65. 留守中の下命
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「アリーチェ、私が留守の間は手が空くでしょうから、オリンドを手伝って厩舎の掃除をしてちょうだい」
お嬢様のお見送りに玄関へ出ていた私は、今まさに出掛けんとしていたお嬢様にそう告げられた。
戸惑う私の返答を待たず、お嬢様は「オリンド、そういうことですから宜しくね」と御者台に座る顎のほっそりとした痩身の男性に声を掛けると、ゼータさんと共に馬車に乗り込んだ。
馬丁であるオリンドは戸惑った顔でこちらを見ていたけれど、私もオリンドもお嬢様の決定に反論など出来るはずもない。頭を下げ、馬のいななきと共に過ぎ去る馬車を見送ると、私は溜息混じりに「そうきたか……」とかすかに呟いた。
本日、お嬢様は先日私が購入したお菓子を持って、午後から友人であるラウラ様のお屋敷を訪問する予定になっていた。お嬢様の外出にはゼータさんのみ付き添うため、必然的に私は手が空くことになる。
その為、留守の間に何をすれば良いかをゼータさんに尋ねたところ、後でお嬢様直々に指示があると聞いてはいたのだけれど、こんな下命を受けることになるとは……。あわよくば図書室の整理整頓を命じてくれないかと期待していたけれど、現実はそう甘くはない。
それなりに面倒事を言いつけられるのだろうとは思っていたけれど、まさか厩舎の掃除とは予想していなかったよ。あの様子だとオリンドも聞いていなかったみたいだし、突然私が厩舎の掃除を手伝うと聞いて、オリンドも困ったことだろう。
(まぁ、図書室の整理整頓でなかったことは残念だけれど、厩舎の掃除であればそこまでの不都合はないね)
私が気持ちを切り替えていると、私の隣から「えっと……」とまごついた声が掛かる。私の隣に立つセルジョを見上げると、同じように見送りに出ていたセルジョとアントンさんが複雑そうな表情で私を見ていた。
「アリーチェ、あんまり気を落とさずに。辛いようなら、少し手伝うだけで終わらせてもいいと思うよ」
「セルジョ、お嬢様から言い付けられたのですから、アリーチェはちゃんと仕事を遂行するべきですよ」
「アントンさん、それは分かりますが、いくらなんでも厩舎の掃除は……」
セルジョとアントンさんの二人が困惑した様子で会話しているのだけれど、私にはどうにも会話がピンとこない。半ば余所事のように会話を聞いていた私は、はっとあることに気が付いた。
(お嬢様のメイド付きになるような家の子は、厩舎の掃除なんて普通馴染みがないよね……)
厩舎の掃除と言えばまだ聞こえはいいけれど、実際のところ馬のお世話とフンで汚れた藁などの掃除である。慣れていないと匂いもキツイし、重労働だし、普通の一般家庭のお嬢さんであれば嫌がって当然の話か。
自分基準で考えて、特に何の違和感も持っていなかったよ。
「馬のお世話をしたことがあるので、大丈夫ですよ」
私が二人に声を掛けると、セルジョとアントンさんがぴたりと会話を止め、驚いたように私を見た。
「えっ、そうなの?」
「はい、ですので問題はありません。とはいえ、このメイド服のまま厩舎に入って掃除をするのは些か問題があると思うのですが、掃除する際の服装はどうしたらいいでしょうか?」
「ああ、それでしたら別棟の方に外作業用の使用人服がありますので、そちらを使うといいですよ」
メイド服に匂いや汚れが付いてしまうと後々問題があると思うので、服のことを相談するとアントンさんが別棟の方にあると教えてくれた。
「別棟の案内は、守衛のどちらかに頼むのが良いでしょう」
「分かりました、ひとまず詰所に行って声を掛けてみます」
私は二人に別れを告げると、玄関先からそのまま門前へと向かった。門横にある守衛が待機する小さな詰所をのぞくと、二人の男性が座っていた。片方はナリオで、もう片方の顎ひげを生やした男性はこの屋敷の守衛の一人、ルドである。
「こんにちは」
「おや、アリーチェ。またお使いか?」
挨拶をすると、昨日のようにまたお使いかとナリオが声を掛けてくる。事情を説明すると、先程のアントンさんとセルジョと同じようにルドとナリオの二人も微妙そうな表情を浮かべた。
面白いことに、二人の反応は大変な仕事を命じられて気の毒というものではなく、素人に厩舎の手伝いをさせるなんて、といった感じの様子だった。
守衛の二人は、厩舎の掃除が大変なだけでなく、危険であることもちゃんと理解しているのだろう。もしかしたら、何も知らない子供が急に手伝おうとしても、ただの邪魔にしかならないと考えた可能性もある。
私が馬の世話の経験があるということを説明すると、二人はそれならばと納得した様子を見せていた。
「ナリオ、俺はここにいるからアリーチェを案内してやってくれ」
「分かった」
ルドに見送られながら、私はナリオと共に別棟へ向けて歩き出した。
別棟は敷地内の西側、屋敷の使用人出入口を出て少し進んだところにある、こぢんまりとしたレンガ造りの二階建ての建物だ。
屋敷を基準にしたため、こぢんまりという表現にはなるけれど、私の故郷の家に比べて十分大きくて立派な建物である。別棟は男性使用人の住居になっていて、話に聞くと今は住み込みの料理長や守衛が住んでいるらしい。別棟の存在は知っていたけれど、今のところ用事がなかったので入るのは今日が初めてになる。
ナリオが「どうぞ」と、別棟の扉を開けてくれたので、私はお礼を言って中に入った。
玄関を入ってすぐは居間のような広い空間になっていて、小さな洗い場や暖炉、大きなテーブルと椅子などが置いてあった。この部屋は食事をしたり、皆の団欒の場なのだろう。棚に酒瓶が置かれているあたり、まさに男所帯といった感じがした。
とはいえ、雑然と汚れた様子はなく、それなりに綺麗にはしてはいるみたい。部屋の隅には使っていると思われる掃除道具があった。
「アリーチェ、今エンリコが二階で寝ているから、一応大きな声は出さないようにな」
「分かったわ」
口に指を当てたナリオに、私は小さめの声で返事をした。エンリコと呼ばれた男性は、三人いる守衛のうちの最後の一人である。
この屋敷では、守衛が警備や見回りをしているけれど、それは昼だけでなく夜も同じである。守衛は夜間にも警備を行うため、今寝ているエンリコのように昼間に寝て、夜起きて仕事をしたりしているみたい。夜間の警備は大変なため、一応は守衛の三人で時間を組んで順番に回しているのだとナリオが言っていた。
守衛がいるというだけでも驚きだったのに、夜も警備を行っていると聞いたときは本当に驚いた。流石は、州都の富豪の屋敷である。
「服は一番小さいサイズでいいよな」
「ええ」
ナリオが階段下の扉を開けて、何やら中をゴソゴソと探す。どうやら階段下の収納場所がリネンを仕舞う場所になっているみたい。
「一応、全部一番小さいものを出してみたけど、問題はなさそうか?」
私はナリオが出してくれた上着とズボン、それとブーツを確認する。ブーツは少しばかり大きそうではあったけれど、これが一番小さいと言っていたし、まあ許容範囲だろう。
「多分、大丈夫だと思う」
「着替えは奥の手洗い場横の部屋を使ってくれ。今は誰も使っていない部屋だから、気兼ねなく使ってくれて大丈夫だ」
「分かったわ。色々とありがとう、ナリオ」
「どういたしまして」
私が服とブーツを持って指示された部屋に向かおうとしたところで、「アリーチェ」とナリオが私を呼び止めた。
「したことがあるなら大丈夫だろうが、無茶しない範囲で頑張れよ。間違っても馬の後ろに回るようなドジを踏まないようにな」
「流石にそんな初歩的な失敗はしないよ。でも、一応気を付けておくね」
私はナリオの軽口に笑顔で返した。ナリオは最後に、使い終わった後の服を玄関横の籠に入れておいてくれと言うと、詰所へと戻っていった。
私は急いで空き部屋に入ると、メイド服を脱いで上着とズボンへと着替える。ブーツが大きい時点でそうだろうとは思っていたけれど、案の定ブーツだけでなく上着とズボンも少々私には大きかった。
とはいえ、上着やズボンは袖や裾をまくればいいし、ブーツも紐をきつく縛れば支障はなさそうだ。私は皺にならないように脱いだメイド服を綺麗に畳むと、別棟を出て少し行ったところにある厩舎へと向かった。
厩舎が近くなったところで、止まっている馬車が視界に入る。様子からして、ちょうど帰ってきてすぐのところなのだろう。オリンドは馬車と馬とを繋いでいる金具を外し、馬を厩舎に入れているところだった。
「遅くなってすみません。着替えてきたのですぐに手伝えます」
「ああ、アリーチェか……」
声を掛けた私を見て、明らかに気が重い様子でオリンドが返事をした。オリンドは片手で頭をかきながら、私の視線を避けるように目を泳がせる。馬の手綱を引いたまま、このまま私を連れて厩舎に入るかどうかを迷っているのが分かった。
(まあ、そういう反応でもおかしくないか……)
単純に人手を喜ぶ人もいるけれど、オリンドは慎重な性格なのか、急な手伝いをどう扱っていいものか困っている様子を見せていた。
私は居住まいを正すと、そんなオリンドに向けて柔らかな笑みを浮かべる。
「あの、さっきは突然だったから伝えられなかったのだけれど、馬やロバの世話を手伝ったことがあるから、最低限のお手伝いは出来ると思います」
「そうなの? それを聞いて安心した……」
オリンドは表情を崩すと、大きく息を吐いて身体から力を抜いた。よほど気をもんでいたのか、オリンドの顔に安堵の色が浮かぶ。
「本当に手伝ってもらっていいものか困っていたんだ。前に同じような事があったのだけれど、その時は本当に大変でね……。藁の掃除やブラッシングも大丈夫かい?」
「気難しい性格の馬でなければ問題ないです」
「うちの馬は穏やかな性格だから、その点は大丈夫だ。じゃあ、せっかくだから手伝ってもらおうかな。今日は後でお嬢様を迎えに行って、その後には旦那様も迎えに行くから、手伝ってもらえるなら余裕ができて助かる。何をお願いしようかな……」
気が楽になったからか、急に饒舌に語りだしたオリンドと共に、私は厩舎へと入っていった。
その後は、オリンドを手伝って厩舎の掃除をし、綺麗になった床に干し草を敷く。新しい飼い葉や水を用意した後は、馬のブラッシングもしたけれど、オリンドが言っていたように馬は穏やかな性格のようで、私がブラッシングしても嫌がる様子はなかった。
オリンドは接点がなかった事もあり、近寄りがたい雰囲気の印象を持っていたのだけれど、話してみると意外と気安い人だった。むしろ、想像以上に饒舌で、作業の合間に色々と話しかけられ、私についてもいくつも質問を受けていた。
――カラーンカラーン
大体の作業が終わり、後片付けをしている所で六の鐘が鳴った。オリンドは鳴り響く鐘の音を確認するように空を見上げた。
「ああ、そろそろお嬢様を迎えに行く準備をしないと……」
「それなら、私が残りの片付けをするから、先に準備してください」
「ありがとう、助かるよ」
私が使った道具や荷車を片付けている間、オリンドは厩舎から馬を連れてきて馬車の準備をする。そして、自身の着替えの服を手に持ち、後片付けをしている私の所へ来た。
「もうそれくらいで十分だ。アリーチェも着替える必要があるだろう」
確かに、オリンドが迎えに行くということは、お嬢様が帰ってくるということだ。屋敷に戻ってきたお嬢様を出迎えるため、私も急いでメイド服に着替える必要があった。
「分かったわ、それじゃあ私も着替えに向かうね」
私はオリンドに返事をすると、手に持っていた桶を地面に置いて別棟に向かって歩き出した。そんな私の背中に、オリンドから声が掛かる。
「アリーチェ、今日はとても助かったよ。ありがとう。あと、今履いている靴は、別棟の入口外に置いておいてくれ。私が後で片付けておくから」
私は振り返って大きな声で「分かった」と返事をすると、オリンドに向かって大きく手を振った。オリンドも同じように手を振り返すのを見た後、私は再び別棟に向かって歩き出した。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「……今帰ったわ」
急いでメイド服に着替え、手や顔を入念に洗った私は、お嬢様を送り出したときと同じようにセルジョの横でお嬢様を出迎えた。お嬢様は何とも言えない複雑な表情で馬車を降りると、何も言わずに私の前を通り過ぎる。
戻ったら絶対に今日の様子を聞かれると思っていたのに、当のお嬢様は私をちらりと一瞥しただけで、厩舎の掃除については何の言及もなかった。少しだけ肩透かしを食らったような気持ちで御者台を見ると、口角を上げて手を振るオリンドと視線が合った。
(なるほど、既にオリンドから話を聞いた後ということか)
となれば、お嬢様の反応は自身が想像していた結果にならなくて、不本意といった感じかな? 今回の事をお嬢様がどう判断するのかは分からないけれど、私に対する評価が少しは上がってくれるといいのだけれど……。
私はお嬢様の後を追って屋敷へ入りながら、「願わくば、次は他の使用人を巻き込む命令ではなく、私一人で完遂できるようなものでお願いします」と、心の中でお嬢様にお願いしたのだった。




