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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第五章 州都カーザエルラ

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56. 初耳です!

 雇用についての話は終わり、当初の契約内容通りルーベンさんと雇用契約を結んだ。以前、ブルーノさんとルーベンさんの手紙のやり取りで提示していた、住み込み食事付き、給与は月に小金貨一枚というものだ。

 なお、メイドではなく見習いになった場合も賃金は変わらない旨を雇用契約書に記載してもらったので、その点も問題ない。商会、薬草工房どちらの見習いになるかは、お嬢さん付きメイドになれなかった時に決めるという話でまとまった。


「では、アリーチェには今日から娘のメイドとして働いてもらう。精一杯励んでくれ」


 そう言いながらルーベンさんがソファから立ち上がる。続けて私もソファから立ち、「今日から宜しくお願いします」と深々とお辞儀をした。

 ルーベンさんは、先ほど私がサインした契約書を執務机の上に置くと、呼び出しベルを鳴らした。少しして、一人の男性が扉を開けて部屋の中へ入ってきた。この部屋に案内してくれた従業員とはまた別の人だ。


「アリーチェ、階段下のホールで待っていてくれ。屋敷までの案内を付ける」

「分かりました」


 私はソファの横に置いてあったカバンを持ち、「失礼します」と挨拶して部屋を出た。先ほど通った廊下を逆に進み、吹き抜けの階段を下りながら、改めてホールを見回す。

 三階まで吹き抜けになっている階段ホールはとても開放的で、目が眩むほどの圧巻だった。大きな建物に入ったのはメルクリオの小神殿以来、二度目だけれど、こんなに高い天井を見るのは生まれて初めてのことだった。

 私がホールを見上げていると、先程ルーベンさんの執務室に来ていた男性が階段を降りてきた。私と視線が合うと軽く会釈をしてきたので、私も会釈を返す。

 そのまま私の横を通り過ぎると、大通り側の両開きの扉を開けて、扉の向こうに消えた。扉をくぐる時にチラリと見えた様子だと、扉の向こう側は店舗になっているみたい。僅かな風の流れが店舗からの華やかな化粧品の香りを運び、私の鼻をくすぐった。


 少しして、さっきの男性がホールへ戻ってきた。男性の後ろには若緑色の髪の女性が付いてきており、私を見るとにこりと微笑んだ。


「お待たせしました。こちらの者が屋敷への道案内をしてくれます」

「メリッサ、こちらが先程伝えたアリーチェです」


 私はメリッサと呼ばれた若緑色の髪の女性に対して、「宜しくお願いします」とお辞儀をすると、メリッサさんは「いえいえ」と、和やかな雰囲気で挨拶を返してくれた。


「屋敷へ着いた際に、この手紙を屋敷の執事に渡して下さい。貴方についての事が書かれています」

「はい、分かりました」


 男性から手紙を受け取ると、肩に掛けたカバンに大切に仕舞った。


「ではメリッサ、案内宜しくお願いします」

「はい」


 それだけ言うと、男性は大通り側の扉を開けて店舗へと戻っていった。男性の後ろ姿を見送った後、メリッサさんが私に向き直って明るい笑顔を浮かべた。


「それじゃ行きましょうか」

「はい!」




 メリッサさんに案内されながら、私とメリッサさんは大通りの歩道を二人並んで歩く。

 日差しはあるけれど、初冬に入った風は薄寒い。メリッサさんも制服の上に外套を羽織って温かい格好をしていた。メルクリオの街を出立したときは秋の終わりだったけれど、十日間の旅を経た今は冬の初月に入っていた。


「ねえ、アリーチェ。あなた、メルクリオの街から来たのよね?」

「はい、そうです」

「やっぱり、あなたがそうなのね。商会長がわざわざメルクリオから人を呼んだって、従業員の間で噂になっていたのよ。屋敷のメイドとして働くの?」

「はい、お嬢様のメイドとして雇っていただきました」


 今のところは、という条件が付くのだけれど、先のことはまだわからないし、同僚になるようなことがあれば、またその時に説明するのが良いだろう。


「メルクリオって南方の街よね。どんな所なの?」


 そう聞かれて、私は言葉に詰まった。私がメルクリオで過ごした日々は約四ヵ月間である。どんな街かと聞かれてさっと答えが出るほど、私はメルクリオの街を知らなかった。

 街の森で採れる動物や植物ならいくらでも答えられるのだけれど、聞きたいのはそういう話ではないだろう。


「メルクリオは色々な物に溢れた大きな街だと思っていたのですが、州都を見た後だと何と答えれば……」

「ふふっ、確かに大きさでは州都に敵う街はないわね」

「大きさは州都には及びませんが、活気のある良い街でしたよ」


 残念ながら有名な食べ物や街の歴史の一つも知らない私は、とりあえず無難に街の印象を答えておいた。


「メルクリオも賑やかな街だったのね。じゃあ、州都の賑やかさにもすぐに慣れそうね。田舎から来た子だと賑やかさに当てられて目を回すってよく聞くもの」


 まさに、田舎から出てきて目を回しているのが今の私です、と内心思ったけれど、それを話すとややこしい話になるので、私は軽い相槌だけを返した。


「私はこの街が好きだから、アリーチェにも好きになってもらえたら嬉しいわ」


 メリッサさんは本当にこの街が好きなのだろう。そう言う彼女はとても素敵な笑顔を浮かべていた。

 

「メリッサさんは、州都の生まれなのですか?」

「そんなに歳も離れていないし、メリッサでいいわ。言葉遣いも普通で大丈夫よ」


 年上だろうから丁寧に接していたのだけれど、どうやらメリッサさんは気さくな人柄みたい。裏のなさそうな様子に私はメリッサに好感を持った。


「ありがとう、分かったわ。メリッサは州都の生まれなの?」

「生まれも育ちもここカーザエルラよ。この街のことは色々と知ってるから、知りたい事があれば何でも聞いてね」


 私に片目をつむりながらそう言うメリッサは、気さくな人だけでなくお茶目な人でもあるみたい。メリッサに対する緊張が緩むと共に、この街に対する緊張も少し解けて、ふっと身体が軽くなった気がした。



 その後、メリッサが歩きながらこの街の大まかな全体図を教えてくれた。商業区、居住区が大まかに区切られているのはメルクリオでも同じだったけれど、州都では同じ商業区や居住区でも上流向けや大衆向けで分かれていたり、大きな職人通りが何区画もあったりと規模が段違いみたい。

 勿論、貧民街もあるみたいだけれど、それとは別にさらには暗黒街などという犯罪者の温床のような場所もあるらしい。暗黒街では違法改築が横行していて、道が迷路の様になっているので間違っても近づかないようにと念押しされた。


 他には、最初に丘から州都を一望した時、街の奥に見えていた大きな川は、実は川ではなくリナ・アズルという名前の湖だということや、州都の側には神樹の森が広がっていることも教えてくれた。

 神官様から聞いたり、礼拝堂にあった神話の本に書いてあった『神樹』を目の当たりにするなんて、驚きである。遠い世界の話のように思っていたから、実際に神樹があると聞いて、とても不思議な感じがした。


 神話では、六柱の神が生まれた六本の木のことを神樹と呼んでいた。六柱の神を生み出した神樹は、やがて他の神々も生み出し、植物や動物、そして人もまた神樹から生まれたと神話には書いてあった。

 神官様が火の州には火の神樹があり、各州にも州の名前になっている神樹があると言っていたから、この街にあるのは水の神樹なのだろう。

 とはいえ、神樹の森は一般には立入禁止なので、メリッサも存在を知ってはいても実物は見たことはないらしい。



「この橋までが商業区よ。この橋を越えると貴族や上流階級の居住区になるの」


 私とメリッサが石造りの立派な橋に差し掛かった時、橋の向こう側を指さしながらメリッサがそう言った。確かに、言われて見れば川を挟んで街並みがガラリと変わっている。

 今いる商業区は建物が立ち並ぶ賑やかな通りだとすると、向う側は大きな建物がゆったりと点在する閑静な住宅街といった感じだろうか。


「今日はここまで歩いてきたけれど、街を走る乗合馬車に乗ればもっと早く着くわよ。お使いで商業区に向かう時にでも、利用するといいわ」

「街の中を乗合馬車が走っているの!?」

「ええ、州都は広大だから大きな通りを巡るように乗合馬車が走っているのよ。メルクリオにはなかった?」


 そう言われてメルクリオを思い出す。大きな街ではあったけれど、街の中で乗合馬車のような移動手段は見たことはない。貴族や富裕層は別だけれど、一般の人は基本的に皆歩いて移動していたと思う。


「メルクリオの街にはなかったかな。街の中を走る乗合馬車があるなんて流石は州都、街の広さを実感するね」

「なら、この街で乗合馬車に乗る時が初めての経験ね。便利だからこれから使う機会は沢山あると思うわよ」


 思えば、私は乗合馬車というもの自体に乗ったことがないことに気が付いた。奉公先に向かう時に乗った馬車に近いのかもしれないけれど、日々巡行しているということだから、もしかしたら幌馬車ではなく箱馬車と呼ばれるものかもしれない。


(この道を通っていると言っていたし、偶然に通り掛からないかな……)


 乗ったことのない乗り物に興味を引かれてキョロキョロ周りを見回していると、メリッサが「アリーチェ、あそこを見て」と言った。

 メリッサの指差す方向にあったのは、川岸沿いに立ち並ぶ色とりどりの倉庫群だった。


「あそこに見える薄紫色の倉庫は、フィオルテ商会が所有している倉庫なのよ」

「倉庫……?」


 確かに倉庫群の中に、薄紫色の壁の倉庫が数棟あるのが見えた。フィオルテ商会の在庫管理で使うには大きな倉庫のようだけど……。


「あの倉庫は何の倉庫なの?」

「あれは海運業の方で使用する倉庫よ。私も詳しくは知らないけれど、商品や物品を一時保管する倉庫だと思うわ。倉庫の壁の色が目立つから私でも知っているの」

「えっ……、もしかして旦那様は海運業もしているの!?」

「あら、知らなかったの?」

「ええ、初耳です……」


 私はあまりの話の大きさに、驚きを通り越して半ば呆然とした返事を返す。「化粧品を扱う商会だとしか聞いていないんですけど!?」と心の中でブルーノさんに問いかける。


「フィオルテ商会の化粧品は他の州でも人気が高く、他の州に輸出する流れで海運業も始めたって聞いたわ」

「へえ」


 なるほど、ブルーノさんが輸出について知らないということはないだろうし、経営主体が海運業ではないからわざわざ言う必要はないと判断したのだろうか? 可能性としては、驚かせるためにわざと言わなかったという線もあるよね……。

 とはいえ、大通りにあれ程大きなお店を構えている商会だから、海運業で手広く商売をしていても何ら不思議ではない。むしろ納得がいったくらいだ。

 私はどうやら気付かないうちに、想像以上の幸運を拾っていたらしい。


「あのね、倉庫の壁の色なのだけど、あの薄紫色にしたのは今の商会長なのよ」

「そうなの? 旦那様はなぜ薄紫色にしたの?」

「ふふっ、それはね……」


 こっそり耳元で囁かれた言葉によると、薄紫色はルーベンさんの奥さんの瞳の色らしい。ルーベンさんが商会を引き継いだ時に、いつでも奥さんを感じられるようにと、壁の色を灰色から薄紫色に塗り替えたらしい。

 この話は巷でも有名らしく、ルーベンさんは娘を溺愛しているだけでなく、どうやら愛妻家としても有名だったみたい。奥さんを好きなあまり、壁の色まで変えるほどの情熱的な一面があるなんて、人は見かけによらないね。


 メリッサによると、ルーベンさんが壁の色を変えたことにより、荷運びの時に自分たちの倉庫を見分けやすくなったし、フィオルテ商会は何棟もの倉庫を所有しているという財力を示すための良い宣伝にもなったらしい。

 結果的に、他の商会も真似して倉庫の壁の色を塗り替え、今では色とりどりの倉庫群になったのだという話をメリッサが教えてくれた。

 街の歴史を知っているメリッサの話を聞くのはとても興味深く、色々な話を聞いているうちに、私はこの街のことが少し好きになった。


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