームの一つに目が止まる。ドームの中には、お菓子ではなく名前が書かれた札が一枚入っていた。


「ミエーレ・クラウド……?」

「《ミエーレ・クラウド》は当店自慢の新作です。クリームを主役にしたお菓子で、柔らかな生地を使った当店独自のケーキとなっております。常温では形が崩れやすいので、ガラスケースでの展示はしておりません」


(ここでしか食べられないお菓子……!)


 それを聞いて、私は迷わずそのケーキを注文することにした。お使いではなく、自分が食べるためのお菓子を選ぶのはとても心が躍る。

 紅茶については店員にそれに合うものを選んでもらい、私はほくほくした笑みで席へと戻った。


「良いものが選べたようだな」

「はい! どれもこれも魅力的で、選ぶのが本当に楽しかったです」


 どんなお菓子があったかを詳細に説明すると、ルキス様は眩しそうに目を細めて微笑んだ。

 そして、待つこと少し、待ちに待ったケーキが運ばれてきた。切り口からのぞく淡い蜂蜜色の生地に、たっぷりのクリームが二重に重なる。クリームの上には砂糖細工の白い小花が添えられ、まるで芸術品のような一品だった。


「一つしか注文しなかったのか? もっと頼んでも良かったんだが」

「――っ! それは……凄く魅力的な言葉ではありますが、こんな素敵なお菓子を一人で複数個も頼むなんて、幸せ過ぎて後が怖いです。職人が丹精込めて作ったお菓子なのですから、一つをじっくり堪能するだけで私は十分ですよ」


 私がまっすぐに言うと、ルキス様は少し驚いた様子を見せた後にくすりと笑った。


「では、帰りにお菓子を土産に買って、幸せのお裾分けをしてあげれば良い。そうすれば他のお菓子も味わえるだろう?」

「……お気遣いいただき、ありがとうございます」


 狙ったわけではないけれど、結果的にねだった感じになってしまった……。

 少し申し訳ないなと思っていると、ふと、ルキス様の前にお菓子が置かれていないことに気がついた。


「ルーカは、お菓子は召し上がらないのですか?」

「ああ。甘いものは、あまり得意ではないんだ。紅茶だけで十分だ」


 そう言って、香りを楽しむように紅茶を口にした彼は、どこか遠くを見ていた。


(やはり、お菓子は一つだけでちょうど良かったね……)


 ルキス様の前に沢山の甘いお菓子を並べることになってしまっていたら、きっと申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたことだろう。

 私はそんなことを考えながら、目の前のミエーレ・クラウドにそっとフォークを入れた。


少しずつルキスの背景が明らかに……。

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