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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第五章 州都カーザエルラ

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69. 薄暗闇の中の対話

 ――トントン


「お疲れさま。お嬢様の用事は終わったかい?」


 屋敷の一階、事務室の隣にあるセルジョの部屋をノックすると、中から出てきたセルジョが私を見るなり開口一番そう言った。


「ううん、まだ終わっていなくて……。お湯を沸かしたいのだけれど、勝手に火を使うわけにもいかないから、どうしたらいいか聞きに来たの」

「そうか……。まあ、そういうことなら私が説明するよ」


 一瞬、セルジョは落胆した表情を浮かべたけれど、すぐに表情を切り替えて了承を返した。がっかりした様子を見せたのは、おそらく鍵を締めて寝られると思っていたのに、予想が裏切られたからだろう。

 申し訳なく思いながらセルジョにお礼を言い、共に厨房へと向かった。

 小さな火鉢を用意するのかと思いきや、厨房に入ったセルジョは並んだ棚のうちの一つに向かう。何をするのだろうと不思議に思いながらセルジョの様子を見ていると、棚の中から平べったい箱のような物を取り出した。

 少し丸みのある四角形の箱の上部には円形の金属があり、その下の側面にはツマミが付いている。


「もしかしてそれって魔術具……?」

「ああ、簡易過熱の魔術具だ。こういう夜間に急に必要になった時に使うんだ」

「へぇ、便利だね。これであれば夜間でも気軽に使えるね」

「まぁ、これの出番が多いのは多いで困るんだけどね」


 セルジョが使い方を教えてくれたので、私は早速お湯を沸かす準備に取り掛かった。小鍋に水を入れ、簡易過熱器の上に小鍋を乗せてツマミをひねる。説明によると、ツマミを回すと魔術具の上部の金属が熱くなり、水が沸騰するようになっているみたい。

 かまどの火と比べて、お湯が沸くまで多少時間がかかることが玉に傷だと、セルジョが言っていた。


「そういえば、お湯を沸かすってことは紅茶でも入れるのかい?」 


 セルジョには、お嬢様が寒さで目覚めたので、身体の中から温めるために温かい飲み物を取りに来たことは伝えたのだけれど、何を持っていくかは伝えていない。


「その……今回は白湯を持っていくことになっているの」

「白湯? 紅茶でもホットミルクでもなくて? お嬢様にしては珍しい」

「まぁ、いろいろあってね……」


 セルジョから特に追求されなかったので、なぜ白湯になったかについてはそのままぼかしておいた。別に説明しても問題はないのだけれど、お嬢様にあれほど笑われたから、セルジョに同じように笑われるのは避けたい。



「アリーチェはいつも淡々と仕事をこなすね」


 水が温まるまでの間、コップとお盆を用意していると、椅子に座ったセルジュが私の様子を眺めて言った。


「淡々……? 落ち着いているってこと?」

「ああ。この前の厩舎の掃除の時もそうだったけど、お嬢様が面倒な仕事を言い付けても、嫌な顔一つ、愚痴一つ言わないし」


 今の私の立場であればそれが当然だと思うのだけれど、セルジョが言いたいのは、そうだと分かっていても普通は多少なりとも本音が出るということを言いたいのだろう。


「お試し雇用の身である以上、ある程度試されることは分かっていたことだし、どれもこれも面倒や嫌だと思ったりすることはなかったかな……」

(唯一、針仕事だけは別だったけど……)


 とはいえ、お嬢様付きメイドであれば、針仕事は切っても切れない仕事だから、ある意味乗り越えなければいけなかった壁とも言える。今回、折よくその壁を乗り越えられたことは、丁度良かったのではないかな……。


「それに、お嬢様は今回本当に寒そうに見えたし、何よりこういうのを面倒だと思う人であれば、そもそもメイドには向いていないんじゃないかな」

「確かに、試されているという心構えがあれば、そういうもんか。いやでも、厩舎の仕事をさせるのは流石になぁ……」


 この様子を見るに、セルジョからしたら厩舎の掃除はそんなにも眉をしかめる仕事だったみたいだね。何故セルジョは、こんなに厩舎の掃除に納得いかない様子なのだろう……?

 馬丁は専門性の高い仕事だし、貴重な馬を扱うからそれなりに重用される立場だと思うのだけれど、この屋敷では違うのだろうか? もしかしたら、馬丁のオリンドか、厩舎の掃除に対してセルジョは何か嫌な記憶があるのかもしれないね。


「強い悪意で試されたわけではないし、私にとっては大丈夫でしたよ」


 一応、お嬢様への擁護として私が言うと、強い悪意という言葉に、セルジョがぎょっとした表情を浮かべた。流石にセルジョも、お嬢様が強い悪意でもって厩舎の仕事をさせたとは思っていなかったみたい。

 この屋敷に来てから様々な命令を受けたけれど、私から見て強い悪意を感じるものは一つもなかったと思う。まぁ、意地悪な命令はあったけれど、それはそれ。


「それに、そこに悪意があってもなくても、主人の意図を読み解いて対応するのは、どんな時でも同じだからね」


 私の経験則として、たとえ悪意があったとしても、相手の意図や行動理由を読み解くことは何よりも大事だと思っている。悪意の理由によっては、その悪意を躱したり、変化させることも出来るかもしれないし。

 とはいえ、身が竦むような大きな害悪そのものに遭遇したことがないからこその甘い考えなのかもしれないけれど……。


「なんというか……、アリーチェは歳の割に大人だね」

「……前にも同じようなことを言われたことがあるよ」


 私は苦笑いを隠すように微笑むと、簡易過熱器から沸騰した小鍋を下ろし、スプーンで掻き混ぜる。程よく温度が下がった事を確認すると、用意しておいたコップへとお湯を注いだ。


「アリーチェ、ここは私が片付けておくから、冷める前にお嬢様の所へ持っていってあげてくれ」

「ありがとう、セルジョ。それじゃあ、言葉に甘えさせてもらうね」


 私はセルジョにお礼を言うと、コップの乗ったトレイとランプを持ってお嬢様の部屋へと向かった。


 先程と同じように屋敷の中を通って二階へ上り、お嬢様の部屋の扉を控えめにノックして部屋へと入る。足音を立てないようにベッドに近づくと、お嬢様は布団に横になったままこちらに視線を向けていた。

 白湯を作っている間にお嬢様が寝ている可能性を考えて、静かに入室したのだけれど、どうやら杞憂だったみたいだね。


「お待たせいたしました。白湯をお持ちしました」


 私の言葉に頷きを一つ返し、お嬢様が起き上がる。私はお嬢様が完全に起きるのを待ってから、僅かに湯気が立ち上るコップを差し出した。


「熱くなっておりますので、お気をつけください」

「…………ありがとう」


 両手でコップを受け取ったお嬢様がじっと白湯を見つめた後、軽く息を吹きかけて白湯を飲んだ。ゆっくりと飲み干してひと心地ついたのか、お嬢様はほうっと一息つく。

 先程追加した薪がほどよく延焼しているのか、私が最初に部屋に入った時よりも室内はだいぶ温かくなっていた。


(白湯も飲んだし、きっとこれでお嬢様も気持ちよく寝られるはず……)


 お嬢様から受け取った空のコップをトレイに乗せ、止めておいた天幕の紐に手を伸ばそうとした所で、「……アリーチェ」とお嬢様が控えめに私を呼んだ。


「あなたに聞きたいことがあるの」

「私に……ですか? どうぞ何なりとご質問ください」


 お嬢様が私に質問があるとはまた珍しい。この前のゲームの対戦もそうだけれど、お嬢様が私に関心を持ってくれているというのはいい傾向だね。


「アリーチェはメルクリオの街の孤児院にいたのよね?」

「はい、ここへ来る前はメルクリオのルッツィ孤児院におりました」

「勉強は何処で学んだの? 孤児院では学ぶ機会もなかったでしょう」

「勉強は、孤児院に入る前に学んでおりました」

「やはりそうだったのね。孤児院にいたのに高い教養を持っているのが不思議だったの。孤児院に入る前に学んだというのであれば納得です」


 村にいる時は孤児院というもの自体がなかったから、名前くらいの知識しかなかったけれど、メルクリオの街で知った孤児の対外的な立場は低い。孤児が高い教養を持っていることを不思議に思うお嬢様のこの反応も、不思議ではないくらいに立場の低さが大衆に根付いていた。

 孤児は、貧しい生活で教育を受けることも出来ず、道を踏み外す者も多い、蔑みや哀れみの対象というのが世間一般の認識である。

 そういう認識が強いのは、この国で孤児院に入る子供がそこまで多くないことも一因なのだろう。


 この国には基本的に大きな戦争がない。周りを海に囲まれているため、外国との戦争はここ数百年ないのだとティート村の神官様から聞いたことがある。

 もちろん領地間で小競り合いはあるのだろうけれど、大きな戦争がない分、身寄りのない子供というのは、不慮の事故や災害、病気などで親をなくした場合が主になってくる。けれど、大抵は親戚に引き取られたり、年齢によっては自立したり、近隣者に援助されたりというのがほとんどらしい。

 そのため、孤児院に入るのは土地の者ではない浮民の子供や、引き取り手も住む場所もない子供、親に捨てられたりなど複雑な事情の子供ということになり、必然的に白い目で見られてしまうというわけだ。

 神殿の孤児院は規律が厳しいということもあり、幾分かはマシに見られるらしいけれど、それでも孤児に対する偏見は厳しいと聞く。


 孤児に対する印象は否定できない部分もあるけれど、それでも私から見たルッツィ孤児院の皆は、貧しくとも一生懸命に生きていたし、機会さえ与えられれば学習への意欲も高かった。それだけに、孤児というだけで一括りに見られてしまうことに、ままならなさを感じる……。


「私の課題を難なくこなしたくらいだから、メルクリオの神殿学級は学力が高かったのね。それともあなたが優秀だったからかしら」

「いえ、学んだのはメルクリオの神殿学級ではなく故郷の礼拝堂です。もともと田舎の村の生まれなのですが、少しばかり事情があってメルクリオの街の孤児院に身を寄せていました……」

「そう、事情があって孤児院に……。では、高度な教育は田舎の村で受けたの?」


 お嬢様が表情を暗くしながら私に質問する。私がそれなりに高度な教育を受けたという予測は、お嬢様の中では確定しているようだ。それを踏まえると、以前出されたお嬢様の課題は、やはりそれなりに高い教育を受けていなければ解けない問題だったということだろうね。


「田舎の礼拝堂ですから、教えられるのは基本的なことだけでしたけれど、私は少し特殊でして……。本を読むのが好きだったので、礼拝堂にある本を片っ端から読んで学びました」

「あなたは本を見つけるのが上手かったわね。本が好きだからなのかしら」


 本を見つけるのが上手いのは、本好きだからというわけではないのだけれど、詳しく説明するつもりはないので、この場は曖昧に微笑んでおく。


「けれど、それなら尚更おかしいわ。メルクリオ出身でないなら、何故エルミーニ商会から推薦を受けられたの? 余程の繋がりがなければ推薦など受けられないでしょう。孤児であるなら尚更です」


 お嬢様の眼差しに疑いの色が強くなる。孤児が何故メイドとして雇われることになったのか、お嬢様としてはずっと引っ掛かっていたことなのだろう。私を見る鋭い瞳は、どこか焦燥に駆られているようにも見えた。


「メイドとして雇う者を遠くの街からわざわざ呼び寄せるなんてことは、お父様も普通であればしないことよ。それを覆すほどの強い理由というのは何なのかしら?」


 矢継ぎ早に質問してくるお嬢様に対して、私は戸惑いを深める。

 お嬢様が強い関心を私に向けることは、お試し雇用されている身としては嬉しいのだけれど、これは何かが違うような……。

 私は何かに焦るお嬢様を落ち着かせるように、胸に手を当てて殊更柔らかく微笑んだ。


「確かに、お嬢様が疑問に思われているように、少しばかり特殊な事情があって私はこの場におります。実は……」

「隠し子……なのでしょう?」


「…………へっ?」


いつも読んでくださりありがとうございます。

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引き続きどうぞ宜しくお願いします。

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