81. 研究の糸口
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、レナート様」
翌日、アイロンでピシッと整えた礼服に袖を通したレナート様が、カルルッチ家の紋章のついた馬車に乗り込んだ。
今日はレナート様のご友人がめでたく婚礼を挙げる日らしい。友人の挙式へ向かうレナート様を、私は玄関先で見送った。
現在、レナート様は当屋敷に滞在しているけれど、カルルッチ家の馬車については州都のカルルッチ家の屋敷に置いてある。そのため、今朝、カルルッチ家の屋敷に使いを出し、レナート様の外出に合わせて馬車を回してもらったというわけだ。
州都のカルルッチ家の屋敷は最低限の管理がされているはずだから、馬丁や馬車であれば問題なく滞在できるのだろう。
そしてさらに翌日の午前、レナート様は前日と同じように馬車に乗り込み、外出していった。
今回、レナート様が州都に滞在する理由は三つあり、一つは昨日の友人の婚礼、もう一つは商取引に関する会談、そして最後の一つが本日レナート様が向かわれた州立学院の魔術塔である。
レナート様は二年前まで州立学院に通っており、今回はご自身の研究の相談のため、学生時代に師事していた魔術師を訪ねる予定らしい。
普段は関わる機会がないから意識していなかったけれど、貴族様って基本的にみんな魔力を持っているのだよね。つまり、貴族であるレナート様もまた魔術師ということだ。私が魔力を持っていると分かったあの時以降、一度も魔力持ちであることが露見したことはないけれど、滞在中は一層気を付けておかないと……。
レナート様が不在の間、私は客室のシーツの交換や掃除を済ませると、空いている時間はお嬢様の部屋でゼータさんを手伝いながら過ごした。昨晩、お嬢様に就寝の挨拶をしに行った際、「大丈夫? 何か困ったことはない?」ととても心配されてしまったので、身体が空いた時はなるべくお嬢様の所に顔を出すつもりだ。
六の鐘が鳴って少しした頃、レナート様が学院から帰宅された。玄関先で出迎えると、疲れた様子のレナート様が馬車から下りてきた。
研究の相談だと言っていたから、さぞかし大変だったのだろう。声を掛けると、今朝と同じ様に返事をしてくれたものの、その声には疲れが滲んでいた。
翌日も朝からレナート様は学院の魔術塔へ外出し、夕方前に帰宅した。馬車を下りた際の気落ちした様子を見る限り、研究の相談とやらが上手くいっていないのだろう。
その後、レナート様は客室に戻り、机に座って書類とにらめっこを始めた。けれど、肩はわずかに下がり、紙に向けた視線にも覇気はなく、今ひとつ集中出来ていないように見えた。
「お疲れのご様子ですね。よろしければ、何か甘いものをお持ちしましょうか?」
「ああ、普段は甘いものはあまり食べないが、今日は食べたい気分だな」
「畏まりました」
私は厨房へ行くと、アーモンドクッキーと紅茶を用意して客室へと戻った。甘さ控えめのアーモンドクッキーであれば、甘いものが得意でなくても食べやすいだろうと思い、さらにそのクッキーに合わせて、さっぱりとした味の紅茶を選んだ。
机の上にアーモンドクッキーと紅茶を並べると、レナート様がお礼を言いながらクッキーに手を伸ばす。一枚を食べ終わり、紅茶を一口含んだ後、レナート様は深い深い溜息を付いた。
本当に疲れているみたいだね。昨日も疲れている様子だったけれど、今日ほどではなかったと思う。少しでも気分を変えることができたらいいのだけれど……、と思いながら私は机の上に視線を落とした。
「随分と複雑な図形ですね」
机の上に置いてあった紙に描かれていた丸や幾何学模様、文字を組み合わせた図形。その複雑さに目を留めて私はさりげなく呟いた。貴族の研究に口を挟むことは適切ではないだろうけれど、会話することで気分転換になるかもしれない。
「ああ、私が今研究しているものなんだ。領地で独学で研究していたのだけれど、行き詰まってしまってね。婚礼への参加を機に、師に助言をもらいに学院へ行ったのだけれど、これがなかなか結果が出なくて……」
「なるほど」
「ちなみに、こちらが助言をもらう前の魔法陣だよ」
レナート様は紙束の中から、別の一枚の図形を取り出して私に見せてくれた。
以前、魔術具の中に描かれていた魔法陣を見たことがあったけれど、やはりこれは魔法陣だったんだ。レナート様が別に取り出してくれた魔法陣と見比べると、改良前と改良後で複雑さが増しているのがよく分かった。
「魔法陣の改良は出来たのだけれど、思うように結果が出ない。ミーカの性質を考えれば、成功してもおかしくないのだけれど、上手くいかなくてね……。」
「ミーカは、カルルッチ男爵領で産出される化粧品の材料になる鉱物ですよね。魔術にも利用されるのですか?」
「いや、ミーカは魔力素材ではないよ。ただ、触媒に使えるのではないかと考えて研究しているんだ。ミーカは今は化粧品くらいにしか利用されていないけれど、他に利用方法があれば領地の可能性が広がるからね」
レナート様曰く、ミーカの埋蔵量はまだ多くあるし、化粧品の材料として需要があるから、今のままでも領地経営は十分だけれど、それ一つに頼るのではなく、先のことを考えて販路を広げたいとのことだった。
カルルッチ家は男爵位の家柄であり、貴族としての影響力は強くないという話を、昔お嬢様から聞いたことがある。領地として力をつけることは、貴族として大事なことでもあるのだろう。
「立派な志かと思います」
「とはいえ、成果は全然出ていないけれどね」
レナート様はそう言いながら、カバンからいくつかの小瓶を取り出した。赤色や青色の小石が入った小瓶もあれば、白砂が入った小瓶もある。
色の付いた小石は、魔術具の中に入っていたものと似ている感じがするから、恐らく魔石と呼ばれる石だろう。
私が小瓶と魔法陣に興味を引かれてまじまじと観察していると、それに気づいたレナート様が簡単に説明してくれた。
レナート様の話によると、魔術具を作成する場合、用途に合わせて属性を選ぶのだけれど、複数の属性を使用する時はそれぞれの相性の良い悪いを考慮しながら魔法陣を組み立てるらしい。相性の良い組み合わせであれば問題ないけれど、相性の悪い場合は効果が無効化されたり、下手をすれば反発して予期せぬ結果を招いたりもするみたい。
その相反する属性に、他の属性も加えて上手く調整して魔法陣を成立させるのが、魔術具師としての腕の見せ所だと教えてくれた。
ミーカは鉱物として絶縁性の特性があるため、レナート様はミーカを触媒として組み込むことで、相反する属性のみで魔法陣を成立させる方法を研究しているとのことだった。
簡単に説明を聞いただけだけれど、もしそれが実現できれば、触媒としての需要が生まれ、ミーカの販路は大きく拡大することだろう。
会話が気晴らしになったのか、説明が終わる頃には、レナート様の気落ちした様子はすっかり消えていた。
それにしても、レナート様は説明上手のようで、魔術に詳しくない私にも分かりやすく説明してくれていた。それに、話しているうちに熱が入って饒舌になるところは実に研究者らしく、私としては好感が持てた。
「すまない、少し熱が入りすぎた。あまり面白い話ではなかっただろう」
「いいえ、普段知ることがない分野ですので、とても興味深いです」
私が故郷に戻った後、もし魔力を生かす道を選んだ場合、未来で勉強するかもしれない話だからね。道を選ぶ際の判断材料にするためにも、今のうちに聞ける話は聞いておきたい。
「それに、私が申し上げるのも烏滸がましいですが、レナート様の研究はとても画期的な方法に感じました」
「そう、画期的なのだよね。実現すればだけど……」
「そういえば、その小瓶の白砂はミーカですか?」
私は机の上に並べられた小瓶のうちの一つを指差した。他の小瓶が魔石であるなら、白砂の小瓶はミーカなのではないかと予想したのだ。
「ああ、その通りだ」
レナート様が小瓶を傾け、白砂が瓶の中でサラサラと流れる。あれが化粧品の材料であるミーカなのか。
「実物を見たのは初めてですが、あまり細かくされていないのですね。実際に使用される際に、すり潰されるのですか?」
「いや、このまま使うよ。なぜそんなことを?」
「化粧品に使われる際は、細かく砕き、粉末にして使うと聞きましたので、レナート様もそのように加工されるのかと思って……」
商会で見習いとして働いていた時に、化粧品についての知識は一通り学んでいる。今の状態でも十分に細かいけれど、化粧品として使う際はかなり細かく砕いているはず。
「鉱物系は、魔法陣や調合中の魔力で調整するものだから、調合前の形状は影響しないんだ。いや……、もしかしたらそうでもないのか?」
「いや……でも……」とぶつぶつ呟きながら、レナート様は数枚の書類を取り出して机に並べる。
「ミーカは魔力素材ではないから、もしかしたら通常の素材のようにこちらの意図通りに変化していない可能性もあり得るのでは……」
独り言を呟きながら、眉間にシワを寄せたレナート様がペンとインクを出して新しい紙にメモを取り始めた。私は邪魔をしないように、息を潜めてそれを見守る。
何かを書き留めることしばらく、書き終えたレナート様がペンを置き、明るい表情で私を見た。
「ありがとう、アリーチェ。君の一言のお陰で、新たな検証ができそうだ。明日は、ミーカを粉末状にすり潰して試してみるよ」
「ただ疑問を口にしただけだったのですが、お役に立てて良かったです」
「確かに、何が着想を与えるかは分からないものだね」
レナート様はしみじみ言うと、先程書いたメモに視線を落とした。
「この際だ、もし他に疑問があるなら教えてくれないか? 何か糸口になるかもしれない」
レナート様にそう尋ねられ、私は先ほどレナート様から受けた説明を思い浮かべた。本当なら、これ以上はわきまえるべきなのだろうけれど、平民の私の話を聞いてでも研究を進めたいという熱意をレナート様が持たれているのなら、私もちゃんと真摯に応えるべきだろう……。
「レナート様の研究に口を挟むことは恐れ多いですが、そういえば、もう一つ疑問に思ったことがあります……。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。何が気になったんだ?」
レナート様の真剣な反応にほっとしながら、私は言葉を続けた。
「先程の魔法陣の説明で、三つの術が組み込まれているから複雑な術式になっているとレナート様が仰っていましたが、この魔法陣はそれぞれ分けることは出来るのですか?」
「魔法陣を分けることは可能だ。ただし、そういう場合は、重ねて一つの魔法陣として機能するように調整しないといけないから、結果的に難易度が上がってしまうんだ。だから、複雑でも魔法陣は一つにまとめる方が一般的だね」
なるほど、一つに纏めることで複雑になるから、魔法陣を分ける方法を考えたのだけれど、それも簡単ではないのか……。
「素人考えなのですが、相反する属性を一つの魔法陣に纏めようとすると反発も強くなりそうだと思ったのです。そこで、魔法陣を別々に描いて、一つ目を完成させた後に、ミーカを塗布したり、定着させるなどの術を施して、その上に最後の魔法陣を重ねて完成させれば、上手くいったりしないかと考えたのですが、そう単純なことではないのですね」
「……」
私の頭に浮かんだのは、層を重ねて作るお菓子のように、絶縁性の性質を持つミーカを二つの属性の間に挟む方法だ。まさに、想像するのは易し、実現するは難し、といったところなのだろう。
思索に耽るように黙り込んだレナート様が、口を押さえながら「その発想はなかった……」とくぐもった声で呟く。そして、ばっと私の方に顔を向けると、瞳を輝かせて私を見上げた。
「アリーチェ、よく聞いてくれた! その方法はまだ試したことがない! もしかしたら、いつもと違う結果を得られるかもしれない!」
レナート様は興奮気味にまくし立てると、「こうしてはいられない」と言って、再び新しい紙を出して試作の魔法陣を描き始める。その姿は、新しい発見に心を躍らせ、没頭して周りが見えなくなる研究者特有の熱中ぶりを見せていた。
この様子を見る限り、レナート様にとってとても良い糸口になったのは間違いないだろう。役に立てたことを嬉しく思いながら、集中して机に向かうレナート様の邪魔にならないよう、私は静かに自分の仕事に戻ったのだった。
モップを開発したときといい、アリーチェの閃きは有能ですね。




