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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第六章 お嬢様付きメイド

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83. 幸運の裏側の裏側

 事務室にいたアントンさんに事情を説明し、レナート様から勧誘を受けた件は、商会にいる旦那様にすぐに伝えてもらえることになった。

 話が一段落ついたところで、アントンさんからも、ゼータさんと同じ様に私の意思を確認される。ただし、ゼータさんが私の未来を案じてくれたのとは異なり、アントンさんからの質問は、勧誘の話がフィオルテ家に与える影響を重視したもののように感じた。

 そこは、側付きメイドであるゼータさんと、使用人全体を束ねる執事であるアントンさんの立場の違いだろう。

 仮に私がレナート様の勧誘を受けてカルルッチ家で働くようになれば、一応フィオルテ家としては恩を売ったことになる。逆に断った場合は、不興を買ったりする可能性もあるのだろうか……。

 私は緊張した面持ちで、アントンさんに私の気持ちを伝えた。


「私としては、断りたいと思っています。ですが、断ることで何か問題になったりするのではと心配しています……」

「そうですね、アリーチェから聞いた話から判断するのであれば、断っても問題ないと思います。カルルッチ家とは円満な関係を築けていますし、レナート様のお人柄も存じていますから、断られたからと言って無茶な要求をしてくるようなことはないでしょう」


 アントンさんの言葉を聞いて、私は全身の緊張が緩むのを感じた。「よかった……」と呟きながら胸を撫で下ろしていると、そんな私をアントンさんが鋭い眼差しで見つめる。


「ただし、アリーチェにも気をつけて欲しいのですが、今回は相手が懇意の貴族で、声を掛けてきたレナート様が強硬な態度に出ない方だから断れるだけです。もしも相手が上位の貴族や、強硬な姿勢を見せる方であった場合は、フィオルテ家としても庇えない場合があることを理解しておいてください」

「……はい、分かりました」

「たとえ、本人が納得しても家が気を回して……、という場合もありますので、屋敷外で貴族と関わる場合は本当に気をつけてください」


 忠告ともとれるその言葉に、私は短くひゅっと息を呑んだ。


(貴族って怖い……)


 アントンさんは、今回は運が良かったということを言いたいのだろう。気をつけてどうにかなる問題ではないだろうけれど、貴族と接する場合は、そういう可能性も念頭に置いて行動するべきということなのだろうね。

 貴族と接する機会は多くないけれど、距離感の取り方が本当に難しい……。


「アリーチェは欲がないなぁ」


 事務室で一緒に話を聞いていたセルジョが、行儀悪く机に肘をつきながらしみじみと言った。


「これはいわば愛妾の誘いだろう? 受けたら良い暮らしができるだろうに」

「……」


 ゼータさんもアントンさんも、もちろん私も、僅かにあるその可能性を考えつつも口にはしなかった。直接そう言われたわけでもないのに、下手にそれを口にすると、貴族の体面に泥を塗る可能性もあるからだ。皆それを理解した上で口を噤んでいたのに、セルジョはこういうところが鈍感だよね……。

 アントンさんは眉間を指で押さえると、頭が痛いとばかりに大きな溜息をついた。



 その後、時間を取ってお嬢様に改めて雇用の件を説明し、動揺させてしまったことをお詫びした。先ほどより少し落ち着かれていたけれど、「お父様から後でしっかりと話を聞くわ」とおっしゃるお嬢様の声には、旦那様への不満が滲んでいた。

 そして、その日の夜、旦那様の執務室で旦那様とレナート様の会合の場が設けられた。その場にはアントンさんはもちろん、私も立ち会うこととなった。

 レナート様が今回の簡単なあらましを説明し、続いて私への褒賞の話に移る。先ほどレナート様から聞いた条件そのままで、今現在の私の給金についても旦那様から説明があり、同額を保証するとレナート様は約束していた。

 全ての説明が終わると、旦那様とレナート様の視線が私に集中した。


「レナート様はこう仰ってくださっているが、アリーチェはどうしたい? 娘のメイドとしてよく働いてくれているから、私としては辞められるのは残念だが、無理に引き止めることはしない。アリーチェが最善だと思う選択をしなさい」


 手に汗を握り、心臓が早鐘を打つのを感じながら、私は用意していた言葉を口にした。


「私は……、レナート様には過分な温情をいただき、とても光栄な話だと思います。ですが、私は年季があけた後は故郷に戻り、いずれ結婚する予定でいましたので、このままこのお屋敷でお勤めしたく思っております」


 声が震えないようにするのが精一杯で、表情をちゃんと繕えたかは分からない。


(もしこの言葉で、レナート様が気分を害したらどうしよう……)


 アントンさんは断っても問題ないと言ったけれど、それは保証されたものではない。一応、断るにしても角の立たない言葉を選ぶ必要があるため、お断りの文言はアントンさんに相談して決めた。

 こう言うと、まるで既に故郷に結婚相手がいるようにも聞こえてしまうけれど、当然相手なんていない。でも、貴族の申し出を断る理由としては、これほど角が立たないものはないだろう。

 いずれにせよ、雇用期間が終われば故郷に戻るつもりだし、成長すればいずれ結婚だってするだろうから、一応嘘は言っていない。

 結婚は家同士の繋がりでもあるから、貴族であるレナート様は結婚の重要性を平民である私以上に理解しているだろう。だからそれを匂わせることで、尤もらしい理由にした。これであれば、そこまで悪い心証は与えないはず……。


 言葉を言い終えた瞬間、レナート様は一瞬だけ目を細め、考え込むように顎を引いた。その仕草に、私の胸は一層強く律動する。


「レナート様にはせっかく目をかけていただいたのに、ご厚意にお応えすることができず、誠に申し訳ありません」


 私が謝罪の言葉を口にしながら深く頭を下げると、レナート様が静かな声で「頭を上げてくれ」と言った。私がこわごわ顔を上げると、少し困った表情のレナート様と目が合った。


「アリーチェが謝る必要はないよ。褒賞として良かれと思って提案しただけであって、無理強いをしたいわけではないからね」


 レナート様は一瞬口を閉ざし、薄く微笑んだ。その笑みは、どこか残念そうでもあり、それでも私の意思を尊重する誠実さが宿っていた。その様子から、レナート様が辞退を受け入れてくれたことが分かり、私は握りしめていた手を僅かに緩めた。


「ただし、今回の私の研究は今後とても重要なものになる可能性があるから、褒賞には口止めも含まれている。せめて褒賞のお金は受け取ってほしい」


 私が旦那様にちらりと視線を向けると、旦那様が静かに頷いた。私は再びレナート様に視線を戻し、「謹んでお受けいたします」と柔らかな笑みで答えた。


(カルルッチ家で雇われるのは困るけど、褒賞金であれば大歓迎だ)


 確かに、画期的な方法だと言っていたから、研究発表するまでは情報漏洩に気を付けるのは当然のことだろう。


「あの……、口止めということは契約などを交わすのでしょうか?」


 ふと疑問を口にすると、旦那様は軽く苦笑いを浮かべながら「こういう場合は契約まで交わすことはないよ」と言った。レナート様も旦那様に同意するように頷いたので、本当に契約は必要ないようだ。

 安心を担保するために契約を結ぶのかと思ったのだけれど、そうでもないらしい。もしかすると、貴族と平民で立場が違いすぎるから、あえて契約はしないのだろうか。

 何かしらの契約を結んだ場合、レナート様への私の助言の正当性を保証するものにもなるから、逆にそれが弱みになってしまう可能性もあるのかもしれない。

 最後に、褒賞金に関しては、後日カルルッチ家から贈られることが決まり、会合は終了した。

 後日贈られる褒賞金は、私にとってありがたいものではあったけれど、それ以上に、レナート様が不服を述べることなく、勧誘を引き下げてくれたことへの感謝の方が強く残った。レナート様には申し訳なかったけれど、今回話を持ちかけてきた貴族がレナート様で本当によかった……。




 翌日、窓から夏らしい強い日差しが降り注ぐ中、私は客室で大きなトランクに荷物を詰め込んでいた。今日はレナート様が当屋敷に滞在する最終日だ。

 本来の予定なら、今日も朝から学院の魔術塔へ行った後、お昼過ぎに屋敷を発つ予定だったのだけれど、研究が思いのほか進んだため、レナート様は魔術塔へ行く予定を変更し、早めに領地へ戻ることに決められた。そのため、私は朝から荷作りに追われている。


 昨夜の会合の後、誘いを断ったことでレナート様と気まずくなるかと心配していたけれど、レナート様は普段通り私に接してくれていた。私もそこには触れず、普段通りの振る舞いを心がける。

 誘いは断ってしまったけれど、レナート様は心地よい空間が気に入ったと言っていたから、レナート様には最後まで気持ちよく過ごしていただきたいと思う。

 私は漏れがないようにレナート様の衣類や雑貨を整理しながらトランクに詰めていると、レナート様が私の名前を呼んだ。私は作業を中断し、レナート様が座る机へと移動する。


「何か御用でしょうか?」


 レナート様ご自身の荷物の片付けは終わったようで、散乱していた机の上は綺麗に片付けられていた。最後に紅茶でもご所望だろうかと思っていると、レナート様が机の上に一つ残った、見覚えのない鳥の図柄が入った文鎮を手で示した。


「アリーチェ、よかったら褒賞の一つとしてこれを受け取ってくれないか?」

「褒賞金を頂くことになっておりますが、さらに頂いてもよろしいのでしょうか……?」

「ああ、褒賞がお金だけというのも味気ないだろう? かといって装飾品や布を購入して贈る時間もないから、手持ちの物を贈ろうかと思ってね」


 褒賞をいただいたことがないからあまりピンときていなかったけれど、確かに女性への贈り物と言えば装飾品や衣装が定番である。


「この文鎮の装飾は梟――闇の女神の眷属である智者の梟だ。私に知恵を授けてくれた君にピッタリだろう」


 レナート様は片目をぱちりと瞑ると、私を見ながら悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「それに、素材は銀製だから、もしお金に困った時は売り払えば多少のお金にはなると思うよ」


 私を気遣った、粋な贈り物だ……。ここまで言われては、受け取らないわけにはいかない。それに、装飾品や衣装に比べれば受け取りやすい物であるのも確かだ。


「お気遣いいただきありがとうございます、レナート様」

「簡単なものだけど、直接渡せて良かったよ」


 レナート様は机の上の文鎮を手に取ると、私に差し出した。私が両手でそれを受け取ると、ずしりと重い手応えを感じた。手のひらに収まる文鎮は、ひんやりとした銀の感触が心地よく、細やかな装飾からは持ち主の品位が伝わってくる。

 この重さだし、貴族であるレナート様が使われていた物だから、決して安いものではないだろう。少しばかり貰いすぎのような気もするけれど、この場は厚意に甘えよう。


「思い出の品として、大切に使わせていただきますね」


 私は文鎮を両手に包み込んで胸に抱くと、心からの笑みを浮かべる。レナート様は軽く目を見開いた後、小さな笑顔を返してくれた。


 その後、三の鐘が鳴って少しした頃、カルルッチ家の馬車に乗り込んだレナート様は、旦那様や奥様、それにお嬢様や屋敷の使用人達に見送られて屋敷を後にする。

 馬車が動き出した瞬間、レナート様は窓から私たちに向かって軽く手を振った。夏のまばゆい日差しの中、レナート様が乗った馬車が見えなくなるまで、私は無言でそれを見送った。

 夏の中月に訪れた予期せぬ出来事。突然私の日常に現れ、波乱を巻き起こした非日常の六日間は、こうして静かに幕を閉じたのだった。


レナート様が学者肌の貴族で良かったですね。

普通の貴族だと、こうすんなりとはいかなかったでしょう。

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― 新着の感想 ―
思わず安堵の溜息が出ました……。
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