76. 神殿図書館
「写本……ですか?」
「ええ、先ほど話していたカタリーナ・ダルポンテの詩集を写本して欲しいの。カタリーナ・ダルポンテは詩作入門書にも必ず載っているくらい有名な昔の詩人だけれど、印刷技術が出始めた頃に活動していた詩人だから、出版されている詩集の数自体が少ないの。普通にはまず売っていないはず。アリーチェは以前、書写の仕事を手伝っていたと言っていたから、出来るのではなくて?」
「写本は確かに行えると思いますが、部外者は神殿図書館に入れないのではないですか……?」
お嬢様の熱量に気圧されつつ、私は素朴な疑問を口にする。写本すること自体は可能だけれど、図書館に入れなければ書写しようもない。
私の言葉を受けて、お嬢様は良く聞いてくれたわね、といった自信満々の表情を浮かべた。
「問題ないわ。神殿図書館は登録料を払えば普通の市民も利用できるもの。登録料もお父様に出してもらうから大丈夫よ」
神殿図書館に入れるという期待に、どきりと胸が躍ったけれど、私はすぐにその高鳴りを押し鎮める。
「そうは言っても、登録料は高いのではないですか?」
私の指摘に、お嬢様がぎくりとした顔になる。印刷技術の向上で本は比較的身近なものになっているけれど、それでも本はまだ高価なものだ。そんな物が沢山所蔵されている図書館を、利用できるようになる権利が安いはずがない。
「そうね……。安くはないけれど、登録料は保証金の意味合いもあるから、仕方がないわ。それに、登録札を返せば登録料は返金されるから、お金のことは気にしなくて良いわよ」
お嬢様が安くないと言うくらいだから、登録料はかなりの額なのだろう。気にしなくて良いと言われても、流石に気にしないわけにはいかない。
正直な所、図書館にはかなり心引かれるけれど、おいそれと食いついて良い話ではないのだ。
「その詩集を借りることは出来ないのですか? もし保証金を支払って借りることができるのであれば、その方が良いのではないでしょうか」
「それは無理ね。写本してほしい詩集は貸出していない本だから、アリーチェに来てもらうしかないわ」
「そうですか……」
それであれば、私が神殿図書館に入れるように便宜を図ってもらっても、そこまで特別扱いにはならないよね……? お嬢様が欲しがっている詩集を写本するという大役を担うわけだし。
私は自分自身を納得させると、「私がちゃんとお父様から許可を得るから任せておいて」と胸を張るお嬢様に対して、「お願いします」と返事を返した。
その後、お嬢様の説得が功を奏したのか、旦那様からの許可はあっさりと下り、私が神殿図書館へ登録することが決まった。
とりあえず、神殿図書館へ写本に行くのはお嬢様が中等学級に通う週三日のうちの二日で、残り一日は屋敷に戻って以前と同じ様にメイドの仕事をすることになった。完成は早いに越した方がいいだろうけれど、このあたりが妥当だろう。
そして、前回の中等学級から二日後、私とお嬢様はいつもより早い時間に屋敷を出発し、お嬢様の授業が始まる前に神殿図書館を訪れていた。
初めて間近で見る神殿図書館は、神殿にも似た荘厳な雰囲気を持つ大きな建物だった。そして、その前に立つ私の手にはカバンが二つ。一つはお嬢様の学習道具が入ったカバンで、もう一つは写本道具が入ったカバンだ。
旦那様から許可が下りて早々に、アントンさんが用意してくれた。中にはペンやインク、定規などの筆記用具と紙、写し終わった紙を挟む木製の折りたたみ式フォルダーなどが入っている。カバンの中には最も大事な登録料も入っているので、カバンを握る私の手にも力が入るというものだ。
「さぁ、行くわよ。アリーチェ」
「はい、お嬢様」
お嬢様の後ろについて私は神殿図書館へと足を踏み入れた。お嬢様は迷わず内扉の前にある受付カウンターへと向かった。お嬢様は中等学級の学生証をカウンターの上へ置くと、受付の人に「新規の登録をお願いします」と告げる。
受付の人はお嬢様の学生証を手に取って確認した後、私の方へ視線を向けた。
「登録するのはそちらの方ですか?」
「ええ、当家のメイドです。紹介者は私でお願いします」
神殿図書館へ登録するには、登録料だけでなく、身元のしっかりした紹介者も必要らしい。多額の登録料だけでなく、身元のしっかりした紹介者まで必要とは、本当に普通の一般市民が気軽に利用できるような場所ではないのがよく分かる……。
ちなみに、お嬢様は中等学級の学徒であるため、既に身元の確認はできているし、名の知れた商家の娘ということで紹介者として十分な資格があるみたい。
「確認できました。では、登録料の大金貨一枚と、こちらに記入をお願いします」
受付の人の言葉に従い、私はカバンの中から大金貨一枚を出すとカウンターの上に置いた。登録札を返せば返却されるお金とはいえ、登録料のあまりの高額ぶりに頭がくらくらしそうだ。
記入するよう指示された紙には、名前や年齢、職業、住所、紹介者、利用目的を書く欄があり、一番下には利用規約に従う事に同意することを誓約する欄まである。
受付の人が利用規約について説明してくれたけれど、書物を損傷しない、許可なく書物を持ち出さない、返却期限を守る等の基本的なものだった。
全ての欄の記入を終えて受付の人に紙を渡すと、代わりに一枚のタグが差し出された。おそらくこれが登録札なのだろう。つるりとした金属の札には、何かの番号と私の名前の頭文字が刻印されていた。
「こちらが登録札になります。利用する際はこちらを提示し、入館簿に名前を記入してください。再発行は出来ませんのでご注意ください」
「分かりました」
「本日は、図書館を利用しますか?」
「はい、利用します」
差し出された入館簿に、お嬢様と私がそれぞれ番号と名前を記入する。そして、大きなカバンや袋は図書館に持ち込めないため、お嬢様のカバンはそのまま、私のカバンは写本道具を出してカバンだけを受付に預けた。冬場だとコートを預けたりもするらしい。
不正な書物の持ち出しを防ぐため、書物を隠せるような物の持ち込みを禁止しているのだろう。
「利用方法については、図書館内にいる司書にお尋ねください。では、新しき智の学徒に祝福があらんことを」
受付の人に送り出され、私達は内扉の前に立つ。真鍮の取っ手に手を伸ばし、私は重厚な扉を引いて開けた。
「わあ……」
凄い……。高い天井は開放感にあふれ、壁面の背の高い書棚にはびっしりと本が並ぶ。建物の大きさからして、蔵書数も多いだろうと思っていたけれど、想像以上の凄さだ。
司書のいるカウンターに、本を読むための書見台や写本作業をするための台。続く奥の部屋にも壁面の書棚と、二階部分が回廊になっているのが見えた。
「ふふっ、アリーチェったらずっと入口に立っているつもり?」
お嬢様のころころとした笑い声に、私はぽかんと開いていた口を閉じ、慌ててお嬢様の後に続いた。
「失礼しました。あまりの本の多さに驚いてしまって……」
「良いのよ、私も初めて神殿図書館に入った時は、そんな感じだったもの」
なるほど、お嬢様の言葉にも納得がいった。それほどまでに、目に映る光景は圧巻だったのだ。きっと初めて入館する者が、皆通る道なのだろう。
その後、私は司書から館内の簡単な説明を受けた。司書によると、壁面書棚に収納されている本には一般図書と特別図書の二種類があるそうだ。どちらも貸し出しは可能だけれど、無料で借りられる一般図書に比べて、特別図書は貴重な本なので、借りる場合には高額な保証金が必要になるとのことだった。
借りるのに保証金が必要なのは当然として、無料で借りられる本があるというのには驚きである。利用するのに高額な登録料が必要なだけはあるね。
また、回廊部分の壁面書棚には更に貴重な本が並んでいるらしく、読みたい場合は司書に依頼して取ってもらう必要があるみたい。回廊の本は読むことは可能だけれど、階下の書物と違ってこちらは貸出不可らしい。この部屋以外にも、羊皮紙で作られた本や巻物を保存している特定書庫もあるみたいだけれど、そちらは特別な許可がある人しか入室できないとのことだった。
その他には、本の借り方や写本の仕方、注意事項についても司書から説明があった。それによると、写本する際は写本予定の本を持ってカウンターで申請し、指定された場所で写本を行った後は、再びカウンターに行って終了を申告する決まりになっているみたい。
開始時と終了時に本を持ってカウンターに行くのは、汚れていないかの確認と、万が一汚した場合に、すぐに修繕に取り掛かれるようにという理由なのだろう。
申請時に写本する場所が指定されるのも、勝手に写本する人がいた場合にすぐ見つけられるように、という狙いがあるのだと思う。なかなかに合理的な規則である。
司書の説明が終わった後は、お嬢様の先導でカタリーナ・ダルポンテの詩集がある書棚へと向かった。繋がった三つの部屋のうち、お嬢様が足を止めたのは第二室の壁面書棚の前だった。そう、回廊の書棚ではなく一階の書棚の前である。
「お嬢様……。もしかしてですが、カタリーナ・ダルポンテの詩集は保証金を支払えば借りられたのではないですか?」
「……流石にバレてしまったわね。実を言うとそうなの」
イタズラがバレたときの子供のように小さく舌を出すと、お嬢様はあっけらかんと言った。
「何故、借りられないなどと言ったのですか?」
「借りるときの手続きが面倒だったし、何より保証金がとても高いの。登録料の数倍かかるのよ?」
「そんなにですか!?」
そんな大金を支払って本を借りるなんて、恐ろしくて仕方がない。というか、保証金をそれほど支払わないと借りられない本を今から写本するのかと思うと、今更ながら身が縮むような思いがする。
私が震えおののいていると、お嬢様が「それに……」と言葉を続けた。
「アリーチェは本を読むのが好きでしょう?」
「確かに、それはそうですが……」
「屋敷の図書室は、他の使用人の手前、あなただけ利用を許可することは難しいけれど、ここなら写本するという立派な理由があるもの。利用が特別に許可されても何の不思議もないわ。まさに、大義名分というやつね」
(……お嬢様という人は)
つまり、私が神殿図書館に入れるように、ここでしか写本が出来ないとワザと言ったということか。
本が沢山読めるかもという喜びはあったけれど、それよりもお嬢様の気遣いが何より嬉しかった。
「アリーチェなら喜んでくれると思っていたのだけれど、違ったかしら?」
じわじわと湧き上がる喜びを噛み締めていると、お嬢様が少しばかり意地悪そうな表情で私を見上げた。
「いいえ、とても嬉しいです。今この場でお嬢様に抱きつきたいくらい喜んでいます」
「っ!」
慌てるお嬢様に対して、私は満面の笑みでしれっと言う。それくらい喜んでいるという点では間違いない。流石に主に対してそんな無礼な振る舞いはしないけれど。
「とはいえ、私はちゃんと弁えておりますから、感謝の言葉を伝えるだけに留めたく思います。お嬢様のお心遣い、幸甚の至りに存じます」
「ま、まぁ…、喜んでくれたなら良かったわ……。それでは、写本の方を宜しくね」
「はい、全力を賭して写本作りに励みます」
私は先程と同じ様に満面の笑みを浮かべながら、お嬢様に返事をした。
その後、週に二度しっかりと写本を続けたことで、春の終月が終わる頃にはカタリーナ・ダルポンテの詩集の写しは無事終了した。それを製本工房に依頼し、最終的に本が完成したのは少し先のことだ。
神殿図書館の登録札については、写本完成後も返却されることはなかった。写本の出来栄えを気に入ったお嬢様が、他の本の写本も希望したからだ。こうして、私の神殿図書館への通いはその後も続いたのだった。




