68. 深夜の呼び出し
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毎日の習慣となった湯浴みを終えた私は、今日着ていた衣類とタオルを洗濯かごの中へ入れると、そのまま厨房に向かった。
「お湯いただきました。次の方どうぞ」
私が声を掛けると、テーブルに座っていた幾人かのメイドが軽く相談した後、一人のメイドが立ち上がって湯浴みへと向かった。
厨房の片隅にあるテーブルは、就業後のメイド達の憩いの空間であり交流の場でもある。寝るまでの時間、ここで縫い物をしたりお喋りしながら、それぞれ思い思いに時間を過ごすのだ。
もちろん自室に戻る人もいたけれど、今日のように朝晩の寒さが増す日はかまどの火で暖をとるため、ほとんどのメイドがここへ集まっていた。もっと寒さが厳しくなれば、ここに集まるだけでなく、この前私がしていたように火桶に炭を入れて自室に持ち帰ることもあるらしい。
故郷のティート村では、一番寒い時期は寒さをしのぐために姉とくっついて寝ていたから、部屋に暖房具を持ち込めるのはとてもありがたい話だ。
私は手荷物を空いた場所に置くと、ヤカンに水を入れてかまどの火にかける。そして棚から茶葉やティーポット、カップなどもろもろを取り出して準備を始めた。日課になっている紅茶を入れる練習だ。
事前にポットやカップを温めたり、茶葉に合ったお湯の温度や蒸らし時間に気をつけながら、私は丁寧に紅茶を入れていく。最後に茶こしでこしながら、紅茶を最後の一滴までティーカップに注げば完成である。
私の様子を伺っていたゼータさんの元へ入れたばかりの紅茶を持っていくと、ゼータさんがひとつ深い呼吸をした後、カップに口をつけた。
ドキドキしながら評価を待っていると、紅茶を一口飲んだゼータさんがカップをソーサーの上に戻し、「悪くないですね」と呟いた。
「最初に比べて随分と上達しましたね。ここ数日は味の乱れもないし、ちゃんと毎回安定して美味しい味を出せるようになっていると思います」
「ありがとうございます。ゼータさんが練習に付き合ってくださったおかげです」
私は笑顔を浮かべながら手を合わせて喜ぶ。仮で雇われている間にゼータさんから認められる紅茶を入れるようになるのが隠れた目標だったから、ゼータさんの言葉はとても嬉しいし、美味しい紅茶を安定して入れられるようになって本当によかった。
「アリーチェ、良かったね。毎日頑張っていたものね……」
「ありがとう、ニルデ」
茶色の髪を三つ編みにした女の子がふにゃとした柔らかな笑みを浮かべて言葉をかけてきた。彼女の名前はニルデ、この屋敷の洗濯メイドだ。歳の頃は十四歳、屋敷のメイドの中で一番私と年齢が近いということもあり、機会がある度に私から話しかけて仲良くなった子である。
内気な性格のため、最初の頃は警戒されていたけれど、徐々に打ち解け、今ではよくお喋りする仲の一人だ。
「本当に毎日懲りずに練習してたからねえ。あれだけ茶葉を減らしたんだから、そりゃ上達するだろうよ」
「ふふっ、ノエミにもたくさん飲んでもらったよね」
「本当に、あんたが最初に入れた紅茶なんて苦くてしょうがなかったよ」
味を思い出したのか、ノエミが顔を引き攣らせながらいつもの様に悪態をついた。事実、最初に入れた紅茶は茶葉の量も煮出し時間も多くて本当に酷い味だったと思う。
「それにしても、あんたが来てから明日でもう二週間か……、早いもんだねえ。期限は明日なんだろ?」
「ええ」
短いもので、お嬢様から言い渡された猶予の二週間も、残すところ後一日となった。明日のお嬢様の最終判断により、私がここで雇われるかどうかが決まる。
この二週間、お嬢様からいろいろと仕事を無茶振りされていたこともあって、私の仕事ぶりをお嬢様に見せる機会は十分あったと思う。ここ二日に至っては、時折お嬢様が物言いたげな視線を私に向けてくることもあったので、私に対する関心は増えてきていると思うのだけれど……。
それなりに手応えは感じているけれど、後はお嬢様次第だから蓋を開けてみなければ分からないのだよね。
「きっと大丈夫……、今までのお嬢様付きメイドの中で、アリーチェが一番ちゃんとしていたもの。お嬢様だって認めてくれるよ……」
ニルデが励ますように言い、その横からノエミが「確かに一番マシではあったねぇ」と苦笑いを浮かべて言った。
「お嬢様にもそう思ってもらえてたらいいのだけれどね。どちらにせよ、最後の一日まで全力で頑張るよ」
「その意気だよ」
「頑張ってね……」
ノエミ、ニルデ、ゼータさんたち他のメイドに応援されながら、私は手をぐっと強く握り込んだ。
その後、皆とひとしきりお喋りをし、まだ年齢の若い私とニルデは一番最初に就寝の挨拶をして自室へと戻る。日々の疲れもあり、私は早々に寝る準備を終えるとランプを消してベッドに潜り込んだ。
少し冷たい布団が私を迎えたけれど、自身の体温でその布団も徐々に温まっていく。最近では朝晩の冷え込みも増してきたので、しっかり綿入り布団にくるまりながら、私は静かに目を閉じた。
――トントン
心地よいまどろみの中にいた私を起こしたのは、扉を叩く音だった。ぼんやりとした頭で身体を起こすと、いまだノックの続く扉を見つめる。
(今は何時くらいだろうか……?)
私は半分寝ぼけながら室内履きを引っ掛けると、そっと扉に近付いて小声で返事をした。
「どなたですか?」
「アリーチェ、私だ。セルジョだ」
私の部屋の扉を叩いていたのは、従僕のセルジョだった。私が驚いて扉を内側に開けると、ランプを手に持ったセルジョが申し訳なさそうな表情で廊下に立っていた。
「どうかしたの?」
「こんな時間に悪い。お嬢様が呼び鈴を鳴らしたみたいだから、様子を見に行ってくれないか?」
セルジョの言葉に、寝ぼけていた頭が一瞬で覚醒する。「分かった、すぐに準備する」と踵を返そうとした私を、セルジョが手で制止した。
「私は下で待っているから、準備が終わったら降りてきてくれ」
「分かったわ」
私は返事をして扉を閉めると、暗い部屋の中を横切って窓と鎧戸を開ける。途端に冬の冷たい外気が室内に入り込み、私の身体がぶるりと震えた。
「今日は冷えるね……」
鎧戸はそのままに、ガラス窓だけを急いで閉めて忍び込む冷気を遮断すると、慌てて寝衣の上に厚手のショールを羽織った。そして、外からの月明かりを頼りにランプに火を灯すと、壁に掛けているメイド服に視線を向ける。
(夜に呼び出された場合の作法は、ゼータさんからまだ聞いていないけれど、メイド服に着替える時間はないよね……)
わざわざ夜中に呼び出すくらいだから急ぎの用事だろうと判断し、寝衣のまま靴下だけを追加で身につけて、その上で室内用の靴を履いた。
そして、ランプを手に取ると出来るだけ静かに扉を開け、音を立てないように気をつけつつ私は階下へと降りる。
さっきセルジョはお嬢様が呼び鈴を鳴らしたと言っていたけれど、お嬢様の部屋の呼び鈴は魔術具である。片方を鳴らすと対の鈴も鳴る仕組みになっているとは聞いていたけれど、セルジョが呼びに来たということは、その対の鈴は今はセルジョの部屋にあるのかな?
昼間は事務室に置いてあるのを見ているから、夜間はセルジョの部屋に移動させているのかもしれない。
そんなことを考えながら一階へ着くと、厨房の隅のテーブルにセルジョが座って私を待っているのが見えた。セルジョは私に気がつくと、軽く片手を上げながら椅子から立ち上がる。
「今から一階の使用人扉を開けるから、アリーチェはそこからお嬢様の部屋に向かってくれ」
今は夜間のため、使用人用階段の二階の踊り場にある扉も、一階の使用人区画と家人区画を分ける扉にも鍵が掛かっている。何処からお嬢様の部屋に向かうのだろうと思っていたけれど、夜間に家人区画に向かう場合は、こういう風に一階の扉の鍵を開けてもらうのだね。
「私は自室に戻っているから、お嬢様の用事が終わったら私の部屋まで呼びに来てくれ。扉に鍵を掛けなおす必要があるから、悪いけれどお願いするよ」
「分かった、終わったら忘れずに声を掛けるね」
セルジョに見送られながら、私は事務室横の使用人扉から家人の区画に足を踏み入れた。
冷え冷えとした夜の廊下を、私はランプを手に歩く。皆が寝静まった屋敷はとても静かで、静寂に包まれていた。私の足音さえ廊下に敷かれた絨毯にかき消され、僅かな衣擦れの音だけを立てながら私は進む。
(使用人区画だとあまり気にならなかったけれど、広い空間に小さな明かり一つでぽつんといるのは、なんだか不安になるね……)
おそらく、足元から這い上がる冷気も不安に一役買っているのだろう。私は早足になりながら、ホールを抜けて階段を上がり、お嬢様の部屋の扉を目にした所で、ほっと安堵の息を吐いた。
私は軽くノックした後に「失礼いたします」と言って扉を開けると、薄暗い部屋の中でベッド横のランプがぽつりと灯っているのが見えた。私はベッドの側まで移動すると、閉じている天幕に向かって声を掛ける。
「お嬢様、お待たせしました。アリーチェです。何かございましたか?」
少し待つと、小さな衣音の後に天幕が開き、お嬢様が顔を出した。目線を逸らし、やや決まりが悪そうな表情をしたお嬢様が、小さな声でぼそぼそと呟いた。
「足が冷たくて目が覚めてしまったの……」
「そうでしたか、今掛ける布をご用意しますね。部屋の温度も少し上げますか?」
「ええ、お願い」
ランプの明かりに照らされたお嬢様の顔色は白く、寒そうな様子を見せていた。
私はひとまず、部屋の棚から膝掛けにも使う防寒用の布を取り出すと、整えた布団の上にその布を広げた。布団に潜り込んだお嬢様の表情が少し和らいだのを確認すると、私は次に暖炉に向かう。
暖炉には、いつもと同様に小さな火が残っていたけれど、今日は急に冷え込んだからそれでは追いつかなかったのかもしれない。
暖炉の前にある格子を横に退け、火かき棒を使って灰の中から火のついた薪を取り出して新たに薪を追加する。追加した薪にしっかりと火が移った事を確認すると、燃えている薪の半分に先程と同じ様に灰をかけておいた。こうしておけば、灰をかけた薪は一気に燃えずに火が長時間持続されるのである。
(薪も追加したし、これで少したてば部屋全体の温度も上がるはず……)
私は使用した火かき棒とスコップ、格子を元の位置に戻すと、お嬢様の様子を確認しにベッド脇へと戻る。
「お嬢様、暖炉に薪を追加いたしました。お布団の暖かさはいかがですか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
布団に入ったお嬢様は先程よりも顔色が良くなっていたけれど、布団の中でもぞもぞしている様子を見ると、冷えた身体はまだ温まりきっていないのかもしれない。
「お嬢様……」
「あの、アリーチェ……」
私がお嬢様に声を掛けた折に、お嬢様も私を呼んだため、二人の声が重なる。
「すみません、お嬢様。何か御用でしょうか?」
「いえ、いいわ。アリーチェこそ何かしら?」
お嬢様が何か言いかけたみたいだけれど、私が先に言うように促されたため、私は素直にそれに従う。
「では、先に失礼いたします……。お嬢様、もしまだ寒いようでしたら、身体が温まるように白湯でもお持ちいたしましょうか?」
身体が冷え切っているのであれば、温かな飲み物を飲んで身体の中から温める作戦である。白湯を用意している間に寝てしまうかもしれないけれど、なかなか寝付けなさそうであれば、用意するのも悪くない手だと思う。
お嬢様は私の提案に目をぱちくりさせて驚いたかと思うと、「ふっ、ふふっ……」と 口元を綻ばせて笑い出した。お嬢様の突然の忍び笑いに、今度は私が驚く番だ。
(別段おかしなことを言ったつもりはないのだけれど、的外れの提案だっただろうか……?)
「普通、提案するならホットミルクでしょう? それなのに白湯って……ふふっ」
笑いのツボに入ったのか、お嬢様はくすくすと笑い続ける。私は気恥ずかしさを感じながら、心の中で言い訳をする。
故郷で寒い時に身体を温めるために飲む物と言ったら、ホットワインと白湯、ハーブのお茶くらいだった。もちろん、ホットワインは大人だけなので、子供の私が飲むものと言えばもっぱらハーブ茶と白湯だったのである。
就寝前に向いたハーブティーは屋敷にはなかったし、ホットミルクという選択肢は私の頭になかったから白湯を提案したのだけれど、確かに富豪のお嬢様に白湯はなかったよね……。
「すみません、配慮に欠けておりました。よろしければホットミルクをご用意いたしましょうか」
「いえ、いいわ。せっかくだから今日は白湯をいただくわ」
ただ純粋に面白そうに笑うお嬢様を前に、私は粛然とした声で「かしこまりました」と返事をしたのだった。




