54. フィオルテ商会
第二部開始します!
朝の日課の読書を終えた私は、パタンと本を閉じる。そのタイミングを見計らったように、メイドのゼータがテーブルの上へ紅茶を置いた。
「ねえ、ゼータ、新しいメイドはまだ到着しないの?」
「聞いた話ではもう到着してもいい頃かと思いますが、何分遠方から参りますので到着が遅れているのかもしれません」
ゼータの言葉に「そう……」と軽く相槌を返すと、私は紅茶のカップを持ち上げて口に運ぶ。
(お父様は何故そんな遠方から孤児なんて呼び寄せたのかしら。いくら有能だと言っても、家令教育も受けていないでしょうに……)
ここ四ヵ月でお父様に付けられたメイドや教師の酷い有り様を思い出し、私は内心ため息をついた。
お父様の愛人狙いの人や、本音では私を見下してくる人、嘘をついたり陰では職務怠慢な人、他商会の回し者かと思うような振る舞いをする人。全員優秀ではあったのかもしれないけれど、一人として傍に置いてもいいと思えるような人はいなかった。おそらく次の孤児も期待できないでしょう……。
すぐに辞めるであろう孤児のことを頭から追い出すと、紅茶の余韻を楽しみながら、私は静かにカップをソーサーに戻した。
◇◇◇
ガラガラと音を立てて、幌馬車は州都カーザエルラの大通りを進む。私はリオと一緒に幌馬車の後部にかじりついて州都の街並みを眺めていた。
少し前に外壁門で入都のための検問を通り、今は中心部の方へ向かって進んでいるのだけれど、道幅は馬車が行き交うに余りあるほど広く、大通りの左右には高さのある立派な建物が並ぶ。歩道を歩く人も多く、大きな荷物を担いで運ぶ人もいれば、子供達が駆けていく姿や、お洒落な服装で歩く男女も見かけた。見ているだけで目が回るような賑やかさとはこのことだね。
メルクリオの街も大きかったけれど、州都ともなると建物も人も規模が一層凄まじい。こんな大きな街で生活するのかと圧倒されながらも、心が浮き立って唇には自然と笑みが浮かんでいた。
さらに進み、街並みの雰囲気が一層華やかなものへと変わった頃、御者台のロッコさんが私に声を掛けた。
「アリーチェ、そろそろ着くぞ」
「!」
ロッコさんの言葉に、私が急いで積荷の間を抜けて前へ移動すると、ロッコさんが道の左側を指さした。
「あそこに見えている角の建物だ」
ロッコさんの指の先を確認した私は思わず絶句した。その先にあったのはこの大通りに相応しい、圧倒されるような大きな店構えの建物。装飾のある格子窓には大きな硝子がはめられ、淡い灰色の壁には幾何学模様の彫刻まで施されているのが見えた。
(私……、本当にこんな大商会の娘さんのメイドになるの? 何かの間違いだったりしないよね?)
ブルーノさんから、州都で指折りの大商会とは聞いていたけれど、あくまでメルクリオの街の規模を基準に考えていたから、まさかここまでの大商会とは思っても見なかった。
余りの場違い感に私が顔を青くしていると、店の前に差しかかった幌馬車は速度を緩める。そして、ロッコさんはロバを操り、店のすぐ横を走る横道に入った。
横道の途中にあった扉の前で幌馬車を止めると、ロッコさんが御者台から降りてその扉を叩く。おそらくこの商会の通用口なのだろう。扉についた小窓が開き来客を確認すると、扉が開いて中からお店の人が出てきた。ロッコさんはその人に何かの紙を見せながら会話をした後、戻って来てロバのくつわを取った。
「ここで荷物を下ろすんですか?」
「いや、違う。中に入るんだ」
私が不思議そうにしていると、先程の扉の先にあった両開きの大きな扉が内側に開いた。一階分程の高さがある大きな扉が開いたことで、私はロッコさんの言葉の意味を理解する。
(なるほど、中に入るというのは馬車ごと建物の中に入るということだったのだね)
ロッコさんはロバを引き、開ききった扉の中へと幌馬車を誘導した。
「わぁ……」
私の驚きの声を聞いたリオが前に移動してきて、私の隣で同じ様な驚きの声を上げた。
幌馬車を進めた先は、石畳で舗装された中庭だった。四方を建物で囲まれた中庭は掃除が行き届いており、樹木を植えた鉢植えが所々設置された心地よい空間となっていた。
正面は奥行きのない建物のように見えるから、おそらく主な建物は中庭を挟んだ左右の建物なのだろう。左側の建物が店舗だろうから、右側の建物は倉庫や住居部分なのかもしれない。
「下ろす荷物はどれですか?」
「こちらの束がそうだ」
幌馬車の後部から店の従業員とロッコさんが顔を覗かせ、荷物を下ろし始めた。
「アリーチェの荷物はこれだけだったわよね」
そう言ってジルダさんが私の薄茶色のカバンを渡してくれた。私はお礼を言いながら受け取り、ポシェットを掛けていない方の肩に斜めに掛けた。
「ジルダさん、いい旅をありがとうございました。リオも、一緒に旅をできて楽しかったよ」
「こちらこそ、いい旅をありがとう。アリーチェには、たくさん助けられたわ」
「僕も楽しかったよ。州都での仕事、頑張ってね!」
「ありがとう、リオ。頑張るね」
最後に、ジルダさんとリオと固く握手を交わすと、私は松葉色のコートをひるがえし、幌馬車の後部から石畳へ降りた。
「こっちだ、アリーチェ」
従業員と会話していたロッコさんが私を手招きする。他の従業員の手で運ばれていくモップの束を尻目に、私は二人に近づいた。
「この子が、ここまで連れて来るよう頼まれていたアリーチェだ」
ロッコさんが私を紹介すると、従業員は頭から足先まで素早く目を走らせると、見定めるような視線で私を見た。そんな相手に対して、私は笑みを浮かべて丁寧に頭を下げる。
「初めまして、アリーチェです。メルクリオの街から来ました」
「話は聞いています。会長の所へ案内しますので付いてきて下さい」
「はい、よろしくお願いします」
従業員はロッコさんが持っていた受取書にサインすると、後を付いてくるよう合図をして歩き出した。それを見て、私は慌ててロッコさんに手を差し出す。
「ロッコさん、お世話になりました! ここまで運んでくれてありがとうございます」
「ああ、アリーチェも頑張れよ」
「はいっ、頑張ります!」
ロッコさんとしっかり握手を交わすと、幌馬車から顔を覗かせているジルダさんとリオに手を振りながら、私は小走りで従業員の後を追いかけた。
ツルツルとした床のホールを抜け、大きな吹き抜けの階段を上がる。
(階段の手すり一つを見ても、見事な装飾が施されているね……)
詳しくない私から見ても、随所にお金が掛けられているのが分かる洗練された建物だった。
三階まで上がり、上質な寄木張りの廊下を進む。中庭側の窓からは明るい光が差し込んでいた。そのまま廊下を進むこと少し、従業員は一番奥の重厚な扉の前で足を止めた。
――トントン
「会長、メルクリオの街から来客がみえました」
従業員がノックをして用向きを伝えると、中から「入ってくれ」という返事が返ってきた。扉を開き、部屋の中に入る従業員の後に続いて、私も足を踏み入れる。
部屋の中を一瞥し、置かれた家具からここはおそらく執務室なのだろうと当たりをつける。扉の重厚さから想像していたけれど、見事な外観や内装に相応しく、通された室内も上品な仕上がりとなっていた。絵や調度品が置かれ、足元の絨毯は毛足が長くふわふわしている。
(本当のお金持ちって凄い……)
今まで生きてきた世界とは違いすぎて、私はただただ驚くばかりだ。
「その子が?」
執務机に座ってこちらを見ていた男性が、ゆったりとした口調でそう尋ねた。私は肩に掛けていたカバンを外して床に置き、背筋を伸ばして両手をお腹の前で揃え、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。メルクリオの街のルッツィ孤児院から来ました、アリーチェと申します」
顔を上げてからも姿勢は崩さない。顎を引いて姿勢良くしながらも、表情は柔らかな笑みを浮かべるよう努める。
「遠路はるばるよく来てくれた。待っていたよ」
男性は大商人とは思えないような柔和で気さくな雰囲気をしていたけれど、瞳の奥は違う。先程の従業員以上に私を見極めようとする商人の目をしていた。優しげな態度から勘違いする人もいるのだろうけど、この人は間違いなく油断できない部類の人だろう。
私が内心冷や汗をかいていると、従業員は役目が終わったとばかりに退室し、私は部屋に置かれたソファに座るように勧められた。
正直、豪華な革張りのソファを前に、旅で薄汚れた服装で座って良いものかと躊躇いはあったけれど、きっとそういう小さな事は気にしないだろうと割り切ってソファに腰を下ろす。浅く腰を掛けることが、せめてもの配慮である。
(見た目以上にふわふわしてる!)
想像以上の座り心地に私が驚いていると、男性が私の前のソファに腰を下ろした。
「初めまして、アリーチェ。私はフィオルテ商会の会長をしている、ルーベンだ」
「ご丁寧にありがとうございます」
私は軽く会釈をし、改めて目の前の男性、ルーベンさんを観察する。僅かに赤みがかった灰色の髪に、青い瞳、年齢は四十過ぎくらいの、見た目落ち着いた渋めの男性といったところだろうか。
商人にありがちな、ギラギラとした野心的な印象はまったくない。大商人ゆえの余裕なのだろうか、年齢的なものなのだろうか、と考えていると、ルーベンさんが私を見てニコリと笑った。
「予想以上に可愛らしいお嬢さんで驚いたよ。まさかこんなお嬢さんがモップを考案したとは、本当に驚きだ。あれはなかなかの良品だな」
「偶然が重なって出来たものだったのですが、恐縮です」
「つい先日、登録簿にモップ関連の製品が新しく追加されたのだが、知っているか?」
関連の製品という言葉に、未だ登録していない付け替え用のモップが思い浮かんだ。私がメルクリオの街にいる時に試作品を完成させて商業ギルドに申請していたはずだから、十中八九その事だろう。
一体型のモップの売上が思いの外良かったので、他者に付け替え型を考案される前に、早々に登録してしまおうという話だったはず。
とはいえ、完全にそれとは限らないので、「何か新たに登録されたのですか?」と無難な返事を返す。私が知らない振りをしたことに気付いたかどうかは分からないけれど、ルーベンさんはにこやかな表情を崩さずに話を続けた。
「モップの毛先を付け替えられる製品が、新たに登録されたところなのだよ」
「なるほど、付け替え用のモップでしたか。無事に登録されたようで良かったです」
「それにも君の名前が発案者として載っていたが、あれも君が?」
「はい、そうです。とはいえ、私は原案を考えただけで、実際に製品化できたのは職人さん達の頑張りのお陰ですね」
「謙遜はしなくていい、原案を考えただけでも立派なものだ。前回に引き続き今回もとなると、君に対する注目は更に高まっただろう。今頃、ブルーノの所には君に対する問い合わせが来ているんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
私にとっては複雑な気持ちだね。メルクリオの街から州都へ移動したから、私に注目が集まったとしてももう問題はないと思うけど、それでも孤児院が気になってドキリとする。
「やはり早めに声を掛けて良かった」
「その話なのですが、何故私だったのでしょうか? こちらのお嬢さんのメイドにと声を掛けて頂きましたが、私自身あまり相応しいとも思えなくて……」
ブルーノさんから事情は聞いたけれど、この話があった時からずっと気になっていた事だ。雇い主とは言え、気軽に話す機会もそう多くないだろうから、せっかくなのでこの機会に直接尋ねることにした。
ルーベンさんは、ふむと少し考える仕草を見せた後、軽く目を細めて私を眺めた。
「確かに、君は孤児だ。メイドとしての経験もないし、その手の教育も受けていない。高い教養を学んだわけでもないが、調べてみて有能な人材だと私が判断した」
その言葉を聞いて、私はふと違和感を覚えた。
(聞いた、ではなく調べた……?)
連載再開しました!
間の期間は、短編を書いたり書き溜めしようと思っていたのですが、第二部の詳細をまとめていたら思った以上に時間が足りなかったです……。短編は断念。
少し間が空きましたが、今後は、また週二回のペースで更新していきたいと思いますので、引き続き応援いただけたら飛び上がって喜びます。




