71. 晴れてめでたく
「お父様。アリーチェですが、私のメイドとして正式に雇いたいと思います」
夕食の席での会話の中、お嬢様が思い出したかのようにその言葉を口にした。
旦那様と奥様が驚いた表情を浮かべ、ちらりとお嬢様の後ろに控える私に視線を向けた。
「そうか、分かった。アントン、その様に手続きをしておいてくれ」
旦那様がそう言うと、「かしこまりました」とアントンさんが返事をした。正式雇用となると、いろいろと手続きなども必要なのだろう。
旦那様から最終的な許可も下りたし、これで私もこの屋敷の正式な使用人である。「一応、旦那様からの許可が出てから他の使用人に話すように」とゼータさんに言われていたから、まだ他の使用人には内緒にしていたのだけれど、これで晴れて他の人達にも言えるね。
そう思っていた私だったけれど、自分の夕食を取りに厨房へ向かうと、会う人会う人にお祝いを言われた。ついさっきの話なのに、皆に情報が広がるのが早すぎない……?
皆に祝われつつも夕食を終えた後、私はこの屋敷に来て初めて旦那様に呼び出しを受けた。
「まずは、おめでとうと言っておこう。有能さは理解していたが、ヴィオラがメイドとして側に置くことを承諾するとは、予想以上だったようだ」
「ありがとうございます」
アントンさんと共に旦那様の部屋に向かった私は、部屋に着くなり旦那様にそのように言われた。
「随分色々なことを命じられたようだが、問題はなかっただろうか」
「全て許容範囲でしたので、問題はありませんでした」
「そうか……」
私は一瞬ちらりとアントンさんに視線を向ける。おそらく、私がお嬢様に申し付けられたことは全て、旦那様は把握済みなのだろう。
「色々話を聞いているが、君に対する他の使用人の評価も非常に高い。新しく入ってくる人間に対して、それなりに警戒心も高いはずなんだが、皆君に対してはすこぶる評判が良かったよ」
「それは、とても光栄なことです」
「ヴィオラも君を受け入れたようだし、君には自然と人の心を開かせるようなところがあるのかもしれないな」
不敵に笑う旦那様に対して、私は曖昧な笑顔を返した。
旦那様はまるで特技のように言ったけれど、特別なことをしたのではなく、ただ単に皆と打ち解けられるように努力した結果である。
「一応確認するが、メイドではなく商会の見習いとして働きたいという意思はあるだろうか?」
「お嬢様に気に入っていただけましたし、私自身ここでの仕事にもだいぶ馴染んできておりますので、このままお嬢様付きメイドとして働きたいと思っております」
商会の見習いとして働く場合、寮に住むことになるらしいので住む場所には困らないけれど、自分の食事と洗濯は自身でする必要がでてくる。工房に見習いになる場合も、住む場所が賃貸の居住となるだけで、身の回りのことに関しては同様だ。
軽く想像しただけでも、働きながら更に身の回りのこともしっかりしようとなると、かなり苦労することが予想に難くない。
それを考えたら、労働時間は多少長くとも衣食住がしっかり保障されているメイドの方が、生活面は安定していると言えるだろう。金銭面でも食費が必要ない分、メイドの方がお金を貯めるのに向いているとも言える。
それに何より、せっかく皆とも打ち解けてきたのだ。この屋敷の人達には色々と優しく接してもらっているし、今の生活に不満はない。
見習いの仕事にも興味はあるけれど、わざわざこの生活を蹴ってまで選びたいものではないかな。
「そうか……。商会で働いてもらう予定がなくなったのは残念だが、ヴィオラ付きメイドも必要ではあったから、それはそれで良いだろう。メイドとして働くにあたって、何か言っておきたいことはあるか。困っていることでもいいが?」
それを聞いて、昨夜の出来事が私の頭に浮かんだ。困っていることではないけれど、伝えておきたいことではある。
「それであれば、お伝えしておきたいことがあります。実は、私が旦那様の隠し子ではないかとお嬢様に疑いを持たれまして……」
「!?」
衝撃に顔を凍りつかせた旦那様に対し、私は昨夜のお嬢様との会話を簡単に説明した。状況的に誤解させてしまったこと、隠し子の疑いはちゃんと晴らしたこと等々。
奥様は私の事情を知っているだろうから大丈夫だと思うけれど、万一、奥様にも疑惑を持たれるようなことがあっては困るので、旦那様に報告した旨を伝えた。
隠し子疑惑については、流石のアントンさんも目を白黒させていた。もちろん、それについては見て見ぬふりをしておいたけど……。
旦那様はこめかみを押さえて沈思した後、「報告してくれてありがとう」と深く息を吐いた。私も、質問された時は衝撃で頭が痛かったくらいだし、娘にそんな勘違いをされていたなんて、父親としては複雑な心境だよね。
「他に、何かあるだろうか?」
動揺した心を鎮め、気を取り直した旦那様が再び私に問いかける。私は「特にない」と返事をしようとして、先程とは別の、ある一つの問題を思い出した。
こんな風に旦那様と会話する機会は早々にないだろうから、お願いするにはちょうどいいのかな。私は口から出かけた言葉を飲み込むと、別の言葉を口にした。
「あの、一つお願いしたいことがあるのですが……」
私がメイドとして働き出してから、約一カ月が経ったある日の朝、商業区域を私服で歩く私の姿があった。メルクリオの街で買った厚手のワンピースとコートを羽織り、足元には履き慣れた自分のブーツを履く。
メイドとして働くようになってから、個人所有のこれらはすっかり使う機会がなくなっていたので、久しぶりを通り越して懐かしさすら感じる。
「あっ、アリーチェこっちよ」
フィオルテ商会のすぐ横の道で、オレンジ色の髪の女性――メリッサが手を挙げて私を呼んだ。同じ様に私も軽く手を挙げ、小走りでメリッサに駆け寄る。
「メリッサ、おはよう。今日は付き合ってくれてありがとう」
「気にしなくていいのいいの。商会長から特別に一日休暇が貰えたから、私の方こそ幸運だったわ」
気にしなくて大丈夫だと示すように、メリッサが手をパタパタと振った。
今日は、私がメイドとして初めて貰った休みの日である。今からメリッサに付き合ってもらって、街を案内してもらいがてら、つい先日貰ったばかりの初給金で色々と必要なものを買い足す算段だ。
何故、メリッサと共に出掛けることになったかと言うと、話は私が正式にメイドとして雇われた日に遡る。
あの日、私は旦那様に『買い物に付き合ってくれる人』を紹介してほしいとお願いをした。そして、可能であれば、一番最初に道案内をしてくれたメリッサにお願いしたいと言ったところ、今回のことが実現したのである。
屋敷の使用人は、基本的に月に二日ほど休みを貰えることになっている。とはいえ、屋敷の仕事は毎日あるため、休む人の分の仕事は必然的に他の人が補うことになるのだ。そのため、屋敷の使用人同士が休みを合わせてどこかへ出かけるというのは実情として難しかったりする。
短時間であればそれも可能かもしれないけれど、今回は今後私が一人で買い物できるようになるという目的もあったため、使用人仲間ではなくメリッサにお願いした形だ。
旦那様経由で約束を取り付けたけれど、メリッサが引き受けてくれて本当に良かった。
「それで、今日は何を買いたいんだっけ?」
「身だしなみを整えるためのブラシや櫛、鏡、石鹸を買いたいの」
「分かったわ。それじゃあ、早速出発しましょう。せっかく平日なのだから、色んな商店を見て回りたいわね」
私たち二人は連れ立って商業区の道を歩き、高級商会が並ぶ通りからより大衆的な店が並ぶ通りへと向かう。平日の商業区は人通りも多く、賑わいを見せていた。
基本的に週に一度の休日――白の日には商店等が休みとなってしまうため、休日でも開いている市場を除き、商店で買い物する場合は必ず平日である必要がある。本来、平日は仕事があるはずのメリッサがこうして休めているのは、さっき言っていた特別に休暇が貰えたというやつだ。
私としては、休日に一緒に行ってもらうつもりだったのだけれど、旦那様が気を利かせて平日に私とメリッサの休みを合わせてくれたみたい。もしかしたらアントンさんあたりの助言があったのかもしれないけれど……。
普段、メリッサが買い物に行くときは平日の終業後や、休日に市場に買いに行くのがほとんどだから、こんな風に平日にお店を見て回るのは、そうない機会みたい。
私も今日を楽しみにしていたけれど、横を歩くメリッサが私以上に楽しそうにしているのを見て、私は自然と頬を緩める。
「石鹸だけど、探すなら薬局か雑貨屋ね。品質や効果の良い石鹸が欲しいなら薬局だけれど、その分高価なのよね……」
「高価なやつじゃなくて大丈夫! 一般家庭向けの石鹸で十分だよ」
私が慌てて言うと、「そう?」と言いながらメリッサが少しだけ残念そうに了承を返した。一般家庭向けのものでも十分に高価なので、さらに高級な石鹸は私の身に余る。
薬局の石鹸は良い香りなのはもちろんのこと、お肌にとっても良い成分が入っているからお勧めなのだとメリッサが説明してくれた。
「せっかくだから、薬局を覗くだけ覗いてみましょう。その後に雑貨屋に行けば、どういう点を見て買えばいいか、分かると思うわ」
「そう言えば、石鹸は露店でも売ってるんじゃないの?」
「露店なんて駄目よ! 何が入っているか信頼性に欠けるし、肌を洗う石鹸は絶対にお店で買うのよ!」
「わ、分かった」
目を見開き、顔を近づけて忠告してくるメリッサの迫力に気圧されて、私は素直に頷いた。化粧品店で働くだけあって、どうやらメリッサは肌に悪影響な物は見過ごせないみたいだね。
メリッサに勧められるままに薬局へ行き、まずは成分や効果、香りについての簡単な説明を受けた。確かに、メリッサが勧めるだけあって、薬草の成分が入っていたりと、効果は抜群のようだ。
とは言え、石鹸一つで今回の予算の大半を使い切ってしまうような代物は、流石に買えない。メリッサはせっかくの機会だから、お肌に良い石鹸を買うかどうか迷っていたみたいだけれど、まだお店巡りを始めたばかりということで、涙をのんで断念していた。
(迷いつつも、あのお値段の石鹸を買おうとするあたり、メリッサの美への本気度を感じるね)
次に、私たちは石鹸を扱う雑貨屋へ行き、さっき薬局でメリッサが説明してくれたことを踏まえつつ、どの石鹸がいいかを選んでいく。
薬局の石鹸は高級品だったから、最初から決まった個別の形に成形されていたのだけれど、雑貨屋の石鹸は塊で売られていて、必要分を切り分けて量り売りする形みたい。
(そう言えば、こんな風に女の子とわいわいしながら買い物をするのは初めてだ……)
故郷では買い物する機会がなかったし、メルクリオの街で商会補佐役のレンツと服を買った時は、もっと事務的な感じだった。孤児院の皆とも、買い物を楽しむような金銭的余裕はなかったものね……。
メリッサとの「こういう香りはどう?」とか、「この石鹸の保管箱、可愛いわね」など、和気あいあいとした会話は、私にはとても新鮮だった。
メリッサの助言ももらいながら手頃な価格の石鹸を一緒に絞り込み、その中から自分が一番好きな香りを選んで購入することに決めた。
「あら、花の香りとかじゃなくていいの? 女の子の一番人気はこっちのラベンダーの香りよ」
「確かにそっちも悪くなかったのだけど、こっちの香りの方が私の好みだったの」
選んだ石鹸に顔を近づけると、私は軽くくんと鼻を鳴らした。途端に、新緑のように爽やかで、ほんの少しだけ甘みのある香りが私の鼻腔をくすぐる。
その香りは、まるで若葉が萌える時期のぶどう畑の香りのようで、私にティート村を思い起こさせる。一面の緑の絨毯が目に浮かぶようだね……。
「うん、やっぱりこの香りが一番好きみたい」
私はメリッサに明るい笑顔で答えながら、今は遠い故郷を懐かしんだ。




