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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第六章 お嬢様付きメイド

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73. 春の季節

 ――カラーンカラーン


 微睡みの中にいた私は、鳴り響いた鐘の音でパチリと目を覚ました。薄暗い部屋の中、布団にくるまったまま、眠気を払いのけるように、うんと大きく伸びをした。その後、ベッドから出て窓へと近づいた。

 ガラス窓と鎧戸を開けると、冷たく澄んだ朝の空気が部屋へと流れ込む。ひんやりとした空気を全身に浴びながら、私は冷たさの中に春の目覚めの気配を感じた。


 今は春の初月の第三週。未練のように残っていた雪も溶け、寒風や雪にさらされた冬芽が、春の日差しで息づき始めた。ヴィオラお嬢様が誕生日を迎え、九歳になったのはつい先日のことだ。

 第二週のお嬢様の生まれた日には、いつもより豪華な食事でお祝いし、使用人にもいつもより質の良い料理が振る舞われた。

 故郷のティート村では、生まれた季節の最初に年齢がひとつ増えるだけで、こんな風にご馳走で祝う習慣がなかったのでとても驚いた。ちなみに、州都ではこれが普通なのかと思ったけれど、ニルデ達の話によると、こういう習慣があるのは上流階級もしくは中流階級くらいで、一般市民は特別にご馳走を食べたりしないらしい。 

 その話を聞いて、流石はフィオルテ商会だと納得したものだ。


 私は昨晩のうちに用意しておいた水差しを手に取ると、ボウルへと水を注いでいく。夜の冷気ですっかり冷たくなった水で顔を洗うと、僅かに残っていた眠りの余韻が消え、感覚が鮮明になる。

 私はボウルの水を窓の外の雨樋に捨て、いつもの様に仕事着に着替えると、椅子に座って卓上鏡に向かう。そして、丁寧に髪を梳かした後、髪の毛を三つ編みに結って左右に下ろした。

 ティート村を出発した時、肩の上くらいの長さだった髪の毛は、今ではすっかり鎖骨の下あたりまで伸びた。家を出てからもう八ヵ月、これだけの時間が経てば髪も伸びるというものである。

 もちろん、変わったのは髪の長さだけではない。頬にはふっくらと肉が付き、全体的に血色も良くなった。おそらく身長も伸びたと思う。

 というのも、この屋敷に来てから食糧事情が一気に向上したからだ。三食ともにしっかり食事が用意される上、お腹いっぱい食べられるとなれば、成長しないほうがおかしい。


(しっかり食べられるようになったら、こんなにも目に見えて変わるのだね……)


 鏡に映る自身の姿を見ながら、私は指で軽く前髪を梳いた。くすんだ灰色だった私の髪の毛は、今では艶が出て明るい印象に変わった。毎食しっかり食べているというのもあるけれど、毎日の湯浴みで綺麗に洗い、チェリーウッドの櫛で丁寧に梳かしているからというのもあるだろう。

 故郷の人や孤児院の皆が今の私を見たら、別人みたいだと思うかもしれない。それ位、今の私は見違えるほど健康的になっていた。


 毎日鏡を見るようになって思ったことは、日々の変化だけではない。自分の顔をまじまじと観察する機会がなかったから意識したことがなかったけれど、鏡に映る私は、贔屓目に見ても自分が思っている以上に可愛らしく見えた。

 州都への旅の最中、ジルダさんに化粧をしてもらった時は整った顔立ちだなと思っていたけれど、健康的になったことで、より可愛らしさが増した様に思う。

 自分の容姿がまずまずのものだと知れるのは嬉しいけれど、それ以上に嬉しかったのは、自分の顔に家族の面影を見つけられた事だ。

 目や眉や鼻、額、耳の形など、母や姉、弟に似ているところを見つけては、胸のつかえが取れていくのを感じた。


 自分に魔力があるということを知ってから、心の底で抱いた疑問。家族が誰一人として魔力持ちではないのに、何故私だけが魔力を持っているのかということ……。偶然魔力持ちが生まれることもあるとは聞いたけれど、もしかして家族と血が繋がっていないのではないか、という一抹の不安は消えなかった。

 でも、卓上鏡で自分の顔を観察するようになって、その不安は一掃された。これだけ似ているところがあるのだから、血の繋がりがあるかの心配は杞憂だったのだろう。予想外の副産物に、鏡を買って本当に良かったと、私は心の底から思った。


 最後にメイドキャップを付けて椅子から立ち上がると、身だしなみの最終確認を行って部屋を出た。私が廊下に出て程なく、ちょうど洗濯メイドのニルデが部屋から出てきたので、「おはよう」と挨拶を交わす。そして、今朝はいつもより暖かかったねと軽く会話をしながら、一緒に一階へと下りた。

 いつもの様に厨房に使用人が集まりアントンさんからの業務連絡を聞いた後、私は掃除道具を持ってひとりお嬢様の部屋へと向かった。

 メイドとして働き始めて二ヵ月後、ゼータさんは奥様付きのメイドへと戻り、私は一人でお嬢様のお世話を任されるようになっていた。流石に一人でお世話するのはまだ早いのではと思ったのだけれど、ゼータさんの後押しもあり、メイドとして一人前と認められた。今ではすっかり一人でのお世話にも慣れたものである。



「おはようございます、お嬢様。お目覚めの時間でございます」


 二の鐘が響きわたるのを待って、お嬢様に声を掛けながらそっと天幕を開けた。寝台に横たわるお嬢様はまだ眠そうな様子で、目をこすりながら「おはよう……」と小さな声を返す。

 お嬢様がゆっくりと身体を起こし、私はその前に手際よく洗顔の準備を整えた。ぬるめの水が入ったボウルに、お嬢様が白い手を差し入れて顔を洗う。私は頃合いを見て、清潔なタオルをお嬢様に差し出した。

 お嬢様が洗顔を終えた後は、寝台の上に置いた台とボウルを素早く片付ける。お嬢様が寝台から足を下ろしたので、私は用意しておいた若草色の衣装を、お嬢様が見えやすいように丁寧に広げた。


「本日の衣装はこちらで宜しいでしょうか?」

「ええ、それでお願い」


 衣装は、翌日の予定を踏まえて昨晩のうちにお嬢様が決めたものになるけれど、その日の天気や気温、気分によって衣装が急遽変更になる場合もある。その時は急いで取りに行ったり、必要があればアイロンがけもしなければいけないので、着替え始めるまで気が抜けない。

 手伝いながらお嬢様が身支度を終えると、お嬢様の後ろについて食堂へと向かう。朝食後、紅茶を飲んで一息ついたお嬢様が自室に戻ると、お嬢様に断りを入れて私は厨房へ向かった。



「アリーチェ、今週の新聞です」

「ありがとうございます、ゼータさん」


 朝ご飯をお皿に注いでテーブルへと移動すると、朝食をとっていたゼータさんがトレイに乗った折りたたまれた紙――新聞を私の方へ差し出した。

 新聞は、州都で週に一回定期刊行されている情報紙で、社会情勢や事件、事故、社交界や流行、地方の情報、はたまた別の州や王都の情報を伝える物である。

 旦那様と奥様が新聞を読み終わったので、次に読むお嬢様に渡るように、私に渡してきたというわけだ。以前は旦那様と奥様だけが読んでいたのだけれど、お嬢様も九歳になったということで、つい先週から新聞を読むようになっていた。

 新聞にびっしりと書かれた文字の中には、知らない単語や専門用語も多数あるため、社会情勢の理解だけでなく語学の勉強も兼ねられている。もちろん、全てに目を通すのではなく、旦那様から読むよう印を付けられた記事や、お嬢様が興味を引かれた記事だけを読んでいるのだけれど、読み始めたばかりのお嬢様にはなかなか大変な作業みたい。


 実を言うと、私も新聞を読み始めていたりする。というのも、図書室の本を読んでみたいと思っていたものの、使用人の立場でそれは流石に難しいだろうと諦めていた。けれど、今回新聞の存在を知って、これなら読ませてもらえるのではと、ダメ元でアントンさんに聞いてみたのがきっかけだ。

 そして結果は、丁寧に読むことを条件にあっさりと許可が下りた。屋敷内で旦那様の補佐をするだけあって、アントンさんもセルジョも新聞を読んでいたみたい。メイドで読みたいと言ってきた人は誰もいなかったらしく、私が読みたいとお願いに行った時は、二人ともとても驚いていた。


 ちなみに、新聞はすぐに処分されるのではなく一定期間は保管している様で、少なくとも直近三年位の新聞は事務室に保管されているらしい。つまり、私が一日一部の新聞を読んだとしても、すぐには読み切れないということだ。

 とはいえ、毎日の就業後に新聞を読んでいるとニルデ達と談笑できなくなってしまうので、二日か三日に一度に抑えるつもりだ。

 私自身、読み始めてまだ二度だけれど、就業後に厨房の片隅で新聞を読んでいる姿は、他のメイド達にとても注目されている。ノエミには「そんな細かい文字だらけのやつを、よく読む気になるねぇ」と、呆れを通り越して感心されてしまった。

 新聞は基本的に男性が読むもので、上流階級や中流階級でも女性が読むことは一般的ではないらしい。ましてやメイドが読むなんて、余程の上昇志向か玉の輿狙いかと思われるとのことだった。

 「あんたはどっちなんだい?」とノエミににやにや顔で聞かれたので、「単なる知識欲」と答えると、大きなため息混じりに「あんたならどっちも狙えそうなのに勿体ないねぇ」と、その場にいたメイドも含めて笑われてしまった。

 この反応が普通なら、アントンさん達にも驚かれる訳だね……。



 春になって変わったことは他にもある。お嬢様が神殿の中等学級へ入学したのだ。今までは、屋敷に呼んだ家庭教師から教養を学んでいたけれど、中等学級へ進学したことで週に三日神殿へ通うようになった。

 神殿の中等学級というのは、小神殿などで行われている初等学級――俗に言う神殿学級で基礎の教育を受け、そこで優秀な成績を修めた者が推薦によって進学できる所だ。中等学級で更に優秀な成績を修めると、州立学院への推薦が受けられるという話みたい。

 故郷のティート村の神官様に私が勧められたのが、この中等学級への進学だったはず。


 お嬢様は小神殿の初等学級には通っていなかったけれど、優秀な成績であることを示せば、推薦がなくとも中等学級への入学は可能だ。家庭教師を自宅へ呼ぶような上流階級の平民は、大体が中等学級からの入学みたい。

 成績が振るわなくても、多額の寄付があれば入学できるのだとお嬢様は言っていたけれど、もちろんお嬢様は優秀な成績を示しての入学である。

 州立学院も同様に、推薦がなくとも入学できるけれど、こちらはしっかりとした入学試験があるようなので、表向きは優秀者でなければ入学できないとのことだった。

 ちなみに、今のは主に平民の話で、貴族の子息子女なら基本的に入学の意思を示せば、中等学級も州立学院も入学を許されるらしい。貴族の特権というやつなのだろう。


 そして、春になって変わったことはもう一つ。お嬢様が本格的に社交を開始したことだ。

 今まで、お嬢様のお出かけと言えば友人宅へ遊びに行くのがほとんどで、それ以外の用事で出掛けることは極まれだった。けれど、この春からは奥様と一緒にサロンや観劇へ出掛ける機会が少しずつ出てきた。

 春というのは、水の州の貴族が州都に集まる社交の時期でもあるらしいので、それに合わせて催し物がいろいろと開催されているみたい。おそらくそれもあって今は社交に力を入れているのだろう。

 当のお嬢様はというと、まだ慣れない社交への参加というだけあって、とても緊張すると言っていた。深窓の令嬢であったお嬢様からすると、急に参加するようになった社交は、私が思っている以上に心労がかさむのだろう。社交から帰ってきたお嬢様は、部屋に戻ると毎回ソファにぐったりと身体を預けていた。

 そういう時は、湯浴みの際にリラックス効果のある精油を使ったり、お嬢様のお気に入りの紅茶を淹れたりして、少しでも気晴らしになるように心がけている。


 水の州の貴族の社交時期が春なのは、一応理由がある。水の州最大のお祭りである萌水祭が来月に控えており、それに参加するため水の州に属する領地の貴族が州都に集結するというわけだ。普段は領地で過ごしている貴族も集まるため、今は州都全体が賑わっている感じだ。

 「萌水祭が近くなると街全体が花で飾られるの。街が春で溢れてとても華やかなのよ」と、就業後の談笑の時間にニルデが教えてくれた。

 私たちが祭りの話をしていると、ゼータさんは「この時期は本当に大変なのよね……」と呟いていた。確かに、奥様とお嬢様のお出かけの際に付き人が必要な場合は、全てゼータさんが付き添っているので大変なのも頷けると、その時の私は思ったものだ。


 ゼータさんの言葉の本当の意味を私が知ったのは、この時から一週間後のことだった。


時が少し経過し、新章になりました。


拝読、ブックマークやいいね、評価等の応援いつもありがとうございます。

引き続き更新頑張りますので、お楽しみいただけたらブックマークやいいね、下の☆を★に塗り替えて応援いただきますと励みになります。

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