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7. 旅立ち

 夏の中月となり、私は十一歳になった。一日一日と私が出立する日が近づいてくる。

 出発の前日には、私が角ウサギを捕まえた時のように、豪華な夕食がテーブルに並んだ。濃厚なシチューに木苺のパイ、蜂蜜入りのパンなど、全て私の好きな食べ物ばかりだ。今日のために、わざわざ母が作ってくれたのだろう。

 普段通りの会話をしながらも、家族みんなが私との別れを惜しんでいるのを感じる。湿っぽい空気にならないように明るく振る舞っていたけれど、言葉にはしない寂しさがみんなの顔に滲んでいた。


 そしてその日の夜、「今日は久しぶりに一緒に寝ましょう」と母に誘われた。母と一緒に寝るなんていつぶりだろう。

 独り寝が寂しいというわけではないけれど、姉が駆け落ちしてからずっと一人で寝ていたから、最後の夜は一人ではなくて良かったと、ちょっとだけ思った。

 一緒のベッドに入った母が、私に優しく声を掛ける。


「いよいよ明日ね……、不安はない?」

「うん……、大丈夫だよ」


 家族のもとを離れ、遠く隣の領地に奉公に出るのだ。自分で決めたこととはいえ、不安がないわけはない。でも、私が不安そうな顔をしていては、送り出す家族も不安になってしまう。

 心配をかけないように夕食の場では明るく振る舞っていたのだけれど、おそらくそれは母にはバレていたのだろう。そして今、私が不安を飲み込んだことも、おそらく……。

 窓から入る淡い月明かりを受けた母は、少し悲しそうな顔で微笑んでいた。


「……本音を言えば少し不安もあるけど、のみ込みは早い方だから、なんとかなると思う」

「そうね、あなたは飛び切り優秀だったものね」


 母はそう言いながら、小さな頃によく話してくれていた、私が生まれた夜の話をしてくれた。昔と変わらない母の優しい語りに、心の中に残る不安がやわらいでいくのを感じた。


「きっと、神様があなたを見守りくださるわ……」


 隣にいる母の気配を感じながら、私はそのまま眠りについた。その夜、私は一度も目覚めることなく朝までぐっすりと熟睡した。




 翌朝、旅立ちの日は朝から雨が降っていた。今日ばかりは、家族全員が畑や森へと行くことなく、使いの人が来るのを家で今か今かと待つ。

 雨が降っていたこともあり、村長のところから使いが来たのはお昼近くの頃だった。


(あぁ、いよいよだ……)


 止む気配のない雨に、母が防水処理をした布とマント、つばの広い帽子を私に差し出した。靴に布を巻き、マントと帽子を身に纏うと、全ての出発の準備が終わる。

 同じ様に雨具を身に着けたフィンが「持ってやるよ」と私の荷物を両手で持った。私の荷物は、フィンが持ってくれた手提げカバン一つと、マントの下に斜め掛けしている母と一緒に作ったポシェットだけ。


「それじゃ、行きましょうか」


 皆の準備が終わったところで、母のかけ声で外に出る。しとしとと雨が降る中、父を先頭に歩き慣れた道を歩いて村長の家へと向かった。

 せっかくの旅立ちの日なのに雨模様とはついてない。靴に泥除けは付けたものの、こんなにぬかるんでいては気休めにしかならないだろう。せっかくチェロンさんから貰った靴が、泥で汚れてしまうのは嫌だなと思いながら、私は下を向いて歩く。

 村の広場に差し掛かったところで、名前を呼ばれて顔を上げると、ピエラが見送りに出てきていた。


「アリーチェ、元気でね……」

「またね、ピエラ」

「素敵になったアリーチェに会うの、楽しみにしてるから」

「うん、私も楽しみにしてるね」


 別れ際、ピエラは服が濡れることも厭わずに私に抱きついた後、家の中へ入っていった。

 広場で他の知り合いとも別れの挨拶をし、礼拝堂の前では、見送りに出ていた神官様にお世話になったことへの感謝を伝えた。

 私たちは広場を抜けて、さらに村長の家の方へと進むと、村長の家の前には二頭立ての幌馬車が一台停まっていた。

 父がドアを叩いて訪問を知らせている間、私たちは少し離れたところで待つ。中から顔を出した人と父が会話をした後、私だけが呼ばれて父と共に家の中へと入った。

 玄関先で雨具を脱ぎ、少し広めの部屋に案内されると、中には村長夫妻と見知らぬ男性が椅子に座っていた。壁側の椅子には、同じく見知らぬ女性が二人。


「……この村での奉公予定の女性は、赤毛ではなかったか?」


 父と同じ年齢くらいの神経質そうな男性が、私を見ながら言った。身なりが整っているところを見ると、この人が貴族の仲介人なのだろう。


「奉公予定だったルフィナの妹、アリーチェだ。ルフィナが亡くなったので、その代わりとして連れてきた」


 父が緊張した声で事情を話す。人頭税の問題があるため、駆け落ちした姉は戸籍から既に消されている。村の風評や、村を治める領主からの評価を考えると、駆け落ちで勝手に村から出ていったとするよりも、死亡とした方がいいと村長が判断したらしい。


「年齢は?」

「この夏で十一になる」

「ふむ……」


 仲介者はまるで値踏みするような視線で、私の頭の天辺から足先までジロジロと見回す。その視線に笑顔で応えながら、私は数歩前へ出た。そして、スカートの左右を摘んで少し広げると、軽く腰を落とした。


「アリーチェです。宜しくお願いします」


 立ち振る舞いの所作は、神官様を真似た。挨拶は本で読んだ知識のため、正しく出来ているかは分からないけど、何もしないよりは印象はいいと思う。

 今日この時のために、肩まである髪にはハーブを漬け込んだ油でしっかりと櫛を通し、血色がよく見えるように頬や唇には軽く紅も塗ってもらった。

 私が不十分だと判断されると、今までの準備が全て水の泡となってしまう。少しでも良く見られるように咲きこぼれる花のような笑みを浮かべる。

 その効果があったかどうかは分からないけれど、「いいだろう……」と男性は頷いて席を立った。


(良かった……)


 この様子なら最低限の器量はあると認められたということだよね。私は緊張から解放され、深く息を吐いて激しく鼓動する心臓を落ち着かせた。


「時間がないからすぐにここを発つ。支度をして外へ出るように」


 離れて座る女性達に視線を向けて、男性は準備をするように促した。きっとこの女性達は、私と同じ様に隣の領地に向かう人なのだろう。

 各々が準備を始めたので、私と父は邪魔にならないように雨具を持って先に外へ出る。軒先で雨宿りしていた母たちの所へと向かうと、胸の前で手を握りしめていた母が、ほっとした表情を浮かべた。


「どうだったの?」

「無事に奉公できることになったよ」

「そう……、やっぱりアリーチェは行ってしまうのね」


 そうなるだろうと気持ちの整理がついていても、もしかしてと思うところがあったのだろう。消しきれない寂しさが母の言葉に滲んでいた。


「しっかりと勤めを終えて、いつかこの村に帰って来るからね」

「ええ……、あなたの帰りを待ってるわ」


 いつか果たす約束を口にすると、なんとも言えない悲哀に満ちた表情の母が、私をぎゅっと抱き締めた。マント越しでも伝わる腕の強さが、別れを惜しんでいるように感じた。


 村長の家から人が出てくる音がして、いよいよ別れの時が近づいてくる。感傷的な感情を胸にしまい込み、母から体を離した。

 村長の家から出てきた人達が、馬車に乗り込んでいくのを家族で静かに眺める。人の列が途切れたら、今度は私の番だ。

 サント兄さんに背中を押されながら、フィンが私の前に立ち、「これ……」と言って私に荷物を差し出した。フィンから受け取った私の荷物は、大した物が入っているわけではないのに、ズシリとした重みが私の手に伝わる。


「気を付けてな」

「アリーチェ、元気でな」

「アリー姉ちゃん、またね」

「しっかり食べて、身体に気をつけるのよ」


 父さん、サント兄さん、フィン、そして最後に母さん。それぞれが別れの言葉を口にする。

 私は皆の顔を一人ずつゆっくりと見回した後、私ができる今一番の笑顔を浮かべた。


「行ってきます!」


 私は皆に背中を向けて、馬車に向かって力強く足を踏み出す。幌馬車の後ろに回り込む直前、後ろを振り返って家族の姿を目に焼き付けながら、最後に大きく手を振った。

 馬車に乗り込むと、私は後ろ寄りの空いている席に座る。私が一番最後だったのか、私が座るとすぐに、雨が入らないように御者が後ろにも幌をかけた。


「雨具、脱いだ方が良いわよ」


 私の右側に座る女性が、水の滴る私のマントを見て、脱いだ方がいいと指摘してくれた。私がマントを脱ぎ始めたところで、ムチの音とともに馬車がゆっくりと動き出す。


(ああ、本当にいよいよ……)


 ガラガラと音を立て、馬車が早さを増していく。湧き上がる寂寥感を胸に、広いつばの帽子を外して膝の上に置いた。


「アリーチェ、元気でね!」


 馬車の音と雨音に掻き消されそうになりながらも、私の耳にはしっかりと家族の声が届いた。

 帽子は被ったままにしておくんだったな……と思いながら、帽子に一粒、二粒と滴る雫を、私は静かに見つめていた。


家族との離別。十一歳の少女には大きな岐路ですね。



ここまで読んでいただきありがとうございます!

少しでも面白い、続きを読んでみようと思った方は、

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今日の連続更新はここまでですが、

明日も連続更新を予定していますので、

もし良ければ、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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