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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第五章 州都カーザエルラ

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72. 素敵な時間

 無事に目的の一つである石鹸を買い終えた私達は、メリッサの案内で何軒かの雑貨屋や服屋、古着屋を巡る。そしてしばらく後に、商業区にある広場へと辿り着いた。その広場にはいくつかの屋台が並び、ここを訪れる人達は思い思いに屋台で料理を購入し、舌鼓を打っていた。

 メリッサ曰く、ここは州都のグルメスポットの一つらしい。


「お昼、奢ってくれてありがとう」

「付き合ってもらっているのだから、これくらいのお礼はさせて」


 付き合ってくれた僅かばかりのお礼として、昼食を奢らせてほしいとメリッサに願い出た。そして、つい先ほどメリッサのお勧めの屋台で揚げ魚サンドとスープを購入し、広場のベンチの一つに仲良く並んで腰を下ろしていた。

 外での食事は少し寒いけれど、温かいスープも合わせて買ったので、長時間でなければ大丈夫だと思う。

 揚げ魚サンドは、揚げた魚とたっぷりの野菜、そして乳黄色のソースがパンに挟まっている簡単なものだったのだけれど、その味は驚くべきものだった。


「揚げ魚って初めて食べたけど、とっても美味しいね。中のソースがまたまろやかで、凄く食欲を掻き立てる……」

「ふふっ、気に入ってもらってよかった。魚料理はカーザエルラの名産だからね。揚げ魚サンドも人気だけれど、色んな名物料理があるのよ」


 州都カーザエルラは湖のほとりにある都市だから、魚料理が賑わっているのだろう。確かに、屋敷でも魚料理が頻繁に出ていたものね。

 とは言え、揚げ魚などが使用人の食事に並ぶことはなかったから、食べるのは本当に初めてである。


(こんなに美味しいだなんて、食べきってしまうのが勿体ないね……)


「平日は無理だけど、休日に誘ってくれれば、またこんな風に美味しい食べ物を紹介できるわよ」


 私が味わいながら揚げ魚サンドを食べていると、メリッサが咀嚼の合間にそう言った。


「えっ、また誘っていいの……?」

「もちろんよ。商会長から今回のことを依頼されたくらいだし、アリーチェは正式にお嬢様付きのメイドになれたんでしょう?」

「ええ、少し前にお嬢様付きメイドとして正規雇用されたわ。えっと、もしかしてメリッサは噂のこと知ってるの……?」


 私は、何がとは言わずにメリッサに尋ねる。正式にとわざわざ言うくらいだから、噂を聞いたことがあるのだろうか?


「ん? お嬢様付きのメイドがすぐクビになるって話のこと? 知ってるわよ、メイドをクビになった子が商会で働いているから、その子からこっそり聞いたの」


 なるほど、お嬢様の教材となった一人が商会で働いていたんだね。もし、私がお嬢様のメイドにならずに商会の見習いになっていたら、またお嬢様が一人クビにしたと噂になったのだろう。


「あなたもすぐクビになるんじゃないかって噂する人もいたけど、案内した時の様子で、アリーチェなら意外と上手くやるんじゃないかと思っていたの。私の予想が的中したわね」


 うふふと、メリッサが意気揚々と笑う。まるで勝負に勝ったかのような得意顔だけど、流石に賭けにはしていないよね……? 私が少しだけ怪訝な顔で見つめていると、「そんな訳だから、また気軽に声をかけてね」とメリッサが笑顔で言った。

 そんな訳というのが、お嬢様付きのメイドだからという意味が含まれているのかは分からないけれど、少なくともメリッサから好意的に見られているのは間違いないだろう。

 この街に知り合いがいないため、休みをもらっても一人で出かけることが確定している私としては、せっかくのメリッサの誘いを断る理由がない。それに、半日買い物を付き合ってもらって、メリッサの人の良さが分かったというのも大きいだろう。


「それじゃあ、また誘わせてもらうね。予定が駄目な時は、遠慮なく言ってね」

「ええ、分かったわ」


 また一緒に買い物に出掛けることを約束すると、私達は他愛ない会話をしながら食事を再開させた。

 その後、味わいながら揚げ魚サンドを平らげ、空になったスープのお椀を屋台に返却したら、私達は次に露店の並ぶ市場の方へと足を向けた。

 今まで寄った雑貨屋で、ある程度クシや鏡の目星をつけたけれど、メリッサとしてはその二点は露店での購入を勧めていた。石鹸と違って、鏡やクシであれば質の良し悪しはよくよく見れば分かるので、もしかしたら掘り出し物が見つかる可能性もあるらしい。

 しかも、一つの露店でまとめ買いするなら値段交渉もしやすいと、メリッサが説明してくれた。



 広場から歩くこと少し、私達は目的の市場へと到着した。日用品に金物屋、雑貨を扱うお店もあれば古着や絨毯などの布物を扱う露店。食事の屋台はもちろんのこと、小麦や野菜等、果ては魚を売る露店まで、市場には様々なお店が所狭しと並んでいた。

 面白いもので、地面に広げた布の上に直接商品を並べたり、組み立て式の棚に並べたり、運んできた荷馬車そのままで商売をしている露店があったりと、お店の形態も多種多様だ。

 今まで見てきた商店通りも人通りが多かったけれど、市場はそれ以上に人でごった返していた。視界に飛び込む色とりどりの露店はとても新鮮で、目が眩むような賑やかさだ。


「人が多いから、スリには気をつけてね」


 メリッサの言葉に、私は慌ててコートの上に斜め掛けしたポシェットを手で押さえる。財布の感触にホッとしながら横を向くと、メリッサがくすりと笑みを深めていた。


「今はまだ大丈夫だけど、熱中するあまり注意が散漫にならないように気をつけてね。人混みがすごい時はスリも多いらしいから」

「分かった、気をつけるね……」


 私は手提げ籠を持ち直して気を引き締めると、お目当ての鏡とクシを見つけるべく雑貨屋の露店巡りを始めた。

 いくつものお店を巡ることしばし、様々な露店を物色し、吟味に吟味を重ねた私は、ついに念願の鏡とクシを購入した。それなりの品質のものが、予算よりも安く買えたのはメリッサの交渉術のお陰だろう。私が鏡とクシを買った露店で、メリッサが一緒にアクセサリーを購入した点も大きかったのだと思う。

 私が選んだ鏡は、私の手より一回り大きな真鍮製の卓上鏡。華美な装飾はないけれど、これくらいの大きさがあれば身支度するには十分だろう。

 クシの方はというと、滑らかに仕上げられたピンクがかったクシに決めた。淡い色合いが気に入ったのだけれど、チェリーウッドで作られた物らしく、「この値段ならお買い得だと思う」と、メリッサからお墨付きをもらった代物だ。いい買い物ができて、幸運だったね。


「必要なものは、これで全部買えた?」

「一応全て買えたのだけれど、追加でもう一箇所行ってもいい?」

「いいわよ、何処に行きたいの?」


 私はメリッサの方に顔を向けると、少しの間を置いてから「紅茶専門店」と笑顔で答えた。




 軋み音とともに扉を開けると、室内の温かな空気と共に心地よい芳醇な紅茶の香りが広がる。寒い外をずっと歩き回っていたというのもあり、私とメリッサは店内の温かさにほっと一息をついた。

 私がメリッサを誘って来たのは、お使いの際に寄ったアルモニア紅茶店だ。ここへ来たいと説明したところ、メリッサもこのお店を知っていたので市場からここまで最短距離で案内してもらえた。どうやら、屋敷だけでなくフィオルテ商会の方でもここの茶葉を使っているらしく、昔はメリッサもお使いで茶葉を買いに来たことがあったらしい。

 来客に気付いた店主が、「いらっしゃいませ」と言いながら私達の方を見て軽く首を傾けた。


「あら、あなたは少し前にお使いでお店に来たメイドさんね。こっちのお嬢さんも、昔お店に来てくれていたかしら」

「ええ、ずっと前に商会のお使いで何度か寄らせてもらっていました」


 メリッサが笑顔で答えると、「あら、そうだったのね。二人ともいらっしゃい」と店主が優しげな笑みを浮かべた。


「今日は私服のようだから、お使いじゃなく寄ってくれたのかしら?」

「ええ、この前は応えられなかったお茶の約束を果たしに来ました。あと、ハーブティーを買いに」

「あらあら、嬉しいわね。では、約束通りハーブティーを入れるわね。試飲しながら好みのハーブティーを選びましょう」

「はい」


 私は「はい」と明るく返事をしながら着ているコートを脱ぐと、店主の勧めでカウンター左側にある高座の椅子に座った。もちろんメリッサも一緒である。

 店主がハーブティーの缶を取り出すと、カウンターの上に並べる。


「何か希望はあるかしら?」

「冷えに効くもので、リラックス効果があるものをお願いします。あと、寝る前に飲んでも大丈夫なやつがいいです」

「それなら、一番はこのカモミールを基本としたものね。他のハーブと果物も混ざっているから飲みやすいと思うわよ。飲んでみる?」

「はい、お願いします」


 カモミールはハーブの中でも定番のものだ。鎮静や不安の解消、身体も温めてくれるから寝る前に飲んでも問題はない。

 私の言葉を受けて、早速店主はティーポットを出してきて準備を始めた。


「ねぇ、アリーチェはハーブティーを飲んでいたの? 私は初めて飲むわ」

「ハーブの効果は知っているのだけれど、売られているハーブティーを飲むのは私も初めてだよ」


 ちゃんとしたハーブティーを飲むのは初めてだし、流石にこの場でハーブ茶を自作していましたとは言えないよね……。

 メリッサは私がぼかしたのをなんとなく察したのか、追求せずに別のことを聞いてきた。


「ふうん、せっかくの機会だから飲み始めるの?」

「ううん、私が飲むんじゃなくて、試用期間にお世話になった先輩メイドにお礼として贈るつもりなの」

「贈り物だったのね」


 お世話になった先輩メイドというのは、もちろんゼータさんのことだ。

 私が屋敷に来た日、私が石鹸を持っていないということで、湯浴みの時にゼータさんから石鹸を借りて使わせてもらった。実はその後、石鹸がないと困るだろうからと、ゼータさんがナイフで自分の石鹸の端を切って分けてくれたのだ。

 今日実際に買ってみて、石鹸は決して安いものではないということは確認できたし、ちゃんとお礼は必要だよね。

 お菓子なども考えたのだけれど、ゼータさんが手足がよく冷えると言っていたから、そういうのに効果があるハーブティーを贈ることにした。最近は更に冷え込んできたから、冷えに効くハーブティーは喜んでもらえるのではないかな。

 薬局で買った方が効果は高いのかもしれないけれど、美味しさと飲みやすさで選ぶなら、間違いなくこちらだろう。


「はい、どうぞ」


 店主は微笑んでティーカップを私達の前に置いてくれた。私とメリッサは「ありがとうございます」と言ってカップに手を伸ばす。


「とても美味しい……」

「思っていたよりも飲みやすいのね」


 お互いに、ふぅと息を吐きながらソーサーへとカップを戻した。メリッサが言ったように、果物にも似た甘い香りと、まろやかな風味でとても飲みやすい。これならゼータさんも飲んでくれるのではないかな。


「効果はもちろんだけど、風味も重視して調合したものだから、とても飲みやすいでしょう」

「はい、飲みやすくてとても良いですね。これに決めたいと思います」

「そう言ってもらえてよかったわ。女性向けなら、他に美容効果のあるハーブティーもあるから、興味があれば言ってね」


 店主の言葉に目を光らせたのはメリッサだ。美容効果と聞いて興味を引かれたみたい。


「美容効果をもつハーブティーもあるんですか!?」

「ええ、あるわよ。やっぱり女性としては気になるわよね。そちらも試飲してみる?」

「お願いします!」


 強い関心を見せながら、真剣な表情でメリッサが予想通りの言葉を口にした。



「今日はたくさんいい買い物が出来たわ。誘ってくれてありがとう、アリーチェ」


 紅茶店では、私はゼータさんへのハーブティーを購入し、メリッサはというと美容に良いハーブティーをお試しで購入していた。茶葉の入った木箱を胸に抱え、メリッサはほくほく顔で私の隣を歩く。


「私の方こそ、いろいろ案内してくれてありがとう。メリッサのお陰で素敵な物がたくさん買えたし、凄く楽しかったよ」

「それなら良かった。私も一緒に買い物できて楽しかったよ。昼にも言ったけど、本当にまた誘ってね」


 メリッサの顔を見れば、心からそう思っているのが分かった。私は「うん、必ずまた誘うね」と笑顔を返す。


「実は、今は秋冬向けの厚めの服しか持っていないから、春先に春服を買うつもりでいるの。その時に、また声をかけてもいいかな?」

「大歓迎よ。服の見立てなら任せておいて!」


 メリッサは自信に満ちた表情で胸を張ると、私に向かって軽くウインクしてみせた。メリッサの頼もしい様子に、私もつられて頬を綻ばす。メリッサの的確な助言があれば、これ程心強いものはない。

 春物は冬の終わりが一番品揃えが良いだとか、私はどんな色が好きなのかとか、他愛のない会話をしながら私達は歩く。

 冷たい冬風が表通りを吹き抜け、冬の薄曇りの空の下、寒々とした街路樹が枝を揺らしていた。吐く息が白く染まる頃には、街が雪に覆われる日も来るのだろうと思いながら、私はメリッサに身を寄せるようにして並んで歩いた。


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