61. 初めてのお使い
メイドとしての仕事が始まってから四日目、私はそれなりに充実した生活を送っていた。ゼータさんの行動を察して、日常的な掃除や片付け、湯浴みや就寝の準備など、指示を受けなくてもさっと動けることが増えてきた。
それ以外には、お嬢様が求める本を図書室から取ってくるのは、私の担当となった。この前、本を取ってきた時の早さを買われて、何か必要になった際は私が頼まれるようになったのだよね。
(少しずつだけど有益性が示せているの……かな?)
とはいえ、まだまだ手を出すことを許されていない部分も多いから、日々精進を重ねているところである。目下のところ、今一番力を入れて覚えようとしているのは、紅茶の入れ方だ。
ゼータさんとまったく同じ手順を踏んでいるはずなのに、お茶の味はちっとも同じになってくれない。就業後にゼータさんに少しだけ付き合ってもらって、紅茶の入れ方指導を受けているのだけれど、まだ合格は遠そうだ。
二週間の選定期間中にゼータさんから合格を貰って、お嬢様に紅茶を入れることが今の私の目標だったりする。
お嬢様の生活を間近で見るようになって知ったことだけれど、お嬢様は年齢の割に慌ただしい生活を送っていた。毎日、午前と午後にしっかりと勉強をしているし、昼食後に家庭教師が来る日もあった。
空いた時間には読書や刺繍をしたり、手紙を書いたりしているけれど、それもある意味自己研鑽の一種だろう。
この数日間で見た、お嬢様の純粋な休息や気晴らしといえば、庭を散歩したり紅茶で一息ついたくらいではないだろうか。
ちなみに、勉強をしていると言ったけれど、読み書きや算術といった基礎的なものだけでなく、詩学や歴史や地理など勉強科目は多岐にわたる。様々な学習をしているのは、淑女教育だけでなく後継者教育も受けているからなのだろう。
座学以外にも、音楽や絵画、礼儀作法などの実技も精力的に学んでいるお嬢様は、人一倍努力家であることがよく分かった。
そして今日の午前には、お嬢様は絵の勉強として果物のスケッチを描いていた。絵の家庭教師が訪問する日までに描き上げるように指示されている、いわば課題のようなものらしい。
木炭を使って絵を描くお嬢様を興味深く見つめているまでは良かったのだけれど、その後が大変だった。普段、スケッチに使用した木炭の粉で周囲が汚れるため、終わった後は掃除が必要になるのだ。テーブルについた粉を拭き取るくらいは簡単なのだけれど、どうやら今回は絨毯に木炭の粉が落ちてしまったらしい。
お嬢様がエプロンを着用し、絨毯の上には布を敷いたりもしていたのだけれど、どうやら用意した布の外に粉が落ちてしまったみたいで、私はそれを掃除するように言われた。
敷かれていた絨毯が私でも扱えるくらいの大きさだったのは幸いだったけれど、絨毯の上に乗っているテーブルと椅子をどかしたり、絨毯を丸める作業を一人で行うのはそれなりに重労働だった。丸めた状態で私の背丈近くもある絨毯を一人で一階へ運ぶとなれば、尚更である。
一階へ絨毯を運んだ私は、まず洗濯メイドに確認して絨毯の掃除に使用しても良い物干しを教えてもらう。そして、庭に出て許可をもらった場所に絨毯を干すと、後ろから軽く叩いて浮き上がった粉をブラシを使って優しく掃き取る。
どうやら重度の汚れにはなっていなかったようで、叩きとブラシ掛けだけで簡単に落ちてくれて良かった。
せっかく庭まで運んだので、ついでに埃も落として絨毯を念入りに掃除する。普段も掃除はしているけれど、埃やゴミが毛足の隙間に残りやすいので、この機会に綺麗にしておいたほうが良いだろう。
綺麗になった絨毯を両手で抱えて部屋に戻ると、執務机に座ったお嬢様が私に声を掛けた。
「アリーチェ、絨毯の片付けが終わったらこの手紙を届けてくれるかしら」
「かしこまりました」
私は急いで絨毯を敷き直して家具の位置を戻すと、机の上に置かれた手紙を手に取る。確認すると、手紙の宛先にはラウラという名前が書いてあった。この名前は、以前お嬢様の友人として聞いた名前だったはず。
「屋敷の場所は、事務室で聞けば教えてくれます」
「分かりました」
私は使用人専用の階段を使って自分の部屋に戻ると、クローゼットに掛けておいた支給品の外套を羽織る。そして、室内用の靴から外出用の靴に履き替えようとしたところで、その隣に置かれた靴に目が止まった。
ティート村を出る時にチェロンさんから貰った靴……。常に私と共にあった靴が、こんな風に置かれていることを少し不思議に感じた。
(休みがもらえたら、チェロンさんの靴を履いて街へ出かけよう)
少しの感傷の後、私はチェロンさんの靴の隣に置かれた外出用の靴に足を通した。それにしても、思いのほか早くお使いに出る機会が来たものだね。外に出るのはもう少し先かと思っていたよ。
屋敷の外に出るのは屋敷に来て以来だから、手紙を届けに行くだけだとしても少し楽しみである。私はわくわくした気持ちを抑えながら、手紙を持って一階の事務室へと向かった。
事務室にはアントンさんがいたので、手紙のお使いを頼まれた旨を伝えて、ラウラ嬢の屋敷の場所を聞く。
「ラウラ様のお屋敷は……」
アントンさんから説明を聞いた所、届け先の屋敷はこの屋敷と同じく上流居住区にあるらしい。丁寧に行き方を教えてもらい、道順をしっかり記憶していく。
「書き留めなくて大丈夫ですか?」
「はい、しっかり覚えたので大丈夫です」
静かな眼差しで私を見るアントンさんに笑顔で返事すると、渡された革製のレターケースに手紙を入れて事務室を後にした。そして、慌ただしい厨房の横を抜け、使用人出入口に向かう。まもなく昼食の時間ということもあり、厨房からは香ばしい匂いが漂っていた。
(今日のスープは何だろう……)
この屋敷に来て日は浅いけれど、野菜もお肉もしっかり入ったスープに私はすっかり虜だった。もともと粗食に慣れていたから、孤児院の食事にも大きな不満は持っていなかったけれど、屋敷で出されたスープには本当に驚かされた。
多彩な味付けに、ゴロゴロと大きな具材の入ったスープ。こんな美味しい食事を知ってしまったら、元の粗食に戻れるかしら……。二週間だけしか味わえない可能性もあるので、少しだけそんな心配をつのらせた。
――カラーンカラーン
初日にメリッサに案内してもらった上流居住区と商業区を繋ぐ内門へと移動したところで、昼刻を示す四の鐘が鳴り響いた。屋敷ではそろそろ昼食が始まった頃だろうか。
そこから川沿いの道を上流に向かって進み始めると、湖から吹く冷たい風が川を通って吹き抜け、私の髪を揺らした。
(なんだか、数日前に比べて風の冷たさが増したような気がするね……)
冬の到来を肌で感じながら、私は外套の前をしっかりと締めて早足で歩く。
川沿いの整備された道を進み、内門から数えて四本目の通りを右に入った。そして、立ち並ぶ屋敷を一軒一軒確認しながら奥へと進む。
アントンさん曰く、三軒目とのことだったけれど……
(あった! 赤茶色の屋根に薄灰の壁。この屋敷で間違いないはず)
こちらの屋敷も、フィオルテ商会の屋敷と同じ様に門前の庭が綺麗に整えられているね。私が門の外から中を観察していると、この屋敷の守衛と思われる人から声を掛けられた。
「何か御用ですか?」
「こちらはデルネーリ商会のお屋敷で宜しかったでしょうか? 私は、フィオルテ商会の屋敷に勤めているメイドのアリーチェと申します」
レターケースを持った右手は胸に当て、左手でスカートを軽く広げて挨拶をする。
「フィオルテ商会の使いの方でしたか。初めて見る方ですね」
ごつごつした顔の男性が門扉を開け、腰をかがめて私と視線を合わせる。上背がかなりある人だから、私を威圧しないようにと気を使ってくれたのだろう。
レターケースから手紙を出すと、私は男性にそれを差し出した。
「先日から勤めさせていただいています。本日は、ヴィオラお嬢様の手紙をお届けに参りました」
「丁寧にありがとうございます。こちらで預かります」
男性は見た目に反して優しげな笑顔を浮かべ、私が差し出した手紙を受け取った。
(これで、お使い完了だね!)
その後、勤めを終えて肩の荷を下ろした私は、見苦しくない程度に帰路を急ぐ。屋敷へ到着し、自室で外套を脱いで靴を履き替えると、お嬢様の部屋へ報告に向かう。
階段を上がる時にチラリと見えた厨房では、他のメイド達が食事をしていた。食べている顔ぶれを見る限り、ゼータさんは既に食事を終えたのだろう。
(お嬢様に報告して、私も早く食べに行こうっと)
心は急いているけれど歩調は乱さず、私はお嬢様の部屋へと急いだ。扉をノックし、「アリーチェです。ただ今戻りました」と部屋の中へ声を掛ける。
室内からの返事を待って扉を開けると、お嬢様は執務机に座ってなにやら勉強の準備をしていた。今日の午後に家庭教師が来る予定になっているから、その予習をするつもりなのかもしれない。
私はお嬢様に一礼し、ゼータさんにお使いを無事に終えた旨を伝える。そしてそのままお昼へ行くことを伝えようとしたタイミングで、お嬢様が私の名前を呼んだ。
「お嬢様、何か御用でしょうか」
「図書室へ行って、神学の本を取ってきてくれるかしら」
「何という本をお持ちすれば宜しいですか?」
「特に指定はないわ。神学の古い歴史の本を持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
私は返事をしながら、内心焦りを感じていた。いつものように指定された本を取ってくるだけなら簡単だけれど、指定がないとなると一筋縄ではいかない。本の内容を確認して該当する本を探すとなれば、すぐに見つけることは難しいだろう。
普段であれば、内容を確認するというのを口実に本が読めるご褒美だというのに、よりにもよってまだ昼食を取れていない時に限ってお願いされるとは……。
とりあえず、少しでも早く本を見繕うために、神学に関する本の場所を頭の中で確認しつつ、私は図書室に向かって早足で歩く。そして、図書室へ着くなり各本棚から目星を付けていた本を抜き出し、図書室の作業机の上においた。
(神学の古い歴史ということは、神話に基づくこの国の成り立ちについて書かれた創世記を選べば良いだろう……)
一冊を手に取り、最初の方をぱらぱらと軽く確認し、また次の本を手に取って確認していく。
ひとまず、今回調べる内容が神話関連の話で良かった。神話であれば、村の礼拝堂に置かれていた本で学んでいるため、判断するにしてもそれほど難しくはない。
もしこれが詩学について依頼されたものだったら、事は簡単に運ばなかっただろう……。
私が三冊目に手にした本は、子供向けに分かりやすく神話を纏めた本だった。
――はるか昔、始まりの神である白き大神が、大海原に杖を立てた。隆起した大地は海を割り、一つの島が創られた。それが、私達が住む地――ユースィミアの始まりである。
最初の一文を読み、なんだか懐かしい気持ちになる。昔、礼拝堂で何度も読んだ創世のお話。この後は杖が根を張り、枝を伸ばし、最初の神樹となる、と話は続くのだよね。
私は本を閉じ、先程選んだ子供向けの創世記と、分かりやすく書かれていたもう一冊を残し、作業机に置いた全ての本を元あった場所へ片付ける。そして、机に残った二冊を持って、私は図書室を後にした。
「お嬢様、本をお持ちしました。こちらでいかがでしょうか」
部屋に戻った私は、執務机の上に二冊の本を置いた。お嬢様は子供向けの創世記を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。
「十分よ、ありがとう」
選んだ本に間違いがなかったようで、私は心の中で安堵の息をついた。
(これでようやくお昼に行ける……)
私が安心したのも束の間、気の緩んだ一瞬を突くようにお嬢様からとんでもない一言が放たれた。
「あと、アリーチェにはもう一つお使いを頼みたいのだけれど、いいかしら?」
「どちらに伺えば宜しいでしょうか?」
間を空けずに、すぐ返事をした自分を褒めてあげたい。心の中では、「今の今に!?」と盛大な非難の声を上げたけれど、表面上は笑みを必死で浮かべる。まぁ、多少は顔が引きつっていたと思うけれど……。
「明日、友人であるラウラのお屋敷に招待されているのだけれど、アリーチェにはその時に持っていく手土産のお菓子を買ってきて欲しいの。ファータ・ドルチェというお店のマカロンよ」
「かしこまりました」
「昼食後で構わないから宜しくね」
「……はい」
心からほっとした声が私の口から漏れた。昼食後でいいのであれば、商業地区へのお使いは大歓迎である。
もしかして昼食抜きを狙った目論みなのでは、と一瞬でも疑ってしまってごめんなさい……。私は心の中で頭を下げ、お嬢様に謝罪したのだった。
アリーチェへの指示が少しずつ増えてきましたね。
お使いを言い渡されて、お昼を食べそこねるのではと焦ったアリーチェでした。




