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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第五章 州都カーザエルラ

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62. 救いの神は素直じゃない

ブックマークありがとうございます! とても嬉しいです!

「では、昼食に行ってきます。昼食後はそのまま菓子店へ向かいますね」


 新たに菓子購入のお使いを申し付けられた私は、購入するお菓子の数、購入する際の注意点をゼータさんから聞き終えると、昼食後に菓子店へ向かうことを告げた。


「アリーチェ、待ってください」

「何でしょうか?」


 踵を返そうとしたところでゼータさんの声が掛かり、私は足を止める。


「注文していた本が届いたとの連絡があったので、ついでに書店へ寄って本の受け取りをお願いします」

「お菓子の購入と合わせて、本の受け取りですね。分かりました」 

「あと、お嬢様が使われているインク壺の予備がなくなったので、書店でインクも買ってきてください。インクの品種は店員が把握していますので、フィオルテ商会のお使いだと伝えれば店員が出してくれます」


 使用しているインク壺の品種を店員が把握しているとは、流石は大商会のお嬢様。それにしても菓子店と書店か……、こうなると一つも二つもそう大差はない。むしろ、お使いとして行く場所としては少し楽しみだね。


「菓子店や書店の詳しい場所は、先程と同じように事務室で聞いて下さい。お金も事務室で受け取れます」

「分かりました」


 私はゼータさんに返事をし、今度こそお嬢様の部屋を後にすると、一階に下りて厨房へ、ではなくその横を通り過ぎて事務室へと向かう。すぐに厨房でお昼ご飯を食べてもよかったのだけれど、手紙を届ける際に使用したレターケースを先に返却しておくことにした。

 ノックして事務室へ入ると、中にはアントンさんではなく別の男性――セルジョがいた。セルジョは旦那様に仕える従僕で、この屋敷に仕えて十年程になるらしい。ここ数日接した感じでは、細かい所にまで目端が利くアントンさんと比べて少し抜けていたりもするけど、親しみを感じる人でもあった。


「これを返しに来ました」


 手紙を運ぶ際に使ったレターケースを、セルジョが座る机の上に置いた。


「おや、アリーチェは手紙を届けに行っていたんだね」

「はい、ついさっきお嬢様に頼まれて届けてきました。午後にまた別のお使いを頼まれたので、後で詳しい話を聞きに来たいと思います」

「もしかして、さっき連絡のあった『エーベ詩集』かい?」


 エーベ詩集、一度図書室で探したあの本か……。ゼータさんが注文していた本と言っていたけど、あの本だったのだね。あの時一生懸命探したエーベ詩集を受け取りに行くと思うと、なんだか不思議な感じがする。


「書店に本を受け取りに行くように言われたから、おそらくその本だと思います。後は、書店でインクを買い足すのと、ファータ・ドルチェ菓子店でマカロンという名前のお菓子を買うように頼まれたの」

「あぁ、あの店のマカロンは今すごい人気だよね。ついこの間、私も恋人に贈ったのだけれど、一度目は売り切れていて、もう一度買いに行ったくらいだよ。アリーチェも買いに行くなら早く行ったほうがいいよ」


 ――っ!


(早くしないと売り切れる!? ということはつまり、のんびりお昼を食べている余裕はないということか……)


 セルジョの言葉に衝撃を受けた私は、目の前にある机に両手をついてがっくりとうなだれる。仕方がないと頭では理解していても、衝撃が強すぎて現実を受け入れるには時間が必要だった。


(私のお昼……)


「アリーチェ、どうしたんだ? 体調でも悪いのかい?」

「いえ……、大丈夫です。そんなに人気のお菓子だと思わなくて、少し驚いただけです。あの、早めに向かおうと思うので、菓子店と書店の行き方を教えてもらってもいいですか?」

「勿論かまわないよ。アリーチェもその方が安心だろう」


 いっそ、時間がないから後で、とでも言ってくれたらよかったのに……。私は心の中で涙を呑む。

 爽やかな笑みを浮かべるセルジョに対して、私の顔には悲壮感漂う微笑が浮かんでいた。



 その後、気持ちを切り替えてセルジョから菓子店と書店の詳しい場所を教えてもらう。聞いた感じだと、この二つのお店はそこまで大きく離れていないみたい。それぞれ寄ったとしても、そこまで帰りが遅くなることはなさそうかな……。


「あぁ、書店にはこれを持っていってくれ」


 そう言ってセルジョは棚から一枚の紙を取り出し、私に渡してきた。紙を確認すると、引き換え証の文字とともに、本の題名と代金、フィオルテ商会の名前、そして支払済と書いてあった。

 なるほど、これを書店の店員に渡すと、本を受け取れる仕組みなのだね。支払済とあるのは、注文した際に既に支払いは済ませているということなのだろう。


「後は、マカロンの代金を……」


 再びセルジョが棚の方を向いてゴソゴソしていると、私が入ってきた扉とは別の扉――玄関ホールの横に繋がっている扉が開いて、アントンさんが事務室へと入ってきた。


「アリーチェ、戻っていましたか。迷わずに行けましたか?」

「はい、問題ありませんでした」 

「それであれば良かったです」


 アントンさんは坦々とした様子で私の横を通り、セルジョがいる棚とは別の棚へ向かう。そして、手に持った手紙をレターケースへと入れていた。


「アリーチェ、これだけあれば足りるはずだ。落としたりなくさないように気をつけるんだよ」


 入れ替わり近付いてきたセルジョが、小さな袋を私に差し出す。手を出して袋を受け取ると、小さいながらもズシリとした重みが私の手に乗った。インク壺は付け払いで買えるだろうけれど、念の為その分のお金も入れてるとのことだった。

 重みから察するに、それなりのお金が袋の中に入っているのだろう。お嬢様が使うインクや手土産に持参するお菓子が、高級品でないわけがないものね……。


「アリーチェはまたお使いですか?」

「はい、お嬢様に依頼されて、今から書店と菓子店に向かう予定です」

「そうですか……」


 私の言葉に、ふむ、と何かを考えるようにアントンさんが私を見た。アントンさんの手にはレターケース。何だか嫌な予感が……。


「それであれば、ついでにこの手紙をフィオルテ商会へ届けるようお願いします」


(うん、そうだろうと思っていました)


 私は「分かりました」と笑顔で返事をし、アントンさんからレターケースを受け取る。


「急ぎ確認していただきたい内容ですので、一番最初に届けてください」

「分かりました。従業員に渡せばいいですか? それとも旦那様に直接お渡ししますか?」


 私が確認したのが意外だったのか、アントンさんは僅かに眉を上げた。重要な手紙の場合は渡す人に配慮しなければならないことがあるため、念の為の確認だ。まあ、雇われたばかりの私に重要書類を託すとは思わないけれど、しっかり確認しておいて損はないはず。


「急ぎではありますが、重要な内容が書かれている手紙ではありませんから、従業員に渡してもらって大丈夫です」

「はい、分かりました」


 厳格な雰囲気を僅かに緩めて、アントンさんが私をじっと見つめる。ほんの少しだけれど、先程よりもその視線は柔らかになったように見えた。


「アリーチェ、ついでに茶葉の買い出しもお願いしてもいいでしょうか」

「茶葉……ですか?」

「ええ、使用人用の茶葉の減りが早いようですので、切れる前に買い足しておきたいのです」


 アントンさんの僅かな笑みに、私はふとあることに気が付いた。


(減りが早いって、もしかしなくても私が犯人だよね!)


 ここ最近、毎晩紅茶を淹れる練習をしていたから、使用人用の茶葉をたくさん消費してしまったのだろう。アントンさんのこの様子を見るに、茶葉を多く消費したことを咎めるつもりはないのだとは思う。ただ、アントンさんの眼差しは、消費した分は責任を持って買ってきてくれますよね、と雄弁に語っていた。


「私が責任を持って茶葉を買ってきたいと思います」


 私はピシッと真っ直ぐに手を挙げると、「では、茶葉の購入もお願いします」とアントンさんは満足そうに頷いた。

 その後、セルジョが紅茶専門店への行き方や、買ってくる茶葉についての説明をしてくれた。それによると、どうやら使用人の茶葉は特定のものを買っているのではなく、基本的にその時々の一番安い茶葉を購入しているらしい。

 とはいえ、州都の商業区に店を構える紅茶店の茶葉ともなれば、一番安いといえどもそれなりの値段にはなるのだろう。


 私がセルジョの説明に相槌を打っていると、横合いから紙とペンが差し出された。アントンさんが気を利かせて持ってきてくれたようだ。こういう所が、細やかな気配りができるアントンさんである。


「三軒もの店を巡るのであれば、流石にメモが必要でしょう」

「お気遣いありがとうございます」


 正直、記憶力には自信があるので、私には必要ないと言えばないのだけれど、教える側のセルジョが自分で説明しながら混乱してきた様なので、紙を出してくれてとても助かった。早く出発するのであれば、説明に時間を取られるのも勿体ないからね。

 やや時間を取られた後にセルジョの説明は終わり、私の手には道順を記した紙が一枚残った。何度も訂正が入ったそれは、見る人によっては不安を掻き立てるようなメモ書きだろうけれど、私の頭にはちゃんと道順が入っているので問題はない。

 一度清書した方がいいのではとアントンさんに言われたけれど、それこそ時間が勿体ないので断らせてもらった。

 アントンさんは少しばかり心配そうな眼差しを向けていたけれど、そう言うのであれば手腕を見せてもらおうとでも思ったのか、何かに納得するように小さく息を吐いた。


「分かりました。迷子にならないよう、気を付けて下さい」

「はい、気を付けて行ってきます」


 茶葉の代金分の重さが増した小袋とメモを持ち、笑顔で返事をした私は事務室を後にした。




「アリーチェ、今日は随分と遅いんだね。まだ食べていないのはあんた一人だけだよ」


 パントリーで手提げ籠を受け取り、出かける準備をするために自室へ向かおうと厨房の横を通った所で、ノエミから声を掛けられた。私がまだ昼食を取っていないことに気がついて声を掛けてくれたのだろう。


「今日はお昼時にお使いや用事が重なって、食べる時間がなかったのよ」

「ふーん、あんたも大変だねえ。とにかく、片付かないからさっさと食べてちょうだい」

「それが……、食べたいのは山々なのだけど、急いで出掛けないといけなくなったから、のんびり食べる時間もなくて……」


 私はノエミに菓子店へのお使いを頼まれたこと、目的のお菓子が売り切れる可能性があるから急いで向かう必要があることを手早く説明する。

 出来ることなら、ちゃんとお昼を食べて向かいたかったけれど、こればかりは諦めざるを得ない。事情を知らなかったならともかく、売り切れる可能性を知ってしまった以上、急いで向かわずに売り切れでもしていたら、職務怠慢と言われてしまう可能性だってある……。


「そういうわけで、せっかく作ってくれているのに食べられなくてごめんね」


 私はノエミに軽く謝ると、使用人用の階段を使って三階の自室へと向かった。


(二週間だけしか味わえないかもしれないから、一食たりとも無駄にはしたくなかったのにな……)


 溜息をこぼしながら、少し前に脱いだばかりの外套と外出用の靴を履いた後、一度お嬢様の部屋へと顔を出す。ゼータさんに今から菓子店へ向かう事を伝え、売り切れていた場合に代わりに買うお菓子を確認してから再び一階へと下りた。

 ペコペコのお腹を擦りながら使用人出入り口に向かって歩いていると、横から「ちょっと待ちな!」と声が掛かる。声の方向に視線を向けると、厨房から顔を出すノエミの姿があった。


「こっちだよ、早く!」


 何だろうと不思議に思いながら、手招きされるままに厨房へ向かうと、ノエミはいつも食事をとっているテーブルを指差す。そこには一杯のスープが用意されていた。


「早くそれを食べて、さっさと行きな」

「これは」

「こっちとしても、フィオルテ商会のメイドに、お腹を鳴らしながら歩くようなみっともない真似させるわけにはいかないんだよ。時間がないんだろ、早く食べな」

「ノエミ……」


 用意されていた昼食にうるっとなりながらも、時間がないという言葉に私は慌てて席へと着く。


「用意してくれて、本当にありがとう」


 私は心からのお礼をノエミに伝えると、「それが仕事だからね」と捨て台詞を吐いて調理場の方へ戻っていった。ノエミの後姿を笑顔で見送ると、私は用意されたスープを勢いよく掻き込む。

 私が最後だけあって、程よく冷めているスープは急いで食べるにはちょうどいい温かさだった。スープに具が入っていない代わりにパンが浸されていて、その上には焼きチーズが掛かっていた。おそらく、早く食べ終われるようにとの配慮なのだろう。

 ほの温かいスープに対して、焼きチーズは熱々だったから、わざわざ私の為に急いで用意してくれたのが伝わってきて、私は嬉しさで胸が一杯になった。


(優しさと美味しさが、心に染みるね……)


昼食抜きに絶望したアリーチェでしたが、思いもよらない所から救いの手が差し伸べられましたね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アリーチェの努力が徐々に報われているところ。 [気になる点] 最終的に故郷に帰ることが目的なら下働きに徹しても良い気がする。お付きのメイドって簡単に辞めれないイメージがするので、辞職する時…
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