66. お嬢様の課題
お嬢様付きのメイドとして働き出して一週間と少し。仮の雇われ期間の半分が過ぎたわけだけれど、厩舎の掃除を言い付けられて以降も変わりなく、私は日々お嬢様から試すような仕事を与えられていた。
とはいえ、私も負けじと色々な仕事を覚えて、ゼータさんから任される仕事も増えていた。勉強する際の用具の準備やお花を飾る仕事がそれなのだけれど、先日はその花を飾る仕事でお嬢様から色指定で花を飾るようにとの指示を受けた。
詩学の家庭教師が訪問する日に、詩の内容に合わせて紫色の花を飾りたいというものだ。準備のため屋敷の庭師に花を貰いに行ったまでは良かったのだけれど、この時期は屋敷の庭園に紫色の花は咲いていないと言われてしまい、急遽商業区の市場まで出掛けることに……。
花屋をいくつも回ってようやく紫色の花を買ってきて飾ったのに、想像していたのと違うと言われる始末。それに関して咎められたりはしなかったけれど、結局はゼータさんが別の花を飾ることになり、私の飾った紫の花は別の場所へ飾られることになってしまった。
その出来事はそれなりにショックだったけれど、花が粗末にされなくて良かったと思うくらいの余裕はあった。問題はその翌日にゼータさんに任された仕事――衣装の修繕だ。
お嬢様から用意を指示された衣装が損傷していたから、修繕しておいて欲しいというものだったのだけれど、それが一筋縄ではいかなかった……。
ボタンの付け替えや裾のほつれ直しくらいだと思っていたら、ほどけたプリーツの直し、裂けた裏地の取り換え、各所留め具の調整に加え、別の衣装と飾りを付け替えるなど、一言では終わらせられないくらいの修繕作業をすることになってしまった。
ティート村では、針仕事は嫁入り前に当然上達しておくべき事という風習があったため、嫁入りに若干の反発を持っていた私は針仕事を避けていた事もあり、実はあまり得意ではなかったりする。色々と学習能力が高い私が身の回りのことで得意ではないというのは、針仕事くらいではないだろうか……。
奉公に出る前に、衣装の刺繍や手直しを手伝ったことで以前よりはましになっていたけれど、残念ながらこれほどの修繕を楽々出来るほどの腕前ではない。
結果、どうなったかは言うまでもないだろう……。リネン室にこもり、洗濯メイドに時折指導を請いながら針と糸と布と格闘すること半日近く、指先を幾度となく針で刺しつつも、私はお嬢様の衣装の修繕を終えたのだった。
それにしても、次から次に嫌がらせのような仕事を思いつくものだと感心してしまう。今までは迂遠に言ってきたけれど、はっきり言って衣装の修繕に関しては嫌がらせ以外の何物でもなかった。この屋敷に来て、精神的にこれが一番大変な仕事だったと言い切れる程である。
まぁ、短期特訓をしたようなものだから、私にとっては結果的に良かったのだろう……。お陰で、今日一日で針仕事がそれなりに上達したし、苦手意識もなくなったので、次はきっと今日よりも上手にできると思う。
そして今日、お嬢様の湯浴みが終わり、後は就寝準備と簡単な片付けを残すのみとなったところで、寝る前の時間をゆったりと過ごしていたお嬢様が私にとある仕事を言い付けた。
「アリーチェ、机の上に置いてある課題を確認しておいてちょうだい」
お嬢様の言葉に従い机の上を確認すると、机の上には紙の束と二冊の本が置いてあった。パラパラと紙の束をめくると算術などの課題が書いてある。置かれた二冊の本は創世記と詩学に関する本だったので、おそらく課題をする際に使用した本なのだろう。
「家庭教師から出された課題なのだけれど、間違いがないか確認しておいて欲しいの。算術と歴史は明日提出するから早めにお願いします」
「かしこまりました……」
私はできる限り殊勝な顔をして返答した。お嬢様からしたらこれも私の試しの一環なのだろう。私の反応を見て満足そうに頷くお嬢様を前に、私は表情を崩さないように必死に耐えていた。
(これ……、私からしたらご褒美ですから!)
仕事として正当性をもって知識を得ることが出来るなんて、これがご褒美でなくてなんなのか。まあ、この前針仕事を頑張ったし、その頑張りに対する褒美として受け取っておこう。
とはいえ、心躍る言い付けだとしても、お嬢様の手前喜ぶわけにはいかない。私は喜びを顔に出さないように固い表情を浮かべたまま、お嬢様の就寝の準備を続けた。
「アリーチェ、大丈夫なの?」
「え……?」
仕事を終え、本二冊と紙の束を持って階段を上がる私に、前を歩くゼータさんが声を掛けてきた。階段の踊り場で私を振り返るゼータさんは、心配そうな表情を浮かべていた。
「手に持っている課題のことよ。かなり量があったけれど、一人で大丈夫?」
「……大丈夫です」
課題のことで頭の中がいっぱいになっていた私は、突然の問いかけに一瞬言葉に詰まる。喜びを出さないようにあえて固い表情をしていたけれど、まさか心配されるとは思っていなかったというのが本音だ。
ゼータさんには、故郷の礼拝堂でひと通りの学びは終えていることを話したことがあったから、今回のことも別段心配されないと思っていたのだけれど、よほど私の表情が暗く見えたのだろうか?
それとも、申し付けられた課題の内容は、ゼータさんから見て、田舎の礼拝堂で少し学んだ程度の学力では簡単に終えられないと思うほどの内容だったということかもしれない。確かに、お嬢様の学習内容は平民の子供が学ぶことよりも遥かに高度だから、その可能性はゼロではない……。
創世記の課題はともかく、難しい計算ができなければ算術の答えの確認などできないし、詩学に関しても詩の中には古い言葉を使っているものもあるから、簡単な読み書きが出来る程度では本を読むことすら難しいのかもしれない。
もし私が考えている通りなら、今回のお嬢様の下命は学習機会が少なかった人間には酷なものということか……。
(本に浮かれていたから、その可能性を失念していたな……)
能力不足を実感させて、現実を見せるという意味では最適解なのかもしれないけれど、お嬢様もなかなか意地の悪いことをする。
他の仕事を言い付けられた時は感じなかったけれど、今回のこれはお嬢様からのある種の挑戦を感じた。私は受け取った課題を確認するのが一層楽しみになり、自然と唇が綻ぶ。
「急ぎの確認が必要なのは算術と歴史だけなので、大丈夫だと思います。詩学の方はゆっくり時間をかけて確認します」
「そう……、あまり根を詰めないようにね。他に何か必要なものがあれば言ってちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
心配そうに見つめるゼータさんに対し、私はいつになく艶やかな笑みを浮かべた。
その後、順番を待って湯浴みをし、今日ばかりは紅茶の練習もノエミ達との雑談も中止して早々に部屋へ戻った。その際には、ランプにはたっぷりのオイルを補充し、手には鉄で補強された木製の火桶を持って部屋へと戻る。炭火の入った火桶は、今回の話を聞いたノエミ達が夜遅くに作業する時に寒くないようにとの心遣いで持たせてくれた。
部屋に戻って寝るだけであれば、部屋を温めずとも耐えられる寒さではあったけれど、作業をするとなれば話は別だ。ここ数日寒さが増してきているので、ノエミ達のやさしさがとても有り難かった。
部屋に戻った私はランプを机の上に、火桶を机の足元に置くと、ベッドの上に置いておいた課題の中から算術の用紙だけを抜き出した。そして、ランプの明かりに照らしながら、ぱらぱらと紙をめくって書き写した問題と計算式を確認していく。
いくつもの問題が紙に書かれているけれど、ぱっと見た感じそこまでの難問はなく、今の私の実力でも解ける問題ばかりだった。
(解くことも難しいような問題があるのではと構えていたけれど、これなら問題なく解けそうだね……)
算術の課題を早々に確認し終えると、私は次に創世記の本と歴史の課題の用紙を手に取った。
歴史の課題は、創世記の神話を読み、書かれている内容を自分なりに紙にまとめるという課題みたい。私は参考資料として使用した創世記の本を広げ、内容を確認していく。
その本は、くしくも少し前にお嬢様から依頼されて、図書館から私が取ってきた本である。あの時に軽く中身を確認したけれど、その時よりも時間をかけてページをめくる。
ティート村の礼拝堂で、創世記の本はよく読んでいた。ある程度予測していたことだけれど、その時の本の内容と比べてそこまで大きな違いや目新しさはないみたい。私は少し残念に思いながらぱたりと本を閉じた。
(まぁ、神殿の基幹となる神話が本によってころころ変わったら困るよね)
心の中で呟きながらお嬢様が書いた課題を手に取ると、まとめた内容に誤りがないかを確認していった。
そこまで時間がかからずに算術と歴史の課題の確認を終えた私は、そのまま詩学の課題の確認に移る。ある意味、私が一番期待していたのがこれだ。
まず最初にお嬢様に出された課題を確認すると、指定された詩の書き写しと、その詩の解析および感想文、指定されたテーマに基づいて短い詩を作るというものであった。軽く課題の用紙を確認した後、私はうきうきしながら詩集を手に取って読み始めた。
――パラリ……
静かな部屋の中、ページをめくる音が時折響く。火桶に入った炭火のお陰で、私は寒さを気にすることなくただひたすらに文字を追いかける。
それなりに難しい単語や古い言い回しがあったけれど、読めずに困るということはなく、私が礼拝堂で学んだ知識で十分に補えるものであった。礼拝堂にあった本の中には、古い言い回しの本もあったため、そういうのも含めて読み通していたお陰だね。
今まで詩学の本は読んだことがなかったけれど、神話に関する本には詩的な婉曲表現も多々あったため、どこか通じるものを感じて私は懐かしい気持ちになった。
「思えば、こうやって落ち着いて本を読むのも久しぶりだね……」
紙が立てる音と、時折爆ぜる炭火の音以外は聞こえなかった部屋に、私の小さな呟きが溢れる。以前の私は、礼拝堂の学びの日に教室の隅でこうして静かに本を読んでいた。
私にとって本を読むという行為は知識の吸収である。乾いた土に水が染み込むがごとく、幼い頃から貪欲にそれらを全て飲み込んできた。今でこそ、本だけでなく人からも様々な知識や経験、私の足りない部分を学ぶようになったけれど、それでも純粋な知との対話はいつ何時も心地良い。
(こんな風に知識を求めるのは、闇の女神の加護が厚いからなのかな……)
闇の女神は、六柱の大神の中で最も学識深いと言われる女神。そういえば、夜は闇の女神を表す時間だったね。
自然と窓に視線を向けた私は、そんな事を考えながらお嬢様の課題に習って頭の中で夜をテーマにした詩を紡ぐ。けれど、すぐに窓に映る自分の顔は何とも言えない表情に変化した。
「…………私に詩の才能はなさそうだね」
ランプの仄明かりに照らされながら、窓ガラスに映る私は苦笑いを浮かべて小さく呟いた。
翌朝、お嬢様の部屋へ行った私は、朝の支度を終えたお嬢様に課題の確認が終わったかを尋ねられた。私は、何かを期待するようなお嬢様の眼差しに柔らかな笑みを返すと、算術の計算間違いと歴史の課題の誤字を指摘し、最後にお嬢様が作った詩の感性の豊かさを称えた。
私が全ての確認を終える可能性を些少なりとも予想していたのか、お嬢様は諦めた様に笑みを崩すと「確認ご苦労さま。朝食後に直します」と静かな声で返事をした。
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