5. 駆け落ちの代償
姉の駆け落ちから数日、ベッロさんの捜索も虚しく、二人は見つからないまま駆け落ちを成功させた。
ベッロさんは、この村と繋がっている西方と南方の村――南方の村に関しては、さらに先の村まで知らせを走らせたみたいだけれど、結局二人の行方は分からないままだった。
犯罪者であれば村々の自警団も協力して探してもらうこともできただろうけど、ただの駆け落ちとなれば自力で探すしかなく、探すにしても限界があったのだろう。
無事に姉が本懐を遂げられたことは、妹としては喜ばしく思うけれど、単純に喜んでばかりもいられない。姉が目的を果たした反面、私たち家族は難しい事態に直面していた。
姉の駆け落ち騒動が落ち着いて数日たったある日、夕飯を食べ終わった後に、皆に話があると父が固い表情で口を開いた。
「ベッロさんに賠償金を求められた」
駆け落ちがあった場合、大体はどちらの家族も痛み分けとなって通常は賠償は発生しない。ただし、例外もある。婚約者や配偶者がいた場合がそれだ。
今回の駆け落ちにより、我が家は奉公の支度金を返さなければならなくなった。一方、ベッロさんはロバ一頭と嫁入りのために支払っていた結納金に加えて、結婚による両家の結びつきによって期待されていた利益や、事業計画が全て台無しになってしまったらしい。ベッロさんからは、今回の損失の埋め合わせとして、当然のことのように賠償金を要求されたとのことだった。
賠償額は、我が家の収入の一年分。姉の奉公の支度金にほぼ等しい額で、賠償金を払えば支度金の返金は絶望的になるだろう……。
「賠償金を払わなければ、裁判を起こすとまで言われている」
それを聞いて、フィンを除く私たち一同が顔色を悪くする。裁判になった場合、どのような結果になるか簡単に予想出来たからだ……。
もし裁判になった場合は、我が家が負けることは決まっている。裁判の判決者は村長が務めることになっているから、娘の婚約者を奪った駆け落ち相手の我が家に、有利な判決が下されることはまずないだろう。
そして、裁判の問題はもう一つ。裁判で負けた場合、姉に非があり、しいては我が家に非があったと周りにハッキリと周知されてしまうということ。村で共同生活をするにあたり、周りから白い目で見られたり、疎外されるようなことがあれば死活問題にもなりうるのだ。
我が家が賠償金を払ってでも、穏便に済ます以外の選択肢を取れないだろう。
(嫌な胸騒ぎが現実になっちゃったな……)
父の説明を聞きながら、私は心の中で呟きを漏らす。
私の予想した通り、父は裁判で争うのではなく、ベッロさんに賠償金を支払うつもりであることを、私たちに告げた。
「けど、支度金はどうするつもりなんだ?」
兄が横目で私を見ながら、父に質問を投げかけた。どうする他ないか、兄も分かっているのだろう。
「ルフィナの代わりにアリーチェを奉公に出す」
(やっぱりそうなるよね……)
私は心の中で小さくため息をつく。支度金を返せない以上、別の誰かを奉公に出すしか手はない。
私は沈む気持ちとともに、テーブルの木目に視線を落とした。賠償金の話が出た時から予想していたことだけど、急なことに気持ちが付いていかない。この村で、ずっと暮らしていくものだと疑っていなかったから尚更だ。
「だが、奉公が嫌だと言うなら、ベッロさんに賠償金の支払いを遅らせてもらうか、他の誰かにお金を借りることもできる」
「父さん! それは……」
ハッと顔を上げると、静かな眼差しで私を見つめる父と視線が合った。
決定事項として、奉公に行ってくれと言われるものだと思っていたから、父の提案に驚いて私は息を呑む。兄とフィンも同じ反応だった。唯一動じていない母は、この提案を知っていたのだろう。
「アリーチェ、おまえはどうしたい?」
父も母も兄もフィンも、息を呑んで私の答えを待つ。
ベッロさんの賠償金を遅らせることも、他の誰かにお金を借りることも、どちらも等しく借金をするということだ。余裕があるわけではない生活の中で借金なんて背負ったら、この先どうなることか……。
兄は来年結婚予定なのに、借金があるなんてことが相手方に知れたら断られる可能性が出てくる。もし作物が不作で借金が返せなくなったら、葡萄畑を手放さないといけなくなる可能性だってある。
今後、家族に降りかかるかもしれない災厄を天秤にかけたら、最初から答えは決まっている。私が奉公に行けば全ては丸く収まるのだ……。
私は家族一人一人の顔を順番に見回しながら、決意を固めて声を上げた。
「私、奉公に行くわ。別に恋人や婚約者がいるわけでもないし、村にどうしても留まりたい強い理由もないから……」
「本当にいいの? アリーチェが嫌だと思うなら、無理に行く必要はないのよ。あなたが一人で背負うことはないんだから。お金は働いて返していくこともできるわ」
私の意志を確認するように、心配そうな顔をした母が私を覗き込む。母の言葉は私を慮る気持ちに溢れていて、私はそれがとても嬉しかった。
そんな母だからこそ、無用な苦労はさせたくない……。
「突然の事で驚いたけれど、奉公に行くよ。新しい環境に馴染むのは大変だろうけど、学ぶことは得意だからね。この村では経験したことのない沢山のことを学んで、奉公先でもしっかり生活していくよ」
悲しそうに顔をゆがませた。
私が明るく返事をすると、母は悲しそうに顔をゆがませた。
父も兄も眉を寄せ、複雑な顔で小さく息を吐いた。無理強いはしたくない、でも家のことを考えたら借金をするのは危険だと理解しているから、私が奉公へ行くことを選んでホッとしたのだろう。
「でも、私で大丈夫なのかな? 一応来月には十一歳になるけど、姉さんに比べたらまだまだだよ?」
姉は今十四歳で、この秋に成人となる。奉公のことで私が知っていることはそれほど多くない。知っているのは、隣の領地の貴族の仲介者が、下働きの女性を求めて村に来たこと、村の十三から十八歳の少女の中から姉が選ばれたということくらいだ。
「だいたい五、六年に一度、下働きの女性を求めて村に来るから、ある程度の年齢で区切っていたけれど、年齢の制限はそこまで厳しくなかったはずよ」
「なら、私の年でも大丈夫ね」
母の説明に私が頷く。問題があるとしたら、下働きの選別に来た人が姉の容姿を見て決めたという話だから、私の外見で納得してくれるかが気になるところだ。
真偽は定かではないけれど、「私を見てすぐに決まったのよ」と姉が自慢していたくらいだからね……。
物思いに沈んでいると、「アリー姉ちゃんもいなくなっちゃうんだ……」とフィンが寂しそうに呟いた。
姉が別れも告げずに突然家を出て、来月には私も家を出ることになる。一番年下のフィンが突然の変化に戸惑うのは無理もないことだよね。
「森での採集が俺一人になるから、責任重大だね……」
悲しい気持ちを誤魔化すように、フィンがおどけて言った。
「フィンは大抵のことは一人で出来るようになっているから大丈夫だよ」
「罠猟はさっぱりだけどね」
「それなら、残りの時間で私がみっちり教えてあげるよ」
悲しげに笑うフィンに対してそう言うと、「姉ちゃん直伝なら俺も頑張らないとだね」と、フィンは顔をくしゃりと歪めて笑った。
「アリーチェ、村を出ていっちゃうんだね……」
家族との話し合いの翌日、私は幼なじみのピエラの家を訪れていた。
ピエラの家はこの村唯一の宿屋兼酒場を営んでいる。この時期は宿を利用する客が多いため、時々お手伝いに来ていた。
そして今は手伝いも一段落した休憩の時間。隣り合って座るピエラに村を出ることを伝えると、ピエラはみるみるうちに元気をなくしてしまった。
「本音としては村に残りたいけど、お金がないことにはどうしようもないからね」
「アリーチェがいなくなったら寂しい……」
「私だって、ピエラと離れるのは寂しいよ」
「うぅ……、アリーチェは私の唯一の友達なのに」
家が宿屋兼酒場ということもあり、同年代の女の子たちはピエラを遠巻きにすることが多い。酒場は人の出入りも激しく、お酒を飲んで騒ぐ人もいる場所だ。何より余所者が泊まる宿屋ということもあって、村の女の子達はピエラを敬遠しがちだった。
ピエラが内向的な性格をしていることも一因かもしれないけれど、社交性が必要な家業ということもあり、ピエラの将来が少し心配でもある。
ちなみに、私は余所の話を聞くのが楽しくて、この手伝いには毎年積極的に参加していた。
「この手伝いも今年が最後だと思うと名残惜しいな……」
「ねぇ、アリーチェ。私、考えてみたんだけど、お金のこと、うちの父さんに相談してみようか?」
「へっ?」
私の口から驚きの声が漏れる。さっきまで元気がなかったピエラは名案を思いついたと言わんばかりにキラキラとした眼差しを私に向けていた。
「アリーチェがうちの兄さんのお嫁に来てくれるなら、足りない分のお金を出してくれるかも。アリーチェのこと、父さんも兄さんも気に入っているし……」
「いやいや、支度金はかなりの額だよ?」
「それはベッロさんに払う賠償金次第じゃないかな。父さんは村長さんにも顔が利くから、交渉はできると思う。結婚のための結納金なら、借金にはならないし」
「それに、アリーチェがお姉さんになってくれたら、凄く嬉しい……」とピエラは満更でもない顔でぼそりと呟いた。
(普段、大人しいのに、こういう時に限って思い切りがいいんだから……)
私は小さくため息をつきながらも、ピエラが私のことを思って提案してくれたことに、少し胸が温かくなった。
ピエラの提案は、客観的に判断したらそこまで悪いものでもない。家に残り続けられるのであれば、その方がいいに決まってる。
でも、あくまでピエラの想像での話だから、現実はそう簡単にはいかないだろう。もしピエラが言うことが本当だとしても、かなりの額になるわけだし……。
それに、もしその話が上手くいったとしても、家に残るために結婚を決めるのは、なんだか違うと思ってしまう。結婚が約束された未来は、私には少し窮屈に感じた。
「少し考えてみる……」
「時間がないから早めにね。後で駄目だったってならないように、私もそれとなく父さんに話してみるわ」
考えると返事をしたものの、もやもやした何かが胸の奥に引っかかっていて、すんなり答えが出せそうにもなかった。
ピエラと話をした数日後、「アリーチェが望むなら考えてみてもいいって、父さんが言ってたよ」とピエラに言われて、私は更に頭を悩ますことになった。
家族に相談してもいいけど、それなら結婚を決めたほうがいいと言われそうな気がする……。
(母さんは、なんて言うかな。村に残った方がいいって言うかな……)
家族に相談できず、答えも出せないまま、朝の早い時間はフィンと共に森へ行き、昼前からピエラの家のお手伝いに奔走する日々が続いていた。
そんなある日、フィンへの罠猟の指導を終えて、ピエラのお手伝いに向かう途中でカルロに呼び止められた。
「アリーチェ……」
いつもの取り巻きの二人の姿はなく、今日のカルロは一人だった。いつもの高圧的な態度は鳴りを潜め、珍しく口ごもりながらカルロが私に尋ねた。
「奉公に出るというのは本当なのか?」
「ええ、姉さんの代わりに来月に奉公に出る予定だよ」
「本気か……?」
「今のところ本気だよ」
「貴族の元で働くからって、いい思いが出来るとでも思っているのか?」
カルロの捻くれた物言いには慣れているけれど、そういう浮ついた気持ちで奉公を決めたと思われるのは、私としては不本意だった。
「別に、そんな風に考えている訳じゃないよ」
「じゃあ、支度金が返せないからか? それなら、嫁入り代わりに払ってくれる家を探せばいいだろう」
カルロの言葉は、まさにこの頃私の頭を悩ませていた話だった。もしかして、ピエラの父親が村長に話を持っていったのだろうか……。
「なんだ、その顔。声をかけてくる物好きでもいたのか?」
「それは……」
てっきり、ピエラの父親から話があったのかと思ったけれど、カルロの反応を見る限り、そういう訳でもないみたい。
どう答えたらいいのかと迷っていると、「誰だそいつは」とカルロから一層不機嫌な声が飛ぶ。
これは正直に話したら、余計に事態が拗れる感じだよね……。
「そういう訳じゃなくて、そんな手もあるんだなと思っただけだよ」
「いつもは賢いくせに、そんな事も考えられてなかったんだな」
「そう言われると耳が痛いね」
ピエラに提案されるまで、そんな方法があるなんて思いつきもしなかったものね。
私が奉公すれば丸く収まるという分かりやすい答えが最初からあったし、絶対に奉公は嫌だから何とかして他の道を探すという強い気持ちもなかったから……。きっと諦めの気持ちもあったのだと思う。
「はっ、みすみす貴族の慰み者になるつもりだったのか」
「……っ!」
一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなくて、頭が真っ白になった。じわじわと言葉が浸透してきて、奉公予定の私をそんな風に見ているのかと思うと、一気に全身が熱くなった。
「私は下働きになりに行くの! そんな酷い言い方をしないで!」
貴族の元で働くことで、貴族の目に留まればそういう可能性もあることは理解している。でも、最初からそのつもりで行く気なんてない。
それに、もともと奉公予定だった姉さんが侮辱されたみたいで、私は悔しさのあまり下唇を噛んだ。
「悪い。言葉が過ぎた……」
私は無言で首を振った。カルロが悪いわけではない。本当に悪いのは、そういう風に言っていたであろう大人たちだ。前とは違う気持ちで胸がもやもやしてくる。
大人たちは、「奉公に選ばれて良かったね」と姉に対して言っていたのに、結局のところ本音はこうだったのだ。私は気づいていなかったけれど、姉もこんな陰口を感じて嫌な気持ちになっていたのだろうか……。
「アリーチェ……」
無言で立ち尽くす私を、カルロは憂いに満ちた顔でじっと見つめていた。
「私、決めたわ。奉公に行く」
気が付いたときには、その言葉が口をついて出ていた。多分、悔しくて意地になったのだと思う。
きっぱりと口にしたことで、さっきまでのもやもやした気持ちが、スッと晴れていくのが分かった。
「奉公に行く女の子がそんな風に見られるのなら、私が見返してあげる!」
奉公の期間は最低五年と聞いている。奉公先の状況によっては延長もあるとのことだけれど、少なくとも十年以内に奉公は終了するだろう。
今まで、奉公に出た後に田舎暮らしに戻った子はいない。だから、私が洗練された大人の女性になって村に戻り、陰で蔑んでいた大人たちを見返してやる!
思い付きのような考えだけれど、私にとってはピッタリの目標のように思えた。家庭に入って従順に従う女性になるよりも、多くのことを学び、自分を磨き上げることを目指すほうがずっと私らしい。
そもそも、私がなるのは侍女でもメイドでもなく、ただの下働きだ。まず貴族の目に留まる機会もないし、あったとしても痩せてて別段美人でもない私に興味を示すこともないだろう。
「ア、アリーチェ?」
「ありがとう、カルロ。お陰で吹っ切れたよ」
わたわたと焦るカルロをよそに、私は晴れやかな笑みを浮かべて、「またね、カルロ」と別れを告げる。そして、何かを言いかけるカルロに背を向けると、全力でピエラの家へ向かって走り出した。
くしくも、カルロの一言がアリーチェの背を押すことになりました。
ピエラはしょんぼりですね。
次回、出発に向けてのあれこれです。