57. お屋敷と同僚メイド
商業区と上流居住区を分ける石造りの橋を渡り、彫刻が施された優美な内門をメリッサと共に通る。ここの内門は外門や街の中で見かけた他の内門と異なり、見た目が重視されていることがよく分かる、年季の入った荘厳な門だった。
上流居住区は昔は貴族区と呼ばれ、貴族しか住むことを許されていなかった歴史があるとメリッサが言っていたから、門としての機能だけではなく、権威としての優美さも求められているのだろう。
内門には騎士の格好をした警備兵も立っていて、通り過ぎる私達を軽く一瞥する。呼び止められるかとドキドキしていたけれど、そんな様子はなく、私はほっと胸を撫で下ろす。
メリッサによると、ここに立っている人達は第二騎士団に所属する騎士らしく、普段は上流居住区や州城を警備しているらしい。
平民が日常で出会える唯一の騎士であり、とても平民の女性に人気があるみたい。たまに女性騎士もいるらしく、そちらはもれなく平民男性に人気とのことだった。
内門を過ぎると、大きな屋敷が立ち並ぶ人通りの少ない閑静な通りに出る。人はいるのだろうけれど、徒歩で出歩く人は少ないのだろう。
市民街で見かけるような多くの人が住める集合住宅ではなく、木立を備えた立派な屋敷を塀で囲む造りが一般的のようだ。そのため、広さに比べて住んでいる人は少ないのかもしれないと、私は通りを歩きながら観察する。
メリッサについて歩くこと少し、立派な門構えの前でメリッサが足を止める。そこには、橋を越えてすぐ辺りにあった屋敷よりも、一段上の立派な屋敷が広がっていた。
「このお屋敷よ」
「ここ……なんだ」
上流居住区の立ち並ぶ屋敷を見て覚悟はしていたけど、場違い感が半端ない。私、本当にここでメイドをやれるのかしら……。
私が再び不安になっていると、不審者を拒むようにピタリと閉じられた鉄の柵の内側から声がかけられた。
「お屋敷に何かご用ですか?」
門扉の内側に警備の詰め所の様な物があり、そこから若い男性がこちらを見ていた。
「こんにちは、ナリオさん。こちらで働くことになった女の子を案内してきたんです」
「おや、メリッサか。こんにちは。もしかして、そっちの子はお嬢様のメイドになる子かい?」
ナリオと呼ばれたがっしりとした体格の男性は、メリッサと顔見知りのようだった。私の方を見てきたので、「アリーチェといいます。今日からお世話になります」と言って頭を下げた。
「中へどうぞ」
ナリオさんは門扉を開けて私を招き入れてくれた。メリッサが後を追って中に入ってこなかったので、不思議に思って後ろを振り向くと、メリッサは門の外で私に手を振っていた。
「私の役目は道案内までだし、お使いで商業ギルドへ行かないといけないから、私はここで失礼するわ。アリーチェ、お仕事頑張ってね。また会いましょう」
「メリッサ、案内してくれてありがとう。メリッサの話、とても楽しかったわ。またね」
手を振りながら来た道を戻るメリッサによく見えるように、私も大きく手を振った。
「お使いで商会に行く機会もあるから、また会えるだろうよ」
鉄の門扉を閉めながら、ナリオさんが気遣いの言葉を掛けてくれた。彼の言う通り、私がルーベンさんに雇われている限りは、またメリッサに会う機会もあるだろう。
笑みを浮かべながら頷くと、私はカバンからフィオルテ商会で預かった手紙を出した。
「ああ、手紙を預かっているんだな。ここではなく屋敷の方で渡してくれ」
私が何か言う前に、事を察したナリオさんが屋敷の方を指差した。
「正面に見える屋敷に沿って右に行くと、少し進んだ所に使用人用の出入り口があるから、そこから入ってくれ」
「分かりました、行ってみます」
私はカバンを肩に掛け直すと、ナリオさんに言われた道を一人で進む。石畳で舗装された道の左右には、丁寧に刈られた芝生が生け垣とともに美しく配置されていた。
(屋敷前の庭ひとつ取っても、ものすごく手間とお金を掛けているのがよく分かる。屋敷の中はもっと凄いのだろうなぁ……)
ぐるりと回り込むように進むと、建物の横に扉があるのが見えた。生け垣で少し隠れるようにあるところを見る限り、あれが言われていた使用人用の出入り口だろう。
扉をノックすると、少しして中からメイドと思われる女性が顔を出した。年齢は二十代後半くらいだろうか、勝気そうな赤い瞳がじろりと私を見た。
「どちらさん?」
「あの、今日からこちらの屋敷でメイドとして働くことになったアリーチェです。こちらが旦那様から預かった手紙です」
「あんたがそうなの?」
女性は私の顔と手紙を交互にじろじろと見つめた後、「お入り」と言って後ろへ下がった。そして、私の手から手紙を取ると、「少しそこで待ってな」と言って、入って右側にあった厨房を抜けて何処かへ消えた。
厨房には男性が一人と先程とは別の女性がもう一人いたけれど、声を掛けられる雰囲気ではなかったので、私はそのまま静かに女性の戻りを待つ。少しすると、女性は白髪混じりの男性と共に厨房へ戻ってきた。
女性は役目は終えたとばかりに無言で厨房の作業に戻り、白髪混じりの男性は私の前で足を止め、私を軽く一瞥した。
「貴方がアリーチェですね。この屋敷で執事をしているアントンです」
「アリーチェです。今日から宜しくお願いします」
ピシッとした立ち姿から厳格そうな雰囲気を持つアントンさんは、話し方も同様にかっちりとした印象を受けた。
「ノエミ、この子の案内をお願いします。ひと通り簡単な説明をしてあげて下さい」
声には出さないものの、「私がですか!?」と言いたげな表情を浮かべながら、アントンさんを呼びに行った女性、ノエミさんが「分かりました」と溜息混じりに返事をした。
「部屋はどうしますか?」
「以前のメイドが使っていた部屋と同じで問題ないです。案内と支度が終わったら、私に声を掛けて下さい。お嬢様に顔合わせしますので」
「分かりました……」
アントンさんがいなくなると、ノエミさんはうんざりした表情で「さっさと済ませるよ」と面倒くさそうに言った。
まずはその場の厨房について簡単な説明を受ける。食事は一日三回、朝昼晩。使用人用のスープやシチュー、パンが用意されるから、手が空いた時に厨房の隅のテーブルで各自食べるみたい。もちろん、自分が食べる際に使った食器類は自分で洗う決まりであることも伝えられた。
あとは、それ以外の厨房の物を勝手に触らないことを強く念押しされた。料理担当の彼女達にとって厨房は自分の領分であり、大切な仕事場なのだろう。領分を侵されることへの不満はよく分かるので、私は素直に頷いた。
続いて、厨房の隣にあるパントリー、そしてその横の洗濯場の説明を受ける。洗濯場では、ノエミさんがそこにいた他のメイドに私を紹介してくれたけれど、よそよそしく距離を感じる態度だった。
その次に案内された浴室には、沢山のお湯が入るであろう大きな浴槽があった。ここは湯沸かし場も兼ねているらしく、ご家族が入浴する頃には、この浴槽いっぱいにお湯が貯められるらしい。
説明をしていたノエミさんが、私に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。その仕草には驚いたけれど、おそらく、汚れていないか、ちゃんと清潔にしているかを確認したのだろう。
昨夜、宿屋に泊まった際にちゃんと身体を拭いて綺麗にしておいたので、そこは問題ないはずだ。
「汚くはなさそうだから、今は湯浴みする必要はなさそうだね。普段は、家人の残り湯で湯浴みするけど、家人の前に出るあんたは毎日身体を清めなきゃいけないよ。家人の前に出ない私でさえ、数日に一度は清めるように言われてるんだから、面倒でも毎日ちゃんと清めるように」
「……? ご家族の前に出るメイドとそうでないメイドがいるのですか?」
どうやらこの屋敷ではご家族は毎日身体を洗うらしい。それにも驚いたけれど、ノエミさんの言い方に違和感を覚えて質問すると、ノエミさんは呆れたように口をあんぐりと開けた。
「あんた、そんな事も知らないのかい?」
「勉強不足ですみません。良ければその辺りも教えていただけたら嬉しいです……」
これから就くメイドという職業に関しての知識不足は否めないので、正直に話して教えを請う。
「はぁ……、あれだろ、あんた孤児なんだろう? その様子だと使用人として働いた経験もないってのは本当なんだね。なんだって旦那様はこんな子をお嬢様付きのメイドに雇ったんだか……」
ノエミさんはあからさまに不満そうに声を上げて私を見る。ノエミさんが口にした孤児という言葉には、明らかな侮りの色があった。
(こんな感情を真正面からぶつけられるのは、久しぶりだね……)
最近、この手の蔑視の視線を受けることがなかったから、なんだか懐かしくすら感じる。
まあでも、ノエミさんの感覚はある意味普通なのだろう。得体の知れない子供がお嬢様のお付きメイドになるとなれば、同僚となるメイドからしたら不満を抱いても何ら不思議はない。
メリッサが友好的だったのは、私が孤児という立場であることを知らないのと、同僚になるわけではないから親しく接してくれた部分もあると思う。
大商会の従業員としての誇りもあるだろうから、急に私が同僚となったら不満も出たことだろう。
私がそんな風に考えながらノエミさんの返事を待っていると、侮られて落ち込む事も憤る事もなく、にこにこしている私に気が削がれたのか、ノエミさんは大きな溜息をつきながら説明してくれた。
家人の前に出るメイドというのは、奥様やお嬢様の身の回りのお世話をするメイドや屋敷内の掃除をするメイドの事で、他のメイド――料理や洗濯、パントリーを専門とするメイドは、基本的に家人の前に出ないメイドということらしい。
男性の使用人で言うと、執事や従僕、守衛や馬丁は前に出るけど、料理長や庭師などは基本的に前に出ないとのことだった。
他にも、屋敷の規模によっては一人のメイドが兼業したり、逆に細かく分業したり、屋敷独自の決まり事があったりする事を教えてくれた。一括りに使用人といっても、仕事内容によっていろいろ立場も違うみたい。
「後、そのかしこまった口調と『さん』付けを止めな。執事のアントンさんや担当場所の上司とかは別だけど、ただの使用人同士はもっと普通に会話するし、名前も呼び捨てでいい」
「分かったわ」
ノエミの話によると、私が『さん』付けで呼ぶのは、執事のアントンさんと、奥様付きのメイドとお嬢様付きのメイドを合わせて三人みたい。
今、お嬢様に付いているメイドは元々奥様に付いていたメイドらしく、以前お嬢様に付いていた元乳母のメイドが体調を崩して辞めた為、奥様付きのゼータという女性がお嬢様付きに移動している状態のようだ。
そして、辞めた元乳母の欠員を補充するため、お嬢様付きのメイドが新しく雇われたのだけれど、少ししたらそのメイドは辞めさせられて、その次も雇われてはすぐに辞めてを繰り返しているみたい。
これまで何人ものメイドが辞めている事情はルーベンさんから聞いて知っていたけれど、元乳母のメイドが体調を崩して辞めたという話は初めて聞いた。
元乳母が辞めて、新しく来る人来る人が微妙な人ばかりだったら人間不信になったりしないのだろうかと、少しばかりお嬢様の心情を心配した。
それにしても、ここまで説明を受けて思ったけれど、口と態度は悪いけれど、ノエミはなんだかんだと細かく説明してくれる親切な人だよね。嘘を教えたり、情報を故意に隠したりしないところを見る限り、根は優しい人なのだろう。
「はぁ、本当にこんなんで仕事ができるのかね……」
ぐちぐちと口では文句を言いながらも次へ案内しようとするノエミの後ろを、私は笑顔を浮かべながら足取り軽く追いかけた。
今週の更新は一回になります。




