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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第五章 州都カーザエルラ

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59. 穴があったら……

ブックマークいただきありがとうございます!

引き続き更新頑張ります!

「ゼータ、後はお願いね」

「はい」


 お嬢様の用件は終わったようで、私の事はメイドのゼータさんへと引き継がれる。まずは何をするのだろうかと、ゼータさんの言葉をそわそわと待っていたのだけれど、告げられた言葉は予想外なものだった。


「アリーチェ、あなたは今日は何もしなくていいです」

「えっ?」

「今日明日、私が指示した時以外は基本的に何もせずにただ見ていて下さい」


 有無を言わせぬ様子でゼータさんがそう言った。何もせずに、とは一体どういうことだろうかと疑問に思ったけれど、それを飲み込んで「分かりました」と私は返事をした。

 おそらく、何もするなというのは、今は何も任せられないということだろう。メイドの経験がない私は、何をするにしても指導や指示を仰ぐ必要がある。でも、この様子だと今はそれをするつもりはないみたい。

 指示された時に動けるように、少なくとも今日明日の間にある程度見て覚えろということなのだろうと、見当をつける。そして、お嬢様とゼータさんが視界に入る位置に移動すると、私は息を潜めて二人の様子を静視する。

 幸い、何かを観察して学習するのは私の得意とすることなので、ゼータさんの一挙手一投足、会話の内容、僅かな視線の動きに至るまで、私は詳細に観察を始めた。


 今の時間、お嬢様は友人に手紙を書いていたみたい。お茶会に誘われたようで、ゼータさんに確認しながら返信内容をしたためていた。

 お嬢様が書き終わると、ゼータさんはそれを持って一階の事務室へ行き、従僕に手紙を友人宅へ届けるように伝える。私はその間、無言でゼータさんに付き従いながら、どういう手順で行っているかをしっかりと確認した。


 その後、お嬢様は刺繍をしながらゆったりとした時間を過ごし、夕方の鐘が鳴ったタイミングで一階にある食堂へ移動した。白いリネンがかけられた大きなテーブルに旦那様、奥様、お嬢様がそれぞれ座り、夕食を取る。

 その様子を、給仕しているゼータさんの後ろから眺めていたのだけれど、私は内心とても驚いていた。分かっていたことではあるけれど、作法も品数も全然違う。順々に運ばれてくる料理の数の多さに、私は目を回すばかりだった。


 お嬢様の夕食が済んだ後、ゼータさんはお嬢様に断って厨房へ行き、使用人用の夕食を頂いた。私はゼータさんの真似をしながら器にシチューを盛り、パンを食べる。こちらは私がよく知る食事風景だったので、ある意味安心した。

 器の片付けについては、ゼータさんが私の分まで纏めてやってくれた。もちろん私がやると言ったのだけれど、何もせずに見ていなさいと言われたので、すごすごと引き下がる。


 食器の片付けを終えてお嬢様のところへ戻ると、今度は図書室へ本を取りに行く事になった。一階の絵が飾られていた部屋にも本はあったけれど、どうやらちゃんとした図書室が二階にあるみたい。

 ゼータさんの後に続いて足を踏み入れると、その部屋は図書室という名前に相応しく、大量の本がいくつもの棚に並べられていた。

 ティート村の礼拝堂にも本はあったけれど、蔵書の規模が全く違う。一体どんな本があるのだろうかと、私はきらきらした眼差しで背表紙を確認していく。とはいえ、確認できたのはほんの僅かな時間だけで、ゼータさんは続き物と思われる本を一冊取ると、すぐに図書室を後にしてしまった。

 もっとじっくり見たかったのに、ちょっと残念……。


 お嬢様はソファで寛ぎながら本を読み、その横でゼータさんが暖炉に小さく火を入れる。タオルや寝衣などの準備を始めたので、そろそろ入浴の時間なのだろう。

 一階からお湯を運ぶのは重労働だから、流石にここでは手伝いを指示されるのかと思ったけれど、ゼータさんは驚きの方法でその問題を解決した。

 一階の湯沸かし場の浴槽に浸していた手桶を一つ運んだかと思ったら、その手桶から容量を遥かに超えた量のお湯がドバドバと流れ出したのだ。


「ゼータさん、これはどういう作りになっているんですか!?」


 余りの驚きに私が今日初めて質問すると、ゼータさんは呆れた様子で私を見た。


「これは魔術具よ。手桶の見た目以上に水が入るようになっているの。湯沸かし場で沸かしたお湯がこの手桶に大量に入っているのよ。持ち手部分にあるこのボタンを押すと、入っているお湯が出てくる仕組みなの。まさか、魔術具を一つも見たことがないとは言わないわよね?」

「火起こしの魔術具や水を綺麗にする魔術具は見たことがあるのですが、こんな魔術具は初めて見ました」


 なるほど、この魔術具を使えば、たった一度で大量のお湯を運べてしまうのだね。何度も往復してお湯を運ぶ必要がないなんて、魔術具って本当に凄い。

 ちなみに、重さについて聞いてみると、通常の手桶よりはかなり重たいけれど、ゼータさんが一人で運べるくらいの重さではあると教えてくれた。


「手洗い場の説明は受けていないの? これと似たような水を出す魔術具があったはずよ」


 ノエミから手洗い場の説明は受けたけれど、中の詳しい説明は聞いていないと伝えると、「まったくノエミは……」とゼータさんが小さく溜息をついた。

 昼過ぎに到着してから色々な事がありすぎたから、それどころではなくて、手洗い場も今のところ一度も使用していないのだよね。場所の説明を受けた際に、ノエミにもっとちゃんと聞いておくべきだったと反省する。

 使用人の手洗い場にまで魔術具が設置されているなんて驚きではあるけれど、匂いや衛生のことを考えると必要なのだろう。

 州都ではそういう手洗い場が一般的だから説明する必要もないと判断したのか、ノエミがうっかり忘れたのかは分からないけれど、おそらく後者な気がする……。


「後で簡単に説明します。それまでに行きたくなったら、ノエミにしっかり使い方まで教えてもらいなさい」

「分かりました」


 『ノエミに』とわざわざ指名するのは、ちゃんと最後まで教えておくように、というゼータさんの気持ちの現れなのかな?


 その後、お風呂の準備が整うと私は浴室から出された。流石に、今日来たばかりのメイドに入浴中に側にいられたくはないのだろう。

 待っている間、ゲームの収められたガラス戸棚を外から確認してみる。けれど、多くのものがそれぞれのケースに入っているため、外から見るだけでは何のゲームがあるかさっぱり分からなかった。

 とはいえ、私がやったことのある遊技盤は、村の礼拝堂にあったものだから、綺麗に並べられたこの中に同じものはないだろう。

 

 お嬢様が浴室から出た後は、再びゼータさんにぴったり付いて行動する。使った浴室の後片付けをして、一階の洗濯場へ汚れ物を持って行く。

 そのついでに手洗い場の説明を受けたのだけれど、ボタンの付いた浅い盆があり、用を足した後にボタンを押すと、盆から溢れ出た水が流し去る仕組みになっていた。確かにこれなら匂いも気にならないし、衛生的だね。

 興味で、ゼータさんに流された水はその後はどうなるのかと尋ねたら、少し嫌そうな顔をしながら、排水は配管を通って屋敷の半地下の貯蔵槽に貯められることを教えてくれた。ちなみに、貯蔵槽の中身は定期的に業者が回収に来てくれるらしい。貯蔵槽には排水を分解する魔術具もあるらしいのだけれど、それに関しては詳しいことは知らないと言われた。


 今日、屋敷の中を見ていて思ったけれど、当然のように数多くの魔術具が存在している。さっき火を付ける時にゼータさんが火起こしの魔術具を使っていたし、浴室にもお手洗いにもあるくらいだから、緊張せずに使えるように早く慣れる必要がありそうだね……。


 その後、お嬢様の部屋に戻り、就寝準備と部屋の簡単な片付けを始めた。どうやらお嬢様はそろそろ寝る時間のようで、ゼータさんは部屋の隅にある天蓋付きのベッドへお嬢様を促す。そして、サイドテーブルに水差しとコップ、ランプの魔術具と呼び鈴を置き、「良い眠りが訪れますように」と就寝の言葉を告げて天幕を閉めた。

 ゼータさんは部屋の各所に置かれた灯りを消しながら、各窓のカーテンを閉めていく。明かりが消された部屋はすっかり暗くなり、閉められたカーテンの隙間から漏れる薄明かりと、ゼータさんと私の手元に残されたランプがぼんやりと部屋を照らしていた。


「では、気を付けて行きましょう」

「はい」


 それぞれランプを持つと、使用人専用の階段を使って三階にある自室へ戻った。そしてゼータさんに指示された通りに、着替えを持って一階へ下りる。

 厨房を掃除するノエミ達や、厨房の片隅で繕い物をしている他のメイドの横を通り過ぎ、リネン室でタオルを取ってゼータさんと共に浴室へと向かう。

 ゼータさんに湯浴みについて質問された際に、今まで桶に入れた水やお湯を使って身体を清めたことしかないと説明した所、ゼータさんに正しい浴室の使い方や身体の洗い方を教えますと言われてしまったのだよね。

 幼い子どもではないから、説明してくれるだけで大丈夫と断ったのだけれど、石鹸を使う必要もあるからと、押し切られてしまった形だ……。


 結果的に見れば、ゼータさんに湯浴みの仕方を教えてもらって正解だったと思う。私一人では、ぬるくなっているとはいえ、大量のお湯を頭から掛けるような勿体ない使い方は、躊躇してしまったことだろう。

 ゼータさんは石鹸を使って私の全身をぴかぴかに洗ってくれた。初めて使う石鹸は、爽やかな良い香りがしていた。

 故郷や孤児院では、お水を使って身体を拭くか、汚れが酷い時は灰やハーブを使って身体を綺麗にすることくらいしかしてこなかったから、石鹸を使うというのは、私にとってお湯を沢山使う以上の贅沢だった。



 浴室から出た後、厨房の隅で湯浴み中のゼータさんを待ちながら、ノエミに初めて石鹸で身体を洗った感想を話していると、それを聞いたノエミが呆れた表情を浮かべた。


「石鹸を使ったことがないなんて、本当にアリーチェは下流層の出なのね」

「元々はかなり田舎の農村出身だから、確かにそう言われればそうかもしれないね」


 ノエミの言葉に私は苦笑いを浮かべる。私の生まれ育った環境を客観的に見たらそうなのかもしれないけれど、下流層であっても別段不幸だったわけではない。

 確かに、ここに来るまでは色々な出来事があったけれど、心の豊かさという意味では、私は十分に幸せだと思う。

 ノエミは自分で言っておきながら、なんとなく決まりが悪いのか、「飲みな」と言って温めたミルクを私の前に置いた。口は悪いけれど、何だかんだと気遣ってくれる辺り、ノエミは優しい人なのだよね。私はノエミにお礼を言いながら、火傷しないように気を付けてコップに口をつけた。

 ゼータさんに洗ってもらった後に知ったことだけれど、さっき私に使っていた石鹸はゼータさん個人所有の石鹸だったみたい。他のメイドもそれぞれ所有している石鹸を使って身体を洗っているとのことだった。人によっては髪に艶を持たせる染髪剤を使っていたりもするらしい。


「それにしても、その割にアリーチェは身綺麗だったわよね」

「もともと身体を清める時に、灰や乾燥させたハーブを使っていたからだと思う。旅の間も、ハーブを入れた小袋を使って身体を清めることもあったし」

「へ〜、生活の知恵ってやつね。というか、化粧品を持っていたのに、なんで石鹸は持っていないの?」


 ノエミに部屋を案内してもらった時に、軽く荷物を片付けたから、おそらくその時に私の荷物の中にあった化粧品を見たのだろう。


「化粧品はメルクリオの街を出発する時に、餞別として貰ったんです」

「へぇ、もしかして男から貰ったのかい? まだ幼いのに、あんたもなかなかやるねぇ」

「ノエミ、何下世話なことを言ってるの」


 貰ったという点に食いついて下世話な想像をしたノエミを、湯浴みを終えて厨房に顔を出したゼータさんがたしなめる。男性から貰ったという点は確かに合っているのだけれど、あまりにも的外れな内容に、私はクスッと笑みをこぼす。


「男性というのは当たっているのだけれど、旦那様に仲介していただいた商会長から、身嗜みを整えるようにという意味で貰ったのです」


 そう説明すると、ゼータさんとノエミがしばし顔を見合わせた後、クスクスと笑い出した。二人が突然笑い出した理由がわからなくて、私はキョトンと二人を見つめる。


「ああ、そりゃ何と言うか、それっぽい贈り物だねぇ。本当の意味で身嗜みを整えるための石鹸や櫛ではなく、着飾るための化粧品を贈るところが男性らしいね。石鹸を使ったことがないなんて想像してなかったんだろう」


 そう言われて、私は目から鱗が落ちる思いがした。石鹸も化粧品も自分とは縁がないものだったから、優先順位なんて考えたこともなかった。

 普通に生活するなら別に何の問題もなかったのだろうけれど、屋敷で働く以上、先に優先するべきは石鹸だったのだ。それに少しも思い当たらなかった自分自身が恥ずかしくて、私は顔を真っ赤にする。

 ゼータさんの「生活環境が違ったのですから、仕方のないことでしょう」という慰めが、余計に羞恥を煽る。なまじ知識があることに驕って、化粧品に浮かれていた自分が恥ずかしい。


(うぅ、穴があったら入りたいとは、まさにこの事だね……)


 顔から火が出るような恥ずかしい思いはしたけれど、結果的にそれが切っ掛けで、その場にいたメイド達の視線が少しばかり和らいだのは、まさに怪我の功名と言えるだろう……。


優先度が高いのは石鹸ということに気付かされたアリーチェ。

とっても恥ずかしい思いをしてます。

知識としてはあっても、こういう点で経験の浅さが露わになりますね。

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