64. 薫香と懐かしい香り
ブックマークありがとうございます。嬉しいです!
ファータ・ドルチェ菓子店でマカロンを購入した私は、次に書店へ向かって歩き出した。
本やインクは重いため、本来は一番最後に書店へ寄るのが合理的なのだけれど、ここで問題が一つ。菓子店と書店は比較的近くにある反面、紅茶専門店は少し離れた場所にある。先に紅茶専門店へ行った後、引き返して書店に寄るには、歩く距離を考えると効率的ではない。結果的に、多少の重さには目を瞑って、私は先に書店へと向かっていた。
セルジョに教えられた通りに道を確認しながら進み、私は程なくして書店へと到着した。華やかな外観をしていた菓子店とは違い、石造りの建物は荘厳な雰囲気を醸し出している。
外から中を覗くためのガラス窓はあまり大きくはないけれど、施されている窓枠の装飾は手が込んでいて綺麗だった。看板に描かれた本の絵と、飾り窓に展示されている本の数々が、この店が書店であることを示していた。
(さっきの菓子店と違って、かなり敷居が高そうな雰囲気だね……)
二重扉の外側を開け、内側の扉に手をかけた所で、扉の重さに私は驚いた。見た目からして重厚そうな扉だったけれど、想像以上に重い。
体重を掛けながら扉を開き、私は店内へと足を踏み入れた。明るい外から薄暗い店内へ入ったことで、一瞬目がくらんだけれど、すぐにこの薄暗さに目が慣れる。
(外観だけでなく、内装も凄い……)
店内の壁一面には書棚が並び、彫刻の施された机に、じっくり本を選ぶためなのか座り心地の良さそうな椅子まであった。その上、備え付けられている明かりは普通のオイルランプではなく、魔術具の明かりである。
本を物色している身なりの良い男性客を避けながら店内奥のカウンターに近付くと、そこにいた二人の男性店員のうちの一人が、社交的な笑みを浮かべて私に声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。何かお使いで来られたのでしょうか?」
「フィオルテ商会の屋敷に勤める者です。注文していた本が届いたとの連絡がありましたので受け取りに来ました」
私がカウンターの上に本の引き換え証を出すと、店員がそれを手に取って確認する。
「ご注文されていた詩集ですね。すぐにご用意いたします」
「あのっ、お嬢様が使われているインク壺も購入したいのですが、お願いできますか?」
「承りました。フィオルテ商会のお嬢様がご使用のインクですね。確認して参ります」
そう言うと、店員は書店の裏手の方へと消え、カウンターには私ともう一人の店員が残された。私は邪魔にならないようにカウンターの端に寄ったのだけれど、何故か店員にじっと見つめられていた。
(なんだろう、凄く見られてる。目を離すと悪さでもすると思われているのだろうか……)
本だけ取ってくるならすぐだろうけれど、インクもとなると用意するのに多少は時間がかかるだろう。店員にじっと見られていることに居心地の悪さを感じつつも、店内を自由に動き回るのも憚られるため、私はじっとその場に留まる。
(背表紙を眺めるだけなら問題ないよね)
今なお感じる店員の視線を意識から消すと、私は書棚に並ぶ背表紙を眺めながら本の内容を想像して時間を過ごした。ある意味、効率的かつ幸せな時間の使い方である。
少したった後、店員が一冊の本とガラス製のインク壺を手に戻ってきた。
「こちらがご注文のエーベ詩集と、フィオルテ商会のお嬢様がご使用のインク壺になります」
私はカウンターの上に置かれた本の題名に視線を落とす。エーベ詩集は赤色の装丁に金箔押しが施され、とても高級感あふれる一冊となっていた。注文して取り寄せるくらいだから、余程の人気作品なのだろう。
私は詩集を丁寧に布で包み、インク壺の封がしっかりされているのを確認してから籠へと入れた。万が一にも、インクが溢れるような事態を起こすわけにはいかないものね。
「お代はいくらでしょうか?」
「フィオルテ商会は日頃から取引をさせていただいている商会ですので、後日にまとめての精算となります。ですので、本日のお支払いは必要ございません」
セルジョさんから後払いになるだろうと言われていたけど、その通りになったね。ちょうど証書を使って本を受け取ったから、屋敷の者である証明にもなったのだろう。
私は重くなった手提げ籠を持ち直すと、店員にお礼を言って書店の外へと出た。
(他の高級店とは違って、また独特な雰囲気があったね……)
少し暗めの店内から外へ出たことで、まるで別空間に出たような心地になる。尻込みしたくなるような高級感に溢れていたけれど、あの独特な本の匂いや雰囲気は好ましく感じた。
とはいえ私にはこの書店は敷居が高すぎる。もう少し大衆的な書店があれば覗いてみたいところだね。古本を扱う書店があると聞いたことがあるし、今度屋敷の誰かに聞いてみよう。
(本を買うほどの余裕はないけれど、見るだけならタダだものね)
書店を後にした私は、一路紅茶専門店へと向かう。とはいえ、私の足取りは軽いとは言えなかった。
(想像していた以上に荷物が重い……)
背負い籠にたくさんの荷物を入れて運ぶのには慣れているのだけれど、手提げ籠で運ぶのにはまだ慣れていない。おまけに、割れ物や貴重品が入っているとなると、重さも増すというものだ。
道を確認しながら、私は大通りから一本逸れて横路へ入る。大きな通り沿いにあった菓子店や書店と異なり、紅茶専門店は少し入り組んだ所に店を構えているみたい。屋敷で利用するくらいだから隠れた名店というやつなのだろうか?
私は建物の壁に付けられた番号を目印に、更に道を曲がる。そこに広がっていたのは、大通りとはまた違った雰囲気の通りだった。
道幅は馬車がすれ違えるほど広くはないけれど、活気のある賑やかな街並みに、私まで自然とわくわくしてくる。足取りが更に遅くなってしまうのは、手提げ籠の重さだけのせいではないだろう。
(仕事中だから寄り道はできないけれど、店を眺めるだけでも楽しいね)
可愛い小物を売るお店に、賑やかな飲食店、お洒落な服屋に薬屋まである。厳重な店構えのお店は、もしかして魔術具を扱う店だろうか。
そんな中に件の紅茶専門店はあった。年季の入った建物は長い歴史を感じさせるけれど、決してボロい感じはなく、手入れの行き届いた老舗といった様相を見せていた。
かすかな軋み音とともに扉を開けると、紅茶の芳醇な香りが私の鼻をくすぐる。長年かけて自然と染み付いた香りなのか、何とも言えない穏やかな気持ちにさせる香りだった。
「いらっしゃいませ」
カウンターにいた年配の女性が優しげな笑みを浮かべて私に声を掛けてきた。様子からしてこの店の店主だろうか。このお店の静かで穏やかな雰囲気は、先程の書店とは違う意味で、外の賑やかさとは別世界のようだった。
「あら、新顔さんかしら?」
「こんにちは、お使いで茶葉を買いに来ました」
「ふふっ、丁寧にありがとう。アルモニア紅茶店へようこそ。どのような茶葉をご入用かしら?」
店主の女性は楽しそうにころころと笑うと、カウンターの後ろの棚にずらりと並ぶ大きめの缶を手で示した。
「あの、今回は一番価格帯の低い茶葉を探しているのですが……」
「それならこの辺りね。味の好みはあるかしら?」
店主は棚の左下辺りのいくつかの缶を抱えると、カウンターの上に並べていく。
「味の好みというか、紅茶を淹れる練習に向いた茶葉とかは流石にありませんよね?」
「そうねえ、茶葉によって適した蒸らし時間やお湯の温度が違うから一概には言えないけれど、フィオルテ家の方に飲まれている茶葉に近い物はこれかしら」
店主が並んだ缶のうちの一つを指差したけれど、私はそれよりもフィオルテの名前が出たことに驚いた。お使いで来たとは言ったけれど、フィオルテの名前は出していない。
私がびっくりしたのが分かったのか、店主がうふふと笑いながら口に手を当てた。
「実は、フィオルテ家は古くからのお客様だから、使用人服でフィオルテ家のメイドさんだとすぐ気付いたのよ」
「なるほど、そうだったのですね。名乗っていなかったから驚きました」
店主が種明かしをしてくれたけれど、理由は至って単純だった。「使用人服は家によって意匠に違いがあるから、メイド服はある意味身分証にもなるのよ」と以前ノエミが言っていたけれど、本当だったのだね。家紋のような印が入っているわけではないのだけれど、どうやら古参の人だと服を見ただけである程度どこの屋敷の使用人か分かるみたい。
「あの、主人が飲んでいる銘柄はクリュプトンだったと思います」
「フィオルテ家に卸しているクリュプトンなら、一番近い茶葉はこれになると思うわ」
店主が指差したのは、札にオーロルーゴと書かれた缶だった。札を見ると、名前とは別に記号のような略字が書かれていた。カウンターの後ろに、同名の札がかかった別の缶があるところを見る限り、あの記号や略字はもしかしたら等級などを示しているのかもしれないね。
「では、その茶葉を小銀貨三枚分お願いします」
私はアントンさんに言われていた方法で注文すると、手提げ籠の中から茶葉を入れる為の小さめの木箱を取り出し、カウンターの上に置いた。店主は「はい、分かりました」と柔らかく言うと、オーロルーゴ以外の缶を棚に戻し、木箱とオーロルーゴ缶を持ってカウンター横にある天秤へと移動した。
店主はずしりと重そうな天秤の片方の皿に木箱、片方の皿に重りを乗せて釣り合うように調整すると、次は値段分の重りをお皿に追加していく。もっと簡易な天秤の量り売りを見たことがあるけれど、ここまで本格的な天秤を間近で見るのは初めてだ。流石は州都のお店と言ったところだろうか。
店主の作業の様子を観察していた時に、ふと後ろの棚に置かれた缶の札に目が止まる。その缶の札に聞き覚えのあるハーブの名前が書いてあったからだ。その缶の左右を確認すると、どうやらその缶一つだけでなく、左右の缶もまた別の種類のハーブティーのようだった。
(紅茶専門店でもハーブティーを扱ったりするんだね)
ハーブ繋がりで脳裏にアガタの顔が浮かび、続いて孤児院の皆の顔が浮かぶ。
(みんな元気にしているかな……)
段々と寒さを増す冬を目前に、孤児院では冬支度を一層進めている頃だろうか。メルクリオの街を出てからまだ半月ほどしか経っていないのに、ずいぶんと時間が過ぎたように感じる。
「何か気になる茶葉があったかしら?」
その声にはっとすると、カウンターに木箱を置いた店主が、私を見つめていた。どうやら私が物思いにふけっているうちに、茶葉の計量が終わったみたい。
「あの、ハーブティーも置いているのですね。薬屋に並んでいる印象があったので、意外だなと思って」
「昔は置いていなかったのだけれど、お客様からの要望があってから扱うようになったの。薬屋に置いてある茶葉とはまた趣が違うのよ」
店主はハーブの缶を一つ手に取り、蓋の裏側にほんの少し茶葉を入れると私の前に置いてくれた。その瞬間、懐かしいハーブの香りがふわりと広がる。
(このハーブ、私がティート村の森でよく採取していたハーブの香りに似ている……)
名前が似ているから、もしかしたら系統が近いのかもしれない。香りと記憶は結びついているというけれど、私の脳裏に故郷の景色が浮かんだ。
たくさんの人や建物にあふれた大都市で、遠い故郷を感じられる物に出会うなんて、なんだか不思議な感じがするね……。
店主が見せてくれたハーブティーにはしっかりとハーブが入っていたけれど、私が手作りしていた野草味溢れる感じではなく、乾燥した花びらや果肉のようなものが入っているのが見えた。
なるほど、薬屋に並ぶような効果重視の薬膳茶とは異なり、味わいや香りも考慮したお茶になっているみたい。この方が、一般的にも飲みやすそうだし、見た目も随分と良く見える。
「確かにこれは薬屋のものとはまったくの別物ですね。見た目も香りもとても良いです」
「でしょう。興味があるなら、よければ一杯飲んで行くかしら?」
「ありがとうございます。とても魅力的なお誘いなのですが、まだお使い中ですので、また今度寄らせてください」
「ええ、また来てちょうだいね」
お茶を一杯飲むくらいは問題ないかもしれないけれど、今はお試し雇用の身だし、気を抜くにはまだ早い。そして何より、今日ばかりは余裕を持って夕食の時間を迎えられるように、早く屋敷へ帰る必要があった。
二度あることは三度あるとも言うし、夕食前にまた何か用事を頼まれても容易に対処できるように、時間的余裕は確保しておくべきだよね。少しばかり未練が残るけれど、この街に住む限りまたこのお店を訪れる機会はきっとあるだろう。
その後、お金を支払い茶葉の入った木箱を受け取った私は、優しげに微笑む店主にお礼を言ってお店を後にした。
外に出て空を見上げると、傾いた日差しが午後の影を作る。
(今から急いで戻れば、六の鐘が鳴る頃には屋敷に戻れるかな……)
私は手提げ籠をしっかり抱えると、水色の旗が立つ乗合馬車の乗車場所を目指して早足で歩き始めた。
この日の夕食、昼分を取り戻す勢いでお腹いっぱいご飯を食べたアリーチェでした。




